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完結編!アイヌに乗っ取られた慰霊塔 イヨマンテの夜と魔女の洞窟
南の島にある小さな戦没者慰霊の塔を巡る北と南の本家争い・・・関係ない読者にとっては興味のもてないと思われる話題を二日に渡ってエントリーした。
昨日の続編で終わりにしようと思ったのだが、予測に反してアクセスが多くコメントも頂いたので、しつこく本日も「南北の塔」についてのエントリーです。
この話題を書くにあたり、「南北の塔」に関わった北海道の方々を「アイヌ人」と一くくりで書くことに抵抗は感じた。
だが、「沖縄で反戦平和」を叫ぶ人々のことをマスコミは一くくりで「沖縄人」と書いている。 一くくりにされても困る沖縄人が多数いても、マスコミは馬耳東風である。
「南北の塔」の北海道の関係者もそれに対応して敢えて「アイヌ人」と書かしてもらった。
因みに知人の沖縄在住20年の元北海道民に「南北の塔」について聞いてみたら、「南北の塔」はおろか、アイヌ人との逸話も聞いたことがないという。
「真栄平区民が建立した慰霊塔にアイヌ人が寄付をして、それが縁で毎年アイヌの慰霊祭が行われる」
これだけの話だったら、「イチャリバ(行き会えば)チョーデー(兄弟)」で、
北と南の心温まる交流の話題でこれに異論を挟むものはいなかったはずだ。
ところがこの話に「左翼」という接着剤が関わってくると「在日」や「」といった団体が金魚の糞のようにくっついてくる。
当然のように沖縄マスコミが針小棒大に騒ぎ立てるといういつものパターンである。
このように「南北の塔」の建立者である真栄区民にとって迷惑なことがまかり通っている原因は、間違いだらけの出版物やマスコミの一方的な報道にある。
糸満市が発行した「糸満市における沖縄戦の体験記集」(平成8年発行)に記載の「南北の塔を考える会」の手記を続けて引用しよう。
手記ではデタラメな記述の本やマスコミ報道の例を次のように列記している。
≪・真栄平に「わしは南北の塔をたてました。」
・これは、まぎれもなく、アイヌの建てた塔です。
・アイヌの人が建てた塔がある。
・南北の塔を建てたのは、アイヌの下級兵士と住民です。
・住民と相談して慰霊の塔をつくることにした。
・アイヌの墓がある。
・アイヌ兵士39柱を合祀した。
・塔名も、ごく自然に南北の塔にしたのです。
このような表現が、国民や県民、市民の誤解をまねいている。しかし、事実は、塔の建築中に、T氏(アイヌ人)が世話になった真栄平出身のK氏を通じて寄付の申し込みがあった。そこで塔碑をつくることになり、役員会で塔名を決定し、K氏の紹介である石材店に発注することになった。 そこで石材店に寄付申込者のK氏を呼んで「費用の件で200ドル以上かかるがよいか」と再確認して了解を得た。 その場でT氏から「私のきぼうだが、キムンウタリと関係者の氏名を刻んでくれないか」との要望があり刻名することに決定した。 これが真実である。
したがって、本にあるようなことは、誰かが作り出したものである。 寄付を受けるまでは役員の誰一人としてT氏を知らなかったし、会ったこともない。
従って、「すすめて建てさせた」、「名前も自然にきまった」などありえない話である。 南北の塔はマスコミや関係図書の中ではアイヌ中心に書かれたり、報道されたりするので、市民権はアイヌにあるように思われている。 このままでは、戦争体験者が語れなくなる頃には、籍はアイヌに移ってしまうおそれがあり、今、区民がその解決に向けて立ち上がっている。≫
◇
南北の塔の所有・管理について真栄平区民がこだわるのには訳がある。
沖縄戦で多くの身元不明の遺骨が魂魄の塔に葬られたが、真栄平区民にも多くの身元の確認できない戦没者がでた。
自分の墓に埋葬することの出来ない身元不明の区民の遺骨が南北の塔に祀られている。 真栄平区民は墓参のとき「南北の塔」に向かってウタンカー(遥拝)をして身近な人は線香をあげて供養をしている。 自分の先祖の遺骨を祀る南北の塔を他人に任すことは出来ないという心情が、真栄平区民が南北の塔にこだわる理由である。
マスコミの歪曲報道により、南北の塔が「アイヌ化」されていくのを憂い、「南北の塔を考える会」の手記は次のように結んでいる。
≪これを解決するには、公の記録として残し、民間資料にあるアイヌ中心の記事を訂正することである。 子々孫々に、南北の塔はまぎれもなく真栄平の塔であると語りつぐために筆を取りました。 市民の、ご理解、ご協力をお願いします。≫
◇
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【おまけ】
「まよなかしんや」といい「喜屋武マリー 」といい、売れなくなった沖縄歌手は左翼の支援でなんとか生き延びようとする。
≪今回の沖縄行では、恨之碑沖縄建立、南北の塔(イチャルパ)、アイヌ・沖縄・コリア
在日コリアなど、有意義な交流ができました。
関係者のみなさま、ありがとうございました。≫(談話室(BBS))
「恨之碑」や「慰安婦の碑」と同じように「南北の碑」も沖縄左翼のシンボルとなりつつある。
「慰安婦の碑」建立へ 宮古島を反日の島へ!
朝鮮軍夫 「恨之碑」
【おまけ】2
左翼が接着剤になると、沖縄とアイヌに、ヒロシマ.がくっ付いてしまう⇒北と南で連携の波動/52年目の出発(7月17日)
【おまけ】3
筆者が初めてアイヌ人を意識したのは小学四年ごろ少年雑誌・少年クラブに連載されていた北海道を舞台にした冒険小説「魔女の洞窟」(久米元一)によってである。 勿論筋書きは覚えていないが登場人物にアイヌ人が登場し、ピリカメノコやコタン、イヨマンテといったアイヌの単語を知り、マリモや雄阿寒、雌阿寒といった地名も知りほのかに北海道の大地に憧れを持った。
それから7年か8年後の大学の2年の頃、北海道旅行への憧れは、函館出身の友人とリュックを背負って北海道の無宿旅行により実現した。
無宿旅行というのは、テント、食料持参で旅館、ホテルには泊まらず野宿をするという意味。 洞爺湖湖畔にテントを張ったり、十勝岳頂上でテント泊したことも懐かしい想い出。
伊藤久男が歌うイヨマンテの夜 は好きな歌の一つだが、南北の塔の前でこれを歌われたら、静かに先祖を供養したい真栄平区民にとって迷惑な話かも知れない。
伊藤久男の朗々とした声が聞けます⇒イヨマンテの夜
「魔女の洞窟」 久米元一 昭和28年 ポプラ社
「湯島博士の娘あや子の首にかけた
アイヌ人形の秘密をめぐり、
恐るべき北斗星団の一味の暗躍!
莫大な洞窟の砂金をめぐる
息づまる大冒険!」
……と、あらすじにはあるが、
またしても内容が思い出せない。
大学の図書館で「日本の作家一覧」とかいう
本を読んでいたら、ちゃんとこの
久米元一先生の欄もあって、
「『魔女の洞窟』が内容、構成共に優れている」
と書いてあった。
とにかく、本書は砂金をめぐる話らしい。
私もウソタン川で砂金を採ったことがある。
半日かかって、耳掻き一杯分ほどしか採れなかった≫