狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

何が実効支配だ!政府が尖閣上陸を拒否

2011-01-07 20:27:14 | 未分類

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【動画】あり⇒総務省、沖縄・石垣市が求めていた尖閣諸島への上陸を認めないことを決定  FNNニュース 01/07

尖閣問題で7日、あらためて政府の見解が示された。沖縄・石垣市が求めていた尖閣諸島への上陸について、総務省は、正式に上陸を認めないことを決めた。
東京都の石原知事は「(総務省が尖閣上陸を認めないと...)なんで認めないの? なんで認めないの?」と話した。
東京都の石原知事も驚いた政府による結論。
中国漁船の衝突事件をきっかけに、沖縄・石垣市が、固定資産税の額などを調べるため実地調査が必要として、国に許可を求めていた尖閣諸島への上陸。
7日、総務省の固定資産税課長の名で、「『平穏かつ安定的な維持および管理のため』という政府の賃借の目的を総合的に勘案した結果、上陸を認めないとの結論となった」との結論が示された。
その理由として、政府は、島の現状に変化がないことなどを挙げ、そのうえで、「強行的に上陸することがあれば、国内法に基づき判断する」とした。
この問題をめぐっては、およそ1カ月前の2010年12月10日、要請に対する国からの回答がないとして、仲間 均(ひとし)石垣市議らが、尖閣諸島の1つ、南小島に上陸した。
仲間市議らは、ビデオカメラで島の様子を撮影し、島に残っているかつお節工場の跡などを記録した。
仲間市議は、自ら撮影したビデオ映像の中で、「これは、南小島のかつお節工場跡だと。石積みの建築が、きれいに今でも残っております」と伝えていた。
今回、国が上陸を認めない結論を明らかにしたことについて、石垣市の中山義隆市長は「それに対しては、非常に残念で。それならば、国としてしっかりと、国の機関が上陸して、調査をしてもらいたいと」と述べた。
また石原都知事は、今後について、「市会議員と違ってね、国会議員っていうのは国政調査権があるんだから。尖閣問題に関心のある議員がね、超党派でチームを組んで、国政調査権の名目で尖閣に上陸して、自衛隊が駐留する可能性があるかないか、どういう整備が必要かっていうことを、ぜひ政府に申請して国政調査をしてほしい」と述べた。
今回の決定を受けて、石垣市の仲間市議は、「議員としてね、上陸をして調査をすることがですね、わたしは議員の務めと思っておりますから。これまで通りですね、従来通りですよ、わたしの信念は変わらないと」、「(最終的には、実効支配というか実績を積み上げていくことにつながっていくと?)そういうことです。政府はこれまで同様ですね、同じように上陸を認めないと言ってきたわけです。同じです、これはね。自民党時代からずっとこうきて、今、民主党に変わってるんですけど、民主党も、もっとひどいことを言ってきておりますけれどもね。わたしは、信念は変わりませんし、やっぱり実行しないと。そこの議員が、常に尖閣に行けること。これが実効支配だと、わたしは思っておりますからね」と語った。
(01/07 17:13)

                                                      ☆

尖閣問題が起きた直後、尖閣諸島を行政管轄区域とする石垣市議会は、尖閣への上陸による調査を政府に申請していた。 それに対する返事が無いのに痺れを切らしたのが12月10日の仲間均議員らによる上陸決行である。

約4ヶ月も回答を遅らした結果がこの文言とは驚いた。⇒「『平穏かつ安定的な維持および管理のため』という政府の賃借の目的を総合的に勘案した結果、上陸を認めないとの結論となった」

たったこれだけのことで四ヶ月もかかるとは、さすがはお役所仕事。 

上陸不許可の理由として、「島の現状に変化がない」ことなどを挙げているが、誰も近づかない島の情況をを総務省のお役人は一体どのようにして把握したのか。

中山石垣市長は「増えすぎたヤギが生態系を壊しているという話もあるし、衛星写真写真などでも植物の減少による崖崩れが確認できる」と指摘しているではないか。(沖縄タイムス8日付)

このように明らかに情況が変わっているなら、固定資産税課税の視察のために上陸するのは行政管理尾者としては当然の行為ではないのか。

政府は、「強行的に上陸することがあれば、国内法に基づき判断する」としているが、領海侵犯をした上故意に漁船を海保巡視船に衝突させ、損害を与えておきながら釈放された中国人船長も「国内法に基づいて判断した」結果なら、石垣市長や市議会議員が尖閣に上陸しても何ら国内法に触れることは無いのではないか。

もし国内法に触れるとしたら何という法律の第何条に違反するのか明示してほしいものであえる。

政府は尖閣は実効支配しているというが、自国の漁民はおろか管轄地域の市長や議員が視察もできない情況で実効支配というなら世界の物笑いである。

何が実効支配だ!

仲間議員の次の言葉に同意する。

「そこの議員が、常に尖閣に行けること。これが実効支配だ」

 

 

【おまけ】

石垣市議会で議決された「尖閣諸島開拓の日」の式典は1月14日午後1時半から市民会館で行われ、同条例の普及をはかる。

当日は講演会や「開拓の歴史と自然展(~6日)として写真や史料、学術調査資料も展示されるとのこと。

 

尖閣の日」で条例案 石垣市議会 与党議員ら提出へ

琉球新報 2010年12月11日               

 石垣市議会与党の保守系議員の間で、1月14日を「尖閣の日」(仮称)として条例で制定する動きがあることが10日、分かった。開会中の12月定例会に議員提案する。提案されれば賛成多数で可決される公算が高い。
 同日は1895年の閣議決定で尖閣諸島が日本領に編入された日。ただ、島根県議会が「竹島の日」を制定した際に韓国が抗議した経緯もあり、尖閣諸島の領有権を主張する中国や台湾の反発を招き、周辺の緊張を高める可能性もある。
 自民党県連の新垣哲司会長も10日、知事選の当選報告で11月末に谷垣禎一総裁と面談した際、「尖閣の日」制定に合わせた来県を要請したことを明らかにした。
 新垣会長は「民主党政権に尖閣問題への対応を要請したにもかかわらず、この1カ月間、何の解決策も示されなかった。県民、国民は今回の上陸を喜ばしいと歓迎している」と述べた。

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コメント (3)

続々・歴博「集団自決」展示文の変更の顛末 勝負はあった

2011-01-07 10:49:02 | ★集団自決

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歴博「軍命」あいまい 「集団自決」展示を刷新

琉球新報 2011年1月6日               
沖縄戦の展示替えで会見し基本的な考え方を話す歴博の(右から)平川南館長、安田常雄副館長、原山浩介助教=5日、千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館
 【千葉】国立歴史民俗博物館(歴博、千葉県佐倉市、平川南館長)で沖縄戦での「集団自決」(強制集団死)の解説文から日本軍関与の記述を削除した問題で、歴博は5日から刷新した内容の公開を始めた。「軍民一体化」など「集団自決」発生の背景要因を説明した上で「手りゅう弾の配布に示される軍人の指示」などがあったと、軍の関与を具体的な事例を挙げ説明。しかし「集団自決」が組織的な軍命令によるのか否かの言及は避け、住民が集団自決に「追い込まれた」との強制性の強い表現も記述から外れた。
 「集団自決」の項目は、1945年4月8日所収の歩兵第89連隊第5中隊陣中日誌の「布告」を並列展示した。米軍への恐怖をあおりつつ、投降を禁じ、民間人に兵士と同様の行動を求める「布告」は「集団自決」の軍関与の事実を補強する体裁となっている。このほか方言の談話をスパイ行為として処分する文書を示して、沖縄戦を前に軍の厳しい圧制下に置かれた特徴的な住民状況を読み取れる展示手法を取った。
 平川館長、展示責任者の安田常雄副館長、原山浩介助教が刷新に当たり同日会見した。軍命令の有無について歴博は「軍命という言葉には、大本営の命令から水準的に多様性があり、理解の幅を広げて誤解を招き、混乱を招きかねない」とする一方、「軍命令の明確な資料は見つかっていないが、証言資料集の中に表現されていると考えている」と説明した。「追い込まれた」など強制性のある表現が外れたことについては「強制性をトーンダウンさせたのではなく、当時の軍の存在は大きいということを踏まえ、状況を具体的に示した」と話した。

                                                        ☆

法廷外闘争は、左翼勢力のお得意の活動である。 2007年の「11万人集会」も政府への圧力という点では一定の効果を生んでいる。 さらに上告中の「集団自決訴訟」で「上告棄却」の圧力を加えるため、一昨年の段階で既に35万人の署名を最高裁に提出しているというから驚きである。

「上告棄却」35万人署名 「集団自決」訴訟 最高裁に提出へ

今回の歴博の書き換え騒動も、国立の研究機関に圧力を加え、「軍命(強制)はあった」と明記させるのが目的であった。 ところが、変更後の説明文の強制性がトーンダウンしたと怒り狂っているのが他ならぬ地元2紙だったとはとんだ大笑いである。 必殺のブーメランに頭を打撃され怒り狂うの図である。

裁判の判決や歴史の解明をプロ市民の圧力で思うとおりに操作しようという目論見は見事に外れ、逆に藪をつついて蛇を出した結果に終わった。これが筆者の感想である。

では、一体どんな蛇が出てきたのか。

展示変更について、平川館長、展示責任者の安田常雄副館長、原山浩介助教が行った記者会見での次の一言で充分大きな蛇ということができる。

「軍命令の明確な資料は見つかっていない・・・」。

それに歴博側が、軍命あるいは軍の強制の根拠にしている「手りゅう弾の配布」についても「善意の配布」を意味する証言だけであり、管理が疎かだった弾薬庫から住民が持ち出したという証言も多数ある。 いずれにせよ「手りゅう弾軍命説」は既に裁判でも論破され尽くし、賞味期限が切れた空論である。

では、やぶ蛇を悔しがる面々はどのように怒り狂っているか。

安仁屋政昭・沖国大名誉教授⇒「自ら死ぬという意味の『集団自決』ではなく、強制集団死と明確に記すべきだ」

被告側の支援団体「大江・岩波沖縄戦裁判支援連絡会」(大阪)の小牧薫事務局長⇒「長い時間をかけたのに、文科省や軍命令を認めない人たちに配慮しただけではないか」。

 

だ・か・ら・・・・ 「軍命令の明確な資料は見つかっていない・・・」といっているではないか。

歴博も左翼団体の圧力には一時はたじろいだが、「「軍命令の明確な資料は見つかっていない」のに「軍命令」や「軍の強制」とは書かなかったのは当然である。  それにしても左翼の圧力には歴博も随分悩まされたのだろう。 

軍命(強制)がダメで、関与もダメで「指示」ならOKってか?

指示って指で指し示すことでしょう?

これで「集団自決」する人がいるとはね~。

 

【おまけ】

集団自決の軍命論争は、既に勝負はついている。

勝負あった!集団自決論争

続・勝負あった!集団自決論争 9年前の宮平証言

続々・勝負あった!集団自決論争、澄江証言の衝撃!真実に脅える師弟、 

 

完・勝負あった!集団自決 「因果は巡る」

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コメント (8)

続・歴博「集団自決」展示文の変更の顛末

2011-01-07 07:27:36 | ★集団自決

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北海道は、沖縄から見れば北の大地だが、北極から見れば南の島であり、南国沖縄も南極から見れば北の島になる。

自分の立ち位置によって見方が違うのは、なにも地理的立ち位置による違いだけは無い。

今回の国立歴史博物館(以下歴博)の「集団自決」展示の説明文の変更も、立ち位置により考え方が大きく違う好例である。

現在「集団自決」を軍の命令や軍の強制で行ったという証拠・証言はない。 当然のことだが係争中の「集団自決訴訟」の一審、二審でも集団自決の原因としての「軍命あるいは強制」は立証でき無かった。 したがって大阪高裁の判決で、事実上梅沢、赤松(故人)両隊長の名誉回復は確定されたことになる。

2007年3月文科省検定意見により、教科書から「集団自決は軍の命令(強制)」という既述を削除された。 だが、同年9月の「11万人集会」などの左翼勢力の圧力で、政府は「軍の関与」なら認めると、「関与」というあいまいな言葉の使用に妥協点を見出した。

したがって歴博の改定前の展示説明も「軍命」や「強制」といった明確な文言を避けあいまいな表現になっていた。

歴博の「集団自決」をめぐる説明文の変遷を沖縄タイムス(6日)から引用する。(太字強調は引用者)

■原案

「集団自決」
沖縄戦の犠牲者のなかには、戦闘ばかりでなく、「自決」による死者も含まれている。米軍の上陸の後、住民たちのなかにはガマ(自然洞窟)のなかに非難した人々がいた。 そして、米軍からの登校呼びかけを前に、集団自決をはかった人々が数多くいた。 その背景には、住民への軍国主義教育や軍人からの指示や命令など、住民の意思決定を左右する戦時下のさまざまな要員があった。

   ↓

■2010年3月の一般公開時(改定前の説明文)

「戦場の民間人」
沖縄戦では、生活の場が戦場になった。とりわけ米軍の上陸後は、住居や村を追われて非難する人びとが多数おり、
ガマ(自然洞窟)のなかに逃げ込んだ人びとも多かった。 激しい戦闘で多くの」人びとが生命を落としたほか、犠牲者のなかには、戦闘ばかりでなく、「集団自決」に追い込まれた人びとも」いた。 

  ↓

「集団自決」
沖縄戦の犠牲者のなかには、戦闘ばかりでなく「集団自決」による)死者も含まれていた。米軍の上陸後、住民たちはガマ(自然洞窟)などに避難した。 そして投降を促す米軍の呼びかけを前に、「集団自決」を図った人びとが数多くいた。 その背景には、米軍に対する住民の恐怖心のほか、日本軍により軍民の一体化が推し進められるなかで米軍に投降すべきでないとの観念が一般にも浸透していたこと、そして手りゅう弾の配布に示される軍人の指示など、住民の意思決定を左右する沖縄戦特有のさまざまな要因があった。

                                                ☆

では、「軍命はあった」と主張する朝日新聞は今回の既述変更をどのように報じているか。

集団自決、軍の指示明記 強制は触れず 歴史民俗博物館

朝日新聞 2011年1月5日20時33分 
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 国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市、平川南館長)が常設展示している沖縄戦の「集団自決」について、説明文から旧日本軍の指示・命令の記述が削除された問題で、同館は5日から説明文を改め、「集団自決」の背景に手りゅう弾の配布といった「軍人の指示」を明記した。ただ、「命令」といった軍の強制には触れず、これまでの説明にあった「集団自決に追い込まれた人びともいた」との表現もなくなった。

 同館は昨年3月、常設展示室「現代」に沖縄戦のパネルコーナーを設置。説明文の原案では軍人の指示・命令に触れていたとされるが、「慎重な表現」を求める研究者らの意見もあって、「集団自決に追い込まれた人びともいた」との説明文で展示を始めた。これに沖縄県の市民団体などから多くの抗議が寄せられたため、昨夏には軍関与の記述を復活させる方針を固めて表現を検討してきた。

 展示替えされた「集団自決」の背景説明では「日本軍により軍民の一体化が推し進められるなかで米軍に投降すべきでないとの観念が一般にも浸透」「手りゅう弾の配布に示される軍人の指示」などと記述した。

 同館によると、「住民の戦力化」「軍・官・民共生共死の一体化」という沖縄戦特有の性格を示す資料を写真などで新たに展示。来館者用図書室には、閲覧できる証言資料を置いた。その上で、「軍の命令」を裏付ける資料類は得られなかったとし、精査した資料や証言から導くことができる範囲の記述にとどめざるを得なかったという。

 今回の再展示について会場を訪れた高嶋伸欣・琉球大名誉教授は「日本軍による強制という表現が入るどころか、『追い込まれた』の文言もなくなり、後退してしまった印象がある」と話した。

 同館は展示について来館者の意見を踏まえ、今後も改善を検討していくとしている。(米原範彦)

                                                                       ☆

「軍の指示明記」と「しながらも、「軍の命令」はおろか「軍の強制」さえ記述がないのが不満のようだし、高嶋伸欣・琉球大名誉教授の言葉を借りて「(変更後の説明が)後退してしまった」と報じている。

一方、「軍命や強制はなかった」と主張する産経はどうか。

国立歴史民俗博物館が偏向展示、沖縄戦集団自決「軍人の指示」明記 市民団体が圧力?
産経新聞 2011.1.5 23:36
 沖縄戦の集団自決に関する展示内容の見直しを進めていた国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)は5日、集団自決について「軍人の指示」があったとする見解をまとめ、公表した。展示は同日付で始まった。集団自決の背景に「軍の関与があった」という表現がないとして沖縄の市民団体などから抗議が相次いでいた。「関与」よりも一歩進んだ「指示」という表現で決着したことに識者からは批判が出そうだ。

 問題の展示は第6展示室の「大量殺戮(さつりく)の時代~沖縄戦と原爆投下」のコーナー。「犠牲者のなかには、戦闘ばかりでなく『集団自決』による死者が含まれていた」とし、集団自決の背景として「米軍に対する住民の恐怖心のほか、日本軍により軍民一体化が推し進められるなかで、米軍に投降すべきでないとの観念が一般にも浸透したこと、そして手りゅう弾の配布に示される軍人の指示など、住民の意思決定を左右する沖縄戦特有のさまざまな要因があった」などと記述した。同館ではこれまでは「激しい戦闘で多くの人びとが生命を落としたほか、犠牲者の中には戦闘ばかりでなく『集団自決』に追い込まれた人びともいた」と解説。これに沖縄の市民団体などが「集団自決が軍命令だったことは歴史的事実」と反発、「軍の関与」という表現を展示に盛り込むよう求めていた。

 同館は「軍人の指示」という表現について「不測の事態の際、自決を促す意図で配布されたという証言が膨大にあり、研究者間でもそう理解されている」と説明。「軍」「関与」ではなく「軍人」「指示」という表現を用いた点にも「明確に軍が自決を命令した資料は見つかっておらず、『関与』という言葉は不正確で誤解を招きやすい」などと述べた。

 新しい歴史教科書をつくる会の藤岡信勝会長は「軍が自決を命じたととられ、これでは偏向展示だ。私たちの調査では手(しゅ)榴(りゅう)弾(だん)配布は、むしろ住民側の要求と分かってきており自決を踏みとどまらせた例もある。史実として未確定の部分も多く公正な歴史記述とは言い難い」と批判している。(田中佐和)

                                                         ☆

たとえ軍人といえども他人に「指示」されただけで自決をするとは考えにくいが、「指示」の根拠が手りゅう弾の配布となっている点には異論がある。

そもそも手りゅう弾で集団自決した人はわずかな人数であり、座間味島の例では誤爆によるたった一名に過ぎず、ほとんどは鎌、鋤、鍬等の農具や殺鼠剤等による自決であった。

不測の事態の際、自決を促す意図で配布されたという証言が膨大にあり、研究者間でもそう理解されている」と説明。「軍」「関与」ではなく「軍人」「指示」という表現を用いた点にも「明確に軍が自決を命令した資料は見つかっておらず、『関与』という言葉は不正確で誤解を招きやすい」などと述べた。

農具で自決することが困難なことは皆承知のことなので、「不足の事態」には手りゅう弾で一思いに死ねたら楽だと当時の住民は考えていた。

したがって手りゅう弾の配布は「善意の関与」であり「自決命令」を意味する「悪意の関与」でないことは多くの詳言で明らかである。

隊長命令説を否定!沖縄タイムスが

つづく
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