山公の啓事
濤昔在魏晉之、與嵆康・阮籍・籍兄子咸・向秀・王戎・劉伶相友。號竹林七賢。皆崇尚老莊虚無之學、輕蔑禮法、縱酒昏酣、遺落世事。士大夫皆慕效之、謂之放達。惟濤惟仍留意世事、至是典選、甄抜人物、各爲題目而奏之。時人稱之爲山啓事。
濤、昔、魏晋の間に在って、嵆康(けいこう)・阮籍(げんせき)・籍の兄の子咸(かん)・向秀(しょうしゅう)・王戎(おうじゅう)・劉伶(りゅうれい)と相友(ゆう)たり。竹林の七賢と号す。皆、老荘虚無の学を崇尚(すうしょう)し、礼法を軽蔑し、縦酒(しょうしゅ) 昏酣(こんかん)、世事を遺落(いらく)す。士大夫、皆之を慕效(ぼこう)した。之を放達(ほうたつ)と謂う。惟、濤は仍(なお)世事に留め、是(ここ)に至って、選を典(つかさど)り、人物を甄抜(けんばつ)し、各々題目を為(つく)って之を奏す。時人、之を称して山公(さんこう)の啓事と為す。
崇尚 あがめたっとぶ。 縦酒 酒をほしいままに飲む。 昏酣 泥酔すること。 遺落 なげやりにする。 慕效 慕いならう。 放達 気ままにふるまうこと。 甄抜 才能を見分けて引き立てること。 啓事 天子などに申し上げる書面。
山濤はかつて魏から晋に代る時代に嵆康・阮籍・阮籍の甥の咸・向秀・王戎・劉伶と親交があり、竹林の七賢と呼ばれていた。皆老子や荘子の虚無の学を信奉し、礼法を軽蔑して、酒をとめどなく飲んでは泥酔し、世事をないがしろにした。当時の士大夫はこの風を慕い倣って放達と称していた。ただ山濤だけは世事にも心を留めて、吏部尚書となって官吏の人選をつかさどり、才能を見分けて引き上げるために、各項目ごとに特性を奏上した。人々は「山公の啓事」と呼んだ。
濤昔在魏晉之、與嵆康・阮籍・籍兄子咸・向秀・王戎・劉伶相友。號竹林七賢。皆崇尚老莊虚無之學、輕蔑禮法、縱酒昏酣、遺落世事。士大夫皆慕效之、謂之放達。惟濤惟仍留意世事、至是典選、甄抜人物、各爲題目而奏之。時人稱之爲山啓事。
濤、昔、魏晋の間に在って、嵆康(けいこう)・阮籍(げんせき)・籍の兄の子咸(かん)・向秀(しょうしゅう)・王戎(おうじゅう)・劉伶(りゅうれい)と相友(ゆう)たり。竹林の七賢と号す。皆、老荘虚無の学を崇尚(すうしょう)し、礼法を軽蔑し、縦酒(しょうしゅ) 昏酣(こんかん)、世事を遺落(いらく)す。士大夫、皆之を慕效(ぼこう)した。之を放達(ほうたつ)と謂う。惟、濤は仍(なお)世事に留め、是(ここ)に至って、選を典(つかさど)り、人物を甄抜(けんばつ)し、各々題目を為(つく)って之を奏す。時人、之を称して山公(さんこう)の啓事と為す。
崇尚 あがめたっとぶ。 縦酒 酒をほしいままに飲む。 昏酣 泥酔すること。 遺落 なげやりにする。 慕效 慕いならう。 放達 気ままにふるまうこと。 甄抜 才能を見分けて引き立てること。 啓事 天子などに申し上げる書面。
山濤はかつて魏から晋に代る時代に嵆康・阮籍・阮籍の甥の咸・向秀・王戎・劉伶と親交があり、竹林の七賢と呼ばれていた。皆老子や荘子の虚無の学を信奉し、礼法を軽蔑して、酒をとめどなく飲んでは泥酔し、世事をないがしろにした。当時の士大夫はこの風を慕い倣って放達と称していた。ただ山濤だけは世事にも心を留めて、吏部尚書となって官吏の人選をつかさどり、才能を見分けて引き上げるために、各項目ごとに特性を奏上した。人々は「山公の啓事」と呼んだ。