狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

光母子殺害:死刑判決 

2008-04-23 09:11:11 | 県知事選

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「とかく裁判用語は難しい。 棄却、却下、破棄の違いなど、素人にはなかなか分かりにくい。 『未必の故意』が『密室の恋』に聞こえるという話もある。(琉球新報 金口木舌 4月23日)

裁判には、日本一の難関といわれる司法試験を通った頭の良い人たちが法廷という崇高な場所で専門用語を駆使して論議を戦わすわけだから素人が下手に口出しすべきでないという雰囲気があった。

この素人が口出しすべきでないという雰囲気を逆手に取って、自分のスキャンダルの口封じのため勝ち目の無い訴訟に踏み切る政治家もいるくらいだ。

提訴後はうるさいマスコミの取材攻勢も「係争中につきコメントを控えさしてもらいます」の一言で撃退できる。⇒横峯パパ提訴の本当の訳?

 

それまで六法全書を開いたことも無い(本人の弁)法律の素人の本山さんが法律の専門家の独善で固めた裁判制度に風穴を開けた。

光母子殺害:元少年に死刑判決 広島高裁

山口県光市で99年4月、母子を殺害したとして殺人と強姦(ごうかん)致死罪などに問われた当時18歳の元少年(27)に対する差し戻し控訴審の判決公判が22日、広島高裁であった。
楢崎康英裁判長は「身勝手かつ自己中心的で、(被害者の)人格を無視した卑劣な犯行」として、無期懲役とした1審判決を破棄し、求刑通り死刑を言い渡した。元少年が差し戻し審で展開した新供述を「不自然不合理」と退け、「1、2審は改善更生を願い無期懲役としたに、死刑を免れるために供述を一変させ、起訴事実を全面的に争った」と批判した。弁護側は即日、上告した。

 最高裁は06年6月、高裁が認めた情状酌量理由を「死刑を回避するには不十分」として1、2審の無期懲役判決を破棄し、高裁に差し戻した。

 元少年は差し戻し審で弥生さん殺害について、「甘えたい気持ちで抱きつき、反撃され押さえつけたら動かなくなった」とし、夕夏ちゃんについて「泣きやまないので抱いてあやしていたら落とした。首を絞めた認識はない」と述べた。

 供述を変えた理由については、「自白調書は警察や検察に押し付けられ、1、2審は弁護人が無期懲役が妥当と判断して争ってくれなかった」とした。

 判決は「弁護人から捜査段階の調書を差し入れられ、『初めて真実と異なることが記載されているのに気づいた』とするが、ありえない」と、元少年の主張を退けた。

 また、弥生さんの殺害方法について元少年が「押し倒して逆手で首を押さえているうちに亡くなった」としたのに対しても「不自然な体勢で圧迫死させるのは困難と考えられ、右手で首を押さえていたことを『(元少年が)感触さえ覚えていない』というのは不自然。到底信用できない」とした。夕夏ちゃん殺害についても、「供述は信用できない」と否定した。

 また、元少年が強姦行為について「弥生さんを生き返らせるため」としたことについて、「(荒唐無稽こうとうむけい)な発想であり、死体を前にしてこのようなことを思いつくとは疑わしい」と退けた。事件時、18歳30日だった年齢についても「死刑を回避すべきだという弁護人の主張には賛同し難い」とした。

 また、元少年の差し戻し審での新供述を「虚偽の弁解をろうしたことは改善更生の可能性を大きく減殺した」と批判。「熱心な弁護をきっかけにせっかく芽生えた反省の気持ちが薄らいだとも考えられる」とした。

 1、2審は殺害の計画性の無さや更生可能性を重視して無期懲役を選択。最高裁は強姦目的や殺害方法などの事実認定を「揺るぎない」とし、「量刑は不当で、著しく正義に反する」として審理を差し戻した。

 判決によると、元少年は99年4月14日、光市のアパートに住む会社員、本村洋さん(32)方に排水管検査を装って上がり込み、妻の弥生さん(当時23歳)を強姦目的で襲い、抵抗されたため手で首を絞めて殺害。泣き続ける長女夕夏ちゃん(同11カ月)を床にたたきつけた上、首にひもを巻き付けて絞殺した。

 2審の無期懲役判決を差し戻した死刑求刑事件は戦後3例目だが、
他の2件は死刑が確定している。

 ◇9年は長かった
 本村洋さんの話 9年は遺族にとって長かった。判決は裁判を通じて思った疑問をすべて解決してくれ、厳粛な気持ちで受け止めている。
私の妻子と(死刑判決を受けた)被告の3人の命が奪われることになった。
社会にとっては不利益で、凶悪犯罪を生まない社会をどうつくっていくか考える契機にしたい。

(毎日新聞 2008年4月22日 10時36分)

                      ◇

死刑判決を伝える報道にあるテレビコメンテーター(弁護士)は「我々専門家の常識では無期懲役だ妥当」(要旨)といったコメントをして永山基準について解説していた。

そう、本村さんはこのような専門家たちの思考停止で判例に丸投げする「手抜き工事」に風穴を開けたのだ。

「死刑執行命令が嫌なら法務大臣になるな」という意見がある。

裁判官といえども死刑判決が嫌なら死刑制度のある現行裁判制度の下では裁判官の任官を拒否すべきだろう。

そもそも、今回の判決も最高裁に上告したのに死刑を臭わすような発言(『死刑を回避する理由がない』とする判示)で二審へ差し戻しした。

これは最高裁の(最少年未成年者への死刑判決)の責任回避ではないのか。

死刑を回避する理由がないのなら最高裁で死刑判決を下すべきではなかったのか。

弁護団は不当判決だとして上告するというが今度は責任回避は許されないだろう。⇒「極めて不当な判決」母子殺害事件被告の弁護団が会見 (読売新聞 4月23日 01:56)

光母子殺害:【本村洋さん会見詳細】<1>「裁判所の見解は極めて真っ当」

光母子殺害:【本村洋さん会見詳細】<2>「どこかで覚悟していたのではないか」 

--死刑というものがあるからこそ迷い、悩んだと聞いた。判決を聞いてどうか。

本村 死刑という問題は、法治国家にとって古くて新しい問題で、答えはないものと思います。ただ、人の命をもっとも大事だと思って尊ぶからこそ死刑という制度があった。この判決を受けて、死刑は重過ぎるという人も適罰という人もいると思います。ただ、それを論じても意味のないことで、どうすればこういった犯行や少年の非行を防げるかということを考える契機になると思う。死刑というものがなくて、懲役刑や、短いものだったりした時、だれがこの結末を注目し、裁判経過を見守ってくれるのか。死刑というものがあって、人の命をどうこの国が、法律が判断するかを国民のみなさんが一生懸命考えてくれたからこそ、これだけの世論の反響を呼んだ。当然いろんな議論があります。いずれにしても目的は安全な社会を作ること。どうすれば犯罪を減らせるか、死刑を下すほどの犯罪をなくすことができるかということに人々の労力を傾注すべきだと思う。両手放しに死刑は必要だとか、間違っていないとは言えない。常に悩みながらこの制度を維持することに本当の意味があることだと思いを新たにしています。

思考停止した法律の専門家の口からは聞くことの出来ない説得力のあるコメントではないか。 

とても記者会見の記者の質問へ即答したとは思えない論理性のあるコメントにに改めて脱帽する。

 

  • 光母子殺害:【本村洋さん会見詳細】<3止>被告の反省文は「生涯開封しない」
  •  <--今回の少年は(犯行時)18歳。ハードルが外れ、今後、少年の死刑判決が続くと思いますか。

    本村 そもそも、死刑に対するハードルと考えることがおかしい。日本の法律は1人でも人を殺めたら死刑を科すことができる。それは法律じゃない、勝手に作った司法の慣例です。

     今回、最も尊うべきは、過去の判例にとらわれず、個別の事案をきちんと審査して、それが死刑に値するかどうかということを的確に判断したことです。今までの裁判であれば、18歳と30日、死者は2名、無期で決まり、それに合わせて判決文を書いていくのが当たり前だったと思います。そこを今回、乗り越えたことが非常に重要でありますし、裁判員制度の前にこういった画期的な判例が出たことが重要だと思いますし、もっと言えば過去の判例にとらわれず、それぞれ個別の事案を審査し、その世情に合った判決を出す風土が生まれることを切望します。>

     

    法律の専門家を自認する法曹人、それに群がる司法記者たちの硬直した考えの上に構築された現行裁判制度の矛盾を見事に浮き彫りにし裁判制度にまで言及したコメントは秀逸である。

     

    <--日本の司法に与えた影響については。

    本村 私は事件に遭うまでは六法全書も開いたことがない人間でした。それがこういった事件に巻き込まれて、裁判というものに深く関わることになりました。私が裁判に関わった当初は刑事司法において、被害者の地位や権利はまったくありませんでした。それが、この9年間で意見陳述権が認められましたし、優先傍聴権も認められる。例えば今回のように4000人も傍聴に訪れたら、遺族は絶対傍聴できなかった。それが優先傍聴権があるために私たち遺族は全員傍聴できた。これからは被害者参加制度ができて被害者は当事者として刑事裁判の中に入ることができる。

     そういったことで司法は大きく変わっていると思いますし、これから裁判員制度をにらんで司法が国家試験、司法試験を通った方だけではなく、被害者も加害者も、そして一般の方も参加して、社会の問題を自ら解決するという民主主義の機運が高まる方向に向かっていると思います。実際に裁判に関わって、まったく被害者の権利を認めていない時代から、意見陳述が認められて、傍聴席も確保できて、そういった過渡期に裁判を迎えられたことは意義深いと思ってます。

     --今の裁判の問題点は。

    本村 すべての問題が解決したわけではありませんし、例えば今回、9年という歳月がかかっている。これは非常に長いと思います。ですから今後、裁判の迅速化とか今後検証していく余地はたくさんあると思う。法は常に未完だと思います。未完だと思って常により良い方向を目指して解決していくべきだと思います。>

     

    再び言うが、この記事は本当に記者会見での即答なのかと疑うほど論理的に現行司法制度の問題点を見事に指摘している。

    司法研修生の研修会には本村さんを講師にして抗議して欲しいくらいだ。

    特に、「法は常に未完だと思います。未完だと思って常により良い方向を目指して解決していくべきだと思います。」

    のくだりには、当たり前のことでありながら見逃しがちな真理を含んでおり思わず快哉の拍手をしたくなった。

    「九条教徒」には読み聞かせてあげたい一文である。

    で、硬直した法律の専門家達が「勝手に作った司法の慣例」である、「永山基準」を以下に引用する。

     

    永山基準
     1968−69年の連続4人射殺事件の永山則夫元死刑囚(事件当時19歳、97年8月執行)第1次上告審判決(83年7月)で、最高裁が無期懲役の2審判決を破棄した際に示した死刑の適用基準。(1)犯罪の性質(2)動機(3)態様、特に殺害方法の執拗(しつよう)さや残虐さ(4)結果の重大さ、特に殺害被害者数(5)遺族の被害感情(6)社会的影響(7)犯人の年齢(8)前科(9)犯行後の情状−を考慮し、刑事責任が極めて重大で、罪と罰の均衡や犯罪予防の観点からやむを得ない場合には、死刑の選択も許されるとした。(西日本新聞 2008年4月22日掲載)

                        ◇

    本村さんのコメントに何を付け足しても蛇足になるが、「永山基準」のような判例に自己判断を丸投げしていたら法廷が益々専門家による前例主義の閉塞空間に陥るところだった。

    本村さんは法律の専門家に自分の頭で考え悩みそうして判決を下すことを教えた。

    もし裁判官が先例(判例)主義に固執するならネットの進化した昨今では

    必要条項(永山基準にある、(1)犯罪の性質(2)動機(3)態様、特に殺害方法の執拗(しつよう)さや残虐さ(4)結果の重大さ、特に殺害被害者数(5)遺族の被害感情(6)社会的影響(7)犯人の年齢(8)前科(9)犯行後の情状)を、

    パソコンに打ち込めば自動的にPCが判決を下してくれるわけで裁判官の判断はもはや必要ないことになる。

    そうなると、裁判制度も「判事ソフト」を中心に「検事ソフト」や「弁護人ソフト」のゲーム感覚になりかねない。

    【おまけ】

    本村さんに「この判決で死刑に対するハードルが下がった事に対してどう思いますか?」 と質問をした朝日記者に2チャンネルで猛抗議が起きています。⇒痛いニュース(ノ∀`)2008年04月22日
    朝日新聞女記者「この判決で死刑に対するハードルが下がった事に対してどう思いますか?」

    http://www.nicovideo.jp/watch/sm3068427(削除済)
    http://jp.youtube.com/watch?v=7AjmJ3WnxAU

    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080422-00000014-maiall-soci

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