寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 父母を喪(そう)するが若(ごと)し

2012-02-07 09:48:31 | 十八史略
晉豫州刺史祖逖卒。初逖取譙城、進屯雍丘。後趙鎭戍、歸逖者甚衆。逖與將士同甘苦、勸課農桑、撫納新附。帝以戴淵爲將軍、來督諸軍事。逖以己剪荊棘収河南地、而淵雍容一旦來統之、意甚怏怏。又聞王敦與朝廷構隙、將有内難、知大功不遂、感激發病卒。豫州士女、若喪父母。
鮮卑慕容廆、先是嘗遣使于晉、受帝命、爲平州刺史。至是以爲平州牧・遼東公。

晋の予州の刺史祖逖(そてき)卒(しゅっ)す。初め逖、譙城(しょうじょう)を取り、進んで雍丘(ようきゅう)に屯(たむろ)す。後趙の鎮戍(ちんじゅ)、逖に帰する者甚だ多し。逖、将士と甘苦を同じうし、勧めて農桑(のうそう)を課し、新附(しんぷ)を撫納(ぶのう)す。帝、戴淵(たいえん)を以って将軍と為し、来って諸軍の事を督せしむ。逖、己が荊棘(けいきょく)を剪(き)って河南の地を収めしに、淵、雍容(ようよう)として一旦来たって之を統(す)ぶるを以って、意甚だ怏怏(おうおう)たり。又王敦(おうとん)の朝廷と隙(げき)を構えて、将に内難有らんとするを聞いて、大功の遂げざるを知り、感激し病を発して卒す。予州の士女、父母を喪(そう)するが若(ごと)し。
鮮卑の慕容廆(ぼようかい)、是より先、嘗て使いを晋に遣わし、帝の命を受けて、平州の刺史と為る。是(ここ)に至って以って平州の牧・遼東公と為す。


譙城 河南省の県。 雍丘 安徽省の県名。 鎮戍 守備兵。 農桑 農耕と養蚕。 新附 新たに付き従う。 撫納 受け入れて慈しむこと。 雍容 ゆうゆうと、ゆったりと。 怏怏 不満、楽しまない様子。 感激 強く感じること。 牧 長官。

晋の予州の刺史祖逖が死んだ。初め逖は譙城を攻略し、進んで雍丘に駐屯した。後趙の守備兵で逖に帰順する者が続出した。それは部下と苦楽を共にして、兵士に農耕と養蚕を割り振って行なわせ、新たに帰服した者も手厚く受け入れた。ところが元帝が戴淵を将軍に任命して、諸軍を監督させた。祖逖は、自身がいばらの道を切り開いて河南の地を平定したにも拘わらず、戴淵が何の苦労もせずに乗り込んで来て統率させたので、祖逖は鬱々として楽しまずにいたところ、王敦が朝廷と対立し、今にも内乱にならんとしているのを聞いて、もはや中原を奪回することが絶望的であると悟り、憤激のあまり病を発して死んだのである。予州の人々は自分の父母を亡くしたように悲しんだ。
鮮卑の慕容廆は、嘗て使者を晋に送り、元帝から平州刺史の命を受けていたが、ここに至ってさらに平州の長官として、遼東公に任命した。