狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

集団自決:沖縄タイムスの末期症状

2010-06-27 07:09:21 | ★集団自決

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沖縄タイムス 2010-06-24

戦禍語る 平和紡ぐ 力の限り二人三脚 糸満市・久保田さん母子
人が人でなくなる/歴史わい曲許さず

 多くの県民の命を奪い、そして運命を変えた沖縄戦から65年。戦争体験者が減り続ける中で、戦争の悲惨さを将来の世代へ伝える営みは続く。一方で、変わらぬ沖縄の過重な米軍基地の負担。「戦争が完全に終わったとはいえない」現実が横たわる。戦禍をくぐり抜けてきた人たちの願いが、実現する日はいつなのか。各地の慰霊碑には多くの人が足を運び、平和への誓いを新たにした。

 23日正午に合わせ、久保田千代子さん(88)=糸満市米須=は自宅の外で両手を重ねた。大病を患い慰霊の日の式典に出席しなくなってから、摩文仁の平和祈念公園の方向に黙祷(もくとう)をささげるのが決めごとだ。次男の曉(さとる)さん(65)と一緒に公民館や小学校に出向き、戦争体験を語りだして2年余り。「体が続く限り、証言したい」との思いをあらためてかみしめた。

 千代子さんが摩文仁国民学校の教員だった時、沖縄戦は始まった。生後3カ月の曉さんをあやしながら必死の避難。背中におぶっていた長男衛さん(当時2歳)は砲弾を受けて即死した。涙は出なかった。

 「人が人でなくなる。それが戦争」

 米須の壕で身を潜めていたある日、国民学校の教頭がやって来た。目当ては千代子さんが預かっていた学校保管の教育勅語。「命より大事なもの」として尊ばれた勅語の行方を案じ、避難先の本島北部から激戦の中に飛び込んできたのだ。教頭は戦死した。「戻って来なければ…」。皇民化教育が多くの命を奪った。

 あの時代を思い出すだけで眠れなくなる。千代子さんは小学校で約40年、教壇に立ったが、教え子たちに戦争の記憶をさらけ出すことはなかった。

 だが2007年、「集団自決(強制集団死)」の記述から軍強制が削除された教科書検定問題をきっかけに「今、語らなければ歴史をねじ曲げられる」と奮い立つ。

 公民館で、小学校で、保育所で。千代子さんが体験談を話し、曉さんが戦争の絵本を読み聞かせる。親子二人三脚の語り部活動に一歩を踏みだした。

 失意のどん底にあった敗戦直後。本島中部の石川にあった捕虜収容所で、日々成長する曉さんは希望の星だった。「この子には平穏な世の中を」と千代子さんは誓った。

 足腰は弱っても、気力は衰えない。「夜寝る前、いまだに軍歌を聞いて口ずさむことがある。沖縄戦が青春そのものだった悲劇を、若い人にも知ってほしい」

                        ◇

■皇民化教育⇒軍命説の破綻■

戦争の体験を語り継ぐことは重要なことである。 

だが上記記事が、慰霊の日の翌日社会面トップで飾り、親子二代の証言として写真入で大きく紹介されるほどの重要証言なのか。 

沖縄戦証言集でもあればその半ページでも割いて記録すれば済む程度の証言ではないのか。 

どうやらタイムス記者は、教育勅語を回収に来た教頭が爆撃で戦死したことを捉え、皇民化教育と集団自決の原因を強引に結び付ける魂胆のようだが、一方では皇民化教育の象徴を「戦陣訓」にして見たり、この場合には教育勅語に皇民化教育の象徴を見出そうとしているが、論理が破綻しているのはお気の毒だ。

証言者の久保田さん親子が戦争を体験した糸満市米須は、教科書の集団自決とは関係ない地域であり、久保田さんの《「集団自決(強制集団死)」の記述から軍強制が削除された教科書検定問題をきっかけに「今、語らなければ歴史をねじ曲げられる」》、という発言は事情を知らない読者にとっては、久保田さんが慶良間の集団自決の重要証人であるかのような誤解を与えかねない。

「戦陣訓軍命説」の破綻については次のエントリーに詳しい。

戦陣訓軍命説の神話

続・戦陣訓の神話

戦陣訓の神話完結編、軍人勅諭を全文暗記した沖縄人

役所や学校の緊急持ち出し書類に関しては、座間味村役所に勤務の宮城初枝さんの証言にもあるように、米軍上陸に供えて土地台帳を持ち出したというから、緊急の場合持ち出したものに特別の意味はないものであり、教頭が教育勅語を取りに来て爆死したからといって皇民化教育の証拠に決め付けるのには無理がある。

長年、皇民化教育の象徴にされていた「戦陣訓」が戦後ルバング島から奇跡の帰還をした横井庄一さんの帰国以来、後付けで流行した言葉であることが分かり、最近では、「軍命あり派」の林博史関東学院大学教授でさえも、集団自決は「皇民化教育」の影響は限定的であり、必ずしも集団自決の主たる原因ではないと作戦変更を余儀なくされている。

その後、地域社会の構造に着目して階層による人々の意識の違いを分析し、さらに「集団自決」が起きなかった島や地域と比較して皇民化教育の影響は限定的であり、日本軍の強制と誘導こそが決定的であるという主張が『沖縄戦と民衆』においてなされた》(林博史関東学院大学教授 「日本軍強制の証拠発掘」沖縄タイムス 2010年6月22日)

今頃になって前言撤回をして「戦陣訓」などの皇民化教育が集団自決の主たる原因とでないとは、この学者先生、一体今まで何を寝ぼけていたのか。

皇民化教育が行われたのは何も渡嘉敷、座間味両村に限って行われたわけではなく、当時の沖縄本島の他地域も、また日本全国であまねく行われていたわけであり、皇民化教育に集団自決の原因を求める論は遅かれ早かれ破綻するのは時間の問題であった。

■根拠のまるで無い軍命説■

しかし前言を翻してもその原因を「日本軍の強制と誘導こそが決定的」とは、随分と乱暴な断定ではないか。

集団自決における「軍の命令(強制)の有無」を論争するのに、何の根拠も示さずに「軍の命令と誘導が決定的」では、議論も何もあったものではない。

これではヤクザが「○○が決定的だと言えば決まりだ!」と理屈省略で恐喝するに等しい論法ではないか。

前述の6月22日付け沖縄タイムスの「日本軍強制の証拠発掘」と題する林博史教授の論文の何処を読んでも「日本軍強制の証拠」は記されておらず、結語部分にも論証の一欠けらも見出すことは出来ない。

論証明確に

07年以来の調査研究の進展によって「集団自決」についての解明は大きく進んだ。 隊長命令が重要なポイントではなく、日本軍が強制と誘導によって住民に死を強いていったことが一層明確になった。 もちろん細部についてはもっと詰めなければならない点もあるが、地域社会の構造とその中での人々の意識と行動を丁重に読み解き、かつ沖縄だけでなく日本軍がかかわった他地域の状況も視野に入れた研究が求められている。
また集団自決という呼称についての議論もあるが、ある用語を使うだけで非難するのではなく、具体的な分析を通して建設的な意見をおこなう必要がある
》(「日本軍強制の証拠発掘」林博史関東学院大学教授 2010年6月22日付け沖縄タイムス)

林教授の論文の「論証明確に」と題する結語部分を見ても、日本軍強制の証拠を例挙するどころか、大阪高裁で隊長命令が事実上否定されたのを受けて、先ず「隊長命令が重要なポイントではなく」と論点をずらし、

次に「日本軍が強制と誘導によって住民に死を強いていったことが一層明確になった」と、何の根拠も示さず断定している。 

ヤクザの恫喝と前に述べたが、最近のヤクザ屋さんは林教授のような根拠なしの断定はしないであろうから、ここでヤクザ屋さんに失礼を詫びておかなければならない。

また論点を慶良間島集団自決の「隊長命令の有無」から外して、「沖縄だけでなく日本軍がかかわった他地域の状況も視野に入れた研究が求められている」と範囲を広げているのは、「軍構造軍命説」に対して当初から指摘されていたことであり、日本軍の構造的問題は何も渡嘉敷、座間味両村にのみ限ったことではなく、日本全国他の地域でも当てはまることが再三言われていた。

だとしたら「皇民化教育軍命説」と同じように「軍構造軍命説」も遅かれ早かれ破綻する運命にある。

「隊長軍命説」を大阪高裁が否定して以来、「軍命あり派」の論理は羅針盤の無いまま大海に放り出されたドロ舟のようなもので沈没するのは時間の問題である。

因みにこの林教授の論文は沖縄タイムスの連載特集「沖縄本ナビゲーション」のシリーズ⑳の「集団自決」編であり、

林教授が選んだ《「集団自決」を学ぶための10冊》と称して10冊の本が紹介されているが、ご本人の林博史教授を含む、安仁屋政昭沖国大名誉教授、金城重明氏、宮城晴美氏、謝花直美沖縄タイムス記者、大城将保氏、等々といずれも「軍命あり派」の応援団の著作ばかりを並べて紹介している。

興味深いことに、これらの著者達は「集団自決訴訟」が提訴されるやいずれも自論を翻し「転向した」恥を知らないお方ばかりである。

それどころか、論文を書いた林教授などは「皇民化軍命説」「ジェンダー説」と次々とコジツケ軍命論が破綻する一方で「大城澄江証言」のような決定的証言の出現で、すっかり戦意を失って論文の結語部分では再度の「転向者」になりかねない気配を感じるの筆者だけだろうか。

「隊長命令が重要なポイントではなく、日本軍が強制と誘導によって住民に死を強いていったことが一層明確になった。」

この根拠も示さぬ結語部分に学者としての矜持はあるのか。

筆者には、自暴自棄で白旗を揚げたとしか見て取れないが。

 

【おまけ】

今回の関西、東京の旅の目的はいくつかあったが、初日、二日の関西と三日、四日を、いきなり飛び越えて五日目。

目的は、東京のミッドタウンを訪問することであった。

当初、娘の勤務場所を聞いて、ミッドタウンに本社があると聞き、東京郊外のどこかの団地「○○タウン」にでも事務所があるのかと思ったが、今やミッドタウンは東京は六本木でも有数の賑やかな場所だという。 

二昔も三昔も前の「昭和の東京」は知っているつもりでいたが、それでも当時でさえも六本木といえば芸能人が縄張りにする小シャレタ街で沖縄出身の筆者にとっては縁遠い存在であった。

当時は地下鉄六本木駅の近くに「アマンド」という喫茶店があるのと、明治屋という外国品の豊富なスパーがある程度しかあの界隈は知らなかったし、悲しいかな六本木で飲み食いした記憶は筆者には無い。

さらに時は下って、平成のIT時代の六本木といえばIT長者の棲息する場所。

そう、筆者にとっての六本木とは、ホリエモンを筆頭にしたIT長者の若者達が事務所や居を構える六本木ヒルズを、テレビのワイドショーを通して垣間見る程度であった。

それが今度は六本木ヒルズに取って代わって、今やミッドタウンが六本木の中心だと来た。

ついていけるはずはないだろう! 

それでも冥土の土産にと、そのミッドタウンとやらでメシでも喰おうかと娘に言ったら、目の玉の飛び出るような場所でメシを食したら体に良くないので冥土がより近くなる、とのアドバイスを受けた。 

仕方なく娘には内緒でランチを食いにミッドタウンとやらの食堂街に忍んで行くことにした。 

大枚二千円も払えば、いくらミッドタウンといえどもランチくらいなら何とか食えるだろう。 重大決意の下、地下鉄で六本木に向かった。

ミッドタウンでの食事にこだわるのには、他にも理由もあった。

堺正章さん経営の「もとぶ牛の焼肉店 An grill」がミッドタウンにあり、出来れば食事をしてみたかったから。

そう、「もとぶ牛」とは沖縄産和牛牛であり、筆者の婿殿のカウボーイ君が勤務する「もとぶ牧場」で育ったあのブランド牛である。

それが六本木に進出しているのだ。

六本木、ミッドタウン、ブランド和牛、堺正章プロディュースの店と並ぶと、大枚2千円で間に合うかどうか気になるところだが、

最悪の場合は店を覗くだけに止めて、堺さんの店は素通りし近くの吉野家にでも行って、牛は牛でも牛丼大盛り汁ダク、味噌汁お新香付きで千円もあれば釣りが来る。 

同じ牛でも一方は筆者の婿のカウボーイ君が勤務するあの牧場のブランド牛である。 これも本人に言ったらつまらんことをしてもとぶ牛の信用を落としては困ると止められると思い、これも婿には内緒の隠密行動である。

六本木くんだりまでノコノコ出かけて行って何を仕出かして信用を落とすのかって?

食うだけ食ってカネが足りなくて六本木交番あたりに突き出されるとか。

それとも筆者が靴擦れで足が腫れサンダル履きなので、腫れた足の爪と、もとぶ牛の香りに涎を垂らす筆者の姿を店員さんに口蹄疫と見咎められ、店外につまみ出されるとか・・・。

前置きが長くなったが、「もとぶ牛の焼肉店 An gril」は、実際はミッドタウンのビルには入っておらず、ミッドタウンの右手の道に面した場所にあり、週替わりランチが1000円なので門前払いされることなく、六本木のランチを食する目的を無事達することが出来た。 勿論口蹄疫に間違われてつまみ出されることもなかった。

なおその日の週替わりランチは焼肉ビビンバにワカメスープ、キムチと野菜サラダそれにコーヒーゼリーのデザートが付いて1000円は、店の落ち着いた雰囲気や場所を考えたらお勧めだと思うがどうだろうか。 量もランチにしては充分あったし、ドリンクは付いていなかったが希望者には別料金でホットコーヒーからジュースまでいずれも100円で提供しているのも好感が持てた。 特にワカメスープは今まで食した中では一番美味かった。

筆者の婿のカウボーイ君が丹精込めて育てている「もとぶ牛」を堺正章さんプロディュースの店で食したい方は⇒もとぶ牛の焼肉店 An grill

因みに筆者と上記店とは何の関係もありませんので念のため。

沖縄では梅雨も二週間ほど前には上がっており、昨日は夏本番の猛暑であった。

口蹄疫は暑さに弱いとのことで罹患の恐怖は一段落ついたとのこと。

くだんのカウボーイ君、昨日は久し振りに休みが取れたとのことで夫婦で孫を連れて筆者宅に遊びに来ていた。 (六本木探訪の話は当分内緒である)

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