狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

続・琉球新報の言論封殺!削除された「沖縄戦記」

2011-01-28 07:59:00 | ★パンドラの箱訴訟

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◆最初に「一フィート運動」を始めたのは上原氏である。

 沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会

 1フィート運動は、正式名称は「子どもたちにフィルムを通して沖縄戦を伝える会」といいます。
 ひとり1フィート(約100円分)のカンパで、アメリカの国立公文書館等に保存されている沖縄戦の記録フィルムをすべて買い取り、 戦争を知らない世代に、沖縄戦の実相を伝え、沖縄を、そして日本を世界平和の原点とする運動です。

 1983年12月8日結成以来、これまでに約11万フィートの記録フィルムを買い取り、それをもとに「沖縄戦−未来への証言」(1989年)、 「沖縄戦−未来への証言(普及版)」(1990年)、「ドキュメント沖縄戦」(1995年)の制作、記録フィルムの上映活動、 沖縄戦体験者の講師派遣活動、平和のシンポジウムなど、沖縄戦の体験を通して、沖縄から世界の人々に、平和の心を伝え、広げるため、 草の根の平和活動を続けています。

「一フィード運動」は、その後同運動に大田昌秀元知事や、新崎盛暉、安仁屋政昭、石原昌家等のサヨク学者が運営委員として加わり、運動がイデオロギー化していく。

創始者の上原氏は「一フィート運動」がイデオロギー化するのを嫌ったのか、組織を離れて独自の活動をするようになる。

皮肉にもその辺の事情を琉球新報の『紙面批評(2004年)』で久場由紀子氏は次のように記している。

 10日付朝刊社会面は、ドキュメンタリー作家・上原正稔さんが米公文書館で入手した沖縄戦の映像を紹介した。沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会は顔なしである。上原さんの行動と成果を見るにつけ、かつて1フィート事務局で手伝いをしたことのある私は「何だかなぁ」と思わざるを得ない。もともと1フィート運動は上原さんたちが始めたと聞く。であるならば、上原さんに1フィート運動の会に戻っていただいて再生を図るくらいのことをしてもいいのではないか。

                                         ◇

6年前の琉球新報の記事です。

OTVが特別賞受賞 FNSドキュメンタリー大賞  2005年12月17日      
 
沖縄テレビ放送の「むかし むかし この島で」(山里孫存ディレクター、2005年10月10日放送)が16日、第14回FNSドキュメンタリー大賞で、上位6作品に選ばれ、特別賞を受賞した。
 「むかし―」は、米国公文書館から沖縄戦に関する記録フィルムを取り寄せ、全県民に見てもらい映像の特定をすることで、沖縄戦の真実に迫ろうというドキュメンタリー作家、上原正稔さんの活動を取り上げたもの

 山里ディレクターは「戦後60年スペシャルで作った沖縄の60年前の映像と、今を結びつける作品が全国で評価されて素直にうれしい。取材を通して戦争が昔の話ではなく、今につながることを実感した」と話した。

 上原正稔さんの「沖縄戦の記録発掘」に対する姿勢がどのようなものかは、次の沖縄テレビ・サイトから垣間見ることが出来る。


第14回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品http://www.fujitv.co.jp/b_hp/fnsaward/14th/05-330.html
『むかし むかし この島で』
(沖縄テレビ制作)

<10月31日(月)2時50分~3時45分【10月30日(日)26時50分~27時45分】放送>  
 

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 沖縄という小さな島を襲った、あの激しい鉄の嵐から60年。「島の形が変わった」といわれたほどの地上戦が繰り広げられてから、長い年月が経過した今、この島には次々と、あの沖縄戦を記録したフィルム映像が届いている。
 当時のアメリカ軍には、100人を超えるカメラマンが同行し、沖縄で行われた戦争を詳細に記録していたのだ。
 「捕虜となった老夫婦」「井戸から救出される子供たち」「米軍司令官と話す美しい着物の女性」…
 60年前の映像に秘められたそれぞれの物語を解き明かそうと、調査が始まった。あの戦場にいた人々の記憶により、次々と命を吹き込まれていく沖縄戦記録フィルム。第14回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品『むかし むかし この島で』(沖縄テレビ制作)10月31日(月)2時50分~3時45分【10月30日(日)26時50分~27時45分】では、眠りから覚めた映像を通し、この島で起きた、あの「戦争」の「真実」に光を当てていく


「見どころ」
 アメリカ公文書館に保管されている、膨大な数の沖縄戦記録フィルムの存在は、20年以上前に話題となり、その映像は、部分的にコピーされ沖縄に届き、上映会が開かれるなどして、大きな反響を呼びました。
 当時届いた記録フィルムは、マスコミにも公開され、地元沖縄の新聞やテレビなどでも、度々使用されてきましたが、沖縄戦を記録した映像は、主に「戦争」という「悲惨」な記憶を表現する「手段」としてしか考えられてきませんでした。
 つまり、「戦闘シーン」を中心とした「反戦平和」を訴えるための限られたシーン、「つらく」「悲しい」映像ばかりが紹介されることが多かったのです。
 しかし、沖縄戦記録フィルムには、これまで世に出てこなかった「真実」が封印されていました。

 数千本にものぼるといわれる沖縄戦記録フィルムの検証を続けている作家・上原正稔さん(62)。上原さんは、独自のルートで、アメリカで眠っている「沖縄戦映像」を取り寄せる活動を続けています。「反戦平和なんてボクには関係ない!」と言い放つ彼は、沖縄戦記録フィルムに残されている「場所と、人物を特定したい」と沖縄各地を調査し、証言を集めてきました。

 上原さんはこう言います。

 「大切なことは、沖縄戦を撮影したフィルムに、無数の沖縄住民の姿が映っているということだ。ボクは、フィルムの中の『主人公』たちに、この映像を届けたいんだ!」

 そう、沖縄戦を記録した映像の中には、悲惨な戦闘シーンだけではなく、生き残った沖縄の人々の、驚くほどの「笑顔」が残されていたのです。

 上原さんの強い想いに共感した、番組スタッフは、一緒に「沖縄戦フィルム」に関する調査を開始しました。

 1年半にわたり、沖縄各地で開いた上映会と、そこで得られた証言、そして、人々の記憶と映像とを照らし合わせた結果、フィルムに閉じこめられていた数々の「物語」が、明らかになっていきました。

「せがまれて家族を殺した祖父」(★※)
「初めてアメリカの捕虜となった老夫婦」
「幻の収容所シモバル」
「井戸から救出されたこども達」
「600人もの命を救った美しい着物姿の女性」

 映像を通して、60年前の自分と対面した人や、懐かしい家族と再会した人々は、堰(せき)を切ったように、長い間、胸の中に封じ込めてきた想いを語り始め、フィルムに封印されていた真実の物語は解き放たれていったのです。

 

<担当コメント>沖縄テレビ報道部・山里孫存
 番組制作のきっかけは、「上原正稔」という、超個性的な人物との出会いでした。沖縄戦の研究に、鬼気迫る執念を持って取り組みながら、「反戦平和なんて関係ない!」と言い放つ上原さんという人間に、惹きつけられました。
 そして、「沖縄戦」と向き合ううちに、僕自身が、60年前の「映像」にハマってしまいました。はじめは「つらい思いをした当事者たちに、この映像を見せていいのか?」と、ちょっと腰が引けながら恐る恐る上映会を開き、調査を行っていたのですが、僕の心配をよそに、どの場所にいっても、「ありがとうね」という感謝の言葉が返ってきました。
 戦争を追いかける取材をして、こんなに清々しい気持ちになれるとは、考えてもいませんでした。
 60年という長い時間が経ってしまった今だからこそ、作ることができた番組なのかなと思っています。
 これまでの「戦争もの」とは、全く違うイメージの番組だと思うので、ぜひご覧になって下さい。


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<スタッフ>
語り : 平良とみ
 
プロデューサー : 船越龍二(沖縄テレビ)
ディレクター : 山里孫存(沖縄テレビ)
撮影・編集 : 赤嶺一史(沖縄テレビ)
ナレーター : 本橋亜希子(沖縄テレビ

 

【付記】
 
上記(★※)は、集団自決が「軍の命令や強制ではなかった」ことを示す貴重なドキュメントである。

このドキュメンタリーが放映された2006年頃は、沖縄のテレビもまだまともであった。

 だが、翌年の教科書検定意見以来、沖縄のマスコミは一丸となって狂ったように歴史捏造へとまい進して行くことになる。その象徴的出来事が2007年9月29日の「11万人集会」である。

 

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コメント (2)

琉球新報の言論封殺!削除された「沖縄戦記」

2011-01-28 07:47:35 | ★パンドラの箱訴訟

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2007年6月、上原正稔さんの長期連載中の「沖縄戦記」が琉球新報によって突然中止させられた。

以下はその直後のエントリー琉球新報によって削除された「沖縄戦記」を一部加筆したものです。

 

やはり琉球新報は昨日の夕刊でも、上原さんの連載記事を「削除」したようだ。  

読者には一言の「ことわり」も無く。

ブログなどでも自分の意見と違うコメントに反論できず、断り無く「削除」すると読者の批判を浴びたりする。

琉球新報は報道機関としてのプライドをかなぐり捨て、連載中の記事を「削除」するという禁じ手を使ったことになる。

自分の意見と異なるという非常に分りやすい理由で。

 

沖縄の言論空間は、愈々異様な様相を呈してきたようだ。

サヨクの方々が常用する「戦前のような言論弾圧」がメディア主導で今正に沖縄で行われている。

巷では「新しい歴史を作る会」に属していたことがあるという理由だけで、講演会の講師を下ろされる言論弾圧のようなことが平気で行われている。

「つくる会」元副会長講演 県P連が後援中止  

一方、“新聞の意見” におもねる講演会は次のように嬉嬉として報道されている。

「記述復活目指したい」 教科書執筆者が講演 (6/20 9:50)

                     

「一フィート運動」の創始者でドキュメンタリー作家の上原正稔さんの琉球新報連載特集「「パンドラの箱と開ける時 沖縄戦の記録」が読者に何の説明も無く突然中止された。

昨日から始まる第二話のテーマは「慶良間島で何が起こったか」の予定だった。

今県内では地元メディアを中心に「市民団体」が県内各議会に「教科書検定意見書撤回」の議決を求めて大運動を展開している。

それに水を差しかねない上原さんの記事は、読者に何の説明も無く中止させられるのが、沖縄の言論空間の実体なのだ。

この新聞は読者の「知る権利」には関知しないようだ。

沖縄には言論の自由もない。

「物言えばくちびるさむし・・・」

これは、琉球新報ビル内に事務所を構える産経新聞・那覇支局庁小山さんが自分のブログで、

思わず漏らした言葉。「パンドラ」はこのまま封印されるのか?

                     *

上原さんは、独自のルートで、アメリカで眠っている「沖縄戦映像」を取り寄せる活動を続けている。

沖縄戦記録フィルムに残されている「場所と、人物を特定したい」と沖縄各地を調査し、証言を集めてきた。

 

                   ◇

上原さんは従来の沖縄戦の研究者のように、戦争の持つ影の部分のみを捉えて無理やりイデオロギー問題に摩り替える手法をとらない。

上原さんは、当初は『鉄の暴風』等によって沖縄のマスコミがつくりあげた虚偽の神話に対する怒りを隠さない多くの集団自決当事者たちの証言に出会い、ようやく沖縄戦の真実に気がついた

そして、「われわれが真相を知ることが『人間の尊厳』を取り戻す、すなわち『おとな』になることだと信じる」と断ったうえで、

筆者も長い間『赤松は赤鬼だ』との先入観を拭いさることができなかったが、現地調査をして初めて人間の真実を知ることができた。」と告白している。

彼は言う。

「反戦平和なんてボクには関係ない!」

「右も左も関係ない!」

「大切なことは、沖縄戦を撮影したフィルムに、無数の沖縄住民の姿が映っているということだ。ボクは、フィルムの中の『主人公』たちに、この映像を届けたいんだ!」

そう、沖縄戦を記録した映像の中には、悲惨な戦闘シーンだけではなく、生き残った沖縄の人々の、驚くほどの「笑顔」が残されていた。

そして彼はフィルムに封印されていた沖縄戦の真実の物語を追求している異色の沖縄戦研究家でもある。

 つづく

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