漢丞相亮、率諸軍北伐魏。臨發上疏曰、今天下三分、州疲弊。此危急存亡之秋也。宜開張聖聽、不宜塞忠諌之路。宮中・府中、倶爲一體。陟罰臧否、不宜異同。若有作姦犯科及忠善者、宜付有司論其刑賞、以昭平明之治。親賢臣遠小人、此先漢所以興隆也。親小人遠賢臣、此後漢所以傾頽也。臣本布衣、躬畊南陽、苟全性命於亂世、不求聞達於諸侯。先帝不以臣卑鄙、猥自枉屈、三顧臣於草廬之中、諮臣以當世之事。由是感激、許先帝以驅馳。先帝知臣謹慎、臨崩、寄以大事。受命以來、夙夜憂懼、恐付託不效、以傷先帝之明。故五月渡瀘、深入不毛。今南方已定、兵甲已足。當奬率三軍、北定中原。興復漢室、還于舊都、此臣所以報先帝而忠陛下之職分也。遂屯漢中。
漢の丞相亮、諸軍を率いて、北のかた魏を伐つ。発するに臨んで、上疏(じょうそ)して曰く、「今、天下三分し、益州疲弊せり。此れ危急存亡の秋(とき)なり。宜しく聖聴を開帳すべく、宜しく忠諌(ちゅうかん)の路を塞ぐべからず。宮中・府中は倶(とも)に一体たり。臧否(ぞうひ)を陟罰(ちょくばつ)するに、宜しく異同あるべからず。若し、姦を作(な)し、科を犯し、及び忠善の者有らば、宜しく有司に付して、その刑賞を論じ、以って平明の治を昭(あきら)かにすべし。賢臣を親しみ、小人を遠ざくるは、此れ先漢の興隆せし所以なり。小人を親しみ、賢人を遠ざくるは、此れ後漢の傾頽(けいたい)せし所以なり。臣、本(もと)布衣(ふい)、南陽に躬畊(きゅうこう)し、性命を乱世に苟全(こうぜん)して、聞達(ぶんたつ)を諸侯に求めず。先帝、臣が卑鄙(ひひ)なるを以ってせず、猥(みだ)りに自ら枉屈(おうくつ)して、臣を草廬(そうろ)の中に三顧し、臣に諮(と)うに当世の事を以ってす。是に由(よ)って感激し、先帝に許すに駆馳(くち)を以ってす。先帝、臣の謹慎なるを知り、崩ずるに臨み、寄するに大事を以ってせり。命を受けてより以来、夙夜(しゅくや)憂懼(ゆうく)し、付託の效(こう)あらずして、以って先帝の明を傷(そこな)わんことを恐る。故に五月、瀘(ろ)を渡り、深く不毛に入る。今、南方、すでに定まり、兵甲すでに足る。当(まさ)に三軍を奨率(しょうそつ)して、北のかた中原を定むべし。漢室を興復し、旧都を還(かえ)さんことは、此れ臣が先帝に報いて陛下に忠なる所以の職分なり」と。遂に漢中に屯(たむろ)す。
上疏 書をたてまつること。 聖聴を開帳 臣下の言葉をよく聴くこと。 忠諌 忠義の諫言。 宮中・府中 宮中は禁中・府中は幕府。 臧否 善悪。 陟罰 陟は登る、褒賞と罰則。 先漢 文帝・景帝の治世。 後漢 桓帝・霊帝の治世。 布衣 無官、庶人。 躬畊 みずから耕す。 苟全 とりあえず全うする。 聞達 世間に知れること。 卑鄙 身分が低いこと。 枉屈 曲げ、屈めること。 草廬 粗末ないおり。 三顧 三度訪ねる、目上の人が礼を尽くすこと。 駆馳 奔走すること。 夙夜 一日中。 憂懼 憂え恐れること。 效 効に同じ。 瀘 瀘水。 兵甲 兵は武器、甲はよろい。 奨率 奨帥、励まし率いる。
漢の丞相亮がいよいよ三軍を率いて魏を伐つことになった。出発に臨んで後皇帝に書(出師の表)を奉った。(227年)
「今、天下三分し、わが益州は最も疲弊しており、まさに危急存亡のときであります。陛下にはよく臣下の言葉をお聞きになりまして、忠義の諫言にはどうか路を閉ざされませぬようなされませ。
宮廷と政府とは一体であります。善悪の賞罰には違いがあってはなりません。もし悪事を行い罪を犯す者、あるいは忠義善良な者は、役人に命じて刑罰、褒賞を決めさせ、政治の公平正明を天下に示すべきであります。
賢臣を近づけ小人を遠ざけたことが先漢の興隆した原因でありますし、小人を近づけ賢臣を遠ざけたことこそ、後漢が衰亡した原因であります。
私はもと無官の平民で、南陽にみずから田を耕し、この乱世にただ一命を大事にと、諸侯に仕えての栄達に背を向けて参りました。先帝は私が卑しい身分であるにも拘わらず、自ら高貴な身を枉げられて、三度もむさくるしい庵を訪れられて、当世の急務について下問されました。これがために感激して先帝のために奔走することを誓ったのであります。
先帝は私がつつしみ深いことをお認めになり、ご臨終の際、私に国家の大事を託されました。ご遺命を受けてよりこのかた、日夜心を砕き、ご信任に背いて先帝の聖明を汚すようなことがないかと恐れておりました。それ故五月、瀘水を渡って、深く不毛の地に入ったのでございます。
今、南方はすでに平定され、軍備も整いました。三軍を励まして、北のかた中原の地を平定すべきと考えます。漢の王室を復興し、旧都長安にふたたび還ることこそ私が先帝の恩に報い、陛下に忠誠を尽くすためのつとめであります。」こうして漢中に兵を進めて駐屯した。
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