goo blog サービス終了のお知らせ 

寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 

2012-09-01 08:57:49 | 十八史略
文帝、太子広の弑するところとなる
帝所寵陳夫人出更衣、爲太子所逼、拒之得免。帝怪其色有異、問故。夫人泫然曰、太子無禮。帝恚抵床曰、畜生、何足付大事。獨孤誤我。將召故太子勇。廣聞之、令右庶子張衡入侍疾、因弑帝、遣人縊殺勇。帝性嚴重、勤於政事。令行禁止。雖嗇於財、賞功不吝。愛養百姓、勸課農桑、輕徭薄賦、自奉儉薄。天下化之。受禪之初、民戸不満四百萬、未年踰八百萬。然自以詐力得天下、猜忌苛察、信受讒言、功臣故舊、無終始保全者。在位二十四年。改元者二、曰開皇・仁壽。太子立。是爲煬皇帝。

帝の寵する所の陳婦人出でて更衣し、太子の逼(せま)る所となり、之を拒んで免(のが)るるを得たり。帝其の神色の異有ることを怪しみ、故(ゆえ)を問う。夫人泫然(げんぜん)として曰く、「太子無礼なり」と。帝恚(いか)って床を抵(たた)いて曰く、「畜生、何ぞ大事を付すに足らん。独孤我を誤る」と。将に故(もと)の太子勇を召さんとす。弘、之を聞き、右庶子(ゆうしょし)の張衡をして入って疾(やまい)に侍(じ)せしめ、因(よ)って帝を弑す。人を遣(や)って勇を縊(くびり)殺さしむ。帝、性厳重にして政事に勤む。令すれば行われ、禁ずれば止む。財に嗇(しょく)なりと雖も、功を賞するに吝(やぶさ)かならず。百姓を愛養し、農桑を勧課(かんか)し、徭(よう)を軽くし、賦を薄くす。自ら奉ずること倹薄(けんはく)なり。天下之に化す。受禅の初め、民戸四百萬に満たざりしが、末年には八百萬を踰(こ)えたり。然れども自ら詐力をもって天下を得たれば、猜忌苛察(さいきかさつ)にして、讒言を信受し、功臣故旧、終始保全する者無し。在位二十四年、改元すること二、開皇・仁寿という。太子立つ。是を煬皇帝と為す。

神色 顔色。 泫然 涙を流して泣くさま。 畜生 人に畜(やしな)われて生きているもの、転じて人でなし。 右庶子 東宮附きの官名。 勧課 勧奨と課役。 徭 夫役。 賦 租税。 倹薄 つづましいこと。 猜忌 疑い嫌うこと。 苛察 厳しく詮索すること。

文帝の寵愛した陳夫人が、帝前を出て着替えをしている時、太子が挑みかかった。からくも逃れたが、文帝がその顔色が尋常でないのを訝って問い詰めると、眼から涙をあふれさせ、「太子が無礼な振る舞いに及びました」とうったえた。文帝は床をこぶしで叩いて「畜生めこんな奴に天下を渡そうとしたのか。わしは独孤のために大事を誤ったわ」と激怒した。もとの勇を太子に戻そうとしたが、広がこれを聞くと、右庶子の張衡を病床に就かせ、隙をみて帝を弑殺し、さらに人を遣って勇を絞め殺してしまった。文帝は厳格で重々しく政治に勤めたので、令を出せばすぐに行われ、禁止すればすぐ止んだ。けちではあったが、功績を賞するときは金銭を惜しまなかった。人々を慈しみ養い、農業養蚕を奨励して、労役を軽くし、租税を少なくして自身の用度は切り詰めたので天下皆帝の徳に倣った。文帝が周から位を承けたときは戸数四百万に満たなかったが、治世の末年には八百万をこえた。しかし自ら謀略によって天下を得ただけに猜疑心が強く、厳しく追求することが多いため、功臣や旧知で身を全うした者が居なかった。在位二十四年、改元すること二、開皇、仁寿という。太子が即位した。これが煬皇帝である。

昨日八月三十一日は二百十日、旧暦では七月十四日で満月でした。電灯を消し、窓を開け放って月光をたのしみました。十四日の満月は始めて知りました。一ヶ月に二度満月があることも三年に一度ぐらいだそうです。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。