萩さんの話ネタ2

特に何の特徴もない思い付きの話を徒然と・・・
暇な時にでも寄ってやってください。

今年の花粉情報

2016-02-09 12:00:00 | 日記

西日本・関東地方はすでに飛散中!・・・「花粉」
そこで、今年の花粉情報に関する記事をご紹介します。

記事(2016年2月8日 tenki.jp)によると

『今年の飛散量は例年より少なめ! 東北地方は多いので要注意。今年は暖かい日も多かったため、いつもより少し早く花粉が舞い始めそうです。

 日本気象協会1月14日発表によると「全国的に今年の飛散量は例年並みか少なめ」と予測されています。

 そのなかで、例年と比べてスギ・ヒノキ花粉の飛散量が多いと予測されるのが宮城県。そしてやや多いと予測されるのが、岩手県、山形県、福島県になります。

 スギ花粉は、夏が暑くて雨が少ないと、花芽がよく育ち花粉も増えるのですが、西日本の場合は特に、昨夏の低温と多雨により花芽が育つ条件があまり整いませんでした。よって、北海道、九州、四国、近畿地方は例年の半分以下の飛散量と予測されています。東京都の場合は例年並みで、東京都福祉保健局は、「昨春と比べると23区はほぼ同じで、多摩地区は約2倍となる見込み」と発表。飛散量が多い日は、23区で36日程度と予測しています。

 スギやヒノキは風媒花。花粉自体がとても軽く、風に乗れば100km以上も飛ぶと言われています。このため、近くにスギやヒノキがなくても花粉症になってしまうのですね。

 飛散量の多い日は、花粉が風に乗りやすい、晴れて気温の高い日や風が強い日、雨上がりの次の日です。そして、花粉量が多い時間帯は、昼前後や夕方になります。

 窓を開けて掃除をするなら午前中にすませたり、多く飛散しそうな日は洗濯物を早めに取り込んだり、暮らしのなかで花粉をシャットアウトしていきたいですね。

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火曜日・・・雑記

2016-02-09 01:00:00 | 日記

そろそろ旧正月…月の満ち欠け(朔望)と、地球が太陽のまわりを回る周期、この2つを組み合わせた太陽太陰暦(旧暦)。
そこで、太陽太陰暦についての記事をご紹介します。

記事(2016年2月7日 tenki.jp)によると

『私たちが普通「カレンダー」と聞いて思い浮かべるのは、グレゴリオ暦(太陽暦)のカレンダー。世界の多くの国で採用されているのが、この暦です。1582年に、ローマ教皇グレゴリオ13世がそれまで使用されていたユリウス暦を改定して制定したもので、地球が太陽のまわりを1周する時間を1年としています。さらに、1年を12の月に分けていることや、4年に一度「閏日」を設けているのは皆さんご存知の通りです。

 太陽暦は、天文の技術が発達したことによって考え出されたもの。原初の暦は、誰の目にもわかりやすい「月の満ち欠け」をもとに作られました。それが、「太陰暦」と呼ばれるものです。しかし、純粋な太陰暦では1年は354日となり、実際の季節とずれが生じてしまいます。そこで、考案されたのが「太陰太陽暦」。月の満ち欠けと太陽の運行を組み合わせ、「閏月」を挿入するなどして誤差を少なくした暦です。

 メソポタミアや中国などの古代文明では、早くから天文学や暦法が発達。すでに紀元前には、太陽太陰暦が完成していました。日本に太陽太陰暦が導入されたのは、6世紀のこと。それから江戸時代の初期まで、日本は中国から伝えられる暦を使い続けていました。

 日本最初の暦は1684(貞享元)年に完成した「貞享暦」。その後、何度かの改暦を経て、1844(天保15)年から使用が開始されたのが「天保暦」です。公式には1872(明治5)年をもって廃止された「天保暦」ですが、現在いわゆる旧暦として親しまれているのは、この「天保暦」に準拠したものだそうです。

 約1300年にわたり、日本では太陽太陰暦に基づいて日々の暮らしを送っていました。その名残りが、現代の日本語にも残っているのをご存じですか?それは「ついたち」という言葉。「ついたち」は「月立ち」、つまり新月(朔)の後、はじめて月が見えた日を指す言葉だったのです。

 明治時代の初期、日本政府は西欧の文明を大急ぎで導入しようとしていました。1873(明治6)年にグレゴリオ暦(太陽暦)を採用したのも、その一環でした。ちなみに、1日を24時間とする時刻制度を導入したのもこの時から。私たちが「当たり前」と思っていることも、歴史的には意外と新しいことなのですね。

 事前の世論調査も、PR活動もなく導入された太陽暦。明治時代の人びとにとって、新しいカレンダーはそれまでの感覚とのずれが大きく、なかなか受け入れがたいものだったようです。何しろ、1300年もの長い間、太陰太陽暦で暮らしていたのですから、無理もありません。日本における太陽暦が、生活リズムを決定する「第一の暦」として定着したのは、1960年代以降だとも言われています。とはいえ、お盆などの年中行事を旧暦で行う地方も、今でもたくさん残っています。

 ちなみに、中国でグレゴリオ暦が採用されたのは、20世紀初頭。しかし、何千年にもわたり太陰太陽暦で暮らしてきたのですから、お祭りや年中行事など、生活の隅々にまで太陰太陽暦が行き渡っています。現在でも、伝統行事のほとんどが旧暦に基づいて行われるほか、誕生日なども旧暦でお祝いすることがあるようですよ。

 この「旧暦」と着かず離れずの関係があるのが「二十四節気」。太陽の軌跡(黄道)を24等分し、季節を表す名称をつけたものです。太陰太陽暦では、「月日」は月の満ち欠けで決まるため、毎年11日ずつ先に進みます(閏月が入ると、逆に約20日戻ってしまう)。年によって実際の季節とのずれが異なり、農作業などに支障をきたします。そこで、四季を正確に把握するために考え出されたのが「二十四節気」です。

 暦とともに中国から日本に伝えられた「二十四節気」。日本の気候に合わせた「八十八夜」「二百十日」といった「雑節」が加えられました。国立天文台では、毎年2月に、翌年の二十四節気の日にちを計算したものを発表しています。

 中国と関わりが深い国に伝わった「二十四節気」。ベトナムもその一つです。ただし、温暖な気候のベトナムは、中国の暦とは季節感が合わないことがしばしば。たとえば「小雪」には「乾燥して葉が枯れる時期」などと注釈がつけられているそうですよ。

 この他にも、インドの暦やイスラム暦など、世界のあちこちに「普通」とは違う暦がまだまだ残されています。』

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