狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

続・勝負あった!集団自決論争 9年前の宮平証言

2010-07-07 07:01:42 | ★集団自決
 

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■宮平さんは、9年前にも証言していた!■

これまで地元メディアが完全に黙殺していたため、「宮平証言」は2008年の「発掘当時」は全くの新証言とされた。(二年連続で地元の知識人である星雅彦氏と上原正稔氏が『うらそえ文藝』で地元二紙の捏造体質を厳しく糾弾したにもかかわらず、地元メディアが沈黙を守り続けているのと全く同じ構図である。)

だが、実はその7年前の2001年6月、宮平秀幸さんは毎日新聞備後版の特集記事の取材に応じていた。 

今から9年前、宮平さんは後の「宮平証言」と寸分違わぬ証言をしていたのだ。 「集団自決訴訟」が提訴される4年まえなので、その当時は左翼ネットワークの「危険人物・宮平秀幸」への警戒心も今ほど厳しくなかったのだろうか。

だが、「宮平証言」は毎日新聞という全国紙ではあるが、備後版(広島地方)という地方版に掲載されていたため、大方の注目を浴びることはなかった。

その特集記事がこれである。

 WEB第135回
http://www.bes.ne.jp/forum/bingoohrai/robouta/old/135/index.html

毎日新聞・備後版 2001.6.28

上陸前夜」~ 自決の手助けを頼む

 

忠魂碑前広場
集団自決の場とした忠魂碑前広場

 山々を焦がす猛炎、家々を焼き尽くす業火、耳膜を破る炸裂音、地軸をゆるがす爆発、なぎ倒す爆風、なぎ払う灼熱の破片、着弾予測不能の恐怖・・・。「艦砲射撃ほど恐ろしいものはない」とは旧海軍で聞いた体験談だが、80隻余りの艦船が間断なく打ち込む砲弾の下でなすすべもない光景は、生々しい臨場感を伴って僕の脳裏に展開する。
 3月25日早朝から座間味島は戦争のもっとも苛烈なルツボに投げ込まれた。
 戦争という悲劇のクライマックスの幕が一挙に開いたのだ。夜9時頃、本部壕前で梅沢少佐と村長らの話を聞いた。村長らは『軍の足手まといや捕虜になるより住民一同自決したい。爆弾か手榴弾を』と要求したが、『弾丸一発でも敵を倒すためにある。住民に渡すことはできぬ』と梅沢少佐はきっぱり断った。
 「僕は少佐らの近くに居た」と宮平さん。軍命令のよる住民集団惨死ではなかったとの証言である。
 夜中近く、「忠魂碑前の広場で自決するので集合」と役場から各避難壕に通報。だが集合は少なく、集まった人々も砲弾飛来で逃げ散ったという。死装束として晴れ着を着た住民たちもいたが、「殺される事」への本能的恐怖心が強かったのだろう。
 この通報は座間味集落のみで阿真、阿佐の集落へは届いていない。宮平さんが家族を連れて整備中隊壕へ向かったのは26日未明。自決の手助けを頼むためであった。   
                
               
 写真~集団自決の場とした忠魂碑前広場
                                                      

毎日新聞 2001.6.28



                          ◇

宮城晴美著『母の遺したもの』によると、梅澤隊長と村の幹部達の弾薬支給を巡る談判のシーンで、梅澤隊長は「とにかく今夜はお引き取りください」と言って一行を追い返しはしたが、「自決はするな」とは言っていないことになっている。

その後住民たちが次々と自決したことを考えた被告側は、梅澤隊長には自決を止めなかった不作為の責任がある、という理不尽な主張をするに至る。 

宮城晴美氏などは、その場(本部壕前の談判)では、自決命令は下してなくとも別の機会に命令していた可能性がある、と単なる推測で「隊長が軍命」と主張する有様である。

これでは議論も何もあったものではない。

「宮平証言」によると梅澤隊長は、『弾丸一発でも敵を倒すためにある。住民に渡すことはできぬ』と、自決を明確に否定しているではないか。

上記毎日記事に見るように2001年から2008年と、宮平さんの証言の間に7年の歳月が経過しているが、このように終始首尾一貫した証言をする宮平さんを「嘘つき秀幸」にするため、「軍命あり派」の面々は、ある策略を弄することになる。

村当局は、『座間味村史』の編纂・執筆を宮城晴美氏に委託し、母貞子さんの証言を改竄したのである。(『渡嘉敷村史』は宮城晴美氏の恩師である左翼学者安仁屋政昭沖国大名誉教授が監修している)

そして2009年藤岡教授が「宮平証言」を大阪高裁に証拠として提出すると知るや、かねて準備していた『座間味村史』に採録された宮平さんの実母貞子さんの「改竄された証言」を大阪高裁に提出した。

これによって大阪高裁の裁判官は大きな過ちを犯すことになる。

つまり大阪高裁の小田裁判長は「宮平証言」は虚言で、「貞子証言」は信頼に足ると判断したのである。

そして今回の「大城澄江証言」が、「貞子証言」は村当局と宮城晴美氏により捏造された虚偽証言であり、「宮平証言」が首尾一貫して真実を語っていることを見事に裏付けたのである。

つづく

 

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所

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