寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 明帝

2012-02-21 10:02:16 | 十八史略
布衣の交わり
肅宗明皇帝名紹。幼而聰慧。嘗有使者從長安來。元帝問紹曰、長安近歟、日近。紹曰、長安近。但聞人從長安來、不聞人從日邊來。元帝奇其對。一日與羣臣語及之、復以問紹。紹曰、日近。元帝愕然曰、何異者之言邪。紹曰、擧頭見日、不見長安。元帝奇之。及長仁孝。喜文辭善武藝、好賢禮士、受規諌、與廋亮・温嶠等、爲布衣交。敦在石頭。以其有勇略、欲誣以不孝而廢之。頼嶠等衆論沮其謀、至是即位。敦謀簒位、移屯姑熟、自領揚州牧。

粛宗明皇帝、名は紹。幼にして聡慧(そうけい)なり。嘗て使者有って長安より来たる。元帝、紹に問うて曰く、「長安近きか、日近きか」と。紹の曰く、「長安近し。但だ人の長安より来るを聞けども、人の日辺より来るを聞かず」と。元帝其の対(こたえ)を奇とす。一日群臣と語って之に及び、復た以って紹に問う。紹の曰く、「日近し」と。元帝、愕然として曰く、「何ぞ間者(このごろ)の言に異なるか」と。紹の曰く、「頭を挙ぐれば日を見て、長安を見ず」と。元帝益々之を奇とす。長ずるに及んで仁孝なり。文辞を喜び、武芸を善くし、賢を好み士を礼し、規諌(きかん)を受け、廋亮(ゆりょう)・温嶠(おんきょう)等と布衣(ふい)の交りを為す。
敦、石頭に在り。其の勇略あるを以って、誣(し)うるに不孝を以ってし之を廃せんと欲す。嶠等の衆論に頼(よ)って其の謀(はかりごと)を沮(はば)みしが、是(ここ)に至って位に即きぬ。敦、位を簒(うば)わんことを謀(はか)り、屯(とん)を姑熟(こじゅく)に移して、自ら揚州の牧を領す。


間者 先日。 布衣の交り 身分を超えた交り、布衣は無位無冠の者が着る。 誣 誣告(ぶこく)、罪をでっちあげること。 牧 地方長官。

粛宗明皇帝は名を紹といった。幼い頃から聡明で、利発であった。嘗て長安から使者が来たとき、元帝が紹に、「ここから長安は近いかな、それともお日様の方が近いかな」と問いかけると、紹は「長安の方が近いです。長安から人が来ることは聞きますけど、お日さまの辺りから人が来たとは聞いたことがございません」と答えた。帝は大変喜んで、あるとき群臣を前にこの話を持ち出して、また紹を呼んで同じことを聞いた。紹は「お日さまが近いです」と答えたので元帝は大変驚いて、「どうしてこの前と違うのか」と言うと紹は「頭をあげるとお日さまは見えますけれど、長安は見ることができません」と答えたので、元帝はますます感心した。成長するにつれて慈悲深く、孝心篤く文章に親しみ、武芸にも秀で、賢者を好み、士を礼遇して、諫言を聞き入れて、廋亮や温嶠らと身分を超えた交友を結んだ。
王敦は、石頭城にいたころ、紹が勇気機略に富んでいることを危惧し、親に叛こうとしていると、中傷して廃位にしようと画策したが、温嶠ら多くの人々の反論に遇ってつぶされてしまった。元帝が崩じて紹が帝位に即いた(323年)。
王敦はなおも帝位の簒奪を謀り、姑熟に駐屯地を移して、自ら揚州の長官となった。