狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

必読!仲新城記者の鋭い目、八重山日報

2011-10-13 07:29:59 | 八重山教科書採択問題

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沖縄タイムスから八重山教科書関連の記事が消えてから久しい。

報道によれば、昨日(12日)までに、県教委は政府の閣議決定を真っ向から否定する報告書を提出する予定のはず。

ところがここ数日の沖縄タイムスは教科書問題など忘れてしまったかのように「世界のウチナーンチュ大会」関連の記事満載で、本日の紙面にも教科書関連記事は一行の記載もない。

【追記】17:17

見落としていたが八重山教科書関連でこんな記事があった。

情報公開審査会を石垣市が設置へ

新聞が静かになったなったのを援護するつもりか、QABテレビ(沖縄タイムス系列)が昨夜、八重山教科書問題の特集を放映した。

現在県教委が追い詰められている閣議決定については全く触れず、8月23日の協議会のボイスレコーダーを入手したことを鬼の首を取ったような大騒ぎ。 QABテレビは沖縄タイムスと同じく最初から「教科書は専門知識を持つ教員が採択すべき」という妄想、というより違法な採択手法を是としているのがよくわかる。 当然の流れとして文科省の指導の下、従来の違法な採択方を改革しようと立ち上がった玉津石垣教育長のことを「稀代の大悪党」のような描き方をしている。

まぁ、それはそれで充分笑える番組ではある。

QABテレビ 10月12日(映像を見ると、いかにも重大問題のようなナレーションの割には、臭いだけで実を伴わない屁のような内容)

リポート 八重山の教科書採択協議会 議論尽くさず

Qリポートです。八重山地区の教科書問題は、国や県の指導・助言がなされないまま、1ヵ月以上過ぎました。未だ解決の糸口さえ見えない教科書問題ですが、今回、QABでは会議録と音声データを入手し、協議会での内容が見えてきました。

玉津会長「今度の会議も8名でしっかり、中身のある審議をお願いしたいという風に思っております」

8月23日。八重山採択地区協議会の冒頭で挨拶をする玉津協議会会長。今回、八重山採択地区協議会は玉津会長の主導のもと規約を全面的に改定。協議会から突然、学校現場の経験のあるメンバーをはずしました。

さらに、協議会の開催を前に現場の教師たちが専門的な視点で教科書を調べ、ふさわしい教科書を推薦する制度を廃止しました。

この規約改定について、元教員や学校関係者などから「現場の声が、教科書に反映されない」と反対の声があがっていました。しかし、玉津会長は採択には問題ないと反論しました。

玉津会長「協議会の委員の皆さんが、しっかりと教科書を調べて研究して、協議会の委員がその責任と権限で選定するそれが出来る委員を入れ替えたと。」

しかし、今回QABが入手した8月23日の会議録とそのとき録音された音声データ。はじめに、協議会のメンバーが分かっては困るとの意見から、教科書の投票は無記名で行われことが決まります。

さらに、国語の教科書を選ぶときに、玉津会長は協議中には教科書の名前はできるだけ伏せて推薦するように要請します。各委員から推薦した教科書について意見が述べられるなか、ある委員からこんな意見が。

委員「これを何のために言っているのか。どういう協議に資するためものでなければ、時間の無駄ですよねえ。」

玉津会長「ここで思いっきり議論していこうということではないと私は思っております。私たちお互いがですねぇ、こういう観点から私は教科書を選びましたよという意思表明だと思っている。」

その言葉のとおり、注目されていた歴史の教科書の部分は、およそ30分に渡り各委員の意見が飛び交い、選定が行われた結果、帝国書院が答申されます。

しかし、次に行われた公民の教科書の選定の協議は10分足らずで終了。投票の結果、育鵬社が答申されました。数学を選ぶ作業に入りますが、その直後にある委員が疑問を投げかけます。

委員の疑問に対して、議論を打ち切ろうと玉津会長。しかし委員は、育鵬社の教科書を選んだ理由について追求します。そしてこの委員から、今回の協議会の根底を揺るがす発言が飛び出します。

委員が暴露した「教科書を見なくても見たと言えばいい」という玉津会長の発言。教科書を選ぶ立場にある協議会が、実際は機能していなかったことをうかがわせます。

結局、協議会ではなぜ育鵬社が選ばれたのか話し合いが行われることはありませんでした。今回の協議会の内容について、玉津教育長は「今は答えられない」とコメントをしています。

会議録などからは、協議会そのものがしっかり行われていなかったのではないかと疑問が多くあります。玉津会長をはじめ関係者からは何が協議会で行われたのか、説明が求められています。

               ☆

突っ込みどころ満載の特集番組だが、問題の本質からは外れるので一々反論しないが、後で紹介する昨日12日の八重山日報が偶然に反論した結果になっている。

是非お読みいただきたい。

得意顔で非公開のはずのボイスレコーダーを暴露している平良守弘氏はPTA関係者となっているが、実際は石垣市職員で「すぐやるか課長」という立派な肩書きを持つ公務員である。 その公務員が非公開の会議を無断でボスレコーダーに盗録しテレビで公開したら公務員の守秘義務に違反しないのか。  盗録の内容はともかく公務員の盗録と公開が大問題であることだけは間違いない。

でその内容だが、問題の発言は23日の会議中の発言ではなく一ヶ月ほど前にしたというもの。

それも玉津氏と平良氏の2人だけの「言った言わないの」問題であり、反対派急の先鋒の慶田盛氏、大田氏等は一切聞いていない。 

一ヶ月前に玉津氏がその発言をした音声の録音でもあればともかく、これは平良氏が23日の会議で意図的に仕組んだ録音といわれても仕方がない。 いずれにせよ大勢には何の影響も及ぼさない言いがかりに、赤い脳ミソの三上智恵女史が必死に喰いつこうというお粗末劇。 過去に行われた「現場を知る専門家の教員」が一方的に行っていた違法行為を「正義」とし、それを正常化しようとする玉津教育改革を「悪の権化」と見ると思考停止したスタッフが、ボタンの欠け違いが作り上げたデタラメ番組ということが出来る。

 

前にも八重山教科書問題の報道合戦で、沖縄各紙の記者の資質に関し、沖縄タイムス、琉球新報、八重山毎日新聞の沖縄3紙がイデオロギーの呪縛から逃れきれず、問題の本質から外れたトンデモ記事の羅列なのに対し、八重山日報が1人県民の知る権利を守り中立的な記事を書き続けたと書いた。

八重山日報も閣議決定で一件落着と判断したのか、この数日教科書関連記事は紙面から消えていた。

昨日12日は主筆の仲新城記者が「記者の目」として、各紙がピント外れの論評をしている教科書問題に鋭く切り込んで、取材者の視点で問題の本質を見事に抉り出して見せている。

これを読めば八重山教科書問題の全てがわかると言ってもいいほどの秀逸な論評である。

 

■八重山日報社 10月12日

記者の目
拡大版

教科書問題は騒動の勃発以来、2ヶ月以上が経過したが、騒動の大き
さの割には、実のある議論が進まない。育鵬社の公民教科書採択に反
対する議論に、強引な論法が目立つのも一因だ。

♢1種絞り込みの是非
 
過去の教科書採択では、調査員(教員)が各社の教科書を順位付け
し、第1位の教科書を「採択教科書」として協議会に答申していたこ
とが当時の資料で判明している。
 これを「1種絞り込み」という。順位付けが認められている県内他
地区の調査員も、上位2〜3社の教科書を推薦するのが常で、1種絞
り込みまでは行っていない。
好ましくないことは県教育委員会も認め
ている。
 しかし、
育鵬社版に反対する人たちからは「調査員が教科書を1冊
に絞り込んでいたというのはうそだ」と主張する声がある。根拠は
「かつての調査員がそう証言した」からだという。調査員はいわば当
事者であり、好ましくないとされる1種絞り込みを否定するのは、当
然と言えば当然かも知れない。
少なくとも現存する資料は「1種絞り
込み」が現実に行われていたことを示している。
 問題なのは、1種絞り込みによって、調査員が事実上、教科書を選
定していたことが「うそだ」と否定されてしまうと、話がそこで終
わってしまうということだ。このあり方が是なのか、否なのかという
前向きな議論につながらない。

♢「実質的な論議なかった」
 育鵬社版の教科書を選定した8月23日の八重山採択地区協議会に
ついて「公民教科書の審議が数分ほどで、実質的な議論や討議がな
かった」と批判する声がある。
議事録が公開されていないのにそう断
言できるのも本来は奇怪な話だが、その通りだと仮定しよう。実質的
な議論がなかったことが悪い、というのであれば、9月8日に行われ
た全教育委員の協議で、東京書籍版を「採択」したときの議論はどう
だったか。
「調査員が推薦した教科書だから」「現在使用されている教科書だか
ら」という理由で、やはり実質的な議論もなく、たいした時間もかけ
ずに東京書籍版に軍配が上がった
。これは議事録を待つまでもなく、
会議そのものが公開されたから、傍聴しにきた人はみんな目撃してい
る。同じように議論がないまま選定された教科書なのに、東京書籍版
は善で育鵬社版は悪、という論法は奇妙だ。

♢調査員の推薦
 騒動の勃発当初から、現在に至るまで育鵬社版に反対する強力な根
拠とされているのが
「調査員が推薦していない教科書」だという指摘
だ。これも冷静に考えてみるとおかしい。調査員の推薦がない教科書
は選んではいけないというのであれば、最初から3市町が一緒になっ
て調査員を委嘱し、調査研究だけでなく選定までお願いすればいい。
調査員の選定を追認するだけの協議会は、廃止したほうが話が早い。
 結局、問題は「育鵬社版は八重山地区の教科書としてふさわしいの
か、ふさわしくないのか」の1点に絞られるべきで、調査員が推薦し
たとか、しないとかは本質的な話ではないと考えられる。
 教
科書のあり方に対する本質的な議論ではなく、現在の議論は単な
る悪者探しに陥った。「玉津博克教育長が悪い」「協議会委員が悪
い」「調査員が悪い」といういがみ合い
。市教委の関係者は「こんな
状況だと将来、協議会委員も調査員も、引き受ける人がいなくなる」
と危ぶむ。教科書問題が保革の政争の具になっているからだ。
                      (仲新城誠)

見出し

「親の存在が大切」
高橋教授が講演


教科書問題で勉強会
育鵬社版の問題指摘  弁護士 井口博さん



■八重山毎日社 10月12日

情報公開・個人情報審査会設置へ
石垣市 議事録非公開の不服申し立てで
教科書問題条例施行後初めて

 教科用図書八重山採択地区協議会の議事録など教科書問題をめぐる
情報開示について石垣市は、市教委の非公開決定に対して市民から出
ていた不服申し立てに対処するため、情報公開および個人情報保護審
査会の設置を準備していることが11日、分かった。し総務課による
と、人選のメドが立ち、現在は日程を調整している。審査会が設けら
れれば、2002年4月の条例施行後初めて。非公開決定の理由が妥
当かどうかが焦点となる。
 
 不服申し立ては藤井幸子さん(63)=石垣市登野城=が、公開を
請求した11年7月22日までの協議会の総会、役員会、協議会の議
事録が非公開となったことに対して行った。
 市教委は8月8日、条例第7条第4号(オ)の「公開することによ
り、行政の公正かつ円滑な執行に著しい支障を生じることが明らかな
情報」に当たると判断、「教科用図書の採択は静謐(せいひつ)な環
境で行われることが望ましい。議事録等の公開は、教科用図書の採択
が決定してから行う」として非公開を通知していた。
 これに対して藤井さんが9日、不服申し立てを行い、市教委は10
月3日付けで審査会に諮問した。諮問に先立ち、藤井さんは、不服申
し立てから2ヶ月近くも放置されたとして、法的手段も辞さないとの
通知書を提出していた。
 条例は、実施機関の諮問があれば、調査審議するための審査会を置
くと規定。委員5人で、学識経験者から市長が委嘱する。総務課は、
情報公開に詳しい研究者や弁護士ら3人を予定している。
 審査会は市教委に非公開となった文書の提示を求めることができる
ほか、不服申し立ての当事者や市教委に意見書、陳述などを提出させ
ることができる。
 情報公開に詳しい前津栄健氏(沖縄国際大学大学院教授)は「非公
開になった理由書、それに対する反論書を出してもらい、両方がそ
ろって審査することになるので結論を出すまでには最低でも3回の審
査が必要になる」と話し、結論(答申)が出るまでには一定期間を要
するとの認識を示している。

            ☆

本土で活動の場を失った左翼活動家が沖縄に住みついて「プロ市民」として住民を扇動する話はよく聞くが、今回の八重山教科書問題で「市民代表」として何度も新聞に登場する藤井幸子氏こそ石垣市に住みついた本土活動家の典型ということが出来る、

藤井氏はかつて日本共産党公認で、大阪で衆議院選挙や摂津市長選挙に立候補したバリバリの左翼活動家。

現在は「いしがき女性九条の会事務局長」という肩書きで自衛隊が休養のために石垣港に入稿しても、市民を扇動し抗議活動の先頭に立っている。

さらには「沖縄戦の史実歪曲を許さず沖縄の真実を広める首都圏の会(略称:沖縄戦首都圏の会)」や「沖縄平和ネットワーク・首都圏の会
」そして「子どもと教科書全国ネット21」などの左翼団体と連携を取り八重山教科書問題では「市民の声」捏造に大活躍をしている。

八重山教科書:「市民の良識勝利」に安堵

 

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3・オカッパの少年の謎を追って 沖縄タイムスがスルーした理由は?

2011-10-12 09:53:18 | オカッパの少年

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■却下された「援護法」適用■

「オカッパの少女」に扮した大城少年が捕虜収容所の診療所で傷の手当てを受けた後、軍病院に一週間ほど入院させられ右肩の脱臼や眼の治療などを受け養父母との再会も果たすことになる。

その後大城氏が視力を失い歩行困難になる経緯が大田昌秀著『沖縄戦を生きた子どもたち』((株)クリエイティブ21 2007年)では、次のように記されている。

<こうして、約一か月後には眼帯も外せるほど回復したのですが、視力は二度と戻りませんでした。養父が二世の通訳兵を通して米軍の医者に訊いたところ、もはや眼は完治できないとの返事だったようです。しばらくして後頭部の傷もいくらか良くなったけれども、不自由になった右足の傷は完治せずに足を引きずって歩く始末でした。>

この記述が正しいとするならば、大城氏が右目の視力を失い、歩行障害を自覚したのは、戦後になってからではなく日本兵の暴行を受けたほぼ一か月直後のことになる。

これは、記録フィルム「戦場の童」で「うつろな目の少女」は自分だと名乗り出たた玉那覇春子さんの証言で判明したことだが、大田昌秀氏の著書はでたらめを書いた事になる。 その時、米軍治療班が少女に施した治療は重症であった右腕上膊部の切断手術であり、記録フィルムで証言する玉那覇さん確かに右腕の半分は喪失しているが右目も足も不自由はしていない。

ことほど左様に大田昌秀氏の沖縄戦記には裏づけのないデタラメ記事のオンパレードなのである。

さて、戦後の大城氏の居住地はめまぐるしく変わる。 

1951年、大城氏は大阪にいた実父に呼び寄せられ大阪での生活を始めるのだが、1970年に、米軍の爆撃で戦死と聞かされていた実母が、実はスパイ容疑で日本軍に斬殺されていたと聞かされる。

沖縄が返還された3年後の1975年、大城氏は沖縄に戻り与那原町でクリーニング業を始める。更に1991年、大城氏は沖縄の家を引き払って大阪の大正区に移転する。 ところが1995年の阪神大震災で自宅が全壊する災難に遭い、以後兵庫県伊丹市に転居する。


その間、沖縄に戻った二年後の1977年、沖縄戦の負傷者に「援護法」により障害年金が適用されることを知る。  だが大城氏は「援護法」の存在を知って直ちにその適用を申請したわけではない。 

大城氏はそれから14年も経った1991年になって初めて自分が受けた障害の「援護法」適用を申請するが、その時は「右眼の失明が沖縄戦で被った障害であることを誰か証明する人がいなければ受け付けることは出来ない」と門前払いを受けている。

大城氏が沖縄戦の講演会を始めたのは「援護法」適用を却下されたことが動機だというが、これが事実だとしたらこの頃から講演を始めたことになる。

<それ(却下)以後、大城さんは年金受給の対象資格を勝ち取る運動と同時並行して、沖縄戦について語り始めるようになりました。(『沖縄戦を生きた子どもたち』)>「

申請を却下された直後の1991年から講演を始めたとしても、2007年の琉球新報の取材を受けた時点では講演は16年間続けたことになる。

新報記事の「(講演は)23年で1120回を数える」という記述と矛盾が生じる。 さらに『沖縄戦を生きた子どもたち』の別の記述によると、1988年に「まず最初に小中学校の生徒たちに語り始めた」とあり、講演は新報取材の時まで20年間続けたことになる。 大城氏の証言はこのように取材メディアによってまちまちで、同じ本の記述でも齟齬が多い。

<こうして、「沖縄の語り部」として大城さんの新しい人生が始まることになります。それ以後、大城さんは年金支給の対象資格を勝ち取る運動と同時並行して、沖縄戦について語り始めるようになりました。>(『沖縄戦を生きた子どもたち』)

■39年ぶりの自分の写真に遭遇■

1984年、大城氏は腎臓病で那覇の病院に入院中、偶然に大田昌秀著『これが沖縄だ』の表紙に掲載されているオカッパ頭の自分の写真に遭遇する。 『沖縄戦を生きた子どもたち』の記述によると、その4年後の1988年に「まず最初に小中学校の生徒たちに語り始めた」とある。従って大城氏の講演活動は沖縄でスタートしたことになる。

沖縄出身の筆者がこの「少女」が実はオカッパ頭の少年であったという事実を初めて知った2007年8月当時の沖縄は、「9・29教科書検定意見撤回を求める県民大会」(「11万人」集会)を目前にし、地元紙が沖縄戦の証言者を連日のように紹介し、「悪逆非道の日本兵」を喧伝するキャンペーンが真っ盛りの時期であった。

沖縄中が反日本軍キャンペーンに熱気を帯びている最中に、大城氏は地元紙の取材を受けるため伊丹市からわざわざ沖縄を訪れ驚愕すべき証言をしたのだ。

にもかかわらず、「悪逆非道の日本兵」を印象操作に必死の沖縄地元紙が、その時大城氏に一回の講演もさせずに伊丹市に戻しているのはいかにも不自然だった。

60数年前に米軍によって撮影された有名な「少女」の写真が撮られた経緯を、そのときの琉球新報は次のように報道している。


教科書の嘘許さず 大城さん、憤りで声震わせる

「うつろな目の少女」と題し、大田昌秀著「これが沖縄戦だ」(1977年出版)の表紙写真で紹介された兵庫県伊丹市の大城盛俊さん(75)=旧玉城村出身=が来県、高校歴史教科書検定で沖縄戦の「集団自決」に関する記述から日本軍の強制が修正・削除された問題で、「沖縄県民はもっと怒って立ち上がらなければ」と訴えている。……表紙の“少女”の正体が大城さん。当時12歳で、育ての父に「男の子は兵隊にやられるから女の子になりすましなさい」と言われ髪を伸ばした。……

 5月下旬、日本兵が入り込んできて「食料をよこせ」と銃を向けた。彼らは黒砂糖が入った大城さんのリュックサックを取り上げようとした。大城さんが「取らないで」とお願いすると、「生意気なやつだ」と壕の外に引きずりだし、激しく暴行。硬い革靴でけり飛ばされた大城さんは気を失った。殴られた右目は失明した。≫


大城氏は1983年、喉頭がんで声帯を失ったが、人工声帯で沖縄戦の実相を全国各地で語り続け、講演は「23年で1120回を数える」と記事は結んでいる。

■疑惑の「少女」■

記事を見て「少女」の正体がオカッパをした少年であったことに驚いたが、驚愕と同時に幾つかの疑念が暗雲のように胸中に湧くのを抑えられず、素朴な疑問をブログに書いた。

その時の疑問を整理すると次のようになる。

①日本軍の残虐性を象徴するような、「少女」に暴行を加え失明までさせるという沖縄紙にとってオイシイ事件を、地元紙は何ゆえこれまで報じてこなかったのか。

②琉球新報は、このような悲劇の主人公とインタビューをしておきながら、何故大城氏に一回も沖縄で講演をさせず返しているのか。 

大城氏が講演経験のない人ならともかく、彼は沖縄以外の本土各県ではそれまで23年間に1120回の講演会をこなしており、鹿児島と北海道以外はすべての地域で講演したという。単純計算をしても1週間に1、2回の割で講演会を続けたことになり、大城氏はまさに、講演のプロである。日本軍の残虐性を訴えるのに「うつろな目の少女」の主人公の講演会ほど好適な企画はなかったはずだ。

ちなみに2007年8月25日付琉球新報の記事では「(取材時まで)23年間講演をしてきた」となっているが、大田昌秀著『沖縄戦を生きた子どもたち』によると大城氏が講演を開始したのは1988年からであり、新報の取材時には20年間講演を続けてきたことになる。

(大城氏は他にも多くのメディアの取材を受けているが、「オカッパ頭にした理由」など重要な部分の多くの証言に矛盾が見られる。)

③このドラマチックな記事が、何故この種の報道では常に先頭をきって大騒ぎする沖縄タイムスにはスルーされ、琉球新報の特ダネのように報じられたのか。(沖縄タイムスは新報より4日も遅れた8月29日になって初めて報道している。)

■沖縄タイムスが「特ダネ」をスルーした理由は?■

更に不可解なのは、沖縄タイムスは琉球新報のスクープ記事の二年前に、大城盛俊氏にインタビューしていることだ。

そしてその時は後で新報に抜かれることになる「オカッパの少年」のスクープ記事を書いていないことだ。

2005年のその記事には日本兵の暴行を避ける為オカッパの少女の姿をした大城少年のいたいけない女装については一行も触れていない。

記事はもっぱら残虐非道な日本兵の暴行により、右目失明や肩の脱臼の被害を受けたと言う記事と、それが援護法の対象にならなかった憤懣を記しているが、二年後に琉球新報のスクープとなる「オカッパの少年」については一言も触れていない。

長くなるが、二回にわたる2005年のタイムス記事を全文引用しておく。

◆沖縄タイムス<2005年3月13日 朝刊26面>

[戦闘参加者とは誰か](11)
適用拡大
日本兵が暴行 右目失明
43年目に障害年金申請

 

 大城盛俊さん(72)=兵庫県=は、沖縄戦の最中、日本兵による暴行で右目を失明した。母親もまた日本兵にスパイ容疑をかけられ、惨殺されている。

 戦争当時、十二歳。玉城国民学校に通う元気な少年の人生が、そのけがで一変した。

 右目が見えないため、米軍基地のハウスボーイや、土建業のお茶くみ、穴掘りといった単純な仕事しか就くことができなかった。

 敗戦六年目の一九五一年、大阪へ働きに出た。「いつか、日本兵を見つけて、敵討ちしたい」という憎しみを抱いて旅立った。

 大城さんが去った沖縄では、五三年に援護法適用、五九年には一般住民も「戦闘参加者」として、適用拡大。遺族年金や障害年金が支払われていった。

 四五年三月。十二歳の大城さんは、玉城村に養父母と住んでいた。三月二十三日に港川沖の水平線をびっしりと米艦隊が埋めた。翌日から激しい艦砲射撃が始まり、一家は同村親慶原にあるワチバル壕へ避難した。

 昼は攻撃を避け壕で過ごし、攻撃がやんだ夜に壕を出て、畑を耕した。

 そんな状態が二カ月続いた五月下旬。首里から撤退してきた石部隊の日本兵が、壕に来て「民間人はここを立ち退くように」と命令した。大城さんらは、家財道具や食糧を抱えて、玉城城跡にある壕に移らざるを得なかった。移った先で惨劇が起きた。

 六月上旬、球部隊の日本兵六人が壕にやってきて、食べ物があるか聞いた。大城さんが「ない」と否定しても持っていたリュックサックを奪い取ろうとした。

 リュックの中には、家族のための食糧が入っていた。日本兵は、「これは渡せない」と再び拒んだ大城さんの襟首をつかみ、近くの畑に引きずっていって、投げ飛ばした。意識がもうろうとする中を無理やり立たされ、顔を殴られた。倒れこむと今度は軍靴でけり飛ばされた。

 「こんな子どもに何をするのか」。追いかけて抗議した父親にも、兵隊は暴力を振るおうとした。だが、リュックをあさっていた兵隊が食糧を見つけると、暴行を加えた兵隊は用が済んだとばかりに、立ち去って行った。

 大城さんの右目は充血し腫れあがり、右肩は脱臼。体中に傷や打撲傷を負う瀕死の重傷だった。

 その後、捕虜になり、米軍の診療所で手当てを受け、傷は癒えた。しかし、その時、既に右目の視力回復は難しいといわれた。戦後に治療を受けたが回復しなかった。

 五一年、大阪に渡り、工場勤めをした。「日本兵に殴られんかったら、目も見えて、仕事もできた」。心の中では怒りを持ち続けた。沖縄を差別する同僚を懲らしめようとしたこともあった。

 七五年に転職で沖縄に帰郷。援護法の障害年金が一般住民にも支給されることを知った。

 大城さんが援護法適用を申請したのは八八年。戦後四十三年もたっていた。

                   ◇

<2005年3月17日 朝刊26面>

[戦闘参加者とは誰か](12)
審判
日本兵暴行は「規定外」
裁判できず泣き寝入り

 

 一九七五年、大城盛俊さん(72)=兵庫県=は、新しい仕事を得て二十四年ぶりに、沖縄へ帰郷した。その時初めて、沖縄戦で「戦闘参加者」と認定されれば、一般住民にも遺族年金や障害年金が支給されることを知った。

 県が実施した援護法の巡回相談を訪れた時のこと。大城さんは担当職員に、日本兵に暴行を受け失明した状況を説明した。

 「あなたを殴った兵隊はいるのか」。担当職員は、事務的に質問をした。

 いや応なしに沖縄戦に巻き込まれて、味方の日本兵に暴行された。十二歳だった大城さんが何一つ自分で選んだことではない。なのに、それを証明するのは自己の責任でと言われる。

 あまりに理不尽な問いに、大城さんは激怒した。「戦闘中だから、その日本兵が誰かは分からない。じゃあ、艦砲射撃でけがをした人は、撃った米兵を特定しないといけないのか」

 相談に訪れていた戦争体験者のお年寄りたちも「やんどー、やんどー(そうだ、そうだ)」と加勢してくれた。

 沖縄で援護法が適用されてから、すでに三十年たっていた。「できるだけ多くの人を救う」。初期の援護担当職員によって、そうやって運用されてきた援護法は、時の流れとともに、住民の戦争体験を審判するものに変わっていた。

 それでも、大城さんは、友人らの助けを借りながら当時の証言を集め、八八年に、申立書を申請した。

 しかし、厚生省は九二年、日本兵の暴行による障害は「援護法の規定外」として、申請を却下した。

 沖縄の一般住民が、援護法の「戦闘参加者」として認定されるためには、「日本軍への協力」が前提だ。住民が、戦争で受けた被害を補償するものではなかった。

 大城さんは、支援者らとともに、三万人余の署名を集め、厚生省に援護法適用を認めるよう要請した。却下に対して不服申し立てをしたが、九四年に再び却下された。

 後は裁判しか道は残されていなかった。「何年かかるかと弁護士に聞いたら、十年から十五年という。年も取るし、費用もかかる。結局やめてしまった」。大城さんは悔しそうに振り返った。

 九一年に娘らが育った本土へ移り、現在は伊丹市に住む。「沖縄のことをみんなが考えてくれたらありがたい」。そう思い、ボランティアで沖縄戦の語り部として、講演活動で訴える。「沖縄の戦後は終わっていない。私のように、泣き寝入りをさせられている人はたくさんいるはずだ。日本の国は、沖縄への戦後補償をしていない」

 「軍への協力」が前提となる援護法では、一般住民が沖縄戦で受けた被害は救えない。

 「住民を守る軍隊が、沖縄では、沖縄人に銃を向けた。沖縄の人一人ひとりが、沖縄戦が何だったのかもっと考えてほしい」

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続・オカッパの少年の謎を追って、

2011-10-12 06:40:16 | オカッパの少年

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沖縄戦を書いた本は数多く出版されているが、少しでも真剣に検証した読者ならあまりにも事実の歪曲、捏造が多いことに気がつくはず。

調査不足等による意図せぬ間違いならともかく、著者のイデオロギーに組み込むため事実を意図的に歪曲、捏造した例を太田昌秀元県知事の膨大の沖縄戦記から拾い出すと、それだけでも一冊の本が出来ると噂されるくらいだ。

沖縄戦記の表紙やグラビアを飾る沖縄戦の写真のほとんどが、ドキュメンタリー作家上原正稔氏が米公文書館から発掘した「一フィート運動の」の記録フィルムによるものだが、左翼学者達は中立的立場で戦争の真実を伝えようとする上原正稔氏を「一フィート運動」から追い出して、上原氏が発掘した記録フィルムを都合のいいように切り貼りし、それに事実を歪曲したナレーションをつけて一般公開したりしている。

琉球新報のスクープを朝日新聞が一面トップで飾った「うつろな目の少女」の写真も「一フィート運動」の成果として上原氏が米国から持ち込んだ記録フィルムに写っている少女の写真を太田昌秀氏が著書の表紙に使用したことから県民の間でも知れ渡るようになる。

この少女の写真には三つつの大きな衝撃がある。

先ずこの少女は、大城少年が日本兵に「やられないように」オカッパあたまで女装した写真であると報道されたこと。

次に大城少年は壕にいたところ日本兵に食料を強奪され、暴行を受けた後壕を放りだされ、その時の傷が元で右目が失明し、歩行障害者になる。 さらに実母は日本兵にスパイ容疑で虐殺されたというから、「残虐非道の日本兵」の悪行を一身に受けたような少年である。

最後に衝撃的なのは、戦後66年も経過して大城盛俊氏が自分だと名乗った「少女」は、実は「玉那覇春子さんという正真正銘の女性だったことである。 だが、これについて報道するメディアが一つもないのも驚きである。

沖縄メディア、左翼学者が共謀して捏造した数多くの沖縄戦記の中でも、これほど県民を愚弄した歴史の捏造は前代未聞であり、沖縄戦史研究の一大汚点として歴史に刻まれることになるであろう。

■地元では知られていない「女装の少年」■

朝日新聞の一面トップを飾った「少女」の記事を読みながら、その一年前に同じ「少女」を報じた琉球新報のスクープ記事を思いだした。

大城氏は、2007825日付琉球新報記事の取材に応じるため帰郷している。

だが、その時も取材のみで沖縄での講演は一度もせずに神戸に戻っている。

朝日新聞の二枚の写真付記事を見、さらに一年前の琉球新報記事を見なおして、滓のように胸中に残っていた疑惑が再び活性化してきた。                     

 

沖縄戦で米軍が撮影した膨大なフィルムが公開されてきたが、その中でも見る人の胸を打つ有名な二枚の写真がある。二枚の写真はそれぞれ大田昌秀著『写真記録「これが沖縄戦だ」改訂版』(琉球新報刊)の中に収録されているが、その一枚が「白旗の少女」として知られる一枚で、他の一枚が今回朝日が紹介した「うつろ目の少女」の写真である。

「うつろな目の少女」は同書の表紙に使用されているだけでなく、冒頭第1頁でも「傷つき血みどろになった少女」とキャプション付きで掲載。一冊の本で二度も大きく紹介されているので、同書を手にした者の目に必ず飛び込んでくる構成になっている。

同書は40万部を売るという戦記ものとしては大ベストセラーになったせいか、この「少女」の写真は沖縄では良く知られた写真である。

だが、この少女が実は男の子であったということを、地元沖縄でも、知る人は少ない。

実際、筆者の知人友人ら二十数人に尋ねてみたが、「少女」の写真は見たことはあっても「少女」の正体が少年であると知る者は一人もいなかった。 

沖縄戦の資料展示では、「反軍姿勢」で知られる二つの歴史資料館を調べてみた。

激戦地のあった本島南部にある「具志頭村立歴史民俗資料館」の沖縄戦の資料展示コーナーは、ご多分にもれず「日本軍の残忍さ」と「アメリカ軍の人間性溢れる行為」を強調した展示構成になっている。 

同コーナーの「村内の仮収容所(米軍指定)に集められた人たち」と題した写真展示の中に「うつろな目の少女」の写真が展示されている。

だが説明文は「傷の手当てを待つ少女」の記述だけで、「少女」の数奇な体験については一言も触れていない。「反日本軍」を訴えるには絶好のテーマのはずの「少女」の正体も記されていなければ、「日本軍の暴行を避ける為のオカッパ頭の少年」とも記されていないのだ。   

たまたま隣で見ていた地元出身の青年に「この少女は実は少年だよ」と話したが、信じてもらえなかった。 

「もしそうなら、何故事実を掲示してないのか」と反論され、返答に窮した。

「具志頭村立歴史民俗資料館」からそう遠くない場所にある「沖縄県立平和祈念資料館」といえば徹底した反日思想の展示で有名だ。

赤ん坊を抱く母親に銃剣を向ける人形まで展示して反軍思想を煽っているが、不思議なことに、ここには「うつろな目の少女」の写真展示はない。 

見落としたかと思い、念のため受付の係員に尋ねたが、そもそも「うつろな目の少女」を知らなかった。

学芸員と称する専門家に聞いても、最初は「うつろな目の少女」が理解できず、大田元知事の著書の表紙に使われている写真だと説明してやっと理解してくれた。

だが、「少女」の正体が少年だったと話してもよく飲み込めない様子だった。

このように沖縄戦の資料を専門的に展示してある沖縄の代表的資料館でも「うつろな目の少女」の正体は少年だったという話は認識されていない。

筆者の友人、知人達が「少女」の写真は知ってはいるが、その正体をごく最近まで知らなくても無理はない。 

続く

  

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所

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2007年8月25日琉球新報

 <「うつろな目の少女」と題し、大田昌秀著「これが沖縄戦だ」(1977年出版)の表紙写真で紹介された兵庫県伊丹市の大城盛俊さん(75)=旧玉城村出身=が来県、高校歴史教科書検定で沖縄戦の「集団自決」に関する記述から日本軍の強制が修正・削除された問題で、「沖縄県民はもっと怒って立ち上がらなければ」と訴えている。・・・・ 表紙の“少女”の正体が大城さん。当時12歳で、育ての父に「男の子は兵隊にやられるから女の子になりすましなさい」と言われ髪を伸ばした。>

 

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オカッパの少年の謎を追って!

2011-10-11 17:45:00 | オカッパの少年

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「白旗の少女」については過去に何度かエントリーし、現在でも一日に100件前後のアプローチがある。

昨日も200件を越えた。

古い過去エントリーで閲覧者が200件を越すのは当日記のような地味な政治ブログでは珍しいこと。 

沖縄戦で戦火に翻弄される住民の姿は、米国側の記録写真で数多く紹介されているが、見るたびに心を痛めるものは無抵抗な子どもたちの姿である。 

数多く出版されている沖縄戦記中でも、特に戦場の過酷さを表した2枚の「少女」の写真は沖縄人なら誰でも一度は目にするといわれるほど有名である。

「白旗の少女」と「うつろな目の少女」とそれぞれクレジットが付いた写真のことである。

「白旗の少女」が残虐かつ卑劣な日本兵を喧伝するため歪曲された絵本が出版され、主人公の比嘉富子さんが、偶然自分の後ろを歩いていた名も知れぬ兵隊さんの汚名を晴らすため名乗り出た話は有名だが、もう一枚の「うつろな目の少女」が実は「オカッパの少年」だったという事実を知る者は沖縄県民でさえほとんどいない。

沖縄タイムス平和ウェブ 過去の「慰霊の日」特集

当日記でも過去に数回エントリーしたが、一部の読者には反響があったが「白旗の少女」に比べて、アプローチも少ない。

「うつろな目の少女」の体験は、メディアが喧伝する「残虐非道の日本軍」という沖縄紙の見出しそのままを具現したようなものである。

日本兵に食料を強奪され、壕を追い出され、その際打つ蹴るの暴行を受け右目を失明し、歩行に障害の後遺症を持つ。 

「少女」が日本軍に受けた惨い仕打ちはそれだけではない。

実母はスパイ容疑で日本兵に虐殺され、戦後は右目の失明と歩行障害により仕事にも困難を伴ったという。

「少女」の受けた災難はそれだけでは止まらず、戦後「援護法」の受給申請をしたがそれさえも非情にも却下された。

「うつろな目の少女」こそ、沖縄二紙が糾弾する「悪逆非道の日本兵」の被害者として、これほど絶好のネタはないはずなのに、これを報ずる沖縄紙は極めて少ない。 

2007年、初めてこれをスクープした琉球新報と、数日遅れでフォロー記事を掲載した沖縄タイムスの二回しか筆者は知らない。(同年最後の講演会をするため大城氏が石垣市に行ったとき、八重山」毎日がこれを報じた。)

「少女」の体験が余りにも数奇なため、読者の理解を得るのが困難だと思うので、再度「少女」について検証し再度エントリーしてみたい。

昨年(2008年)の慰霊の日(6月23日)の朝日新聞夕刊のトップに「少女」についての大きき記事が掲載された。

朝日はウェブ記事には載せなかったが、大城氏の数奇な運命を中央日報がフォロー記事で掲載したので、読者の理解の一助として先ずそれを紹介する。

険を避けて少女になった大城さん、最後の講演/沖縄 

 

 

 

 太平洋戦争当時、日本軍が沖縄で行ってきたことを日本人に伝えてきた大城盛俊さん(75)が21日、沖縄県石垣島で最後の講演をしたと朝日新聞が伝えた。63年目を迎えた沖縄被害者「慰霊の日」の2日前だった。彼が25年間、全国を回りながら行った講演は約1230回。毎週1回のペースだった。しかし妻の病気の看護をしているうち、自分の足首の関節も弱くなって公式講演は今回で終えることにした。彼はこの日「初めて講演するときは『沖縄ってアメリカにあるんですか』と質問する子供もいた」と回顧した。それほど過去の沖縄の悲しい歴史を知らない日本人が多かったという意味だった。

  彼が沖縄戦争の証言するようになったきっかけは、1984年に現われた1枚の写真だった。沖縄琉球大学教授だった大田昌秀元沖縄知事が沖縄の悲劇を告発する『これが沖縄戦だ』という本を出し「うつろな目の少女」というタイトルで本表紙に載せた大城さんの幼いころの写真だった。この本が出ると大城さんは「写真の中の人物は僕です」と明らかにし、世間の注目を集めた。彼の証言の人生は少年が少女に化けた事情から始まる。

  日本が太平洋戦争で敗戦の色が濃くなった1945年5月。大城さんは12歳の少年だった。「男の子は日本軍にひっぱり出され、何をされるかわからん」として彼の父親は大城さんを女の子に変装させた。彼の頭をおかっぱ頭にして女の子の服を着せた。その後、洞くつに隠れて過ごす中、日本軍が訪ねてきた。日本軍は大城さんが黒砂糖を入れておいた袋に何が入っているかを尋ねた後「生意気だ。反抗するのか」と大城さんの顔を軍靴で蹴った。翌日、沖縄に上陸した米軍は血だらけになったまま倒れている大城さんを治療し、このとき撮った写真が「うつろな目の少女」という名で本の表紙に使われたのだ。

  この本が出版された後、大城さんは全国を回りながら行った講演の核心は「反戦」だ。彼は「私が本当に訴えたいのは日本軍の残酷さではなく、彼らをそこまで追いやった戦争の狂気」だとし「ベトナム戦争もイラク戦争も同じだ」と強調した。

  太平洋戦争当時、日本軍も初めは沖縄住民に「私たちが皆さんを守ってあげる」と言ったという。それで住民たちは素直に日本軍に寝る場所や食糧を提供して協力した。しかし、米軍上陸が切迫すると日本軍は恐怖に震え、狂気を見せ始めた。道路と陣地構築に住民を動員すると壕に抑留させた。そのせいで米軍の砲弾が落ちても民間人は逃げだせなかった上、日本軍が壕外に出るときには住民を前に立てて盾にしたというのが大城さんの証言だ。

  日本軍に暴行されて失明した彼は母親が死亡した経緯についても話した。「母はほかの洞くつから私(大城)がいた洞くつに戻る途中、日本軍につかまり、米軍スパイと疑われた。日本軍は母を洞くつに閉じこめて手榴弾を投げた」

  彼は喉頭がんの手術を受けたことから人工発声器を使って講演をしてきた。電気装置で声を伝達するので聞き取りにくいのだが、彼の講演にはいつも人があふれた。彼は「沖縄の空は青いが、痛い過去があったという点を覚えていてほしい」とし、最後の講演を終えた。   中央日報 2008年6月26日

 

                     ◆

「オカッパの少女」の謎を追って

うつろな目の少女」は、本当に沖縄戦の語り部・大城氏か

毎年6月23日、沖縄では戦没者を追悼する「慰霊の日」を迎える。その日は沖縄県限定の公休日であるため、国の出先機関や国立大学(琉球大学)以外の役所・学校等は休日になる。その日は、糸満市摩文仁の平和祈念公園で沖縄県主催の沖縄全戦没者慰霊祭が行われる。

 

■「うつろな目の少女」の衝撃■

2008年のその日623日、朝日新聞夕刊は、沖縄戦の語り部として講演活動をしてきた大城盛俊氏(75)が講演会活動を来年で引退すると一面トップで報じた。その記事には「うつろな目の少女」として有名な「少女」の写真と、講演をする大城氏の現在の写真を並べて掲載してある。

63年前に米兵によって撮影された「少女」の写真の説明を、朝日記事は次のように説明している。

<大城さん沖縄戦当時12歳。「男の子は日本軍に何をされるか」と案じた父が少女の格好をさせていたが、食べ物を持っていこうとした日本兵に殴られて右目失明などの大けがを負った。米軍に手当てを受けている写真を、琉球大学教授だった大田昌秀・元沖縄県知事が「うつろな目の少女」と名付けて本の表紙に使い、大城さんは84年に「これは私」と名乗り出た。>

さらに同記事は、大城氏が「23日に沖縄県石垣島では最後となる講演を行い、戦争の残酷さを訴えた」と報じているが、事情を知らない読者は、記事が報じるように過去に1230回を超える講演をこなしてきた大城さんなら、地元沖縄ではこれまでも数多くの講演会を行っていると想像するだろう。 

だが、沖縄出身で長く沖縄に在住する筆者でも大城氏が沖縄で講演会を行ったのは、後にも先にも朝日が報じる20086月の一回しか知らない。しかも23年もの長期にわたる講演活動の最後の沖縄講演が、沖縄本島を遠く離れた石垣島での講演だという。 

何ゆえ大城氏は、沖縄での最後の講演を自分の故郷がある沖縄本島で飾らなかったのか。筆者には、知人縁者の多く住むはずの故郷での講演を避けているように感じられた。

「平和教育」のメッカともいえる那覇や本島南部地域こそ大城氏のユニークな講演の最後を飾る場として相応しくはなかったのか。大城氏は一体何を避けているのか。

さらにもう一つの疑問は、少女が米兵の毒牙を避けるため髪を切って男の扮装をする話は、戦時中も終戦直後の沖縄では良く聞く話だが、逆に少年がオカッパ頭の少女に変装したという話は、筆者は始めて聞いた。 大城氏は何故しょうじょに

「うつろな目の少女」に筆者が異常な関心を持ち始めたのは、この素朴な疑問がすべての出発点であった。

琉球新報のインタビューに応じる大城盛俊氏

続く

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似て非なる沖縄県と石川県、育鵬社逆転不採択

2011-10-11 06:10:09 | 八重山教科書採択問題

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石川県の中学教科書採択でも育鵬社版教科書の逆転不採択が行われた。

逆転不採択の背景には県の不当介入があったことは、八重山地区の逆転不採択と酷似している。

が、沖縄県と石川県の教科書採択には大きな違いがあった。

「発狂新聞」の存在である。

【エディターズEye】
不可解な石川県の育鵬社逆転不採択
2011.10.8 19:05
 石川県の小松市、能美(のみ)市、川北町で同じ教科書を選ぶ小松・能美採択地区が、教科書改善の会(屋山太郎代表世話人)のメンバーが執筆した育鵬社の中学校歴史・公民教科書を市町教育委員会の採決結果に反して逆転不採択にしていたことが分かった。

 9月21日の県議会予算特別委員会で宮元陸(りく)氏(自民)が追及した。小松・能美地区では、7月20日に能美市教育委員会が採決の結果、5対0で帝国書院を採択すべきだと決定。一方で、21日に小松市教育委員会が4対1で育鵬社、22日に川北町教育委員会が5対0で育鵬社を決めて、26日の採択協議会に臨んだ。

 3市町のうち2市町が育鵬社を推したことで、採択協議会では育鵬社が選ばれるはずだが、結果は不採択になった。協議会は3市町の教育長、学校教育課長と保護者代表で構成されており、小松市と川北町の学校教育課長は教育委員会の採決結果を伝達すべき立場にありながら、育鵬社を推さなかったという。

 宮元氏は関係者の話として、この過程で県教委事務局が育鵬社を採択しないよう市町教委事務局に対して圧力をかけたと明らかにした。

 採択協議会を事務方中心で構成することは、採択の権限が教育委員にあるという法の趣旨に反している。沖縄県八重山地区(石垣市、竹富町、与那国町)が育鵬社の公民教科書を採択したのは、協議会の構成を教育委員中心に改めた結果だった。

 小松・能美採択地区協議会の構成を定めた設置要綱を、市町教委員事務局が教育委員に諮らずに決めていたことも判明。課長が教育委員会の採決結果を代弁しなかった問題とともに、教育委員会制度を否定する違法性の強い採択といえそうだ。

 また、県立中高一貫校の金沢錦丘中(金沢市)の教科書を決めた8月9、11日の県教育委員会で、竹中博康教育長が育鵬社の教科書について「必ずしも適当な教科書ではないと感じる」と、不採択を誘導する発言をしていたことも明らかになった。

 宮元氏の質疑は石川県のホームページで動画で見ることができる(http://www.pref.ishikawa.lg.jp/gikai/cyukei/documents/g110921a.asx)。

 (渡辺浩)

                         ☆

石川県の中学校教科書採択騒動は、県の教育委が採択地区協議会に不当介入し、育鵬社版教科書の採択をひっくり返したと言う点で、沖縄県の八重山教科書騒動と酷似していが、石川県の場合は自民党県議・宮元陸氏の県議会での質問で事件が公になった。

一方、八重山地区の場合、県の不当介入に対しネットが騒ぎ出し自民党県議が見て見ぬ振りしている間に、いきなり国会質疑で自民党議員の古屋圭司氏が県の行指導は不当介入ではないかと質したことから全国に飛び火した。

その間、沖縄の自民党県議は、八重山採択地区に県教委が行った不当介入に対し「触らぬ神」を決め込んでいた。

早くから「発狂新聞」とネットが騒いでいたため、見て見ぬ振りをしていたのだ。

本来教科書採択権を持たない県の教育委が、採択地区協議会の教科書採択に不当介入したという「事件」だが、異論を許さぬ「全体主義の島沖縄」では従来、沖縄2紙に逆らう者は「紙爆弾」と言われる激しい新聞のバッシングを受けることを覚悟せねばならぬ。

大抵の者は、新聞の猛攻撃に耐え切れず、抵抗を無くすのが常だった(最近も某大学教授血祭りにあげられている)が、今回、「発狂新聞」にとって想定外だったのは教育改革の信念に燃える鉄の意志を持つ玉津教育長の存在がある。

「発狂3紙」が束になってキチガイじみた個人攻撃を浴びせたもかかわらず、玉津氏の信念は些かもも揺らぐこともな、2ヶ月以上にも及ぶ個人攻撃に耐え抜いた。

玉津氏の教育改革を妨害する県教委に対し、本来なら沖縄の自民党県議が、石川県議会の宮元議員のように、県議会で援護射撃をしてしかるべきだった。

だが、沖縄2紙に迎合する自民党県連は援護射撃どころか、玉津氏が余計なことを仕出かしたでも言わんばかりの冷たい対応で終始し現在に至っている。

翁長政俊県連副会長は、「この問題(教科書)で軽々に一緒になることはない」などと発言し、石垣支部が9月13日、県教育委員会に「指導・助言の枠を超えた違法な介入だ」として8日の協議の無効性を要請した際も、求められた役員の同席を断っている。

自民党県連の態度は、玉津教育長の一連の教育改革を支援することは、まるで「犯罪行為」に加担するかのような認識で「軽々しく一緒になることはない」と切り捨てている。

今回の玉津教育改革を支援したのは自民党八重山支部の市会議員であり、自民党本部の義家議員など文部行政に関心のある国会議員たちだった。 

それに比べて自民党沖縄県連は、終始沖縄新聞の顔色ばかり窺い、むしろ足を引っ張るような発言さえしていたのである。

前ににも書いたがそんなに沖縄2紙が怖いのならいっそ共産党に宗旨替えでもして「反戦平和」のお題目でも唱えたらどうだろうかと言いたくもなる。(怒)

 さらに自民党本部が文部科学部会に玉津教育長を招待した件についても、「どうしてこの時期に部会を開く必要があるのか」などと、13日の会議に先立ち、県連幹部が党政調に電話で苦言を呈する有様であった。

背景には教科書問題が「発狂新聞」の逆鱗に触れるテーマであり、来年に控える県議選への影響も考えて、触らぬ神に祟りなしを決め込んだ結果と言われている。

この時点で県連は保守党としての誇りをかなぐり捨て、「発狂3紙」と沖教組の下僕に成り下がったと公表したことになる。

自民党の義家議員が関連法規の解釈でアドバイスしたり、文部科学合同会議に玉津教育長を招待したときも、県議からは「県連がこれだけ気配りしているというのに、党本部は沖縄の空気を分かっていない」とのぼやきも漏れていたというから、「空気を読めないのはどっちだ」と怒りの言葉を投げつけたくもなる。

沖教組の言いなりになって違法な介入をを続ける県教委に対し、自民党県議が意見も言えず恭順の意をあらわしているのは一にも沖縄2紙に逆らったら議員としての地位さえ危ないと言う恐れがあるからである。

沖縄県が異論を許さぬ「全体主義の島」と言われる所以である。

これまで沖縄では教科書採択に口を挟むことはタブーとされてきた。

教科書問題で「違法は違法」として、自民党県議が堂々と県教育長の違法行為を追及できる石川県が羨ましく思う今日この頃である。

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教科書問題は場外乱闘へ

2011-10-10 07:07:03 | 八重山教科書採択問題

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教科書問題は、閣議決定により国方針が確定したにも関わらず、石垣市では極左勢力が「ペンギン王国」の再建に命がけの戦いを挑んでいる。

歴代教育長で組織する「ゾンビの会」などペンギン市長の残党がこれほど教科書問題に抵抗する理由は、玉津教育長の教育改革こそが「ペンギン王国」崩壊の象徴であるからである。

ペンギン市長の16年間は、極左政権の強力な庇護の下、教科書採択など何の問題もなく沖教組の指定する教科書を調査員という名の教員が採択していた。 勿論、これを指導助言すべき県教育委も地域の教育長も極左ペンギン市長の顔色を窺って絶対服従であり、これをチェックするはずのメディアも見て見ぬ振りを決め込んでいた。 タケシの箴言「赤信号、皆で渡れば怖くない」をこれほど見事に体現した実例を筆者は他に知らない。

「ペンギン王国」時代に経験した甘い汁は教科書採択だけではない。

教育行政、沖教組、メディアの極悪共同体は、公務員就職に強力なコネを持つようになり、親戚縁者や知人を市町村の職員に口利きするという強大な就職利権が発生するようになる。

「どこそこの誰さんが某氏の口利きで市役所に入った」といった話が、「ペンギン王国」時代には日常茶飯事に聞かれたという。

そのような「ペンギン王国」の夢よもう一度、と叫ぶ勢力が、次期市長選を見据え、当面の目標として玉津教育長の教育改革の潰しに掛かっている。 玉津教育長を潰せば、任命責任で中山市長も潰れる・・・これが「ペンギン王国」再建を夢見る強化勢力の構想である。

したがって、教科書問題で国の方針がどのように決まろうが、とりあえず「悪代官・玉津」のイメージ造りというゲリラ戦に持ち込んで教育改革を妨害しようという魂胆が記事の見出しから垣間見れる。

 

■八重山日報社 10月8日

12月も「教科書議会」に」
野党が警告、玉津教育長非難

 教科書問題で石垣市議会の野党連絡協議会は7日、市議会野党控え
室で記者会見し「12月議会も教科書採択問題が大きくクローズアッ
プされる」(大浜哲夫会長)と、
引き続き玉津博克教育長を追及する
考えを示した。公開される見通しの八重山採択地区協議会の議事録な
ど、新たな攻撃材料をそろえ、野党として12月議会も「教科書議
会」になるという決意を示したものだ。

 野党連絡協が発表した声明では
(1)採択協議会が教科書の内容を十分に審議していなかった
(2)調査員(教員)による教科書の「1種絞りこみ」は客観的な根
   拠がない
(3)玉津氏の協議会運営が独善的で、教育長としての能力と資質に
   欠ける
などと非難。
 教科書無償措置法と地方教育行政法の優劣関係について答弁が二転
三転したことなどを挙げ、発言が行政執行者としての能力、教育長と
しての品位に欠けるーとした。
 石垣三雄氏は「協議会運営そのものの不当性が明らかになった。玉
津改革の真相が、市民に明らかでない」と改革を疑問視。
 育鵬社の公民教科書を不採択とした9月8日の全教育委員による協
議については、宮良操氏が「(有効だと主張する)県教委の立派な答
弁を、心底支えたい」と強調するなど、一致して「有効」という見解
を示した。
 宮良氏はまた、議事録が公開されていないことについて「情報公開
は基本中の基本。資料がなければ作ってでも見せるべきだ。(議事録
は非公開)まるで戦前の行政だ」と批判した。
 池城孝氏は育鵬社版について「平和憲法に否定的な教科書。調査員
が推薦しないのは当たり前だ。その教科書を選定した説明責任を求め
る」と批判論を展開した。

「1種絞り込みは事実」
野党批判に教育長

 
教科用図書八重山採択地区協議会会長の玉津博克石垣市教育長は7
日、市議会の野党連絡協議会が「調査員が教科書を1種に絞り込んで
いた客観的な証拠はない」と批判したことについて「1種に絞り込み
が行われていたことは事実であり、否定しようがない」と述べた
。八
重山日報社の取材に答えた。
 教科書無償措置法と地方教育行政法の優劣については、無償措置法
に基づいて教科書を採択するべきだとする義家弘介参院議員に対する
政府の答弁書を引用し「無償措置法が優先されるという説明に間違い
ない」という認識を示した。

記者の目
市長も照準
 教科書問題で記者会見した野党は、12月議会でも引き続き追及を
続ける構えを示した
9月議会では、予告していた「教育長不信任案
」が不発に終わったが、12月議会では協議会議事録の公開などを受
けて、新たな攻撃材料をそろえて臨む考えだ。教育長だけではなく市
長も照準に「市政全般にかかわる大きな問題に発展する」と宮良操





■八重山毎日新聞 10月9日

県紙報道
玉津教育長「教科書見たと言えばよい」発言

記者会見急きょ中止
委員「そう言った」と証言

 教科用図書の選定過程で玉津博克石垣市教育長が「教科書を見なく
ても見たと言えばいい」と発言したと7日付県紙が報じた件で、玉津
教育長は同日午後、記者会見を開くと報道各社に伝えたが、急きょ中
止した。一方、協議会委員の平良守弘氏(八重山PTA連合会長)は
「そう言った」と証言した。
 同日午後3時ごろ、市教委の職員から「報道の件で午後4時から記
者会見をする」と連絡があったが、その後中止すると伝えた。
 中止の理由について玉津教育長は詳細を明らかにしなかったが、議
事録を確認する必要があると判断したとみられ、職員にボイスレコー
ダーの内容をチェックさせていた。
 平良氏は、本紙の取材に「7月19日の連絡会で僕は、130冊余
の本を全部は読めないと何度も繰り返して言い、だから調査員の報告
書を参考に本を見るしかないと言ったが、玉津教育長が読んでなくて
も読んだと言えばよいと言った」と話した。


■八重山毎日、その他の見出し


教科書問題
「混乱の原因は玉津教育長」

野党が会見
教育長としての姿勢批判 
  

             ☆

■「県教委&オール沖縄」vs国・文科省

9日の八重山毎日の関連記事で注目されるのは、次の見出しの囲み記事。

≪「教科書問題」 訴訟準備の勉強会≫

自治の視点で教科書を決める住民の会

判断力を失った県教委が血迷って国を訴えることもありえない選択肢ではないと考えていたが、弁護士を呼んで「・・・住民の会」が訴訟の準備の勉強会とは驚きである。 

一体誰が誰を訴えるのか、記事中に次の文言があるので、県教育委と連名で「住民の会」も国を訴えるつもりなのか。

≪幸いにして沖縄県教育委員会は一貫した信念で文科省と対峙(たいじ)し、「オール沖縄」での後押しが必要であることを示しています

おそらくは「住民の会」が自分の名で提訴するというのではなく、訴訟には尻込みしがちの県教委にプレッシャーを掛けるのが目的の集会だと考えるが、どうだろうか。

それにしてもこの手の左翼活動を「オール沖縄」などと勝手に名乗られるのは大迷惑である、

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県教育委員長・中野吉三郎君も共同正犯?

2011-10-09 17:31:35 | 八重山教科書採択問題

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 八重山教科書問題は閣議決定による政府見解の発表により、国の方針が明確となったせいか、今日の沖縄タイムスから教科書関連の記事が消えた。

石垣からの連絡によると、八重山日報にも教科書関連記事はないという。

法律論では閣議決定には逆らえないと察したのか、八重山毎日新聞は教科書問題を「場外乱闘」に持ち込んで「本土vsオール沖縄」という方向に扇動しようとしている模様。

手始めに玉津教育長の個人攻撃に突破口を見出そうと必死の様相である。

石垣市在住と思われるオトシタレの読んだか?ブログさんの興味深いエントリーを紹介する。

★引用開始★


 10月9日

前略ご免ください 石垣朝子さん・玉津博克君(當山善堂)

本日9日に教科書問題の記事を書いたのは八重山毎日新聞のみ。まずは見出しを紹介。

八重山毎日新聞 10月9日付
①同一教科書採択求める 八重山教科書問題で閣議決定
②前略ご免ください 石垣朝子さん・玉津博克君(當山善堂)
③自衛隊・教科書・原発の相互関係について(寺田奇佐子)
④「教科書問題」訴訟準備の勉強会

今回注目するのは
≪②前略ご免ください 石垣朝子さん・玉津博克君(當山善堂)≫
抜粋--------------------------------------------------

前略ご免ください 石垣朝子さん・玉津博克君


 前略ご免ください。教科書採択問題について、高校の先輩として、また広い意味での行政実務の先輩の一人として、思うところをお伝えしたくペンを執りました。
 僕が沖縄県庁に勤務していたころから現在まで、公私にわたって親しくお付き合いしている友人に、沖縄県教育界の指導的立場にいる関係者が3人います。3人ともあなたたちの高校・郷里の先輩です。
 一人は現・沖縄県教育委員会委員長の中野吉三郎君です。同君は、高等学校の校長職を経て沖縄県教育庁の課長職および次長職を歴任してきた、人格・識見ともに優れた沖縄県教育界の第一人者です。大浜村出身の彼とは、中学校のころから親しくしている肝胆相照らす仲です。
 もう一人は、八重高の1期後輩の仲筋一夫君です。ご存じのとおり彼は宮良村の出身で、現役の頃は沖縄県高等学校長協会の会長を務め、現在は沖縄県ユネスコ協会の会長として幅広く活躍しています。人望篤く行動力に富んでいるうえに、優れたアイデアマンでもあります。
 いま一人は八重高の2期後輩で、白保村出身の仲宗根用英君です。彼が沖縄県教育長として多くの実績を残し、名教育長の名をほしいままにしてきたことはあなたたちもご存じのとおりです。「白保の人はホラを吹くがうそはつかない」の冗談が口癖で、機知に富み胆力抜群です。
 この3人は、沖縄県教育庁の中で、現役のころから現在に至るまで畏敬(いけい)の念をもって「サンナカ」と称されていることはよく知られています。
 八重山出身者としての3人が、出身地・八重山の教育の振興に格別の思いを込めて取り組んできたのは言うまでもありませんが、とりわけ八重山出身者の人材発掘・育成について目を見張るほど確かな足跡を残してきたことは、多くの関係者が等しく認めるところです。
 今、もつれにもつれている教科書採択問題について、僕は折にふれて3人の意見を聴き、自分の考えを整理してきました。そのなかで、3人が中学・高校の後輩であるあなたたちのことを親愛の情をもって案じていることについても、いやというほど痛感してきました。
 石垣さん、玉津君、今からでもけっして遅くはありません。教育行政に高い見識を有しあなたたちの言動に誰よりも深い関心を寄せている郷里の先輩たちの意見を率直に求め、もつれた糸をほぐす手だてにしてほしいと思います。身近にいる優秀な先輩たちに胸襟を開いて相談すれば、より具体的・現実的・建設的な解決策が見いだせるものと確信しています。そして教科書問題を一日でも早く片付け、もっともっと喫緊・大事な八重山の教育諸課題に取り組んでほしいと切に希望します。(以下省略) 

 

----------------------------------------------------------------

 

 當山氏は以下の3名の人物をあげております。


1.現・沖縄県教育委員会委員長の中野吉三郎君


2.現在は沖縄県ユネスコ協会の会長、八重高の1期後輩の仲筋一夫君


3.元沖縄県教育長、八重高の2期後輩で、白保村出身の仲宗根用英君


 パッと見、この3人が玉津教育長を批判しているように思えるわけですが、當山氏は「3人が中学・高校の後輩であるあなたたちのことを親愛の情をもって案じていることについても、いやというほど痛感」しているにとどまり何ら3人のコメントは紹介しない。

 當山君、少しぐらい3人の意見を載せてください。「虎の威を借る狐」。あなたのための言葉です。
 
 當山君、あなたも八重山高校出身だから先輩として「玉津博克君」と呼んでいるのだと思いますが、失礼だと思いませんか?また、上記の3名を「君」づけで書いていますが、あなた何様ですか?ただの芸人でしょう。(失敬、ただの芸人ではなかったw大濱長照のお友達でした)
 
 當山君、教科書問題に対し、公的に発言してこなかったこの3人にことわって紙面に名前を載せましたか?ここ重要ですよ。「現・沖縄県教育委員会委員長の中野吉三郎」とありますが、いいのですか?子どもたちのことを考えることも大事ですが、大人たちの事情も考えてはどうでしょうか。

 當山君、3人に聞けば「より具体的・現実的・建設的な解決策が見いだせるものと確信」しているようですが必要ないですよ。竹富町が育鵬社を無償で取り、東京書籍を有償で採択したらいいだけの話です。これ「より具体的・現実的・建設的な解決策」があるでしょうか。

 

 この投稿文は、「石垣朝子さん、玉津博克君、教育行政に通暁しあなたたちのことを親身になって案じている身近な先輩3人の声に、いま一度虚心坦懐(たんかい)に耳を傾けてほしいと、重ねて申し上げペンをおきます。 草々」という文言で締められているのだが、先輩3人が玉津教育長に何か異論でもあるかのごとき書き方である。3人はどのような意見をお持ちなのか。當山君は「3人が中学・高校の後輩であるあなたたちのことを親愛の情をもって案じていることについても、いやというほど痛感」と曖昧に述べるだけで、教えてくれない。

 當山君、自分の主義主張のために、公的に発言していない有名人を利用していいのですか?


重要なことをもう一度。
當山君、教科書問題に対し、公的に発言してこなかったこの3人にことわって紙面に名前を載せましたか?

※慶田盛さんには「これいじょう大城教育長を苦しめるな」と言ってくれる先輩はいないのだろうか。

★ 引用終了★

 【おまけ】

石垣市在住で、教科書問題に関心を持つ知人からねメールを一部抜粋で紹介します。

市議会における下劣な応酬を指摘して興味深い。

≪・・・さて、大荒れだった石垣市議会もようやく終わりました
一般質問議員の半数以上が教科書に関する内容が盛り込まれていました

石垣市議会は石垣ケーブルテレビ(ICT)が日中に生中継
夜に再放送を流してくれるので、それを見ていました

野党の皆さんの質問は執拗かつ罵倒のオンパレード
へこたれない玉津教育長はなかなかのものです
以前日報の記事で読みましたが、玉津氏は若い頃にマルクスに傾倒していたそうです
その後、世界的な共産主義の崩壊や、マルクスの限界を感じるに至って転向したとか
鉄の意志はその時代に培われたものでしょうか
共産主義はエリート主義ですから、理路整然とした優秀な人間が多い面もあると思います
もしその時期の経験が今の玉津氏を育んだとしたら、皮肉なことですね

さて、日記に書かれてる前津議員ですが、議場の中で一番品が無い答弁をしていた人物です
石垣市議全員が100点満点だとはいいません
50点の方も80点の方もいます
ただ、彼はあの議会質問では落第点です
革新系若手後継議員があの体たらくでは石垣革新の未来は暗いですね
はっきり言います
これで中山市長はあと10年は安泰です
石垣市政の為にも良識ある優秀な革新系議員の登場が待たれるんですが
それはいったい何時になることやら。。。
  (中略)
さて、教科書問題ですが、一応の決着を見ることは間違いないでしょう
しかし、今日の八重山毎日新聞の一面は笑っちゃいました
「市管理公社、解散へ」でした
対照的に八重山日報が
「12月も教科書議会に・野党が警告、玉津教育長非難」
毎日新聞もこの記事を社会面上段に掲載してはいましたが、肩透かしを食らった感があります

散髪に行ったら、パーマ屋のおばちゃん(お袋の同級生・保守系)が
「はー、もう、毎日毎日教科書だらけで新聞が面白くない、見る気もしない、もっと大切な議論もあるだろうに」
と言ってたので、
市民が飽き飽きして興味を失って、もういいや、とある種思考停止になるのを彼らは狙ってるから、
ここはキチンと一応の決着を見るまでは注視して、「教科書ぐらい」と思っちゃいけない
とハッパをかけてきました

しかし、市民多数が教科書をタブー視しだしてるこの状況こそが物言わぬ同調圧力の恐ろしいところ
教科書を
もとい、教育行政をこれ以上特定の思想主義団体に好きにさせないためにも頑張らないといけませんね・・・≫

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酷すぎる捏造記事!沖タイの「政府答弁書」

2011-10-09 07:02:18 | 八重山教科書採択問題

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沖縄県選出の糸数参議、照屋衆議(いずれも社民党)が、たてづづけに八重山教科書問題について政府見解を求める質問趣意書を提出した。

閣議決定による政府答弁が公表される度に、「発狂3紙」、県教育委、沖教組の極悪共同体は、ますます絶体絶命の土俵際に追い詰められて行く。

最後の選択肢は現在、県教育委の手に委ねられているが、報道によると連休明けの12日には閣議決定を真っ向から否定する報告書を文科省に提出し、全面戦争の火蓋を切る予定だという。

何とバカなことをするのか、己を知らぬにも程がある。

照屋議員の質問趣意書に対する、政府答弁書は、9月8日の全教委協の協議が無効であること、8月23日の八重山協議会の協議が有効であることも含め、無償措置法が地方教育行政法に優先するとして、これまでの政府見解から一歩踏み込んだ見解を示している。

これをいち早く報じた地元RBCテレビや一夜明けて報じた琉球新報も概ね答弁書の概要を正しく伝えているが、沖縄タイムスは答弁書の内容を都合の良いように歪曲、というより作文も交えた捏造報道をしている。(怒)

まさに読者を愚弄しているとしか思えない歴史に残る誤報である。

これまでも「発狂3紙」は文科省の指導・助言を自分の都合のいいように解釈し、混乱を助長してきた。

が、8日のタイムスの捏造報道は既に報道機関としての常軌を逸しており、読者を混乱に陥れる重大犯罪といわれても仕方がない。

■沖縄タイムス 2011年10月8日

2教育長の文書

公文書と認める 政府

【東京】八重山地区の教育採択問題で、政府は7日、文部科学省あての文書をめぐり、全教育委員による協議を不服とし、石垣・与那国の両教育長が提出した文書を公文書と認めた。 一方で、同協議会は調っていると主張する石垣・竹富・与那国の3市町の教育委員長の連名文書は、公印や公文書番号がないため、公文書として認めなかった。 照屋寛徳衆議院議員(社民)の質問主意書に答えた。石垣、与那国の両教育長の文書には両教育長の公印が押され、公文書番号が記されていた。 
政府の対応姿勢については、「県教育委員会に対し、八重山採択地区協議会の規定に従ってまとめられた結果に基づき同地域内で同一の教科書を採択するよう指導するよう、指導・助言する」と文科省の従来の見解を踏襲。

「地方教育行政法」と「教科書無償措置法」の関係について「適用領域を異にする部分もあり、両方が一般法と特別法の関係にあるとはいえない」と説明。 無償措置法が求める同一地区同一教科書の採択については「地教行法が規定する採択権限の行使について特別の定めをしている」としたが、両方の優位性や優先度には触れなかった。(沖縄タイムス 2011年10月8日)

       ☆

あえて記事を二つの段落に分けたが、前段はともかく後段に関しては全くのデタラメではないか。

歪曲どころか「適用領域を異にする部分もあり、両方が一般法と特別法の関係にあるとはいえない」などと政府答弁書には記載のない文言まで作文して、結論を「(無償措置法と地方教育行政法)両方の優位性や優先度には触れなかった」と都合の良い記事に仕立て上げいる。

捏造記事もここまで来ると芸術品だ。

その割にはウェブ記事にしていないのは、全国に知れ渡るとまずいとでも思っているのか。

同じ記事を琉球新報はどう伝えているか。


無償措置法が優先 八重山教科書問題で閣議決定

琉球新報 2011年10月8日      
 【東京】八重山地区の教科書採択問題について文部科学省は7日、
無償措置法が地方教育行政法に対し、部分的に優先するとの見解を示す答弁書を閣議決定した。
 照屋寛徳衆院議員の質問主意書に答えた。
 教科書採択に関しては、採択地区内で同一教科書の採択を定めた無償措置法と、各教育委員会に採択権があるとする地方教育行政法の2法があるが、文科省はこれまでいずれの法が優先するかは明言を避けていた。
 一般的に、一般法と特別法の関係では、特別法が優先すると考えられており、答弁書で無償措置法を「教科書用図書の採択の権限の行使について特別の定めをしている」として、特別法に当たるとしたことで、同法が優先するとの認識を示したといえる。

           ☆

これまでデタラメ記事の連発でネット上で「発狂新聞」と冷やかされている沖縄タイムスと琉球新報だが、ネットで原資料が容易に検索できるネット時代に、沖縄タイムスは敢えて原資料とは間逆の記事を平気で書いた。

沖縄タイムスの担当記者は、本当に頭がおかしくなってしまったのか。

これでは偏向、歪曲のレベルを通り越して明らかな捏造というより真っ赤なウソの記事ではないか。

確かに答弁書は、確かに読みづらい文章ではあるが、高校生程度の読解力があれば理解できる内容だ。

沖縄タイムスの又吉記者はついに文章の読解力までも喪失してしまったのか。

それとも、喪失したのは記者としての良心だったのか。

問題の発端はこれまで現場を知る専門家という美名に隠れ、沖教組の指令のままに調査員(教員)が調査の段階で「足きり」や「絞込み」により事実上の「採択教科書」を選定し、協議会はこれを形式上追認するだけの形骸化した組織に成り下がっていた。

これに危機感を抱いた玉津協議会会長が採択権を調査員の手から協議会委員に奪還するという教育改革の一歩を踏み出すことになった。

沖縄タイムスの八重山教科書問題の責任者と思われる又吉嘉例記者などは、教員が採択権を持っていると勘違いしているのか、社説や、解説記事などで、いまだにトンチンカンな議論を披瀝し読者を惑わしている。

新聞に煽られた県教育委も当初からルール破りの竹富町教委を支援する同じ種類のトンチンカンな意見を述べている。

例えばこの調子だ。

「文科省と相談しながら指導してきたのに梯子を外された」とか「文科省の見解が二転三転」等々。

筆者が見る限り文科省は、お役所用語を駆使し責任逃れをしたことはあっても、梯子を外したり見解が二転三転したことはない。

県教委はこれまで、沖教組の専横を黙認してきたため真剣に関連法規を検証してこなかった。

玉津協議会長の教育改革という想定外の事態に遭遇し、県教委も、新聞と同様に、文科省の指導助言を自分の都合の良いように曲解した。

その結果、文科省の指導とはかけ離れた不当介入を八重山協議会にすることになった。

それを指摘されると「梯子を外され云々」と言い出したのである。

 

とりあえず閣議決定された政府答弁書の該当部分を抜粋引用する。

五について
 地方教育行政の組織及び運営に関する法律(昭和三十一年法律第百六十二号。以下「地教行法」という。)第二十三条第六号は、教育委員会が管理し執行する事務として、「教科書その他の教材の取扱いに関すること」と規定しており、公立小学校及び中学校等において使用する教科用図書の採択については、当該学校を設置する地方公共団体の教育委員会が行うこととされているが、
無償措置法第十二条第一項の規定に基づいて設定された採択地区が二以上の市町村の区域をあわせた地域であるときは、当該採択地区内の市町村立の小学校及び中学校において使用する教科用図書については、無償措置法第十三条第四項の規定により、当該採択地区内の市町村の教育委員会が協議して種目ごとに同一の教科用図書を採択しなければならないとされている。≫

沖縄タイムスは、地方教育行政法を根拠にごり押しを続けた竹富教育委を支援するため、地方教育行政法を優先としたいか、少なくとも「両方は同等」としたいのだろう。

ところが実際はお仲間の琉球新報も認めるように、≪一般的に、一般法と特別法の関係では、特別法が優先すると考えられており、答弁書で無償措置法を「教科書用図書の採択の権限の行使について特別の定めをしている」として、特別法に当たるとしたことで、同法が優先するとの認識を示した≫ということになる。

■県教委への提言

ここまで世間を騒がせておいて、いまさら振り上げた拳を降ろしたら県教委の面目が丸潰れになることは同情する。

だが、もはや事態は教育長やイチ課長の面子に拘っている場合ではない。

閣議決定した政府答弁を否定して全面戦争に打って出る気配だが、現在の県教委は関連法規への無知と、沖教組や沖縄メディアへの迎合から、既に正常な判断が出来ない状況にある。

ことここに至っては進むも地獄、退がるも地獄である。

ならば虚心坦懐に過ちを認め県民に詫びるのが筋ではないか。

これ以上の悪あがきは止めにして潔く過ちは過ちと認めてはどうだろうか。

早急に竹富教育委の指導に取り掛かるのが迷惑を被った県民に対する償いではないのか。

慶田盛竹富町教育長も政府、「県の指導に従う」と発言しているではないか。

寛大な県民は大城教育長と狩俣の更迭で一応納得するであろう。

県が過ちを認めたら「発狂新聞」の県に対する「裏切り者」呼ばわりのバッシングが暫くは続くだろう。

だが、失敗の後にはチャンスあり。

捏造記事を書く発狂新聞の影響力と決別する絶好の機会ではないか。

デタラメ記事で県民を誑かす発狂新聞の顔色ばかり覗う姿勢では、過ちは繰り返されることになる。

【参考】

 ★時事通信

同一教科書採択求める=沖縄・八重山教科書問題-政府
 政府は7日、沖縄・八重山地区の中学公民教科書採択問題で、教科書無償措置法は「教科書採択に関する権限の行使について、特別の定めをしている」とする答弁書を閣議決定した。採択地区内の市町村の教育委員会が協議し、科目ごとに同一教科書を採択しなければならないとの見解を改めて示した。照屋寛徳衆院議員(社民)の質問主意書に答えた。(時事通信 2011/10/07-22:23)

 ★八重山毎日新聞 10月9日

同一教科書採択求める

八重山教科書問題で閣議決定 政府

政府は7日、八重山地区の中学公民教科書採択問題で、教科書無償措置法は「教科書採択に関する権限の行使について、特別の定めをしている」とする答弁書を閣議決定をした。 採択地区内の市町村の教育委員会が協議し、科目ごとに同一教科書を採択しなければならないとの見解を改めて示した。照屋寛徳衆議院議員(社民)の質問趣意書に答えた。 同地区の教科書採択をめぐっては、地区協議会が8月、育鵬社版を答申したが、竹富町教委が反対し不採択を決定。 石垣、与那国、竹富の3市町は9月、全教育委員による協議を開き、東京書籍版の採択を決めた。 これに対し、石垣市と与那国町の両教育長が無効を訴え、採択教科書が決まらない状態が続いている。

(★八重山日報は問題は解決した、と判断したのか9日の紙面に教科書問題はない)

 ★RBCテレビ

RBCテレビ 10月 7日金曜日

 八重山地区の公民教科書の採択をめぐる問題で、政府はきょう、育鵬社を採択した地区協議会の決定が優先するとの見解を示しました。

 これは照屋寛徳衆院議員の質問主意書に対する答弁書で示したものです。
 この問題をめぐっては、教育委員会ごとの採択権を定める地方教育行政法と、地区内で同一の教科書採択を定める無償措置法の矛盾が指摘されていました。
 
政府は、きょう閣議決定した答弁書で、無償措置法は「採択の権限の行使について特別の定めをしている」と無償措置法が優先されるとの見解を示した上で、県教育委員会に対し、育鵬社を採択した地区協議会の決定に基づいて指導するよう求めています。
 
これに対し県教育委員会は、内閣法制局の見解を求めるとともに、9月8日に行われ東京書籍を採択した全員協議会は有効とする報告書を、来週12日にも中川文部科学大臣に提出する方針です。
ニュース映像

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最後通告?政府見解「地区協議会が優先」!

2011-10-08 07:37:18 | 八重山教科書採択問題

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今朝の沖縄タイムスは昨日のバカ騒ぎまるでウソのように静けさ。
照屋寛徳議員の質問書に対する、政府答弁書で頭か水をかけられたようにシュンとしてしまった。
八重山教科書関連は全てがベタ記事で、こんな今ではどうでもよい見出しばかり。
玉津氏の答弁批判 石垣野党議員
文科相宛て決議 「無効」発言で沖教組
 
肝心の照屋寛徳議員の質問書に対する答弁書はスルーかと思ったら、次のようなベタ扱いのアリバイ記事が。
2教育長の文書 公文書と認める
 
先の義家、糸数両参議院議員の質問主意書の答弁書でも決定的だったが、今回の答弁書では無償措置法が地方教育行政法に優先して効力を発揮すると、踏み込んだ政府見解を示している。
これではさすがの発狂新聞も、お気の毒ながら静かにならざるを得ない。
ご愁傷様である。
RBCテレビ 10月 7日金曜日

 八重山地区の公民教科書の採択をめぐる問題で、政府はきょう、育鵬社を採択した地区協議会の決定が優先するとの見解を示しました。

 これは照屋寛徳衆院議員の質問主意書に対する答弁書で示したものです。
 この問題をめぐっては、教育委員会ごとの採択権を定める地方教育行政法と、地区内で同一の教科書採択を定める無償措置法の矛盾が指摘されていました。
 
政府は、きょう閣議決定した答弁書で、無償措置法は「採択の権限の行使について特別の定めをしている」と無償措置法が優先されるとの見解を示した上で、県教育委員会に対し、育鵬社を採択した地区協議会の決定に基づいて指導するよう求めています。
 
これに対し県教育委員会は、内閣法制局の見解を求めるとともに、9月8日に行われ東京書籍を採択した全員協議会は有効とする報告書を、来週12日にも中川文部科学大臣に提出する方針です。
ニュース映像

            ☆

騒動の元凶である慶田盛竹富町教育長は、「地方教育行政法」を盾にあくまでごね得を狙ったが、政府答弁では二つ以上の教育委が重なる採択協議会が協議した場合は、無償措置法に従うべきとして、無償措置法が優先されると一歩踏み込んだ見解を示している。

当日記はこれまでも再三にわたり、「無償法は地教行法に優先する」と書いてきた。

玉津vs慶田盛、無償法は地教法に優先!

同じことを繰り返すのは面倒なので過去記事高嶋教授の寝言、無知丸出し」から該当部分を抜粋し引用する。

≪■高嶋教授の寝言■

発狂新聞に掲載される高嶋伸欣琉大名誉教授の「識者の見解」など、活動家の宣伝ビラの類なので、今時まともな人はスルーするもの。

筆者も、未だまともなつもりなので、当然スルーしたのだが、トイレの暇潰しに読んで驚いた。

デタラメな法解釈を展開し、読者を誑かそうとしているので、一応そのデタラメを正しておく。

協議の正当性 是認」と題する記事から抜粋する。

≪■採択をめぐる法解釈

【採択権の行使には、同一の教科書を採択しないといけないと条件づけられている】(文科省担当者)

「教科書採択には同一地域内で同じ教科書を求めた教科書の無償措置法と、採択権限は教育委員会にあると定めた地方教育行政法の二つが並存する。 措置法が優先するとはどこにも明記されていない。これまでもそんな議論はなかった。 もしそうならここまで混乱せず、明らかに失言。 今回の3市町教委の主張にはそれぞれ法的根拠があり、優劣はつけられない。」

石垣市で8日に「ペテン会議」が行われる前日7日の沖縄タイムスに次のような記事が掲載された。

文科省は「梯子を外す」まえに「肩透かし」もしていたというのだ。

八重山教科書:文科省方針に肩すかし 

沖縄タイムス 2011年9月7日 
  【八重山】八重山地区の中学校教科書の採択問題で、石垣市教育委員会の玉津博克教育長は地区内で採択教科書が異なる場合に「教科書無償措置法」と「地方教育行政法」のどちらを優先すべきか、文部科学省に問い合わせたところ、6日に回答があった。同省は「どちらかが優先ということはない」と両立を求めた。  同地区で石垣市、与那国町が「新しい歴史教科書をつくる会」系の育鵬社版公民教科書を採択したのに対し、竹富町教委は東京書籍版を採択した。地区内で同一教科書の採択を規定する「無償措置法」を盾に、玉津教育長と与那国町の崎原用能教育長は竹富町の慶田盛安三教育長に育鵬社版採択を迫っている。  玉津教育長らは文科省から「無償措置法」を優先するようにとの「見解」を引き出し、自身の根拠固めの材料にしようとしていたが、「両立を」との回答に肩すかしを食らった格好だ。  むしろ、同省の見解は地方教育行政法が定める「採択権は各教委にある」と主張する竹富町の正当性を裏付けた。  県教委も竹富町教委の独自採択を問題視しているのではなく、「地区内の採択が一本化されていないことが問題だ」とし、いずれの法律も重視するとの見解を示している。  文科省や県の見解に対し、玉津教育長は「法律は二つあろうが、義務教育の教科書は無償で与えるという無償措置法の趣旨を実現しないといけない」とあくまでも同措置法を優先する考えを堅持している。

         ☆

玉津協議会長が、文科省に「無償措置法」と「地方教育行政法」の優先度を問い合わせたところ、文科省が「どちらかが優先ということはない」と曖昧な回答をしたことに喜びで小躍りする記事である。

慶田盛竹富町教育長が強気で育鵬社版を拒否するのは「地方教育行政法」を根拠にしている。 タイムスが小躍りするのは、もし無償措置法が優先されるとなると、「竹富の反乱」の法的根拠が崩れてしまうからである。

文科省が両方の両立を求めた真意はわからないが、玉津側と慶田盛側のどちらに有利な発言をしても攻撃材料になるので、「法の常識」にしたがって行うことを求めたものと推測できる。

高嶋教授は文科相の「どちらが優先することもない」という発言を、自分の都合の良いように解釈し、次のような寝言を言っている。

措置法が優先するとはどこにも明記されていない。これまでもそんな議論はなかった。 ≫

どこにも明記されていないのは当たり前だ。

法の常識に従えば「特別法」は「一般法」に優先するものである。 

当たり前のことを一々明記していたら六法全書はトラックで運ぶ大きさになってしまう。

教科書採択に限って言えば「一般方法」とは「地方教育行政法」と考えられ、「措置法」という文言からして「無償措置法」が「特別法」に相当すると考えられる。

高嶋教授は、法の常識が明記されていないことを根拠に、慶田盛教育長の主張を必死に擁護する様は、怒りを通り越して哀れみさえ感じる。

ネットが普及した現在、高嶋教授など、クリック一つで化けの皮が剥げてしまうことに気が付いていないのだろうか。

ちなみに13日、東京の自民党本部で行われた文科省スタッフ、狩俣課長同席の「合同会議」で、玉津教育長は竹富教育委員の法律音痴を指摘し、次のような発言をしている。

玉津氏:「8日の『会議』に参加した武富教育委員5人に一般法と特別法の優先度を尋ねたら、1人も答えられることはなかった」(出席した関係筋)

歴代の教育長10名が「住民の会」という名を使って協議会の場に押しかけ騒ぎ立てて「静謐」な環境の協議を妨害した、とも述べていた。

 ■明記されていた「無償措置法」の優位性■

「地方教育行政法」は「無償措置法」に従うという常識は、義家議員が文科省に確認した「教科書採択における文部科学省との確認事項
」に次のように明記されている。 
                         

② 『地方教育行政の組織及び運営に関する法律』の第二十三条および第二十
    三条六項に明記されている、教育委員会の教科書採択の管理、執行は、原則
    として『義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律』に基づく
    「協議」の結果として出された
答申に基づいて」行われるべきものである
   
したがって「教科書無償措置法」と「地方教育行政法」のどちらを優先すべきかの場合、「教科書無償措置法」が優先するのは明らかである。

それゆえ文部科学省が言う「どちらかが優先ということはない」は厳密に言えば誤りであり、お役所的発想で言えば責任逃れである。

法律の常識に従えば、「地方教育行政法」を盾に反乱を起こした竹富教育委は、「無償措置法」の優先を主張する八重山採択地区協議会の答申に従うべきである。

【おまけ】

13日の自民党本部の「合同会議」に出席したは県狩俣課長は、質問に答えるとき「訴訟を覚悟して発言している」と発言した。(関係筋)

訴訟を覚悟とは誰が誰を訴えるのか真意は不明だが、本人が悪代官として行った悪行の数々を訴えられるのならともかく、「梯子を外した」文科省を県が訴えるのだとしたら、恥の重ね塗りになるのだが、観客はその方が喜ぶだろう。≫

★引用修了。

 

文科省の最後通告とも言える今回の政府答弁書に対し、県教委は内閣法制局の見解を求めるというから驚いた。

さらには9月8日の全教委協会の協議を有効とする文書を12日に文科大臣に送付するといから、その往生際の悪さには呆れ返る。

文科省に見放され、文科大臣に見放されついには閣議決定により内閣にも見放された県教委。

もう勝負は終わったのですよ、大城教育長に狩俣課長さん!

この期に及んで「内閣法制局の見解を求める」とは大爆笑である。

内閣総理大臣以下全閣僚の連名で閣議決定した答弁書を、県教委は内閣法制局に質してひっくり返すつもりなのだろうか。

内閣法制局が「行政府における法の番人」というあだ名があることを県教委くいは知っているのだろうか。

内閣(政府)が国会に提出する新規法案を、閣議決定に先立って現行法の見地から問題がないかを審査することからそう呼ばれているのだ。

閣議決定、特に今回のような大騒動が起きた案件の閣議決定は担当の文科省が練りに練った答弁書を内閣法制局が他の関連法規との整合性を検証し、その結果が政府答弁書という形になる。

内閣法制局の支援を得て、閣議決定をひっくり返すなどの妄想は即刻止めにして、一刻も早くルール破りの竹富町を指導するのが県に残された唯一の選択肢だと思うが、どうだろうか。

照屋寛徳への答弁書

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照屋寛徳氏への答弁書

2011-10-08 06:08:54 | 八重山教科書採択問題

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          ★

 

■答弁本文情報
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平成二十三年九月二十七日受領
答弁第二七号

  内閣衆質一七八第二七号
  平成二十三年九月二十七日


内閣総理大臣 野田佳彦

       衆議院議長 横路孝弘 殿


衆議院議員照屋寛徳君提出沖縄県「八重山採択地区」における教科書選定に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。

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衆議院議員照屋寛徳君提出沖縄県「八重山採択地区」における教科書選定に関する質問に対する答弁書

 

一から三までについて


 義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律(昭和三十八年法律第百八十二号。以下「無償措置法」という。)第十二条第一項の規定に基づいて設定された採択地区が二以上の市町村の区域をあわせた地域であるときは、当該採択地区内の市町村立の小学校及び中学校において使用する教科用図書については、無償措置法第十三条第四項は、採択地区内の市町村の教育委員会が協議して種目ごとに同一の教科用図書を採択しなければならないと規定しており、この協議の方法については、採択地区内の各市町村教育委員会の合意により決定されるものであるところ、文部科学大臣は、平成二十三年九月十三日、無償措置法を所管する大臣として、御指摘の「三市町教育委員による全員協議」について、「協議は整っていないと考えざるを得ない」旨述べた。これは、御指摘の石垣市教育委員会教育長及び与那国町教育委員会教育長から文部科学大臣宛てに提出された各文書において、石垣市教育委員会及び与那国町教育委員会は、「三市町教育委員による全員協議」において教科用図書の採択に関する協議を行うことについて合意していないとの認識が示されており、かつ、これらの文書が教育委員会の指揮監督の下に教育委員会の権限に属する全ての事務をつかさどる教育長の名義で作成され、両教育委員会の教育長名の公印が押され公文書番号が付されるなど、両教育委員会により発出された公文書と認められるものであったこと等を踏まえ、「三市町教育委員による全員協議」における協議は、無償措置法第十三条第四項の規定による協議には当たらないと考えたためである。

四について


 無償措置法第十三条第四項の規定による協議は、採択地区内の市町村教育委員会が、種目ごとに同一の教科用図書を採択するために行う協議であり、一般的には、そのための組織として、採択地区内の各市町村教育委員会の合意により、「採択協議会」等が設置されているものと承知している。

五について


 地方教育行政の組織及び運営に関する法律(昭和三十一年法律第百六十二号。以下「地教行法」という。)第二十三条第六号は、教育委員会が管理し執行する事務として、「教科書その他の教材の取扱いに関すること」と規定しており、公立小学校及び中学校等において使用する教科用図書の採択については、当該学校を設置する地方公共団体の教育委員会が行うこととされているが、無償措置法第十二条第一項の規定に基づいて設定された採択地区が二以上の市町村の区域をあわせた地域であるときは、当該採択地区内の市町村立の小学校及び中学校において使用する教科用図書については、無償措置法第十三条第四項の規定により、当該採択地区内の市町村の教育委員会が協議して種目ごとに同一の教科用図書を採択しなければならないとされている。

六について


 文部科学省又は都道府県教育委員会の有する教科用図書の採択に関する権限としては、例えば、地教行法第四十八条第一項は、文部科学大臣は都道府県又は市町村に対し、都道府県教育委員会は市町村に対し、都道府県又は市町村の教科用図書の取扱いに関することを含め、教育に関する事務の適正な処理を図るため、必要な指導、助言又は援助を行うことができると規定している。また、都道府県教育委員会については、無償措置法第十条は、当該都道府県内の義務教育諸学校において使用する教科用図書の採択の適正な実施を図るため、市町村教育委員会等の行う採択に関する事務について、適切な指導、助言又は援助を行わなければならないと規定している。これらの規定による権限は、指導・助言・援助であり、直接、市町村教育委員会を拘束するものではない。

七について


 文部科学省としては、平成二十三年九月十三日以前から、沖縄県八重山採択地区内の各市町教育委員会において、中学校社会科の公民的分野について、無償措置法第十三条第四項の規定による同一の教科用図書の採択が行われていないと認識しており、沖縄県教育委員会の見解については政府としてお答えする立場にないが、かかる文部科学省の認識を沖縄県教育委員会に伝えたところである。

八について


 教科書の発行に関する臨時措置法施行規則(昭和二十三年文部省令第十五号)第十四条は、教科書の発行に関する臨時措置法(昭和二十三年法律第百三十二号)第八条の規定に基づき文部科学大臣が「発行者にその発行すべき教科書の種類及び部数を指示」するために、同法第七条第二項の規定に基づき都道府県教育委員会が当該都道府県内の「教科書の需要数を・・・文部科学大臣に報告」する期限を定めたものであり、教科用図書の無償給付を受けるための期限を定めたものではない。

 

           ★

【参考】答弁を求め質問書

 

 

■質問本文情報
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平成二十三年九月十四日提出
質問第二七号


沖縄県「八重山採択地区」における教科書選定に関する質問主意書

提出者  照屋寛徳


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沖縄県「八重山採択地区」における教科書選定に関する質問主意書

 

 二〇一一年九月十三日、中川正春文部科学大臣(以下、中川文科大臣という)は閣議後記者会見において、沖縄県八重山地域の中学用公民教科書採択をめぐる問題に関し、「教科用図書八重山採択地区」(以下、八重山採択地区という)三市町の全教育委員が会し、育鵬社教科書を不採択とした同年九月八日の全員協議(以下、「三市町教育委員による全員協議」という)の結果について「残念だが協議は整っていないと考えざるを得ない」と述べている。
 かかる中川文科大臣発言について、この間、文部科学省の担当課と調整を繰り返し、認識を確認したうえで八重山採択地区に指導・助言を行ってきた沖縄県教育庁は困惑し、強い衝撃を受けている。同時に、中川文科大臣発言には、教育関係者や八重山採択地区内住民らからも強い落胆と憤りの声が高まっている。
 もとより、私は教育、とりわけ教科書選定過程においては、政治とは一線を画した独立性、中立性、公平性が確保されるべきとの立場だ。そのうえで、学校関係者や教育委員、保護者らをはじめとする地域住民が協議を尽くして、子どもたちにとってより良いと思われる教科書の選定・採択を望むものである。
 以下、質問する。

一 政府は、二〇一一年九月八日の八重山採択地区における「三市町教育委員による全員協議」について「残念だが協議は整っていないと考えざるを得ない」とした中川文科大臣発言を政府統一見解とする認識か。それとも、中川文科大臣が所管大臣として見解を明らかにしたにすぎないとの認識か、見解を明らかにされたい。
二 政府は、前記中川文科大臣の見解に従い、二〇一一年九月八日の「三市町教育委員による全員協議」は「不成立」あるいは「無効」との認識か否か、その法的根拠を具体的に示したうえで見解を明らかにされたい。
三 政府は、二〇一一年九月九日付、石垣市教育委員会教育長・玉津博克発出、中川文科大臣宛の文書(石教指第七九二号)「八重山地区教科書採択に関する三地区教育委員会協議の無効について」および二〇一一年九月八日付、与那国町教育委員会教育長・崎原用能発出、中川文科大臣宛の文書(与教一一二四号)「八重山地区教科書採択に関する三市町教育委員協会の協議の無効について」の存在を承知のうえ、その内容を確認しているか。
 また、これらの文書は石垣市および与那国町の両教育委員会の長たる教育委員長名ではなく、一教育委員たる教育長名による発出文書である。政府は両文書について、石垣市および与那国町それぞれの教育委員会の機関意思として発出されたものであるとの認識か、見解を明らかにされたい。
 併せて、当該両教育長発出のかかる文書は、二〇一一年九月八日の八重山採択地区における「三市町教育委員による全員協議」に関して、中川文科大臣が「協議は整っていない」と発言した根拠になっているのかどうか政府の見解を示されたい。
四 義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律第十三条第四項に定める「協議」の定義を明らかにされたい。そのうえで、「採択協議会」の定義および法的根拠についても明らかにされたい。
五 教科書の採択権は各市町村の教育委員会にあるのか、それとも「採択地区協議会」にあるのか、その法的根拠を明示したうえで政府の見解を明らかにされたい。
六 文部科学省あるいは都道府県教育委員会は、教科書の採択に関していかなる権限を有しているのか、法的根拠と併せて明らかにされたい。また、かかる文部科学省あるいは都道府県教育委員会の権限に、市町村教育委員会は拘束されるのか、法的根拠を明示したうえで政府の見解を明らかにされたい。
七 八重山採択地区における教科書選定をめぐる問題に関し、二〇一一年九月十三日の中川文科大臣発言の前と後で、文部科学省と沖縄県教育庁は異なる見解を有しているとの認識か、政府の見解を示されたい。その場合、いかなる点で見解を異にしているのか具体的に説明されたい。
八 教科書の発行に関する臨時措置法施行規則第十四条で規定するように、「教科書需要集計一覧表」の文部科学大臣への提出期限である「九月十六日」は、各市町村教育委員会が次年度教科書の無償配布を受けるための期限となるのか、政府の見解を明らかにされたい。
 仮に、市町村教育委員会が「九月十六日」までに「教科書需要集計一覧表」を文部科学大臣に提出しなかった場合ただちに、当該教育委員会は次年度の教科書が有償となるのか、政府の見解を明らかにされたい。必ずしも「九月十六日」をもって期限とするものでない、との認識であれば、法的根拠を示したうえで無償配布のための教科書採択の最終期限について明らかにされたい。

 右質問する。
   

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記者の資質の差歴然!八重山日報と八重山毎日の

2011-10-07 19:26:28 | 八重山教科書採択問題

 

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 久々に八重山日報の秀逸な記事の紹介です。(後半)

何度も繰り返すが八重山教科書問題は閣議決定により次のように決着はついている。

(1)8月23日の八重山採択地区協議会の協議は有効である。

(2)9月8日の全教委協会の協議は無効である。

誰が見ても明白な政府見解に至る騒動の過程を本日(7日)の八重山日報が詳しく解説しているので後半に引用したが、その前に口汚しとして八重山毎日新聞の寝ぼけた社説を紹介する。

八重山毎日を含む「発狂3紙」は、政府見解を自分等の都合の良いように解釈し、素人文科大臣が失言するたびに「政府見解が二転三転」などと寝言を言い続けているが、総理大臣の名で出された閣議決定が二転三転したら今頃野田内閣は吹っ飛んでしまっているはずだ。

未練たらたらで往生際の悪い八重山発狂新聞が、こんな意味不明の社説を書いて全国に恥を晒している。

 2011年10月5日
■八重山毎日新聞  社説

宙に浮く中学公民教科書 文科省、県教委は早急に着地点示せ

■文科省が混乱に拍車
 中学校の公民教科書採択をめぐる動きが先月16日の国への報告期限を最後にこう着状態に陥っている。育鵬社を採択した8月23日の地区採択協議会の決定と、東京書籍を選定した9月8日の3市町教育委員全員協議の決定に対し、
中川正春文科相の発言が二転三転してぶれているためだ。
 その点、県教委は、開会中の県議会でも改めて大城浩教育長が、「8日の全員協議こそが有効。これが八重山の総意」と答弁するなど、ぶれる文科相とは対照的にその姿勢は一貫している。それはそうだろう、全員協議は3市町教委がそれぞれ違った決定をしたのに対し、県教委として文科省の指導も仰ぎながら6時間の議論の末、ようやくたどり着いた結論だからだ。
 それを中川文科相が恐らく地元のこうした経過の誤認、官僚の誘導、自民部会の圧力などがあったのか、それを簡単に否定。あとは両方協議は整っていないと発言を二転三転。
一方で森裕子副大臣は当初から採択協議会が有効と述べるなど、文字通り文科省自体が“閣内不一致”状態を露呈するのだから混乱するのは当たり前だろう。
 いわば八重山の教科書問題はまず玉津博克石垣市教育長の恣(し)意的な地区策定協議会運営に振り回され、今は文科省の一貫しない対応に混乱させられている状態にある。

■着地点は見えず
 石垣市は独自に採択の意向も示すなど竹富町、与那国町の3市町教委とも自らの決定の有効性を主張したままこう着状態が続き、今のところ着地点は全く見えない。 
 この間、市議会や県議会では同問題が与野党双方から取り上げられたが、解決の糸口は全くつかめなかった。その中で市議会一般質問では、与野党ともに揚げ足取りのやり取りが目立ち、市民から議員として品位を問われる苦情があったのは双方反省事項だろう。

 さらに玉津教育長に対しては、与党議員数人からもそのふんぞり返った議場内での不遜(ふそん)な態度や「調査員という名前の者ども」発言など、その言動に苦言があった。立派な教育者、改革者として評価されるなら、子どもたちの視線も視野に入れ直ちに改めるは改めるべきだろう。でないと逆に単なる“偽善者”といわれかねない。
 この問題解決に向けて県教委は「全員協議の有効性」を主張して文科省の指導待ちの状態にある。
 これに対し文科省も、中川文科相が同一地区内は同じ教科書を採択するという教科書無償措置法と、採択権限は市町村教委にあるとする地方教育行政法の兼ね合いで法解釈を詰め、最終的に結論を出す意向を示すも、それはいつかその目処や見通しは不透明だ。

■新たな枠組みで採択を
 確かにこのようにもつれにもつれた糸をほどくのは容易でない。それならこれまで両方の採択に関わった皆さんは総退場してもらい、今回は特例で委員を新たに選任、新しい枠組みで採択しなおすことは不可能なことなのか。その場合、委員の選任方法が課題だ。 
 この問題では中立の公明の大石市議が、国、県、地元関係者が一つのテーブルについて対話の必要性を指摘していたが、確かに大切なことだ。特にこの問題はそうした勢力が地域を“狙い撃ち”しているふしも見られ、今後も起こりうる要素がある。文科省や県教委は、今回その欠陥が問題になっている法整備をきちんとして、ちゃんとした解決策を示さなければ、県内各地で今後も同じような混乱が予想される。

             ☆

この期に及んで、こんな無知蒙昧な社説に一々反論するのは、あまりにもバカバカしいのであえて反論はしない。

イデオロギーで思考が硬直してしまうと、物が見えなくなってしまう典型的な例として永久保存版である。

一方、同じ地元石垣に社屋を構えながら当初からバランスの取れた視点で、県民の知る権利を守ってくれた八重山日報が、問題が決着し、後は県教委の出方を待つだけの時点で、八重山教科書問題を質疑応答形式で分かりやすく解説している。

八重山発狂新聞の記者は是非とも、八重山日報の解説記事を虚心坦懐に熟読すべきである。

さもなくば同じ過ちを繰り返すことになる。(涙)

 

■八重山日報社 10月7日

教科書問題
どちらが「有効」「無効」

全委員協議から1ヶ月


 教科書問題は、育鵬社の公民教科書を不採択とした3市町の全教育
委員13人による協議から8日で1ヶ月。協議について国と石垣市、
与那国町教育委員会は無効、県と竹富町教育委員会は有効を主張し、
双方譲気配はない。それぞれの主張の根拠や今後の見通しはどうか、
一問一答形式でまとめた。
 A 何をもとめているの?

 B まず知っておくべきことは、八重山地区の教科書採択のルー
ル。3市町が別々に教科書を選ぶと教科書を無償配布する国の業務が
煩雑なので、3市町で「八重山採択地区」を作り、教科書を一本化
することになっている。3市町の代表などが「八重山採択地区協議
会」という組織で協議し、そこで得られた答申をもとに、3市町の
教育委員会が同一の教科書を採択する。このルールに従って、八重山
採択地区協議会は8月23日に育鵬社版を選定したんだ。

 A でも、協議会の委員が直前に入れ替えられたとか、非公開の協
議で、多数決で育鵬社版が選ばれたとかいう批判があるよ

 B 協議会の委員にどういう人を選ぶべきかという決まりは法律に
なくて、その地区の自主的な判断に任されている。協議会会長の玉津
博克石垣市教育長が提案した委員の入れ替えは、協議会の臨時総会で
承認されていたんだ。あと、教科書選定の協議は過去もずっと非公開
で公開された例はない。多数決で決めるルールも、協議会の規約に定
められている。

 A じゃあ、協議会の答申に法的な問題はないの。

 B 文科省の森裕子大臣は「協議会の規約に基づいて正式に決定さ
れた答申は一つで、それに基づいて採択されるよう努力してほしい」
と述べた。文科省は、答申に法的な問題はなかったという認識を示し
ている。

 A それなら、なぜ9月8日に、3市町の全教育委員が集まったの?

 B 石垣市、与那国町教委は答申通り育鵬社版を採択したが、竹富
町教委は育鵬社版を不採択とし、東京書籍版を選んだ。この時点で、
3市町で同一の教科書を選ぶというルールに違反してしまった。その
打開策として、3市町の全教育委員が集まることになったんだ 

 A どうして全教育委員なの?

 B 教育委員には、教科書を選ぶ最終的な権限と責任がある。県教
委は、全教育委員が集まった場が「最も民主的な教科書採択の場だ」
と宣言した。そこで多数決で、育鵬社版の不採択と東京書籍版のの採
択が決まった。

 A 国はどうして、この協議が無効だと判断したの?

 B 文科省によると、この協議が認められるためには、3市町の教
育委員会がそれぞれ事前に「この方法で教科書を採択していいです
よ」と合意しなくてはならない。石垣市、与那国町は「合意していな
い」と主張している。

 A でも、教科書採択の権限がある教育委員が全員集まっているん
だから、県教委が言うように、一番民主主義的な決め方じゃない?

 B 実は問題がある。この論法でいくと、たとえば八重山のどこか
で大きな問題が起きたときに「八重山全体の問題だ」ということで、
石垣市、竹富町、与那国町の有権者全員をひとまとめにして、住民投
票をしていいということになる。結局、数が多い石垣市の意見が常に
通り、竹富町や与那国町決定が、すべてひっくり返されるということ
になりかねない。

 A そういえば、何か変な話だね。

 B 多数決で決めますよという事前のルールもなく。多数決で決める
というやり方を多数決で決めている。このやり方について、義家弘
介参院議員は「民主主義じゃなくて数合わせだ」、玉津教育長は「各
自治体の独立権の侵害だ」と指摘している。この「多数決」はいろい
ろな問題をはらんでいるんだ。

 A 確かに、このやり方を認めると、日本中のあちこちで、いった
ん決まった教科書採択をひっくり返せるね。

 B 文科省は協議の実態をきちんと把握し、妥当な判断を下したと
いえる。

 A 文科省の判断を受けて、県教委はどう対応したの?

 B 文科省は先月15日に、協議会の答申に従って採択するよう県
教委を指導したが、県教委は、協議は有効だという3市町教育委員長
の主張を根拠に、指導に従っていない。問題をずるずると長引かせて
いるんだ。

 A これからどうなるの

 B 教科書を無償配布する権限は国にあるので、最終的には国の判
断が優先されると思われる。文科省が県を指導して来週で1ヶ月にな
るが、違法状態が放置されたままなので、市教委は「来週までには、
国が何か動きを見せるのではないか」と推測している。


教科書問題
協議会議事録を公開へ
委員名には慎重姿勢

 来春以降使用される中学校教科書を選定した八重山採択地区協議会
会長の玉津博克石垣市教育長は、協議会議事録の公開を委員に諮るた
め、来週にも協議会を招集する方針を固めた。議事録は3市町教育委
員会が同一の教科書を採択したあと公開することを協議会で申し合わ
せているが、情報公開請求が相次いでいることを受け、改めて委員に
考えを聞く必要が生じた。協議会で公開は承認される見通しだが、委
員名の公開については、事務局の市教委は慎重な姿勢を崩していな
い。
 玉津教育長は6日、「隠し立てしているわけではないので、公開す
るのはやぶさかではないが、クリアしないといけない条件がある」と
指摘。協議会で改めて同意を得る必要があるという考えを示した。
 公開の対象となるのは協議会総会、役員会、教科書を選定した会合
の議事録。膨大な量になり、議事録に記された発言が正確かどうか、
8人の委員に確認してもらう作業が必要になるため、協議会で公開が
決定した場合でも、実際に公開できる状態になるのは今月下旬以降に
なる見通し。
 
委員名についても公開を要求する声があるが、市教委は「委員の家
族にも嫌がらせが及んでいるという報告がある。由々しき事態だ」(
前花雄二教育部長)と、育鵬社版に対する反対運動の過熱を懸念する。
 
前花部長は、委員名が外部に漏れている現状も含め「(関係者の)
守秘義務の観点から検証する必要もある」と指摘している

           ☆

公文書偽造をした仲本英立前石垣市教育委員長と

公務員の守秘義務違反の疑いのある石垣市の平良守弘課長は

引責更迭の対象であると思う方

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コメント

守秘義務違反!スパイ盗聴で、市課長が

2011-10-07 08:16:22 | 八重山教科書採択問題

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今朝の沖縄タイムスは久々に又吉嘉例記者の署名入り記事で「発狂指数」全開である。

八重山採択地区協議会の8月23日の議事録は、採択が確定してから公開とのことなので、現在は非公開のはずだが沖縄タイムスが、議事録ならぬ「会議録」を入手したということで鬼の首でも取ったような大騒ぎである。

★第一面トップ

≪「教科書見たと言えばいい」≫

玉津氏、協議会委員に

会議録で判明

「全員協議有効」

文科相に送付

県教育長

★社会面トップ

結論 しくまれたか」

議論は5分 委員反発

「周りうるさい」玉津氏

この「会議録」なる代物、沖縄タイムスが入手というより、昨日のQABテレビが既に同じ「会議録」で放映している。

テレビに売り込んだの石垣市職員(課長)の平良守弘八重山PTA連合会長。

協議会委員の1人でもある平良氏がテレビの取材に応じている。

http://www.qab.co.jp/news/2011100531198.htmlの動画で真っ赤な脳ミソの三上アナウンサーが、得意げに来週も取り上げると「どや顔」で語っている。

平良守弘氏は三上アナウンサーと手に手を取りあい、冥府魔道まっしぐらに心中でもするつもりなのか。

そもそも玉津氏が言ったとされる「教科書見たと言えばいい」という発言は、8月23日の協議の席で発言されたのではない。

協議の場の約一ヶ月前の「7月19日の協議会連絡会」で発言したというのだ。

過去に発言した(とされる)発言を、議事録が残る協議の場でわざわざ発言する不自然さはさて置いても、記事では玉津氏が発言をストップさせたと記して独裁者の印象操作に必死の様子だが、玉津氏がストップをかけたのは当然の措置ではないか。

一ヶ月以上前の確認できない発言を議事録の残る協議でわざわざ持ち出した平良氏の「玉津潰し」の、ためにする発言であり、会議録の記録に残すべきものではない。

つまり平良氏は、後日盗聴作成した「会議録」を後でマスコミに洩らす目的で、その場では言ってもいない発言を議事録に記録するためにわざわざ発言したということになる。

そもそも玉津会長の「問題発言」は、平良委員しか知らない事実であり、「言った言わない」の問題である。

仮に百歩譲って玉津氏が似たような発言をしていたとしても、23日の協議で発言したわけではないので、「誤解を与えたのならお詫びして訂正」で済むことだ。

それより問題にすべきは、沖縄タイムスが入手したという協議会の「会議録」である。

記事ではあたかも「議事録」が流出したかのような印象をうけるが、「議事録」は現在公開されていないので、8月23日の協議会の選定現場で、誰かが盗聴して「会議録」を作成したことになる。 

非公開になっている協議会を外部の第3者が盗聴を仕掛けたとなると立派な犯罪であり、参加委員が盗聴を仕掛けたら「公務員の守秘義務違反」を犯したことになる。

玉津氏が反対派の集会の様子を主催者に録音許可を申し出たらスパイ呼ばわりされ、市議会では「人間性を問われる」とまで罵倒されている。

その一部始終は八重山日報が報じている。

■八重山日報 9月30日

教科書問題
市議会質問要旨

平良氏  (採択が決まるまで八重山採択地区協議会の議事録を公開
     しないという)3市町の合意と、市情報公開条例はどちら    
     に優位性があるのか。

玉津氏  協議会で決めてあるので、当面は協議会の取り決めを優先
     させたい。

平良氏  過去の採択協議における議事録はどうなっていたのか。

前花教育部長  調べた結果では、昨年のものと2005年度の冊子
        は残っているが、その中では、議事録はない。

平良氏  過去の議事録が存在しないということも大きな問題。形骸   
     化している協議会の責任を明確にしようとした点は理解で
     きる。しかし、教育長への指摘も真摯に耳を傾けるべきだ
     自分の行っていることが正しいのか考え、立ち止まる勇気
     も必要だ。その部分が大きな混乱の原因の1つになってい

     る。

(中略)

前津氏  大川公民館で教科書の集会があった。主催者側に、市職員
     から録音していいかという話があった。スパイ行為ではな
     いか。

玉津氏  市民集会をすべて収録するという意味ではない。ある大学
     の先生がこの教科書問題について話をするというので、そ
     の学部長に連絡を取り、このような経過報告をする場合に
     は、学者として当然、両方の意見を聞いて話をしてほしい
     事前に私と意見交換してほしいとお願いした。しかし一切
     私と連絡を取れずに当日を迎えたので、どういう報告をし
     ているのか確認する意味でやった。その大学と、教育に絡
     む契約をやっており、私どもが、その先生から指導を受け
     るための判断材料として指示した。

前津氏  こういうことを答弁できるあなたに呆れた。恐ろしい。あ
     なたの
人間性、資質が問われている
。(略)

             ☆

あらかじめ録音を申し出てもこのようにスパイ扱いだ。

非公開の協議を無断で盗聴で録音し、これをマスコミに売ったとなるとこの人物の人間性は一体どうなるのか。

法律以前の人間の倫理は問われないのか。

また公務員の主義義務違反はどうなるのか。

盗聴をした可能性のもっとも高い平良氏はPTA会長だから公務員ではないという向きもある。

だが平良守弘氏は企画部すぐやる課長(総務部契約管財課長補佐兼契約検査係長)という立派な肩書きの公務員である。

盗聴を「すぐやる課」ではなく、守秘義務違反の処分を「すぐやって」ほしいものである。

                ☆

どうでもいいことだが、沖縄タイムスは今回の「会議録」で「議論は5分」などと、初めて発覚したような騒ぎようだが、審議は5分程度だったことは一ヶ月前の新報も報道していること。

いまさら大見出しで騒ぐ意味も良くわからないが、発狂した見出しといえば納得である。 

実質審議なく投票 公民教科書わずか5分 2011年9月8日  

 【八重山】「新しい歴史教科書をつくる会」系の育鵬社版公民教科書を非公開、無記名投票で選定した8月23日の教科用図書八重山採択地区協議会の全容が7日、関係者のメモや証言で分かった。公民教科書の協議は2人しか発言せず約5分で終了し、実質的な協議がないまま投票に持ち込まれた。現場教員が務める調査員の報告について「外部に書かされたもの」と発言し、報告の信ぴょう性に疑問を呈する委員もいた。
 玉津博克会長は最初に選定作業を行った国語の審議中「この場は思い切り議論をする場ではない。自分が選んである教科書について、お互いがどういう観点から選んだのか、意思表明する場所だと思っている」と発言し、議事を進めた。
 さらに「自分が何を推薦するか言わないといけないのか」という委員の問いに「できれば教科書名を言わないでほしい」とし、全ての教科書選定で具体的な教科書名や記述内容の優劣をほとんど審議しないまま、投票に移っていた。
 公民教科書の選定では、石垣朝子委員(石垣市教育委員)と大田綾子委員(竹富町教育委員)の2人が発言。育鵬社版に投票した石垣委員は「言葉を忘れたら島を忘れる、島を忘れたら親を忘れる」という竹富島のことわざを紹介し「国家を領土の分野で扱っている教科書が多いと思うが、私は『私と国家』というような延長線で国を捉えたいと思った。公民と道徳との横断的な内容を押さえているものを選んだ」と説明した。
 東京書籍版に投票した大田委員は「言論活動にこだわって全ての教科書を見た。思考力、判断力、表現力等の育成にどの教科書の内容が一番合致しているかという観点で選んだ」と語った。
 5対3で育鵬社版が選定された後、平良守弘委員(PTA代表)らが調査員の推薦にない教科書が選定されたことの妥当性を追及したが、崎原用能与那国町教育長は「教育委員会に送られてくる(「つくる会」系不採択を求める)抗議文と(調査員の報告)内容が全く一緒。公平な判断でなく、外部に書かされたものだ」と批判。玉津会長も「崎原委員が言うように調査員の調査の手法に疑問がある」と同調した。
 報告書が「公平でない」とされたことについて、社会科調査員の一人は「外部に書かされたり、外部の資料を引用してはいない」と反論している。(稲福政俊)

                        ☆

改めて記事を読んでみると、公民教科書について発言しているのは育鵬社に投票した石垣委員と東京書籍に投票した大田委員の2人だけで、問題の慶田盛竹富町教育長は居眠りでもしていたのか一言も発言していない。

後になってあれほどごねるのなら公民教科書選定のとき、何故一言でも発言しなかったのか。

また盗聴で「会議録」を作成した?平良氏も、育鵬社版が選定された後、ちゅまり全てが終わった後の発言しかない。

上記記事の時点までは「公務員の守秘義務違反」を恐れていたのだろうが、文科相の見解が閣議決定で確定し、絶体絶命の窮地に追い込まれ、破れかぶれで「会議録」を公開したのだろうか。

沖縄タイムスの一面の発狂見出しはさて置き、小さなベタ記事の「全員協議有効 文科相に送付へ 県教育長」が重要な意味を持つ。

これで県は閣議決議を真っ向から否定する地獄への道を選択することになる。

これ大城教育長と狩俣課長の引責辞任は確定したようなもである。

やれ、やれ恥の上塗りは勘弁してほしいのだが・・・。

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反育鵬社展示会、沖大教科書展示会

2011-10-06 21:20:59 | 八重山教科書採択問題

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中学社会7社教科書を展示 沖大

初日から学生や市民が訪れ、教科書を読み比べていた=3日、那覇市・沖縄大学(写真省略)

[画像を拡大]
社会  2011年10月4日 09時21分 

 八重山の「公民」教科書採択問題が混迷を深める中、沖縄大学(加藤彰彦学長)は3日から、同大図書館で、本年度検定済み7社の中学校社会科教科書の展示を始めた。教科書を実際に手に取り読んでみようと、初日から学生や市民らが教科書を読み比べるなど、熱心に見入っていた。

 展示しているのは、来年4月から中学校で使われる東京書籍、帝国書院、清水書院、教育出版、日本文教出版、育鵬社、自由社の「地理」「歴史」「公民」の各本。図書館入り口近くにコーナーを設け、新聞記事のスクラップも展示。これまでの複雑な経過が分かるよう配慮した。

 同大2年の宜保翔太さんは「新聞記事などで関心があった。バイトで塾講師をしているが、正しい事実を伝えないといけないと思う」。

 糸満市から夫婦で来た60代の女性は、教育関係者らが問題視している育鵬社版の公民教科書を丁寧に読んだ。「天皇の写真の多さに驚いた。国旗国家や皇室の記述も押しつけの感がある。孫はまだ小さいが、こんな教科書で学んでほしくない」と眉をひそめた。

 同館は8月から各社に教科書の提供を依頼。献本や貸し出しの形で全社から協力を得た。桜井国俊館長は「教員を目指す学生もおり、人ごとではない。多くの人に手に取ってもらい、自分の目で見て判断してほしい」と述べた。展示は31日まで。月~土曜日の午前9時~午後10時。入場無料。

                         ☆

左翼の巣窟と思われていた沖縄大学が今問題になっている中学生の社会科教科書を展示するというので記事で紹介したら、沖縄タイムスが「お決まり」の記事を書いてくれた。

それがこれ。

>糸満市から夫婦で来た60代の女性は、教育関係者らが問題視している育鵬社版の公民教科書を丁寧に読んだ。「天皇の写真の多さに驚いた。国旗国家や皇室の記述も押しつけの感がある。孫はまだ小さいが、こんな教科書で学んでほしくない」と眉をひそめた。

実際に展示会に行った読者から次々とコメントが入ったので、紹介する。

 ■沖縄大学図書館での展示、実は… 2011-10-05 15:48:54 Unknown  
昨日の日記で紹介された、沖縄大学の図書館での展示ですが、そこの図書館長は新報・タイムスの「御用」識者なので、「つくる会系」反対が目的です。

図書館には、「図書館の自由」なるものがあり、その中で「すべての検閲に反対する」ことが謳われているのですが、沖縄では、「つくる系」反対という、その「検閲」を正当化するような人が、図書館長になれるんですね。

ちなみに、大学の図書館は貴重な資料があるため、その保存のために未成年者の入館を規制しており、この展示を、当事者である中学生が見ることはできません。

■小学生も来ていました! 2011-10-05 18:33:55 目覚まし時計  
昨日、沖大にいくと教職員らしき男性が制服姿の小学生と共にバインダーを持たせレクチャーしている姿が! どこかで見た風景、、。 へ平和学習そのもの。しかも時間は正午前!もし彼が担任であったとするならば当日のホームルームあたりで生徒の口から一方的な感想を皆の前で発表など、、、。考え過ぎでしょうか?

ちなみに沖縄県は制服の小学校は少ないので私立かな? 五年生ぐらいの女の子二人でした。
 

■  姉さん。由々しき問題、発生です。 2011-10-06 02:52:56 Unknown   
例の沖縄大学での展示に小学生が来た、とのコメントがありますが、大学の図書館は未成年の入館を規制してるので、これはおそらく、「御用」識者の図書館長か沖教組の息のかかった教員による、いわゆる「やらせ」の可能性大です。

しかも、来たのが当事者でもなく、成績・内申書などを人質にされると何も出来ない小学生2人組で、来館したのが勤務時間内、となると、これは由々しき問題です。

「つくる会系」反対を叫ぶ連中は、間違いなく佐賀県における説明会番組に端を発する、原発をめぐる「やらせ」を批判しているでしょうが、彼等は自分達の「やらせ」は、正当化するのでしょうか。

「やらせ」といえば、今回の騒動で、高校を留年した女子高生による八重山毎日への投稿が注目されてましたが、彼女の父は医師らしく、もしそうなら県立八重山病院の院長だった前のハレンチ石垣市長との黒い接点が透けて見えるので、これも「やらせ」、といえば「やらせ」なのかもしれません。 

■  Unknown 2011-10-06 15:47:38 Unknown   
沖縄大学での展示会、図書館長が「御用」識者の桜井国俊なので、「つくる会系」反対を目的としたやらせなのは明白ですが、目覚まし時計さんのコメントにある小学生2人&男性「教員」ご一行様も、いつぞや仲山某がQABのニュースで発言した、組織動員によるやらせと考えると、このご一行様の正体…、「強制集団死」の島からのご一行様の可能性も考えられます。

もしそうならば、へき地の学校ゆえに人数が異様に少ないのもうなづけますし、プロパガンダとしてこれほど有効なものはないでしょう。

いずれにせよこのご一行様、新報・タイムスの記事なり読者投稿なりTVのニュースなり、何らかのかたちで馬脚をあらわすかもしれません。

 
■図書館の女性職員も丁寧に。 2011-10-06 16:51:57 目覚まし時計  
更に細かく言いますと図書館の女性職員も一緒になって。
ただの案内だったのか、このチャンス逃してはならぬ! っという状況だったのかまでは確認できませんでしたが他の市民には目もくれずといった感はありました。

八重山日報の新聞ばかり見ている私の後ろの灰色のベストに海邦国体オリジナル帽子をかぶっているおじさんが奥さんらしき女性となにやらコソコソ話。 帰るときには私の事を犯罪者でも見るかのようでしたが慣れっこなので会釈して帰りました。
皆様も彼らが主催する集会に参加してみては?露出狂には堪らないくらいの快感が味わえると思います。 

■■Unknown 2011-10-06 20:23:17 ◯◯◯    
沖大図書館の展示ですが、早速電凸してみました(笑)

まずはHPで電話番号を確認してみたのですが、そこの紹介ページ、今は修正されてますが、『育鵬社のバックの産経新聞』となっていたのでこれじゃ『893がバックにいる』みたいに悪印象を持たせるように誘導してるみたいじゃないかとジャブを入れたらご覧のとおり訂正されたということなのでしょう(笑)
http://www.okinawa-u.ac.jp/toshoTopics.php?eid=00091
最初は育鵬社の教科書にはフジサンケイグループのマークも入っているのだからバックという表現を使ったとのことでしたが、訂正するとは言ってなかったんですがね(笑)

あと小学生とか中学生が入れるのか、沖タイや琉珍は子供をダシに使う記事が多いように思うが、洗脳された小中学生が来場して図書館を出たら新聞記者が待ち構えていたということはないのかと聞いたら、保護者同伴なら以前から入館できるとのこと(本当のところはどうだかわかりませんが、当然目覚まし時計様来場のあとの電凸だったでしょうから)
ただ、そういうやらせみたいなことがおきないように配慮するとのこと。

次に教科書の内容や新聞報道も有用な情報だが、今の焦点は手続き問題だと思う、文部科学省の採択の手順や国会議員の質問主意書に対する閣議決定された答弁書も公開されているものがあるのだからそれを展示しているのかと尋ねると、文部科学省の採択の手順は展示している、答弁書については存じあげない、そのあたりはご自分でお調べ下さい、とのことでした。

まぁ怪しいと疑い出したらキリはないですが、一応中立な展示としておきましょうか(笑)
 


 
          ☆

展示会の様子が気になったので、筆者も本日の午後沖縄大学まで出かけ展示会を見学してきた。

各教科書会社の教科書を実際手にとって見て欲しいということなので、環境左翼の前学長が図書館長を努めるにしては随分気の利いた企画だと感心しながら出かけたが、さすがは沖縄大学、やはり予想を見事に裏切ってくれた。(笑)

環境左翼の図書館長が必死になって反育鵬社キャンペーンをしているのがミエミエの展示会だった。

教科書展示台の左の壁には2007年9月29日の「11万人集会」を報じる琉球新報の号外が張り出され

見開き二面にまたがる次の大見出しが躍っているではないか。

11万6000人結集 検定撤回要求≫

「軍強制記述回復」を決議

そして正面の壁には沖縄タイムスと琉球新報の一面と社会面トップを飾った「発狂記事」の切抜きが7点張り出されている。

「発狂新聞」の「発狂記事」のオンパレードである。

目に付いた記事の見出しを例挙する。

★8月31日 沖縄タイムス

民意はノー

「現場無視した政治的動き」

★8月31日 沖縄タイムス

育鵬社教科書

「反対56%」

各社の教科書を見る前に、嫌でも「発狂新聞」の育鵬社反対キャンペーン記事が目に入ってくる仕掛けだ。

台の横には一応各紙の切り抜きを貼ったスクラップブックを置いてあるが、大量のバッシング記事を書いた「発狂3紙」(沖縄タイムス、琉球新報、八重山毎日)のスクラップが圧倒的に多く、産経と八重山日報はアリバイのため、という感じ。

しばらくの間来訪者を観察していたが、教科書はパラパラと見ただけで、正面に貼られた「発狂新聞」の「発狂記事」を食い入るように読んでいる人が多かった。

結局は、沖縄大学が「教科書展示会」という美名の下に「つくる会系」教科書の反対キャンペーンをしているようなものであった。

沖縄大学の実態が垣間見れたという点では、非常に有意義な教科書展示会であった。(笑)

「全体主義の島」を死守するため沖縄大学が発狂新聞と一体になって反育鵬社キャンペーンをあからさまに行っている「教科書展示会」を、今後の勉強のため見学することをお勧めする。

 

【おまけ】

沖縄大学ホームページ

『中学校社会科教科書展』 (以前に保存していたもの)

沖縄では、中学校社会科教科書の採択が大問題となっております。沖縄大学図書館では、学生の皆さんに検定を通過した7社すべての教科書を手にとって見て頂き、沖縄の子ども達にどの教科書で学ばせたいか、自ら考えてもらいたいと考えています。そこで10月3日~10月31日の予定で図書館1階で中学校社会科教科書展を開催することとしました。ぜひお出で下さい。
 図書館には、琉球新報、沖縄タイムスだけでなく、地元八重山の八重山毎日、八重山日報もあります。さらには、本土紙で育鵬社のバックともなっている産経新聞もあります。そこで、これらの新聞に掲載された八重山教科書採択問題関連の記事をスクラップ帳にまとめ、展示しておきました。採択問題の経緯や、様々な立場の関係者の意見をまとめて知る上で、お役にたつことと思います。皆さんのご来館をお待ちしております。


と  き:2011年10月3日(月)~10月31日(月)

と こ ろ:沖縄大学図書館1階・展示ブース

開館時間:月~土 9:00~22:00(日・祝祭日は除く)
     入場無料は無料です。

お問い合わせ:(098)832-5577

駐 車 場:ご来館の際は公共交通機関をご利用ください。
          ご協力のほどよろしくお願いします。

 

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衝撃の新事実、オカッパの少女は女性だった!

2011-10-06 06:50:52 | オカッパの少年

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 驚くべきことに「うつろな目の少女」は、やはり女性だった!

「うつろな目の少女」の意味を知らない読者は、意味がよく飲み込めず不審に思うだろう。

少女が女性なのは当たり前。 狼魔人も教科書問題の「発狂新聞」に取り憑かれ、ついに頭がイカレテシマッタと考えるかもしれない。

一方、「うつろな目の少女」が「オカッパの少年」であることを知っている古くからの読者なら、ストレートに衝撃を受けるか、沖縄戦を伝える沖縄2紙のデタラメ報道に「やっぱり」と改めて呆れ返るだろう。

古いエントリー記事「続・沖縄戦の女装の少年、地元紙も知らなかった女装の謎」のコメント欄に次のような読者のコメントがあった。

絶対!おかしい! (Unknown)

2011-09-09 17:43:37
 この写真の少女?は、大城盛俊氏じゃないですよ!
那覇春子というれっきとした女性です!
1985年に製作された短編記録映画「戦場ぬ童」という映画で、この写真の女性、玉那覇さんが出演・証言していますよ!
このときに右手首を負傷されていて、映画では右手を切断されてのインタビュー出演でした。
この映画を撮った、橘 祐典(たちばな ゆうてん)という監督も共産党員の左翼主義者ですが、どっちがホントなんですかね!!??
 ただひとつ真実なのは、どちらかが、ウソをいってることです。

コメントがあった9月9日といえば八重山教科書問題で多忙を極めていたので、上記記録映画の検証を昨日まで放置していたが、本日この少女は大城盛俊氏ではなく玉那覇春子さんであることが確認できた。

先ず「うつろな目の少女」とは太田昌秀著『これが沖縄戦だ』の表紙に使用され有名になった「少女」の写真のクレジットである。

 
■うつろな目の少女 1945.6月

 

ところが、驚くべきことに「このオカッパの少女は私だ」と名乗る75歳の老人(男性)が現れたのだ。

   

 写真を見るとどう見ても戦渦にほんろうされるいたいけない少女の姿だが、実は日本全国で沖縄戦の講演行脚をする大城盛俊氏の女装姿だというのだ。

この衝撃的ニュースは、「11万人集会」があった2007年8月、琉球新報によって沖縄メディアとしては(筆者の知る限り)、初めて報じられた。

それがこれ。

教科書の嘘許さず 大城さん、憤りで声震わせる

2007年8月25日琉球新報

「沖縄がいつまでもバカにされたままでいいのか。沖縄県民はもっと怒って立ち上がらなければ」と訴える大城盛俊さん=那覇市天久の琉球新報社

 「うつろな目の少女」と題し、大田昌秀著「これが沖縄戦だ」(1977年出版)の表紙写真で紹介された兵庫県伊丹市の大城盛俊さん(75)=旧玉城村出身=が来県、高校歴史教科書検定で沖縄戦の「集団自決」に関する記述から日本軍の強制が修正・削除された問題で、「沖縄県民はもっと怒って立ち上がらなければ」と訴えている。24日、琉球新報社を訪れた大城さんは、史実を歪める教科書検定の動きに「教科書が嘘(うそ)をついて、その嘘を教えられた子どもたちが大きくなったらどうなるのか」と懸念し、憤りで声を震わせた。
 表紙の“少女”の正体が大城さん。当時12歳で、育ての父に「男の子は兵隊にやられるから女の子になりすましなさい」と言われ髪を伸ばした。
 大城さんは、1945年4月1日の米軍の沖縄本島上陸後に家族と玉城村のガマ(壕)に避難したときのことを鮮明に記憶している。そこには200―300人の住民がいた。5月下旬、日本兵が入り込んできて「食料をよこせ」と銃を向けた。彼らは黒砂糖が入った大城さんのリュックサックを取り上げようとした。大城さんが「取らないで」とお願いすると、「生意気なやつだ」と壕の外に引きずりだし、激しく暴行。硬い革靴でけり飛ばされた大城さんは気を失った。殴られた右目は失明した。
 数日後、大城さんは米兵に助けられた。同写真は診療所の前で撮影された。(略)
 (深沢友紀)

                   ◇

この記事を見て驚いた素直な感想を、当時のブログに書いたのがこれ。⇒「うつろな目の少女」の秘密!

このニュースは直ちに沖縄タイムスがフォロー記事を掲載し同じような衝撃が全国を走った。

2007年の夏といえば沖縄戦の教科書記述をめぐって、「沖縄の抗議」が全国の注目を浴びていた時期である。

こんな美味しい記事を全国紙が見過ごすはずはない。

翌2008年2月には朝日新聞がこれを大きく報じた。

それがこれ。↓

ニッポン人脈記/沖縄の「少女」 これは僕

朝日新聞 2008年02月01日

 1枚の写真が大田昌秀(82)の目をくぎ付けにした。

 おかっぱ頭の少女が血まみれで座りこみ、うつろな目をカメラに向けている。あの沖縄戦のなかを逃げまどったのだろう。

 大田は学生時代、鉄血勤皇隊として沖縄戦に動員され、大勢の友を失った。戦後、琉球大学で教壇に立ち、米国の公文書館などで沖縄戦の資料を集める。

 そこでみつけた写真を「うつろな目の少女」と名づけ、本の表紙に使った。琉球新報に書いた連載をまとめ、77年に出した記録写真集『これが沖縄戦だ』である。

 与那原町でクリーニング店を営んでいた大城盛俊(75)は、この写真を84年に見る。内臓病で入院中、隣のベッドの患者が広げた地元紙にのっていた。

 その新聞をもらい、タクシーで新聞社に駆けつけ、大田の自宅を聞く。けげんな顔で玄関にあらわれた大田に紙面をつきつけた。

 「これは僕です」

 「でもあんた、男じゃないか」

   *

 大城は沖縄戦当時、12歳。「男の子は日本軍にひっぱり出され、何をされるかわからん」と案じた父のいいつけで、女の子のように髪を伸ばしていた。

 だが、なりすましてもムダだった。島がまるごと戦場になった45年6月、家族の食料を奪おうとした日本兵にとりすがる。「生意気だ。反抗するのか」。ひそんでいた壕からひき出された。こっぴどく殴られ、けられ、気を失う。右腕は脱臼、右目は失明。右足にいまも障害が残る。

 大田がみつけた写真は、米軍につかまった大城が治療されている時に撮られたものだった。「あんた、生きていたのか……」。大田は泣きだした。大城も涙する。ふたりはかたく抱きあった。

 大城は、沖縄戦の悲惨を語りつぐ「語り部」になった。全国の学校や平和団体を訪ね、1200回を超す。喉頭がんの手術をして22年前から人工発声器をつかう。低く聞きとりにくい声。生徒たちは息をころして聴き入る。

 「日本軍は『お前ら、アメリカにつかまるとスパイになるんだろう』と住民に手投げ弾を渡した。壕から出るときも、子どもを先頭に立たせて盾にした。沖縄の住民の敵は日本軍だったんです。そういう戦争を知らない人が歴史の教科書を書いている。情けない」(略)

                   

戦争に翻弄される少女の写真と思ったのが、名乗り出た人物が75歳の老人だったという衝撃もさることながら、「残虐非道な日本軍」というオイシイ話を喧伝するには絶好の大城氏の証言を、沖縄マスコミが戦後60数年も放置していたのは何故か。
 
大城氏が太田氏を訪ねて名乗り出たのは20数年も前の1984年ではないか。
 
しかも大城氏は沖縄戦の語り部として千数百回にも及ぶ講演会で全国行脚をする講演会のプロである。
 
2007年の琉球新報の特ダネと思われる記事の後も、沖縄紙は「うつろな目の少女」のエピソードには何故か及び腰であり、講演のプロである大城氏は、その後もなぜか沖縄本島での講演会は一度も行っていない。
 

2008年6月、大城氏は沖縄での最後の講演会を石垣市で行い、長年の講演会活動を、翌2009年の3月で終了するとした。

何ゆえ大城氏は長年の講演会活動を沖縄本島で行わなかったのか。

激戦地のある沖縄本島南部地域は大城氏の故郷ではなかったか。
 

日本兵が暴行、右目失明 表紙の「少女」大城さん、沖縄戦を語る 2008年6月22日

日本軍の暴行や虐殺を静かな怒りで語る大城盛俊さん=21日、石垣市民会館中ホール

 

             ★

この大城氏の衝撃的告白に最初から疑念を持った筆者は大城氏の戦後を追跡調査し、エントリーした回数が実に18回にも及んだ。

だが調べれば調べるほど大城氏の告白に対する疑念は深まるばかりであった。

詳細を知りたい方は⇒オカッパの少年(18)

今回大城盛俊氏の告白が記録フイルムによって真っ赤のうそであると判明した。

いくら子どもの頃の写真とは言え、大城氏の顔は「うつろな目の少女」の顔に面影さえ見出すことは出来ない。

記録フィルムで証言する玉那覇春子さんは7歳の写真とは同一人物であることは面影からもはっきり読み取れる。

玉那覇さんは右腕の半分がなく、負傷している写真の少女の右手は、その後気を失って目が覚めたときは米軍医療班ににより既に切断されていたという。

沖縄戦の報道をする沖縄メディアは、自分の都合の良い証言・告白等は何の検証もなく大々的に報道するが、「不都合な真実」は一切報道することはない。

大城盛俊氏は千数百回にも及ぶ講演会で、自分のデタラメな告白とそれを記事にした沖縄2紙をネタに聴衆を騙したことになる。

仮に講演料で収入でも得ていたら詐欺の疑いも浮上する。 またこれを裏づけも取らずに報道し講演会を支援したメディアは詐欺を共謀したといわれても仕方はない。

これまでにも沖縄メディアが沖縄戦に関してデタラメな証言(例えば毒おにぎり)は数多くあるが、大城氏のデタラメ告白は、それをネタに講演会をしていただけに、前代未聞の醜聞である。(怒)

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ボタンの掛け違いが大騒動の原因!又吉記者の思い込み

2011-10-05 07:39:46 | 八重山教科書採択問題

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八重山教科書採択をめぐる大騒動は、新聞の担当記者の思い込みがもたらした世にも無責任な珍騒動であることが判明した。

起こらずもがなの大騒動の原因が、担当記者の無知によるボタンの掛け違いであると知ったら、デタラメ記事を垂れ流された読者はたまったものではない。

沖縄タイムスの八重山教科書問題の責任者である又吉嘉例記者が今回の教科書騒動について「担当部署の責任者や記者が答えます」という囲み記事で自身の顔写真つきで八重山教科書問題を解説している。

署名どころか顔写真まで付けて議論の分かれる問題に担当記者自らが解説を試みる心意気は大いに買う。

だが、記者の心意気だけでは問題の解明には程遠く、読者は記者の事実誤認によりますます混迷の道に迷い込むことになる。

まずタイトルの「軸足は子どもと教師」は、いかにももっともらしいが、実はこの思い込みで又吉記者は冒頭から事実誤認にの迷い道に足を踏み入れることになる。

最初のボタンの掛け違いが更に誤解の輪を広げ、読者は混乱に陥るにであるから、又吉記者の思い込みがもたらした事実誤認の罪は極めて大きい。

又吉記者は冒頭次のように記している。

≪子供たちにふさわしい教科書を考える際に、私たちがどこに立脚点を置くべきかは、竹富町の慶田盛安三教育長の言葉に集約されている。 つまり、「専門的な教科書研究の充実なくして、教科書を選べるわけがない」。≫

「専門的な教科書研究の充実」と称し、現場の教員(調査員)が左翼団体のパンフレットを丸写ししたことはここではさて置く。

「現場を知る専門家」という誤解が又吉記者の思考を縛ってしまい、「教科書は現場教員が決めるもの」と決め付けているが、これが原因で、その後の論旨が破綻してしまうのである。

そもそも教育委員会制度を我が国に持ち込んだのは、「国家が悪い教育をした」と信じて疑わなかったGHQである。

「国が教育に介入してはいけない」という、いかにも耳に聞こえのいい謳い文句で教育委員会制度を持ち込んだが、GHQは戦前には夢想も出来なかった「日教組」が力を付け、マルクス・レーニン主義の下に教育界に絶大な影響力を発揮していくことは全くの想定外だった。

結局、教育委員会制度は、「教育に対する国の介入」という点では一応の成果を見たが、マルクスレーニン主義に洗脳された教員集団である「日教組」の強大な影響力は、GHQの当初の危惧に勝るとも劣らない悪習を生み出すことになる。

教育界から国の関与を排除することにより、逆に日教組による教育の私物化が始まったのだ。

逆の意味で教育委員会は形骸化し、特に教科書採択問題では、日教組が送り込んだ教育委員や調査員がマルクスレーニン思想を色濃く反映した教科書のみを、調査員の調査の段階で「採択教科書」として絞り込まれたり足きりされることになる。

教科書採択は日教組の意のままになり、教育委員会は教員が推薦した教科書を追認するだけの名誉職になってしまったのである。

文科省は以前からこの悪習を是正するため文部省通知を出して、調査員(教員)の調査はあくまで参考意見にして、教育委員の(八重山採択地区協議会では協議会委員)の責任で採択するように指導していた。

玉津八重山採択協議会長の教育改革は、まさにこの文科省の教育改革の指導の下、「教科書は現場の調査員(教員)が選択する」という悪習を是正するのが第一の目的だった。

又吉記者の冒頭の書き出しだけで反論が長引いたが、又吉記者が「教科書は現場の専門家たる教員が採択すべき」と考えるのは、個人の考え方として記者の勝手だ。

記者が居酒屋などで持論を展開するのは自由だが、紙面の解説や社説で「居酒屋論議」を展開されては、読者はたまったものではない。

少なくとも現行の関連法規では、歴代八重山協議会で行われていたような「教員による事実上の採択」は明らかな違法行為である。

又吉記者の間違った思い込みは沖縄タイムスの社説にも表れている。

玉津教育長の規約改正に関し、社説は、教科書の権限がこれまで教師にあったのが、玉津会長の改革で、協議会へ権限移行したと憤慨している。

だが元々採択権限は事実上協議会にあったものであり、玉津会長はこれまで馴れ合いで行われていた教師による違法な採択を正常化して協議会に取り戻すという改革をしているのだ。

 ≪ 一連の変更は、選定の権限が、これまでの教師らの調査員から、協議会へ移行することを意味する。県教委は協議会に学校長、教育現場を経験した市町教委の指導主事を加えるよう要請したが、3市町教育長で意見が分かれ、要請は入れられなかった。≫(沖縄タイムス社説  2011年8月17日 )

又吉記者の「採択権は現場の教員にあるべき」という激しい思い込みが、激しい玉津バッシング報道につながって言ったのは周知の通りであえる。

沖縄メディアは総がかりで、あたかも八重山地区協議会が法を踏みにじって違法行為をしているような印象操作をしているが、違法行為をしてきたのは、他ならぬ「丸投げ」を継続してきた「歴代の協議会側」(ゾンビの会)ではないか。 

では、これまでなぜ違法行為が問題にならなかったか。

「赤信号みんなで渡れば怖くない」の法則が働き、沖縄メディアの希望する教科書と沖教組が推薦する教科書が一致したからである。

今回の八重山地区の教科書採択で、沖縄メディアが大騒ぎした結果、これまで沖教組主導で密かに行われていた違法な教科書選定方法が明るみになっただけでも良かったという人も多い。

文科省は教員だけで教科書選定に走る弊害を無くすため保護者向けの「教科書展示会」を法令で規定しているが、教科書の展示会が公開されていることなど今回の騒動で始めて知ったという保護者も多い。

16年にもわたる大浜前市長の極左独裁政権の庇護の下、沖教組が独占していた教科書採択現場に溜まった膿を玉津教育長の鋭い改革のメスが抉り出したというのが、今回の八重山教科書騒動の顛末である。



現在紛糾している教科書騒動を関連法規の不備のせいにする論者もいるが、それはそれで別の土俵で論議すべきものであり、法に不備があれば法規改正を行うのが民主主義のルールである。
 
今回の教科書騒動を法の不備のせいにして「ごり押し」を正当化する人もいるが悪法も法であり、現在進行中の教科書騒動も現行法で対処するのが民主主義である。

 

【おまけ】⇒爆笑!専門知識のある調査員、2ちゃんねる

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