寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 太相と八宰相

2014-12-27 11:55:10 | 十八史略
上崩、在位二十二年。改元者五、曰太平興國、曰雍煕・端拱・淳化・至道。壽五十九。薛居正・沈倫・趙普・宋・李・呂蒙正・張齊賢・呂端等、相繼爲相。普凡再入再罷、尋薨。普初以吏道聞、寡學術。太祖嘗歡以讀書。普遂手不釋巻。毎朝有大議、輒闔戸自啓一篋、取一書閲之。及卒家人視其篋則論語也。嘗謂上曰、臣有論語一部。以半部佐太祖定天下、以半部佐陛下致太平。

上崩ず。在位二十二年。改元する者(こと)五、太平興国と曰い、雍煕(ようき)・端拱(たんきょう)・淳化・至道と曰う。寿五十九なり。薛居正(せつきょせい)・沈倫(しんりん)・趙普・宋(そうき)・李(りほう)・呂蒙正(りょもうせい)・張齊賢・呂端(りょたん)等、相継いで相と為る。普は凡(すべ)て再び入(い)って再び罷め、尋(つ)いで薨(こう)ず。普、初め吏道を以って聞こえ、学術寡(すくな)し。太祖嘗て勧むるに読書(とくしょ)を以ってす。普、遂に手に巻(かん)を釈(と)かず。朝(ちょう)に大議有る毎に、輒(すなわ)ち戸を闔(と)じて自ら一篋(いっきょう)を啓(ひら)き、一書を取って之を閲す。卒するに及んで家人之を視れば則ち論語なり。嘗て上に謂って曰く「臣、論語一部有り。半部を以って太祖を佐(たす)けて天下を定め、半部を以って陛下を佐けて太平を致す」と。

吏道 官吏の道。 巻を釈かず 釈は下に置く。 大議 重要会議。 篋 箱。

太宗が崩御された。在位二十二年、改元すること五回、太平興国、雍煕・端拱・淳化・至道といった。享年五十九歳であった。
薛居正・沈倫・趙普・宋・李・呂蒙正・張齊賢・呂端が相継いで宰相になった。趙普は二度宰相になり二度罷免させられ、その後間もなく死んだ。趙普は初めは実務に秀で、学問は得意ではなかったが、ある時太祖からの勧めによって読書をするようになった。以来書物を手放さなくなり重要な会議の時は部屋に籠って、箱から書物を取り出して読んだ。死後家人が箱を開けると論語が入っていた。かつて太宗に「私は論語を一部持っています。その半部は太祖の為に天下を治めるのに役立てました。あとの半部は陛下のお役に立てて太平の世を招来したいと存じます」と言った。

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