鄱陽賊帥林士弘、稱楚帝、據江南。 杜伏威據歴陽。 竇建稱長樂王。
馬邑校尉劉武周、朔方郎將梁師都、各據郡起兵。 李蜜據興洛倉、略取河南諸郡、稱魏公。 突厥立劉武周、爲定陽可汗、取樓煩・定襄・雁門諸郡。
梁師都取雕陰・弘化・延安等郡、自稱梁帝。金城校尉薛擧、起兵隴西、自稱西秦覇王。 武威司馬李軌、起兵河西、自稱涼王。 薛擧自稱秦帝、徙據天水。
蕭銑起兵巴陵、自稱梁王。
唐公李淵、起兵太原、克諸郡、入長安。時隋大業十二年。帝在江都。淵遥尊爲太上皇、而立代王。是爲恭皇帝。
鄱陽(はよう)の賊帥(ぞくすい)林士弘、楚帝と称して江南に拠(よ)る。
杜伏威(とふくい)歴陽に拠る。
竇建(とうけんとく)長楽王と称す。
馬邑(ばゆう)の校尉劉武周、朔方(さくほう)の郎將梁師都、各々郡に拠って兵を起こす。
李蜜、興洛倉に拠って河南の諸郡を略取し、魏公と称す。
突厥(とっけつ)劉武周を立てて、定陽可汗(かかん)と為し、樓煩(ろうはん)・定襄(ていじょう)・雁門(がんもん)の諸郡を取る。
梁師都、雕陰(ちょういん)・弘化・延安等の郡を取り、自ら梁帝と称す。
金城の校尉薛擧(せつきょ)、兵を隴西(ろうせい)に起し、自ら西秦の覇王と称す。
武威の司馬李軌(りき)、兵を河西に起し、自ら涼王と称す。
薛擧自ら秦帝と称し、徙(うつ)って天水に拠る。
蕭銑起(しょうせんき)兵を巴陵に起し、自ら梁王と称す。
唐公李淵(りえん)、兵を太原に起す、諸郡に克って、長安に入る。時に隋の大業十二年なり。帝は江都に在り。淵遥かに尊んで太上皇と為し、代王を立つ。是を恭皇帝と為す。
鄱陽の盗賊の頭目の林士弘が、楚帝と称して江南に拠を置いた。杜伏威は歴陽に拠った。先に反乱を起した竇建は長楽王と称した。
馬邑の校尉劉武周と、朔方の郎將梁師都は各々郡に拠って兵を起こした。
李蜜は、興洛倉を根城に河南の諸郡を攻略して、魏公と称した。
突厥が馬邑の劉武周を立て、定陽可汗とし、樓煩・定襄・雁門の諸郡を取った。
梁師都は、雕陰・弘化・延安等の郡を取り、自ら梁帝と称した。
金城の校尉薛擧、隴西に挙兵し、自ら西秦の覇王と称した。
武威の司馬李軌、兵を河西に起し、自ら涼王と称した。
薛擧自ら秦帝と称し、本拠を天水に徙した。
蕭銑起兵を巴陵に起し、自ら梁王と称す。
唐公の李淵が、太原で挙兵し、次つぎと各地を攻め、すべてに勝ってついに長安に入った。時に隋の大業十二年(616年)である。この時煬帝は遠く江都に逃れており、李淵はここぞとばかり煬帝を太上皇に祭り上げて、代りの王を立てた。是が恭皇帝である。