西苑周二百里。其内爲海。周十餘里。爲蓬莱・方丈・瀛州諸山。高百餘尺。臺觀宮殿、羅絡山上。海北有渠。縈紆注海。縁渠作十六院。門皆臨渠、窮極華麗。宮樹凋落、翦綵爲花葉綴之。沼内亦翦綵爲荷芰菱芡、色渝則易新者。好以月夜、從宮女數千騎、遊西苑、作夜遊曲、馬上奏之。
後又開永濟渠、引沁水、南達于河、北通涿郡。又營汾陽宮。又穿江南河、自京口至餘杭八百里。
西苑は周二百里。その内に海をつくる。周十余里。蓬莱・方丈・瀛州(えいしゅ
う)の諸山を為(つく)る。高さ百余尺。台観宮殿、山上に羅絡(ららく)せり。海の
北に渠(きょ)有り。縈紆(えいう)して海に注ぐ。渠に縁(よ)って十六院を作る。門皆渠に臨み、華麗を窮極せり。宮樹凋落(ちょうらく)すれば翦綵(せんさい)して花葉を為(つく)り之を綴る。沼内(しょうない)にも亦翦綵して荷芰菱芡(かきりょうけん)を為り、色渝(かわ)れば則ち新しき者に易(か)う。好んで月夜を以って宮女数千騎を従えて、西苑に遊び、清夜遊(せいやゆう)の曲を作って、馬上に之を奏せしめたり。
後に又、永済渠を開き、沁水(しんすい)を引き、南のかた河に達し、北のかた涿郡(たくぐん)に通ず。又汾陽宮(ふんようきゅう)を営む。又江南河(こうなんか)を穿(うが)ち、京口(けいこう)より余杭(よこう)に至ること八百里なり。
蓬莱・方丈・瀛州 神仙の棲むという東方海上の島に象った山。 台観 物見台。 羅絡 並び連ねること。 縈紆 くねくねと曲がること。 翦綵 綵はあやぎぬ。 荷芰菱芡 はす、ひし、みずぶき、すべて水草の名。 清夜遊 魏の曹植の詩に曲をつけたもの。 涿郡 今の河北省にある郡。 京口 江蘇省の鎮江。 余杭 浙江省の県名。
西苑は周囲二百里もあり、その中に海まで造った。周囲が十余里、中に蓬莱・方丈・瀛州という三つの神山になぞらえて高さ百尺余りの山を築き、山上には楼台や宮殿が軒を連ねた。その北側に水路を掘り、うねうねと海に至り、水路に沿って十六の宮殿を造営した。その門はすべて水路に向かって開かれ華麗を極めていた。冬になって木々がしぼみ、落葉するとあやぎぬで花や葉を作って飾り付けた。池の内でも、蓮や菱をつくり、色が褪せると新しいものに取り替えた。月の夜には宮女数千騎を引き連れて西苑に遊び、清夜遊の曲を演奏させて楽しんだ。その後、永済渠を開削した。沁水を引いて、南は黄河に達し、北は涿郡まで通じた。又汾陽宮を造営し、江南河を穿(うが)って、京口から余杭までに至るまで、八百里に及んだ。
後又開永濟渠、引沁水、南達于河、北通涿郡。又營汾陽宮。又穿江南河、自京口至餘杭八百里。
西苑は周二百里。その内に海をつくる。周十余里。蓬莱・方丈・瀛州(えいしゅ
う)の諸山を為(つく)る。高さ百余尺。台観宮殿、山上に羅絡(ららく)せり。海の
北に渠(きょ)有り。縈紆(えいう)して海に注ぐ。渠に縁(よ)って十六院を作る。門皆渠に臨み、華麗を窮極せり。宮樹凋落(ちょうらく)すれば翦綵(せんさい)して花葉を為(つく)り之を綴る。沼内(しょうない)にも亦翦綵して荷芰菱芡(かきりょうけん)を為り、色渝(かわ)れば則ち新しき者に易(か)う。好んで月夜を以って宮女数千騎を従えて、西苑に遊び、清夜遊(せいやゆう)の曲を作って、馬上に之を奏せしめたり。
後に又、永済渠を開き、沁水(しんすい)を引き、南のかた河に達し、北のかた涿郡(たくぐん)に通ず。又汾陽宮(ふんようきゅう)を営む。又江南河(こうなんか)を穿(うが)ち、京口(けいこう)より余杭(よこう)に至ること八百里なり。
蓬莱・方丈・瀛州 神仙の棲むという東方海上の島に象った山。 台観 物見台。 羅絡 並び連ねること。 縈紆 くねくねと曲がること。 翦綵 綵はあやぎぬ。 荷芰菱芡 はす、ひし、みずぶき、すべて水草の名。 清夜遊 魏の曹植の詩に曲をつけたもの。 涿郡 今の河北省にある郡。 京口 江蘇省の鎮江。 余杭 浙江省の県名。
西苑は周囲二百里もあり、その中に海まで造った。周囲が十余里、中に蓬莱・方丈・瀛州という三つの神山になぞらえて高さ百尺余りの山を築き、山上には楼台や宮殿が軒を連ねた。その北側に水路を掘り、うねうねと海に至り、水路に沿って十六の宮殿を造営した。その門はすべて水路に向かって開かれ華麗を極めていた。冬になって木々がしぼみ、落葉するとあやぎぬで花や葉を作って飾り付けた。池の内でも、蓮や菱をつくり、色が褪せると新しいものに取り替えた。月の夜には宮女数千騎を引き連れて西苑に遊び、清夜遊の曲を演奏させて楽しんだ。その後、永済渠を開削した。沁水を引いて、南は黄河に達し、北は涿郡まで通じた。又汾陽宮を造営し、江南河を穿(うが)って、京口から余杭までに至るまで、八百里に及んだ。
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