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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 伊霍の故事を行え

2012-07-12 08:50:10 | 十八史略

齊主昏淫狂恣。所幸潘妃、以金爲蓮花、帖地上使歩之、曰、此歩歩生蓮花也。左右用事、賊虐日甚、太尉陳顯達、先擧兵襲建康、敗死。將軍崔慧景、受命出討叛州、還兵逼建康。時南豫州刺史蕭懿將兵在近。齊主急召、入援。慧景敗死。以懿爲尚書。懿弟南雍州刺史衍、使人勸懿行伊霍故事。不爾亟還歴陽。懿不能用。竟賜死。衍起兵襄陽、引而東圍建康。齊人弑主而迎衍。主在位三年。改元者一、曰永元。時南康王先已自立。是爲和皇帝。

斉主、昏淫狂恣なり。幸する所の潘妃(はんひ)、金を以って蓮花をつくり、地上に帖(じょう)して之を歩ましめ、曰く、「此れ歩歩蓮花を生ずるなり」と。左右事を用い、賊虐日に甚だし。太尉陳顕達(ちんけんたつ)、先ず兵を挙げて建康を襲い、敗死す。将軍崔慧景(さいけいけい)命を受けて出でて叛州を討ち、兵を還して建康に逼(せま)る。時に南豫州の刺史蕭懿(しょうい)、兵に将として近きに在り。斉主急に召し、入って援けしむ。慧景敗死す。懿を以って尚書と為す。懿の弟南雍州(なんようしゅう)の刺史衍(えん)、人をして懿に伊霍の故事を行え、爾(しか)らずんば亟(すみや)かに歴陽に還れと勧めしむ。懿、用うること能わず。竟(つい)に死を賜う。衍、兵を襄陽に起し、引いて東(ひがし)して建康を囲む。斉人、主を弑して衍を迎う。主在位三年。改元すること一、永元と曰う。時に南康王、先に已に自立す。是を和皇帝と為す。

昏淫狂恣 暗愚・淫乱・凶暴・放縦。 幸 寵愛。 帖 貼り付ける。 叛州 謀叛を起した州。 伊霍 殷の伊尹と漢の霍光、暗帝を放逐した。

一方斉主東昏侯は、暗愚で淫乱、狂暴でだらしなかった。寵愛する潘妃のために黄金で蓮の花をつくり、地面に貼り付けてその上を歩かせ、「これこそ歩む毎に蓮の花を生ずる天女の姿だ」と喜んだ。政治は左右の側近が取り仕切って、それも残忍さを増していった。太尉の陳顕達がついに兵を挙げて、建康を襲ったが敗れて死んだ。次い将軍の崔慧景が、命を受けて、謀叛した諸州を討伐に出たが、兵を返して建康に迫った。その時ちょうど南予州の刺史蕭懿が近くに駐屯していた。斉主は急に呼び寄せ、都に入って朝廷の軍を援けさせた。それで崔慧景も敗死した。功績によって蕭懿は尚書になった。弟の南雍州の刺史蕭衍が人づてに「殷の伊尹と漢の霍光が帝を追放した例に倣うことです、それができなければ、即刻歴陽に帰るのが身のためです」と勧めた。蕭懿がその忠告を実行できないでいると、ほどなく朝廷から死を命じられた。蕭衍は襄陽に兵を挙げ東にむかって建康を囲んだ。斉の民が主を弑して蕭衍を迎え入れた(501年)。東昏侯は在位三年、改元すること一回で永元という。
これより先、南康王が自ら位に即いていた。これが和皇帝である。

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