goo blog サービス終了のお知らせ 

狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

【北京オリンピックは「皆殺しの競技会だ」】byボストングローブ

2007-05-12 10:23:26 | 県知事選
松坂や岡島の大活躍で日本人にあまり縁のなかったボストンにも親しみが持てるようになった。

ところでボストン・グローブといってもボストン・レッドソックス専用のグローブのことではない。

ボストン・グローブ(The Boston Globe) は、マサチューセッツ州ボストンにおいて最大の発行部数を誇る日刊新聞で、ニューヨークタイムズの子会社だという。

というと親会社の反日、親中のDNAを受け継いでいるのかと思うのだが、

5月9日付けの社説のタイトルが、

【北京オリンピックは「皆殺しの競技会だ」】

というから驚いた!

以下引用。


宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成19年(2007年) 5月10日(木曜日)   
通巻 第1794号  (5月9日発行)
△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△
 
読まれました? 『ボストン・グローブ』の社説を。
   北京オリンピックは「皆殺しの競技会だ」と激越なる中国批判
*********************************

 「ボストン・グローブ」紙と言えば米国東海岸でNYタイムズ、ワシントンポストと並ぶ有力紙。
 その社説(5月9日付けIHIに転載)を見て驚いた。
 2008年オリンピックを「皆殺しの競技会と呼ぼう」と中国への激しい非難に埋まっているからだ。

 すこしく意訳してみる。
 「中国は同胞を虐殺するスーダンへの国連制裁決議を事実上無効にするために舞台裏で蠢く。
 ミャンマーの民族浄化、ウズベキスタン、ジンバブエの人民虐殺に対して、その独裁者達に武器を売り歩き、支援し、国連非難決議に反対した。
中国は「悪魔」と呼んで差し支えないだろう」。

 同紙は中国の行為は共産主義ドグマとは無縁に、暴君らを支援する動機は石油である、と剔り、また「投資した石油鉱区を護るために中国は残虐な政府であっても支援する」として、次のように続ける。

 「ウズベキスタンの独裁者カリモフが2005年にアンディジャンで抗議のデモ隊に発砲したときも、中国はウズベキスタン政府がいう『テロリストだったから』という作り話を支持し、直後にカリモフを北京に招待したうえ、六億ドルの経済支援協定に著名した。
 おなじ手口はチベット、台湾の独立運動に対しても使われている。
 我々は中国に対して、つねに『恥を知れ』と批判し続けなければなるまい。常に常に。
そして2008年北京オリンピックを“皆殺し競技会”を呼び続けよう」。

 これが名門紙「ボストン・グローブ」の社説です。


コメント

韓国・国歌の作曲者は「親日法」に触れる? 死者を鞭打つ愚法

2007-05-12 06:06:39 | 歴史
「親日派」子孫の土地、韓国政府が初没収
 2007年05月02日18時50分
 
 日本による戦前の朝鮮支配に積極加担した「親日派」韓国人の財産没収を進めている韓国政府の「親日反民族行為者財産調査委員会」は2日、日韓併合条約(1910年)当時の首相だった李完用ら親日派9人の子孫が相続した土地計約25万5000平方メートルを国家所有とする初の決定を下した。 (略)(朝日新聞)
               
                    ◇
 
60年以上も遡って「親日」だった御先祖様を糾弾してその子孫が相続した財産を没収すると言うから驚く。
 
が、これについては既に各ブログで論評され尽くしているのでここでは省略。
 
だが韓国にも次のような理性派の意見もある事は喜ばしい。
 
これらの人々の財産が没収されないことを祈るしかない。
 
 
記事入力 : 2007/05/06 17:10:58

過去史清算:親日・反日の二分法からの脱却を

 過去史は果たして一方的な清算の対象になり得るのだろうか。植民地時代を評価する二分法的裁断は、歴史の総体的真実とは異なる方向に進むのではないだろうか。

 仁川文化財団(崔元植〈チェ・ウォンシク〉代表理事)が最近出版した隔月刊の文化批評誌『プラットフォーム』5・6月号は、特集「未来に進む過去の見方」を通じ、このデリケートな問題にアプローチした。民族主義的な親日・反日の議論は、それ自体が様々な限界を持っており、こうした二分法的歴史観こそが今や克服すべき対象になっているという主張だ。

 植民地問題を研究してきた少壮学者の尹大石(ユン・デソク)博士(仁荷大BK21事業団)は、寄稿文「親日清算の意味と限界」で、昨年12月に親日反民族真相究明委員会が発行した第1次報告書の限界について指摘した。

 尹大石博士は「この報告書は、1910年前後の親日行為者に対する“人的清算”に集中しているが、われわれが重視すべき親日問題の核心は、彼らが近代の重要な要素である植民主義思想を内面化し、それを流布させる思想的確信を帯びていたという点」と主張した。

 尹大石博士は、この報告書の「親日派清算論」は「民族」と「近代(開発主義)」を肯定しつつも、「我が民族の植民地化」だけを問題にしていると指摘する。また、過去史清算論者らが語る「民族精気の回復」が、世界史的植民主義清算ではなく親日清算だけにとどまるならば、他者を排除する死の宴になるだろうと主張した。

 一方、韓国芸術総合学校の許英翰(ホ・ヨンハン)音楽院教授の「安益泰(アン・イクテ)、二分法を超えて」は、最近親日論争のまな板に載せられた作曲家・安益泰(1906-65)を通じ、親日・反日の二分法的論調に正面から反論した。

 「愛国歌」(韓国国家)を作曲した安益泰が42年、満州国建国10周年記念音楽会で記念曲を作曲し指揮を行ったという報道(本紙2006年3月8日付)は、多くの人々を困惑させた。だが、許英翰教授は「韓国という国家が存在しない状態で、日本のパスポートを持つ安益泰が日本人として活動したのは、ある意味当然のことだ。安益泰が日本の要請を拒み指揮棒を捨てたとすれば、愛国者にはなるだろうが、音楽家・安益泰は存在しなかっただろう」と指摘した。

 これは、「愛国」と「親日」の二分法から抜け出した第3の見方が許容されない状況では、過去は歪曲(わいきょく)されるほかなく、こうした画一的に白黒つけようとする見方から抜け出し、安益泰が生きていた時代と正面から向き合い、グレーゾーンを許容する見方への移行を受け入れるべきだという主張だ。

 また、過去史は韓国だけの問題ではない。「歴史は書き直すことができない」を寄稿した台湾・清華大の郭秀鈴研究院は、故・蒋介石(1887‐1975)元総統を祭る台北の中正記念館を撤去しようとする与党・民進党の計画について、「社会的記憶と歴史的痕跡を暴力的かつ無責任に消す行為」と批判した。蒋介石政権の独裁統治について、肯定的評価よりも非難する声の方が多いのは事実だが、権威主義時代の建築物は既に「一時期そうしたものが存在」したことを示す過去史の一部として定着したという主張だ。

 このほか、中央大独文科の柳信(リュ・シン)教授は「芸術的記憶の中に再構成されたナチス」で、マルセル・バイアなどのヒットラー体制を体験したことのないドイツ新世代作家らが歴史的記憶の重圧感から抜け出し、「過去史」に対し自由な想像力を展開していると指摘した。これに比べ、韓国の事情はいまだに美しくない過去の残滓(ざんし)のため、記憶を文化的なレベルにまで高揚させるにはほど遠いという主張だ。

兪碩在(ユ・ソクジェ)記者

朝鮮日報/朝鮮日報JNS
 
                     ◇
 
「愛国歌」(韓国国家)を作曲した安益泰が42年、満州国建国10周年記念音楽会で記念曲を作曲し指揮を行ったという報道(本紙2006年3月8日付)は、多くの人々を困惑させた。
 
これについては昨年の3月12日のエントリーで触れているので、下記にまるごと再録します。
 
【再録】

韓国国歌と「満州国の繁栄」

2006-03-12 10:23:30
日本ほど自分の国歌を疎かにする国は無い。

未だに国歌斉唱時に起立するのを拒否するある種の組織の日本人もいる。

又君が代は「相撲の歌」だと本気で考えていたという笑い話さえある。

そんな中トリノ五輪で荒川静香選手が表彰台で国家を歌ったと云う事が話題になった。

その点韓国における国歌に対する愛着は日本の比ではない。

その韓国国歌が今反日の象徴にされかかっている。

         ◇         ◇         ◇

どの国の国歌も自由にネット上で検索し歌詞やメロデーを転載する事が出来る。

勿論「君が代」も例外ではない。

が、唯一その例外があった。  韓国、いや、大韓民国国歌「愛国歌」がそれ。

最近まで韓国国歌には著作権料が絡んでいたというのだ。

元々韓国の国歌は、作詞者は不明であったが、20世紀初頭から「愛国歌」として蛍の光のメロディーに乗せて歌われ始めた。

その後、作曲家・安益泰(An Iktae。1905~65年)が新たなメロディーを作曲して管弦楽曲「韓国幻想曲」の終曲にベートーベンの第九を倣って合唱曲にした。

1948年の大韓民国独立後に彼が李承晩大統領へこの曲を持ち込んだことにより正式に大韓民国の国歌となった。

そして彼が死んだ1965年、韓国の文化勲章・大統領賞が授与された。

ここまでは韓国の誇る大作曲家が作曲した「愛国歌」が国歌となる経緯としては何の問題も無い。

ところが「愛国歌」は、国歌としては余り他の国に例を見ない経緯を辿って行くことになる。

この十年来、韓国では国歌の現在の著作権者たる安の遺族に対して2015年まで国歌使用料を払い続けることになっていた。

最近、韓国政府がこの著作権を買い取る方針を明らかになり、韓国政府と安の遺族を非難する声が韓国内で沸きあがった。

この動きを見たのか、現在スペイン在住のスペイン人で、安の90歳になる未亡人と三人の遺族は、国歌の著作権を放棄することを韓国政府に申し出た。

その代償として、作曲者・安を韓国の独立活動家と認定して欲しいと要望した。

韓国政府は、この遺族の申し出に感謝するとともに、安を独立義士と認定し、韓国国立芸術大学の音楽ホールを安益泰ホールと改称する意向を表明した。

ここまでは「国民的大作曲家が愛国の「国家」を作り、その権利放棄に伴って「独立義士」として国が称える」・・・という、話である。

韓国好みの美談仕立てに話は終わろうとした。

・・・が、事態は意外な展開を見せる。

中国や韓国が最も嫌うのが13年で消え去った「満州国の繁栄」だ。

その「満州の繁栄」を検証する中から或る事実が浮かび上がってきた。

ベルリンのフンボルト大学で韓国人学生によって一巻のニュースフィルム発見された。

この発見が国歌騒動の発端であった。

1942年の満州国建国10周年記念コンサートが友好国ベルリンで行われた。

その時、安が作曲した祝賀曲を演奏するベルリン・ラジオ交響楽団を、安が指揮している姿がそのフィルムに映っていたのだ。

安は独立義士だったのか、それとも日帝の走狗だったのか。 

そして韓国の国歌が安の曲「愛国歌」でいいのか、という議論にまで発展する気配だ。

折りしも韓国では親日的人物の子孫から財産を没収するといった「親日・反民族行為者の財産の国家帰属に関する特別法」が立法化されたばかりだ。

          ◇         ◇          ◇

安は平壌生まれであり、1921年正則中学校に入学、その後東京の国立音楽学校(当時の正式名は東京高等音楽学校)でチェロを専攻した。

1930年渡米し、フィラデルフィアのカーチス音楽学校に入学、その後シンシナティー音楽学校でチェロと作曲を専攻した。

1935年か36年に上記韓国幻想曲を作曲。

その後1938年頃にドイツに渡り、ベルリンでリヒャルト・シュトラウスに作曲と指揮を師事します。そして亡くなるまで、主として欧州で音楽活動を続ける。

アジア人で唯一リヒャルト・シュトラウスに学んだ作曲家だ。

1939年、ブダペスト音楽学校に入学し、卒業後指揮者として各国を回り、ウィーン交響楽団、ベルリン交響楽団、ローマ交響楽団、ブダペスト交響楽団で指揮した。

第2次世界大戦後スペインへ移住して現地の女性と結婚、スペイン国籍を取得した。

その間、安は200回以上オーケストラを指揮をしましたが、最後は必ず韓国幻想曲の終曲の演奏で締めくくったという。

         ◇          ◇          ◇

満州国は、1932年から1945年の間、満州(現在の中華人民共和国東北地区および内モンゴル自治区北東部)に存在していた国家である。

第二次世界大戦(大東亜戦争)での日本の敗戦とともに消滅した。

安益泰は1905年に生まれて1965年に死亡している。

満州国成立の年には27歳、満州国消滅の年には40歳である。

音楽家としては最も油の乗り切った時期である。 その間に日本の友好国ドイツに音楽留学もしておりドイツの誇り、リヒャルト・シュトラウスに作曲と指揮を師事している。

当時の韓国・北朝鮮は日本の植民地であり、安の恵まれた音楽経歴は日本人でも珍しいものである。

日本或いは満州国の後援があったと疑われても仕方が無い。


        ◇         ◇         ◇

◆「親日派」糾弾、韓国で活発化 国歌作曲者に満州賛美の疑惑

 【ソウル=黒田勝弘】韓国の国歌である「愛国歌」の作曲者に"親日疑惑"が提起され、一部では国歌変更まで取りざたされている。韓国国歌の作者として知られる安益泰(1905-65年)が戦前、満州国をたたえる交響曲「満州国」を作曲し、これを満州建国10周年の記念コンサートで演奏・指揮したことなどが「日本帝国主義をたたえる反民族的な親日行為だ」として問題になっているものだ。

 韓国で活発な親日派糾弾の"過去ほじくり"がついに国歌にまで及んだものだが、問題が国歌の作曲者だけにマスコミなど世論は今のところ戸惑い半分で、「十分な調査が必要」と慎重な姿勢だ。


 ただ、韓国の戦後史批判など"過去清算"に熱を上げている親北・左派勢力には好材料で、新たな論争点になりそうだ。


 故人の"親日疑惑"は最近、韓国人音楽研究者がドイツ連邦文書保管所で当時の記録フィルムを見つけたとして、韓国の音楽雑誌に論文を寄稿して明らかになった。


 記録フィルムによると、問題のコンサートは1942年、ベルリン・フィルハーモニーの演奏会場で開かれ、安益泰はベルリン放送楽団と合唱団を指揮して自作の「満州国」を演奏した。会場には、満州国旗を左右にして大きな日章旗が掲げられていたという。


 また、交響曲「満州国」の重要な部分には、後に韓国国歌になる「愛国歌」を盛り込んだ安益泰の代表作「コリア・ファンタジー(韓国幻想曲)」の旋律の一部がそのまま使われ、これも非難の対象になっている。


 安益泰は戦前、日本の音楽学校を卒業後、さらに米国フィラデルフィアやウィーンなどで学んだ。スペイン人女性と結婚し、戦後もヨーロッパを中心に音楽活動を続けた。戦後、韓国国歌になった「愛国歌」の作者だったため、最近その著作権が話題になり、スペイン在住の遺族たちが著作権を韓国に寄贈すると発表している。


 韓国では近年、日本統治時代の対日協力者をあらためて糾弾する"親日派狩り"が盛んで、韓国を代表する詩人・徐廷柱や画家・金基昶(いずれも故人)らも戦時中の"戦争協力作品"が問題になっている。


 音楽でも最も人気のあった歌曲「先駆者」が作曲者の"親日疑惑"が指摘され、最近は歌われなくなった。


【2006/03/11 東京朝刊から】(03/11 08:54)

  
コメント (3)