惟馬援死之日、恩意頗不終焉。援嘗曰、大丈夫當以馬革裹屍。安能死兒女手。交阯反。援以伏波將軍、討平之。武陵蠻反。援又請行。帝愍其老。援被甲上馬、據鞍顧眄、以示可用。上笑曰、矍鑠哉是翁。乃遣之。先是、上壻梁松、嘗候援拝牀下。援自以父友不答。松不平。
惟だ馬援死するの日、恩意頗る終(お)えず。援嘗て曰く、「大丈夫当(まさ)に馬革(ばかく)を以って屍を裹(つつ)むべし。安(いづく)んぞ能(よ)く児女の手に死せんや」と。交阯(こうち、こうし)反す。援、伏波将軍を以って、討って之を平らぐ。武陵の蠻(ばん)反す。援又行かんと請う。帝其の老いたるを愍(あわれ)む。援、甲(こう)を被(こうむ)り、馬に上り、鞍に拠(よ)って顧眄(こべん)し、以って用う可きを示す。上笑って曰く、矍鑠(かくしゃく)たるかな是(こ)の翁や、と。乃ち之を遣わす。是より先、上の婿梁松、嘗て援を候(こう)して牀下に拝す。援自ら父の友なるを以って答えず。松、平かならず。
ただ馬援が死んだ時だけは、恩遇の意が十分ではなかった。援は嘗て「大丈夫たる者、屍を馬革に包まれて凱旋することこそ本望、女子供に看取られて死ぬのは御免こうむりたい」と言っていた。
交阯が反(そむ)いた。援は伏波将軍としてこれを討伐して平定した。武陵の蛮族が反いた時、援は討伐に名乗りを上げたが帝は援の老齢を憐れんで許さなかった。すると馬援は甲冑を身にまとい、馬に乗り鞍に身をあずけて四方をねめつけて、まだまだお役に立ちますぞと訴えた。帝は笑いながら「いやはや元気なものだこのご老人は」と言って許した。
これより以前、帝の女婿の梁松が援を訪れて寝台の下で拝礼をしたが、梁松の父と援が友人同士であったことから、答礼をしなかった。それで梁松は援に含むところがあった。
頗る終えず やや十分ではなかった。 裹 つつむこと、裹屍(かし) 戦死者の死体を馬の革につつんで故郷に還ること。 交阯 ベトナム北部。 武陵 湖南省。 顧眄 ふりかえって見る、周りを見る。矍鑠 老いて元気なこと。 候 きげんを問う。
惟だ馬援死するの日、恩意頗る終(お)えず。援嘗て曰く、「大丈夫当(まさ)に馬革(ばかく)を以って屍を裹(つつ)むべし。安(いづく)んぞ能(よ)く児女の手に死せんや」と。交阯(こうち、こうし)反す。援、伏波将軍を以って、討って之を平らぐ。武陵の蠻(ばん)反す。援又行かんと請う。帝其の老いたるを愍(あわれ)む。援、甲(こう)を被(こうむ)り、馬に上り、鞍に拠(よ)って顧眄(こべん)し、以って用う可きを示す。上笑って曰く、矍鑠(かくしゃく)たるかな是(こ)の翁や、と。乃ち之を遣わす。是より先、上の婿梁松、嘗て援を候(こう)して牀下に拝す。援自ら父の友なるを以って答えず。松、平かならず。
ただ馬援が死んだ時だけは、恩遇の意が十分ではなかった。援は嘗て「大丈夫たる者、屍を馬革に包まれて凱旋することこそ本望、女子供に看取られて死ぬのは御免こうむりたい」と言っていた。
交阯が反(そむ)いた。援は伏波将軍としてこれを討伐して平定した。武陵の蛮族が反いた時、援は討伐に名乗りを上げたが帝は援の老齢を憐れんで許さなかった。すると馬援は甲冑を身にまとい、馬に乗り鞍に身をあずけて四方をねめつけて、まだまだお役に立ちますぞと訴えた。帝は笑いながら「いやはや元気なものだこのご老人は」と言って許した。
これより以前、帝の女婿の梁松が援を訪れて寝台の下で拝礼をしたが、梁松の父と援が友人同士であったことから、答礼をしなかった。それで梁松は援に含むところがあった。
頗る終えず やや十分ではなかった。 裹 つつむこと、裹屍(かし) 戦死者の死体を馬の革につつんで故郷に還ること。 交阯 ベトナム北部。 武陵 湖南省。 顧眄 ふりかえって見る、周りを見る。矍鑠 老いて元気なこと。 候 きげんを問う。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます