春燕林木に巣くう
宋主登石頭城、北望歎曰、檀道濟若在、豈使胡馬至此。道濟立功前朝、老於用兵。先是以讒被収。目光如炬、脱幘投地曰、乃壞汝萬里長城。既誅。魏人聞之喜曰、呉子輩、不足復憚。至是長驅。無能禦者。宋人或欲斬玄謨。沈慶之止之曰、佛狸威震天下。控弦百萬、豈玄謨所能當。殺戰將以自弱、非計也。魏師還。殺掠不可勝計。丁壯者斬截、嬰兒貫槊上盤舞。所過赤地、春燕歸巣於林木。自宋主即位、二十八年、號爲小康。至是兵革之後、邑里蕭條。元嘉之政衰矣。
宋主、石頭城に登り、北望して歎じて曰く、「檀道濟(だんどうさい)若(も)し在らば、豈(あに)胡馬(こば)をして此(ここ)に至らしめんや」と。道濟、功を前朝に立て、兵を用うるに老(た)けたり。是より先、讒(ざん)を以って収(とら)えらる。目光炬(きょ)の如く、幘(さく)を脱して地に投じて曰く、「乃(すなわ)ち汝が万里の長城を懐(やぶ)る」と。既に誅せらる。魏人之を聞いて喜んで曰く「呉子の輩、復た憚るに足らず」と。是に至って長躯す。能く禦(ふせ)ぐ者無し。宋人或いは玄謨(げんぼ)を斬らんと欲す。沈慶之(しんけいし)之を止めて曰く「佛狸(ふつり)の威天下に震(ふる)う。控弦(こうげん)百万、豈玄謨が能く当る所ならんや。戦将を殺して以って自ら弱むるは、計に非らざるなり」と。魏師還る。殺掠(さつりゃく)、勝(あ)げて計るべからず。丁壮の者は斬截(ざんせつ)し、嬰児は槊上(さくじょう)に貫いて盤舞(はんぶ)す。過ぐる所は赤地となり、春燕、帰って林木に巣(すく)う。宋主位に即きしより、二十八年の間、号して小康と為す。是(ここ)に至って、兵革(へいかく)の後、邑里(ゆうり)蕭條たり。元嘉の政衰う。
老 老練。 炬 たいまつの火。 幘 頭巾。 呉子の輩 建康はその昔呉の地だからいう。 佛狸 魏の太武帝の字。 控弦 軍勢、控は弓を引くこと。槊上 ほこに貫かれる。 盤舞 ぐるぐる振り回す。 赤地 まるはだかの土地。 兵革 武器とよろい、戦争のこと。
宋の文帝は石頭城に登って北を眺めやり、歎息して言った。「檀道濟が居てくれさえすれば、ここまで胡の馬を眼にすることはなかったろうに」と。この道濟は武帝の時に功績を上げて、用兵に老練であった。これより前、謀反の企てがあると讒言されて捕えられた。このとき道濟は真っ赤な目を剥き頭巾を叩きつけて、「自分で自身の守りの長城を壊すつもりか」と叫んだ。道濟が誅殺されると魏では大喜びで「これで宋に心配な人物は居なくなった」といった。ここに及んで魏軍が深く攻め寄せてきても、宋では防ぎ止める者が居なかった。人々の恨みは王玄謨に集まり、斬るべしの声が上がったが沈慶之が「魏主の仏狸の威光は天下を震い動かしている。その部下百万人が弓をしぼってくるのに玄謨がかなう訳がない、大将を殺して自分から力を弱めるのは得策ではなかろう」と言って庇った。やがて魏軍は引きあげたが、虐殺略奪の限りをつくし去った。若者壮年は斬りきざまれ、嬰児は矛で突き刺され、ぐるぐる廻された。過ぎ去った跡は丸裸になり、燕が帰ってきても巣をかける家がなく林の木に巣をかけるありさまであった。宋の文帝が即位して二十八年間平穏に過ぎたが、ここにきて兵乱を受け、村里は荒れ果て、元嘉の治は最後に衰えたのであった。
宋主登石頭城、北望歎曰、檀道濟若在、豈使胡馬至此。道濟立功前朝、老於用兵。先是以讒被収。目光如炬、脱幘投地曰、乃壞汝萬里長城。既誅。魏人聞之喜曰、呉子輩、不足復憚。至是長驅。無能禦者。宋人或欲斬玄謨。沈慶之止之曰、佛狸威震天下。控弦百萬、豈玄謨所能當。殺戰將以自弱、非計也。魏師還。殺掠不可勝計。丁壯者斬截、嬰兒貫槊上盤舞。所過赤地、春燕歸巣於林木。自宋主即位、二十八年、號爲小康。至是兵革之後、邑里蕭條。元嘉之政衰矣。
宋主、石頭城に登り、北望して歎じて曰く、「檀道濟(だんどうさい)若(も)し在らば、豈(あに)胡馬(こば)をして此(ここ)に至らしめんや」と。道濟、功を前朝に立て、兵を用うるに老(た)けたり。是より先、讒(ざん)を以って収(とら)えらる。目光炬(きょ)の如く、幘(さく)を脱して地に投じて曰く、「乃(すなわ)ち汝が万里の長城を懐(やぶ)る」と。既に誅せらる。魏人之を聞いて喜んで曰く「呉子の輩、復た憚るに足らず」と。是に至って長躯す。能く禦(ふせ)ぐ者無し。宋人或いは玄謨(げんぼ)を斬らんと欲す。沈慶之(しんけいし)之を止めて曰く「佛狸(ふつり)の威天下に震(ふる)う。控弦(こうげん)百万、豈玄謨が能く当る所ならんや。戦将を殺して以って自ら弱むるは、計に非らざるなり」と。魏師還る。殺掠(さつりゃく)、勝(あ)げて計るべからず。丁壮の者は斬截(ざんせつ)し、嬰児は槊上(さくじょう)に貫いて盤舞(はんぶ)す。過ぐる所は赤地となり、春燕、帰って林木に巣(すく)う。宋主位に即きしより、二十八年の間、号して小康と為す。是(ここ)に至って、兵革(へいかく)の後、邑里(ゆうり)蕭條たり。元嘉の政衰う。
老 老練。 炬 たいまつの火。 幘 頭巾。 呉子の輩 建康はその昔呉の地だからいう。 佛狸 魏の太武帝の字。 控弦 軍勢、控は弓を引くこと。槊上 ほこに貫かれる。 盤舞 ぐるぐる振り回す。 赤地 まるはだかの土地。 兵革 武器とよろい、戦争のこと。
宋の文帝は石頭城に登って北を眺めやり、歎息して言った。「檀道濟が居てくれさえすれば、ここまで胡の馬を眼にすることはなかったろうに」と。この道濟は武帝の時に功績を上げて、用兵に老練であった。これより前、謀反の企てがあると讒言されて捕えられた。このとき道濟は真っ赤な目を剥き頭巾を叩きつけて、「自分で自身の守りの長城を壊すつもりか」と叫んだ。道濟が誅殺されると魏では大喜びで「これで宋に心配な人物は居なくなった」といった。ここに及んで魏軍が深く攻め寄せてきても、宋では防ぎ止める者が居なかった。人々の恨みは王玄謨に集まり、斬るべしの声が上がったが沈慶之が「魏主の仏狸の威光は天下を震い動かしている。その部下百万人が弓をしぼってくるのに玄謨がかなう訳がない、大将を殺して自分から力を弱めるのは得策ではなかろう」と言って庇った。やがて魏軍は引きあげたが、虐殺略奪の限りをつくし去った。若者壮年は斬りきざまれ、嬰児は矛で突き刺され、ぐるぐる廻された。過ぎ去った跡は丸裸になり、燕が帰ってきても巣をかける家がなく林の木に巣をかけるありさまであった。宋の文帝が即位して二十八年間平穏に過ぎたが、ここにきて兵乱を受け、村里は荒れ果て、元嘉の治は最後に衰えたのであった。
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