寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 劉曜、趙を立つ

2012-02-04 12:00:31 | 十八史略
漢主劉聰卒。子粲立。其臣靳準弑而代之。石勒討準。劉曜自立封勒爲趙公。曜疑。勒自稱趙王。曜亦改號爲趙、勒爲後趙。
略陽・臨謂氐酋蒲洪、驍勇多權略。羣氐畏服之。劉聰嘗拝爲將軍、不受。在懷帝世、自稱略陽公。至是降于趙主曜。

漢主劉聡卒す。子の粲(さん)立つ。その臣靳準(きんじゅん) 弑(しい)して之に代わる。石勒(せきろく)、準を討つ。劉曜自ら立って勒を封じて趙公と為す。曜疑う。勒、自ら趙王と称す。曜も亦号を改めて趙と為し、勒を後趙と為す。
略陽(りゃくよう)・臨謂(りんい)の氐酋(ていしゅう)蒲洪(ほこう) 驍勇(ぎょうゆう)にして権略多し。群氐畏(おそ)れて之に服す。劉聡、嘗て拝して将軍と為す。受けず。懐帝の世に在って、自ら略陽公と称す。是(ここ)に至って趙主曜に降る。


略陽・臨謂 ともに甘粛省秦安県。 氐 チベット族の遊牧民。

漢主の劉聡が死んで子の粲が立った。家臣の靳準が弑殺して粲に代わった。石勒が靳準を討ち、劉曜が立って漢主となり、石勒を趙公に封じた。ところが二人の間に隙間が生じ、劉曜が石勒を疑ったので、石勒は自ら趙王と称した。劉曜もまた国号の漢を改めて趙としたので、石勒の方を後趙とした。
略陽や臨謂の氐族の酋長蒲洪は、勇猛な上に権謀術策に富んでいたので、他の氐族の長も畏れ服従していた。劉聡が以前、彼を将軍に任命しようとしたが、受けなかった。懐帝の時になって自ら略陽公と称したが、ここに至って趙主の劉曜に降った。