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琉球新報「第32軍司令部壕、公開求める声高まる 首里城地下の戦争遺跡、再建に併せ『平和のとりでに』」
沖縄2紙のフェイクニュース作戦は、首里城炎上を反日イデオロギーに利用することだった。
中国風のレプリカ⇒「沖縄の心」⇒「平和のシンボル」⇒「反日イデオロギーの施設」
反日施設にするつもりならやめた方が良いよ? 観光では行かないから、日教組絡みの修学旅行と共産党員の慰安旅行しか来ない、、、そして彼らはリピートしない、、、それなら首里城を前回とは違う見る意味のある城にきちんと作るべきだと思う。 材木も塗料も無い国で作った城がどのような物かをきちんと再現すべき!!
>首里城の園比屋武御嶽石門近くにある司令部壕の第1坑道入り口付近には説明板が設置されているが、県は2012年に説明板設置検討委員会がまとめた説明文から「慰安婦」の文言と日本軍による住民虐殺に関する記述を削除した。委員らが記述復活を求める声が上がるなど、曲折を経ている
上記のは「慰安婦」や」「住民虐殺」についての経緯は」下記ブログ参照。
⇒「慰安婦」を削除 第32軍司令部壕の説明板 県が方針決定
2017-06-27
沖縄タイムス2012年6月21日 阿部岳
埋もれた戦 首里城地下32軍壕
県民総スパイ視象徴
「エイッ」「ギャー」
「エイッ」「ギャー」
第32軍司令部壕の第5坑口から出てすぐ。首里金城町、師範学校の実習用の田んぼに、悲鳴が響いた。
女性が電柱に縛られている。軍人に命じられ、代わる代わる短刀を突き立てているのも女性たちだった。最後は将校が、女性の首を日本刀で打ち落とした。
第32軍司令部壕、公開求める声高まる 首里城地下の戦争遺跡、再建に併せ「平和のとりでに」
焼失した首里城の再建に向けた支援が広がる中、地下にある日本軍の第32軍司令部壕の公開を求める声が高まっている。1996年、県の第32軍司令部壕保存・公開検討委員会の委員長として公開を決めた名桜大前学長の瀬名波栄喜さん(91)=那覇市=もその一人。瀬名波さんは「首里城と司令部壕は不可分の関係にある」と首里城再建と併せて改めて司令部壕公開の必要性を訴える。
32軍司令部壕の公開を巡っては、元外務省主任分析官の佐藤優氏が本紙コラムで提案したことで、賛同する声が広がっている。
司令部壕について、県は沖縄戦を象徴する存在だとして93年に本格的な調査を開始。名桜大教授だった瀬名波さんが委員長を務めた保存・公開検討委員会が95年11月に設置され、翌96年に「公開」を決定した。その後の基本計画検討委員会では牛島満司令官の部屋まで公開する方針となった。
ただ当初から崩落の危険性や整備に多大な費用が必要となることが懸念されるなど、壕の一般公開は実現していない。当時、瀬名波さんは第3坑道から壕内に入り、牛島司令官の部屋などを確認、注射針などが落ちていたという。ただ内部では「水が流れていて、そのままでの公開は難しいことは分かっていた」と語る。
首里城は過去に4回焼失しており、そのうち1回は沖縄戦真っただ中の45年4月だった。国宝だった首里城の真下に司令部壕が築かれ、米軍の標的となったためだ。瀬名波さんは「首里城を説明するには司令部壕は欠かせない。沖縄戦の実相を伝えることにもつながる」と指摘する。
追体験を通して沖縄戦を伝える沖縄ピースウォーキング会代表の垣花豊順さん(86)=那覇市=は政府の責任で司令部壕の崩落を防ぎ、「平和のとりで」にするよう求めており「首里城を見に来る人に知ってほしい」と訴えた。
■日本軍の拠点、沖縄戦で米軍の標的に
第32軍司令部壕は、日本軍が大本営直轄の沖縄守備隊として創設した第32軍の司令部として1944年12月に構築が始まった。南部に撤退する45年5月まで使われた日本軍の軍事的中心だった。
司令部壕は五つの坑道があり、内部には第32軍の牛島満司令官や長勇参謀長の「部屋」や将校室などがあった。国宝だった首里城の真下に築かれたため、沖縄戦で米軍の標的となり45年4月に焼け落ちた。一帯では日米両軍が激戦を繰り広げ、多くの住民の命や文化財が失われた。
首里城の園比屋武御嶽石門近くにある司令部壕の第1坑道入り口付近には説明板が設置されているが、県は2012年に説明板設置検討委員会がまとめた説明文から「慰安婦」の文言と日本軍による住民虐殺に関する記述を削除した。委員らが記述復活を求める声が上がるなど、曲折を経ている。
琉球新報社
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tar*****
壕の安全性を確保したうえで公開することは良いと思うが、首里城は先島諸島の人々にとっては「琉球文化の象徴」「戦争悲劇の象徴」であると同時に「琉球王府圧政の象徴」でもある。
様々な側面を持つ首里城のありのままを見せる方が良いのでは。 -
qq6*****
「沖縄県民かく戦えり。後世特別のご高配を賜らんことを」の訣別電報で有名な海軍司令部壕はきれいに整備されて大勢の観光客を集めていますよね。これは沖縄戦跡だけではなく激戦地となった太平洋の島々でもそうなのですが、陸軍の壕や施設よりも海軍のもののほうが立派なんです。というのは海軍のほうが予算が潤沢にあって鉄骨やセメントなどの資材を多く調達できたからだという話を聞いたことがあります。
この首里城地下の陸軍第三十二軍司令部壕もおそらく大半は岩盤むき出しのままだったのでしょう。崩落の危険性も当然高く十分な補強工事なしにはとても一般公開は難しいと思われます。 -
kab*****
地下壕は、絶対公開すべき️
沖縄で20万人の死傷者がどのようになったのか?
戦争とは?
日本人としては、絶対に行くべきで広島・長崎・沖縄・靖国は、必ず自分の目で判断するべき所。
どう判断するのは、自分で考えさせられる場所。
日本人の過去を考える場所は、必要だと思います。 -
may*****
東宝の映画「沖縄決戦」を子供の時に見た。確か長参謀長役は丹波哲郎、牛島司令官は三國連太郎だったか。仲代達也は、持久戦に徹するよう最後まで主張した参謀役だったと思う。長参謀長と牛島司令官が首里城の地下壕で割腹自殺する自決シーンは子供心に怖かった。また、取り残された重症兵が軍医に毒殺されるのも。悲劇の舞台として公開され、改めて平和について考えるのに賛成。
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なーべーらーやまーさむん
考古学の点から、豪は戦略的に破壊を受けた場所と言える可能性がある。沖縄では古来、洞穴などに遺体を安置する風葬であった。
各グスクには古より井戸や城主の秘密の通路、古代人が住んでいた場所や墓所があり、それらを利用して旧日本軍が塹壕を構築した豪が多々ある。首里城はもちろんの事、中城城の地下や糸数城の地下にも塹壕跡があり、元々の沖縄の聖域だった可能性がある。 -
ats*****
反日施設にするつもりならやめた方が良いよ? 観光では行かないから、日教組絡みの修学旅行と共産党員の慰安旅行しか来ない、、、そして彼らはリピートしない、、、それなら首里城を前回とは違う見る意味のある城にきちんと作るべきだと思う。 材木も塗料も無い国で作った城がどのような物かをきちんと再現すべき!!
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mas*****
八幡参謀の作戦を変えて長参謀長に押しきられ5月に総反撃に出たばかりに精鋭師団と重砲の半分を失ってしまった。それまで何とか戦線を保持していた沖縄の戦いの流れも変わってしまい、首里城や市街は廃墟になってしまった。これでは何も報われない。
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ライダイハン
米軍機が事故を起こした時
「徹底した原因究明と、原因が判明するまでの飛行停止を求める」
自分たちが火事を起こした時
「原因の特定は不可能なのでとりあえず再建を求める」
これを沖縄流ダブルスタンダードという。
再建ありきの報道は無責任だと思う。
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oya*****
こういうのはそのまま残すことに価値がある。下手に公開して台無しになった遺産がいくらあることか
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みんな仲良く
伯父さんが戦争に行って帰ってきたら若くしてハゲていて、余程怖い目にあったのだろうと笑い話みたいになっていたのだが、沖縄戦の生き残りだった事を知って何とも言えない気分になった事を思い出した。
日系人兵士の投稿呼びかけが無かったら死んでいたらしい。
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twq*****榛名
変な砦はいらない、今も収集されていないと言われる32軍の負傷者5000名の遺骨が有るのか、あれば収集し故郷に返してあげるべきではないか、硫黄島ではやっている首里でできないわけはない。
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sun*****
宜野湾市民ですが、首里城の再建に関して、周囲の声を聞くと、
「あんなもん昔は無かったし、最近できたものだから、そんなに急ぐこともない」という意見が多いことに気づきました。
「県民の心の支えだった」とか言うTVや新聞とはえらい温度差があります。
それよりも、首里城の地下壕の方が圧倒的に本物ではないでしょうか。大田実中将が自決した海軍壕公園と同様、歴史の真実を伝える場所としてふさわしいと思います。是非、一般公開していただきたいです。
コメント一覧 (3)
梯子を下ろされた韓国のザマを見ればわかるだろう