狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

田原総一郎が反日映画「靖国」を弁護★国会質疑「動画」

2008-04-11 07:27:15 | 県知事選

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今日は座間味島の有力者で唯一生き残りながら証言をしていない人物についてのエントリー予定だが急きょ映画「靖国」の続編に予定変更です。

理由は、先ず今朝の琉球新報に映画「靖国」に関しての昨日の記事を更に補強するような記事があり、同映画に関して真実とは違う方向に読者をミスリードしていること。

次に、今朝コメント欄を見たら読者の「キキ130」さんから有村治子議員の質疑の動画の紹介があり、

それを見てデタラメな文化庁役人答弁にあきれたのは勿論だがこれを伝えるマスコミの逆の報道に怒りを感じたから。(怒)

先ずは新報の記事から。(なお「座間味関連」は午後エントリーの予定です)

 

「靖国」上映中止
政治圧力に抗議  映画監督ら

 ドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」の上映問題をめぐり、ジャーナリストや映画監督らが10日、「上映中止や政治圧力に抗議する」とした記者会見を参院議員会館で開いた。

 靖国を撮影した李纓(リ・イン)監督は、有村治子参院議員が出演者の「靖国刀」を作り続ける刀匠から事情を聴き「出演シーンの削除を希望している」と主張していることについて、「作品が成立できないよう働き掛けているとしか理解できない」と懸念を表明。「この問題を乗り越えることが日本が文化大国に向かう道だと確信している」と述べた。

 映画の内容について、ジャーナリスト田原総一朗さんは「隠し撮りをせず、ナレーションも入っていない。偏向とか反日と決めつけるのは間違い」と評価。上映中止については「映画館の親会社が問題になっては困ると考えた。そういう日本社会を責めるべきだ」と強調した。(琉球新報 2008年4月11日)

                      *

注:記事は共同配信のようだが、次の部分はスペースの都合か新報記事では省略されていた。

< 漫画家の石坂啓さんは「靖国や従軍慰安婦など、十年前は漫画にできたテーマも今はできない。見たいものを見る権利が奪われている」と指摘。

 「靖国」に文化庁の所管法人から助成金が出ている点を国会議員が問題視していることについて、映画監督の是枝裕和さんは「第三者機関で審査する助成金の使い道に、税金のチェックだと言って政治家が口を挟むのはおかしい」と話した。>

                      ◇

 

>李纓(リ・イン)監督は、有村治子参院議員が出演者の「靖国刀」を作り続ける刀匠から事情を聴き「出演シーンの削除を希望している」と主張

昨日のエントリーでも書いたが「出演シーンの削除を希望している」のは中国人監督に騙された刀匠の刈屋さんであり、有村議員ではない。

これをミスリードするような書き方で読者を誤解させる記事に怒りを覚える。

>ジャーナリスト田原総一朗さんは「隠し撮りをせず、ナレーションも入っていない。偏向とか反日と決めつけるのは間違い」と評価。

ドキュメンタリーの名を騙った反日的プロパガンダ映画であることが分からない田原の目は節穴か。

以下は読者のキキ130さんのコメントです。

お久しぶりです。 (キキ130)
2008-04-11 00:07:57

ニコニコ動画ですが靖国問題での参議院の質疑の映像です。自民党の有村治子さんの質疑ですけど、マジすごいです。

【動画】http://www.nicovideo.jp/watch/sm2910320必見です)

百聞は一見にしかず、マスコミの変更報道を払拭するには国会でのやり取りを自分の目で確かめるしかないのは情けない。

だが国会質疑で質問者の鋭い質問にシドロモドロする文化庁高官の醜態は下手な漫才より面白い。

 

 

文化庁役人の答弁は「チャンチャラおかしい」と思う方

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【付記】

◎ 稲田朋美から皆様へ!

 
映画「靖国」の助成金問題について産経新聞正論に書きました。
新聞では字数に限りがありましたので割愛していないものをこちらに掲載させていただきます。

表現の自由、言論の自由が保障されているわが国で、どのような政治的、宗教的宣伝意図のある映画を制作し公開しようと自由である。日本は政治的圧力により映画の上映を禁止し、書物を発禁にするような非民主主義国家ではない。

私と若手自民党議員の「伝統と創造の会」(「伝創会」)は、映画『靖国 YASUKUNI』(李纓監督)自体ではなく、そこに文化庁所管の日本芸術文化振興会が750万円の公的助成金を出していること、その一点を問題にした。

発端は「反日映画『靖国』は日本の助成金750万円で作られた」という平成昨年12月20日号の週刊新潮の記事だった。この映画を試写会で観た複数の人が映画のなかに弁護士時代の私が映っていると教えてくれた。

もちろん私はこの映画で観客の眼にさらされることを同意したことはな
い。

今年の2月に伝創会で助成金支出の妥当性を検討することになり、文化庁に上映をお願いした。当初文化庁からは映画フィルムを借りて上映するという話があり、日時場所も設定したが、直前に制作会社が一部の政治家だけにみせることはできないというので、すべての国会議員向けの試写会になった。一部のマスコミに歪曲されて報道されたような私が「事前の(公開前)試写を求めた」という事実は断じてない。公開前かどうかは私にとって何の意味もなく、映画の「公開」について問題にする意図は全くなかったし、今もない。  

結論からいって同振興会が助成金を出したのは妥当ではない。日本映画である、政治的、宗教的宣伝意図がない、という助成の要件を満たしていないからだ。

まずこの映画は日本映画とはいえない。同振興会の平成20年度芸術文化振興基金助成金募集案内によれば「日本映画とは、日本国民、日本に永住を許可された者又は日本の法令により設立された法人により製作された映画をいう。ただし、外国の制作者との共同制作の映画については振興会が著作権の帰属等について総合的に検討して、日本映画と認めたもの」としている。

映画「靖国」の制作会社は日本法により設立されてはいるが、取締役はすべて(名前からして)中国人である。

この会社は、平成5年に中国中央テレビの日本での総代理として設立されたという。

映画の共同制作者は北京映画学院青年電影製作所と北京中坤影視制作有限公司である。製作総指揮者、監督、プロデューサーはすべて中国人である。

このような映画が日本映画といえるだろうか。ちなみに政治資金規正法では、日本法人であっても外国人が出資の過半を有する会社からは寄付を受けてはいけない扱いが原則である。

さらに映画「靖国」は、政治的存在である靖国神社をテーマとして扱っておりそもそもが政治的宣伝である。

小泉総理の靖国神社参拝をめぐっては、国内外で議論があった。特に日中関係は小泉総理の参拝をめぐって首脳会談ができなくなるほど政治問題化した。

映画「靖国」のメインキャストは小泉総理と靖国神社を訴えていた裁判の原告らである。

私も弁護士として、靖国神社の応援団としてその裁判にかかわった。その裁判で、原告らは一貫して「靖国神社は国民を死ねば神になるとだまして、侵略戦争に赴かせ、天皇のために死ぬ国民をつくるための装置であった」と主張していた。
映画「靖国」からは同様のメッセージが強く感じられる。映画の最後でいわゆる「南京大虐殺」にまつわるとされる真偽不明の写真が多数映し出され、その合間に靖国神社に参拝される若かりし日の昭和天皇のお姿や当時の国民の様子などを織り交ぜ、巧みにそのメッセージを伝えている。

いわゆる「南京大虐殺」の象徴とされる百人斬り競争—私は、戦犯として処刑された少尉の遺族が、百人斬り競争は創作であり虚偽であることを理由に提起した裁判の代理人もつとめた。

結論は遺族らに対する人格権侵害は認められなかったが、判決理由の中で「百人斬りの内容を信用することが出来ず甚だ疑わしい」とされた。

ところが映画「靖国」では、この百人斬り競争の新聞記事を紹介し、「靖国刀匠」をクローズアップすることにより、日本軍人が日本刀で残虐行為を行ったというメッセージを伝えている。

これらを総合的に判断すると、映画「靖国」が、「日本映画」であり
「政治的宣伝意図がない」とし、助成金を支出したことに妥当性はない。
なお、この映画には肖像権侵害や靖国刀が靖国神社のご神体だという虚偽の事実の流布など法的にも問題があることが有村治子参議院議員の国会質疑で明らかになった。 

私たちが文化庁に上映を依頼したとき、映画は既に完成し国内外で試写会が行われていた。配給会社によれば、釜山映画祭(韓国)、サンダンス映画祭(米国)、ベルリン映画祭(ドイツ)等の国際映画祭で高い評価を得たという。

私は弁護士出身の政治家として、民主政の根幹である表現の自由を誰よりも大切に考えている。だからこそ人権擁護法案にも反対の論陣を張っているのだ。今回の上映の要請が「事前検閲であり表現の自由に対する制約」という捉え方をされ、そのような誤った報道をされたことは、私の意図をまったく歪曲したものであり、許し難い。

民主政の根幹である表現の自由によって私の政治家としての発言の自由を規制しようという言論があることにも憤りを感じる。

外国による政治的宣伝の要素のある映画への助成は極力慎重に行われる必要があるだろう。表現や言論は自由であり、最大限尊重されなくてはならないのは当然だが、そのことを理由に税金の使われ方の妥当性を検証する政治家の言論の自由を封殺しようとすることは背理である。(引用止め)
  

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