開寶元年、北漢主劉鈞殂。養子繼恩立。郭無爲弑之。而立其同母弟繼元。皆異姓子也。
雷驤判大理寺。官屬與堂吏、附會宰相、擅減刑名。驤、憤惋。直詣講武殿奏之。並言、趙普強市人第宅、聚斂財賄。上怒叱曰、鼎鐺尚有耳。汝不聞趙普吾之社稷臣乎。引柱斧撃折其二齒、命曳出黜之。
二年、命曹彬等伐北漢。尋親征攻太原。城久不下。頓兵百草池。中暑雨、軍中疾疫。詔班師。
開宝元年、北漢主劉鈞(りゅうきん)殂(そ)す。養子、継恩立つ。郭無為これを弑す。而して其の同母弟、継元を立つ。皆異姓の子なり。
雷徳驤(らいとくじょう)、大理寺に判たり。官属と堂吏と、宰相に附会(ふかい)し、擅(ほしいまま)に刑名を増減す。徳驤憤惋(ふんわん)す。直ちに講武殿に詣(いた)り、之を奏す。並びに言う「趙普、強いて人の第宅(ていたく)を市(か)い、財賄を聚斂(しゅうれん)す」と。上怒り叱(しっ)して曰く「鼎鐺(ていとう)尚耳有り。汝、趙普は吾が社稷の臣なるを聞かざるか」と。柱斧(ちゅうふ)を引いて其の二歯を撃折(げきせつ)し、命じて曳き出さしめて之を黜(しりぞ)く。
二年、曹彬(そうひん)等に命じて、北漢を伐たしむ。尋(つ)いで親征して太原を攻む。城久しく下らず。兵を百草池に頓(とん)す。暑雨に中(あた)って、軍中疾疫(しつえき)す。詔(みことのり)して師を班(かえ)さしむ。
異姓 継恩と継元は父親が違う。二人とも劉鈞の養子となった。 大理寺 裁判と刑獄をつかさどる役所。 官属 大理寺の役人。 堂吏 宰相府付きの役人。 附会 自分を枉げて相手に合わせること。 憤惋 いきどおりなげく。 第宅 邸宅。 市 売り買いする。 財賄 財貨。 聚斂 集めおさめること。 鼎鐺 ともに三本足で取っ手(耳)の付いた鍋の類。 社稷 国家、土地の神と穀物の神。 柱斧 天子の座側に置いた水晶の斧。 頓 屯、駐屯。 班 帰す。
開宝元年(968年)に北漢の劉鈞が死んで、養子の継恩が立ったが、郭無為がこれを弑殺して同じく養子の弟継元を立てた。この兄弟は父親を異にした。
雷徳驤が大理寺の判官になった。ところが大理寺付きの役人と宰相府付きの役人とが宰相の趙普に媚びてその意向にそって勝手に罪名を増減した。徳驤は憤慨してすぐに講武殿に駆けつけてその非を奏上した。同時に「趙普は無理に他人の邸宅を買い取り、財貨を集めています」と申し立てた。すると帝は激怒して「鼎や鍋にすら耳はあるぞ、お前は趙普が国家の重鎮であることを聞いていないのか」と、傍らに備え付けていた小さい斧で徳驤の前歯二本を打ち砕き、命じて講武殿の外に引きずり出させて退けた。
二年、曹彬等に命じて北漢を伐たせ、続いて自ら出陣して太原を攻めたが、落ちなかった。兵を百草池という所に駐屯させたが、暑さと雨で軍中に疫病が蔓延したので軍隊を引き返させた。
雷驤判大理寺。官屬與堂吏、附會宰相、擅減刑名。驤、憤惋。直詣講武殿奏之。並言、趙普強市人第宅、聚斂財賄。上怒叱曰、鼎鐺尚有耳。汝不聞趙普吾之社稷臣乎。引柱斧撃折其二齒、命曳出黜之。
二年、命曹彬等伐北漢。尋親征攻太原。城久不下。頓兵百草池。中暑雨、軍中疾疫。詔班師。
開宝元年、北漢主劉鈞(りゅうきん)殂(そ)す。養子、継恩立つ。郭無為これを弑す。而して其の同母弟、継元を立つ。皆異姓の子なり。
雷徳驤(らいとくじょう)、大理寺に判たり。官属と堂吏と、宰相に附会(ふかい)し、擅(ほしいまま)に刑名を増減す。徳驤憤惋(ふんわん)す。直ちに講武殿に詣(いた)り、之を奏す。並びに言う「趙普、強いて人の第宅(ていたく)を市(か)い、財賄を聚斂(しゅうれん)す」と。上怒り叱(しっ)して曰く「鼎鐺(ていとう)尚耳有り。汝、趙普は吾が社稷の臣なるを聞かざるか」と。柱斧(ちゅうふ)を引いて其の二歯を撃折(げきせつ)し、命じて曳き出さしめて之を黜(しりぞ)く。
二年、曹彬(そうひん)等に命じて、北漢を伐たしむ。尋(つ)いで親征して太原を攻む。城久しく下らず。兵を百草池に頓(とん)す。暑雨に中(あた)って、軍中疾疫(しつえき)す。詔(みことのり)して師を班(かえ)さしむ。
異姓 継恩と継元は父親が違う。二人とも劉鈞の養子となった。 大理寺 裁判と刑獄をつかさどる役所。 官属 大理寺の役人。 堂吏 宰相府付きの役人。 附会 自分を枉げて相手に合わせること。 憤惋 いきどおりなげく。 第宅 邸宅。 市 売り買いする。 財賄 財貨。 聚斂 集めおさめること。 鼎鐺 ともに三本足で取っ手(耳)の付いた鍋の類。 社稷 国家、土地の神と穀物の神。 柱斧 天子の座側に置いた水晶の斧。 頓 屯、駐屯。 班 帰す。
開宝元年(968年)に北漢の劉鈞が死んで、養子の継恩が立ったが、郭無為がこれを弑殺して同じく養子の弟継元を立てた。この兄弟は父親を異にした。
雷徳驤が大理寺の判官になった。ところが大理寺付きの役人と宰相府付きの役人とが宰相の趙普に媚びてその意向にそって勝手に罪名を増減した。徳驤は憤慨してすぐに講武殿に駆けつけてその非を奏上した。同時に「趙普は無理に他人の邸宅を買い取り、財貨を集めています」と申し立てた。すると帝は激怒して「鼎や鍋にすら耳はあるぞ、お前は趙普が国家の重鎮であることを聞いていないのか」と、傍らに備え付けていた小さい斧で徳驤の前歯二本を打ち砕き、命じて講武殿の外に引きずり出させて退けた。
二年、曹彬等に命じて北漢を伐たせ、続いて自ら出陣して太原を攻めたが、落ちなかった。兵を百草池という所に駐屯させたが、暑さと雨で軍中に疫病が蔓延したので軍隊を引き返させた。
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