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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 赤壁の戦い

2011-10-18 10:04:02 | 十八史略
子を生まばまさに孫仲謀の如くなるべし
瑜部將黄蓋曰、操軍方連船艦、首尾相接、可燒而走也。乃取蒙衝・鬭艦十艘、載燥荻枯柴、灌油其中、裹帷幔、上建旌旗、豫備走舸、繋於其尾。先以書遣操、詐欲降。時東南風急。蓋以十艘最著前、中江擧帆、餘船以次倶進。操軍皆指言、蓋降。去二里餘、同時發火。火烈風猛、船往如箭。燒盡北船、烟焰漲天。人馬溺燒、死者甚衆。瑜等率輕鋭、靁鼔大進。北軍大壊、操走還。後屢加兵於權、不得志。操歎息曰、生子當如孫仲謀。向者劉景昇兒子、豚犬耳。

瑜の部将黄蓋曰く、「操軍方(まさ)に船艦を連ね、首尾相接す、焼いて走らす可し」と。乃ち蒙衝(もうしょう)闘艦十艘を取り、燥荻枯柴(そうてきこさい)を載せて、油を其の中に潅(そそ)ぎ、帷幔(いまん)に裹(つつ)んで、上に旌旗(せいき)を建て、予め走舸(そうか)を備えて、其の尾に繋ぐ。先づ書を以って操に遣り、詐(いつわ)って降らんと欲すと為す。時に東南の風急なり。蓋、十艘を以って最も前に著(つ)け、中江(ちゅうこう)に帆を挙げ、余船、次(じ)を以って倶(とも)に進む。操の軍皆指さして言う、蓋降ると。去ること二里余、同時に火を発す。火烈しく風猛(たけ)く、船の往くこと箭(や)の如し。北船を焼き尽くし、烟焰(えんえん)天に漲る。人馬溺焼(できしょう)し、死する者甚だ衆(おお)し。瑜等軽鋭(けいえい)を率いて、靁鼔(らいこ)して大いに進む。北軍大いに壊(やぶ)れ、操走り還る。後屢しば兵を権に加うれども、志を得ず。操嘆息して曰く、「子を生まば当(まさ)に孫仲謀(そんちゅうぼう)の如くなるべし。向者(さき)の劉景昇の児子は、豚犬のみ」と。

首尾 舳艫(じくろ)、へさき、とも(舳も艫もともに船首船尾)。 蒙衝(艨艟) 敵船に衝突して突き破る軍船。 帷幔 幕、とばり。 走舸 はや舟。 靁鼔 靁は雷の古字、鼔 鼓を打つこと、鼔と鼓は別字。 豚犬のみ 自分の子を謙遜して豚児というのはここから。 孫仲謀 孫権の字。 劉景昇 劉表の字。

周瑜の部将黄蓋が言うには「曹操の軍は船首に船尾が接するほどの大船団であります。火攻めにして潰走させるべきでしょう」と。そこで突破船と戦闘艦十艘を選び枯草や柴を積み込み、油をそそぎ、幕で包んで上に旗を立てた。そして予め船尾に速舟を繋いだ。それから曹操に書を送り、偽って降伏を申し出ておいた。折から東南の風が激しくなった。黄蓋は十艘を先頭に揚子江の中流に帆をあげ、他の船も並んで後に続いた。曹操の軍はそれを指さして「黄蓋が降参してきた」と言い合っていた。操軍との間が二里ほどに迫ったころ、一斉に火を放った。火は激しく風強く、火船は矢の如く進み曹操軍の船団に突入し、焼き尽くした。焔と煙が天をおおうばかり、人馬はあるいは焼け死に、あるいは溺れ死に、さらに周瑜の率いる軽装の精鋭が鼓をとどろかせて、追い打ちをかけた。曹操軍は大敗し、散りぢりになって逃げ帰った。その後、しばしば戦いを仕かけたがことごとく失敗した。曹操は歎息してこう言った「子を持つなら孫権のような子が欲しい、さきに降伏した劉表の子などは豚か犬のようなものだ」

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