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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 孔穎達、五経正義を撰す

2012-11-22 08:49:03 | 十八史略
十三年、夏旱。詔五品以上言事。魏徴言、陛下比貞觀初、漸不克終者十條。上深奬歎。
十四年、上詣國子監、親釋奠。是時大徴天下名儒爲學官、數幸國子監、使之講論。學生能明一經已上者、皆得補官。築學舎、千二百、學生滿三千二百六十員。自屯營・飛騎、亦給博士授經、有能通經者、聽得貢擧。於是四方學者、雲集京師。乃至高麗・百濟・新羅・高昌・吐蕃諸酋長、亦遣子弟、請入國學。升講筵者、至八千餘人。上以師説多門、章句繁雜、命孔穎達、與諸儒定五經疏。謂之正義。

十三年、夏旱(ひでり)す。五品以上に詔(みことのり)して事を言わしむ。魏徴言う、「陛下、貞観の初めに比するに、漸く終わりを克(よ)くせざる者十條あり」と。上(しょう)、深く奨歎す。
十四年、上、国士監に詣(いた)り、親(みずか)ら釈奠(せきてん)す。是の時、大いに天下の名儒を徴して学官と為し、数しば国士監に幸(みゆき)し、之をして講論せしむ。学生能く一経(いっけい)已上(いじょう)に明らかなる者は、皆官に補せらるるを得。学舎を増築すること、千二百間、学生を増して三千二百六十員に満たしむ。屯営・飛騎よりして、亦博士を給して経を授け、能く経に通ずる者有れば、貢挙(こうきょ)を得ることを聴(ゆる)す。是(ここ)に於いて四方の学者、京師に雲集す。乃(すなわ)ち高麗・百済・新羅・高昌・杜番の諸酋長に至るまで、亦子弟を遣わし、請うて国学に入らしむ。講筵(こうえん)に升(のぼ)る者、八千余人に至る。上、師説多門にして、章句繁雑なるを以って、孔穎達(くえいたつ)に命じて、諸儒と五経の疏(そ)を定めしむ。之を正義と謂う。


事を言わしむ 至らぬ点を言わせた。 国士監 国士学、太学、またそれを総管する中央官庁。 釈奠 孔子を祀る典礼。 一経已上 五経のうちの一つ以上。 屯営・飛騎 天子親衛の武官。 貢挙 貢進、推挙された者。 高昌 トルファン地域に建てた漢族の殖民国家。 講筵 講義の席。 五経 詩経・書経・易経・礼記・春秋。 疏 注釈をさらに詳述したもの。

貞観十三年(639年)夏、旱魃があった。太宗は五品以上の官吏にみことのりして、自分の至らぬ点を言わせた。そのとき魏徴が「貞観の初めに比べますと、曖昧に止めを刺さないことが十か条ございました」と各条を申し上げた。太宗は深く称え誉めた。
十四年に帝は国士監に行き、自身で釈奠の典礼を行って孔子を祀った。この時国中の名だたる儒者を召して学官に立てた。その後しばしば国士監に御幸して学官に講義や論議を行わせた。学生のなかで一つ以上の経書を究めた者は官吏に取り立てることができるとした。学舎を千二百室増築し、学生を増やして三千二百六十人を定員とした。近衛武官の屯営や飛騎をはじめ各営所にも博士を派遣して経書の授業をし、それに通ずる者は文官として推挙できるようにした。天下の学を志す者が雲のように集まり、遠く高麗・百済・新羅・高昌・杜番などの部族の長も、子弟を送り込んで国士監に入れることを願い出た。講義の席に連なる者は八千人以上にのぼった。太宗は経書についての学説が多く、解釈も繁雑になるのを憂えて孔穎達に命じて、顔師古ら数人の儒者とともに五経の注釈をさらに詳説して、基準となるものを定めた。これを五経正義という。

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