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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

唐宗八家文 柳宗元 序飮 (二の一)

2015-01-08 13:03:25 | 唐宋八家文
買小丘、一日鋤理、二日洗滌、遂置酒渓石上。嚮之爲記所謂牛馬之飮者、離坐其背、實觴而流之、接取以飮。
乃置監史而令曰、當飮者、擧籌之十寸者三、逆而投之、能不于洑、不止于□、不沉于底者、過不飮。而而止而沉者、飮如籌之數。
既或投之、則旋眩滑汨、若舞若躍、速者遅者、去者住者、衆皆據石注視、懽抃以助其勢。突然而逝、乃得無事。於是或一飮、或再飮。客有婁生圖南者、其投之也、一一止一沉、獨三飮。衆大笑驩甚。余病痞不能食酒、至是酔焉。遂損其令、以窮日夜而不知歸。    (□ 土偏に玄)

飲を序す(その一)
小丘を買いて一日鋤理(じょり)し、二日洗滌し、遂に渓石の上に置酒(ちしゅ)す。嚮(さき)に記を為(つく)りて所謂牛馬の飲のというもの、その背に離(つらな)り坐し、觴(さかずき)を実(みた)してこれを流し、接取して以って飲む。
乃ち監史(かんし)を置きて令して曰く「飲に当たりし者は、籌(ちゅう)の十寸なるもの三を挙げ、逆らってこれに投じ、能く洑(うず)に(めぐ)らず□(ち)に止(とど)まらず、底に沈まざるものは、過ごして飲まず。而してり、而して止まり、而して沈むものは、飲むこと籌の数の如し」と。
既に或いはこれを投ずれば、則ち旋眩滑汨(せんげんこつこつ)、舞うが若く踊るが若し。速やかなるもの遅きもの、去るもの住(とど)まるもの、衆皆石に拠(よ)って注視し、懽抃(かんべん)して以ってその勢いを助く。突然として逝けば、乃ち事無きを得(う)。是(ここ)に於いて或いは一飮、或いは再飮す。客に婁生図南(ろうせいとなん)という者有り。そのこれを投ずるや、一たびはり一たびは止まり一たびは沈み、独り三飮す。衆大いに笑い驩(よろこ)ぶこと甚だし。
余痞(ひ)を病みて酒を食う能わず。是に至って酔う。遂にその令を損益し、以って日夜を窮めて帰るを知らず。


置酒 酒宴。 離 並ぶ。 接取 受け取る。 監史 審判。 籌 数を数える竹の棒。 逆 上流。 らず 巻き込まれず。 □ 中洲、坻。 旋眩滑汨 ぐるぐる廻り滑らかに流れる汨は水流の速いこと。 懽抃 懽は喜ぶ、抃は手を打って喜ぶ。 突然 すぐさま。 逝 流れ行く。 婁生図南 婁図南 前出。 痞 胸が苦しむ病気、癪つかえ。 損益 規則を増したり削ったりする。

 小さい丘を買って、一日目に除草し、二日目に岩を洗い、岩の上で酒宴を開いた。前に記文で述べた牛馬が水を飲む形の岩で、その上に並んで座り、杯に酒をみたして谷川に流し、これを受け取って飲んだ。
 そこで審判者を選び、規則をこのように決めた。「酒を飲む順番になった者は、数とりの一尺ほどの棒を三本上流に投げ入れ、渦に巻き込まれず、中洲に留まらず、沈まなかった場合は杯を取らずやり過ごし、渦に巻き込まれたり止まったり、沈んだりした場合はその棒の数だけ罰杯を飲む」
 さてこれを投げいれてみると、ぐるぐる廻ったり滑らかに流れたり、舞うようであり踊るようであり、或いは早く或いはゆっくりと、流れるものとどまるものさまざまで、人々は石の上でじっと行方を追い、歓声を挙げ手を打って応援する。すぐに流れて行けば罰杯は無し。こうして一杯飲む人、二杯飲む人も出てくる。婁図南先生などは、一度は渦に巻き込まれ二度目は洲に引っ掛かり、三度目は沈んで、三杯飲んだ。皆それで大笑いして楽しんだ。
 私は癪の持病があって酒はあまり飲めないが、この日ばかりは酔ってしまった。しまいには取り決めをあれこれ変えたりして皆日夜を分かたず大いに楽しんだのである。


唐宗八家文 柳宗元 愚渓詩序 三之三

2014-12-30 10:00:00 | 唐宋八家文
 溪雖莫利於世、而善鑒萬類、瑩秀、鏘鳴金石、能吏愚者喜笑眷慕、樂而不能去也。余雖不合於俗、亦頗以文墨自慰。漱滌萬物、牢籠百態、而無所避之。以愚辭歌愚溪、則茫然而不違、昏然而同歸。超鴻蒙、混希夷、寂寥而莫我知也。於是作八愚詩、紀于溪石上。

渓世に利する莫しと雖も、而れども善く万類を鑒(てら)し、清瑩秀(せいえいしゅうてつ)、鏘(そう)として金石を鳴らし、能く愚者をして喜笑眷慕(きしょうけんぼ)し、楽しんで去ること能わざらしむるなり。余俗に合わずと雖も、亦た頗る文墨を以って自ら慰む。万物を漱滌(そうでき)し、百態を牢籠(ろうろう)して、これを避くる所無し。愚辞を以って愚渓を歌えば、則ち茫然として違わず、昏然として帰を同じゅうす。鴻蒙(こうもう)に超(のぼ)り、希夷(きい)に混じ、寂寥として我を知ること無し。是に於いて八愚の詩を作り、渓石の上に紀(しる)す。

鑒 鑑の別体、かんがみる。 清瑩秀 清く明らかに 鏘 金属の鳴る音。 眷慕 眷は目をかける。 漱滌 すすぎ洗う。 牢籠 一まとめにする。 鴻蒙に超る 根源的な真理に至る。 希夷 老子十四にこれを視れども見えずもれを夷といい、これを聴けども聞こえずこれを希というとある、形も音もない世界。 寂寥 同じく老子二十五章に物ありて混成し、天地に先立ちて生ず。寂たり寥たりとある、絶対の虚無、亡我の境地。

 この谷は世の役に立たないけれど、よく万物を映し出し、清く透きとおり楽器を鳴らすような美しい音を立てて流れ、愚かな私を喜ばせ慕わせて、楽しんで立ち去ることが惜しくなるのです。私は世俗には合わないけれども、詩文をつくって自分自身を慰めているのです。詩文をもって全てのものを洗い清め、あらゆる物の本態を筆に留めてこれを見逃さない。愚かな私の文辞をもって愚渓をうたえば、ぼうとしてとりとめ無く合致し、道理に暗いところは愚渓と行き着くところは同じです。根源の気に至り、形も音もない世界に入って絶対の虚無に我を忘れてしまうのであります。
そこで八愚の詩を作り、愚渓の石に刻んだ。


唐宗八家文 柳宗元 愚渓詩序 三之二

2014-12-25 10:10:36 | 唐宋八家文
夫水智者樂也。今是溪獨見辱於愚何哉。蓋其流甚下、不可以漑灌。又峻急多坻石、大舟不可入也。幽邃淺狹、蛟龍不屑、不能興雲雨。無以利世、而適類於余。然則雖辱而愚之可也。寧武子邦無道則愚。智而爲愚者也。顔子終日不違如愚。睿而爲愚者也。皆不得爲眞愚。今余遭有道、而違於理、悖於事。故凡爲愚者莫我若也。夫然則天下莫能爭是溪。余得專而名焉。

 夫(そ)れ水は智者の楽しみなり。今是(こ)の渓独り愚に辱しめらるるは何ぞや。蓋しその流れ甚だ下(ひく)うして以って漑灌(がいかん)すべからず。また峻急にして坻石(ちせき)多く、大舟入るべからざるなり。幽邃浅狹(ゆうすいせんきょう)にして蛟龍(こうりゅう)も屑(いさぎよ)しとせず、雲雨を興す能わず。以って世に利する無きは、適(まさ)に余に類せり。然らば則ち辱しめてこれを愚にすと雖も可なり。寧武子(ねいぶし)邦(くに)に道無ければ則ち愚なり。智にして愚と為る者なり。顔子終日違(たが)わざること愚なるが如し。睿(えい)にして愚と為る者なり。皆真の愚と為すを得ず。
 今余有道に遭いて理に違い、事に悖(もと)る。故に凡そ愚たる者、我に若(し)くは莫きなり。夫れ然らば則ち天下に能く是の渓を争う莫けん。余専らにして名づくるを得たり。


坻石 中洲や岩。 幽邃 静かで奥深いこと。 蛟龍 みずち。 屑 いさぎよいこころよい。 寧武子 春秋時代衛の大夫 愚を装って危機を逃れた。 顔子 孔子の弟子顔回。 違わざる 反問しない。 睿 賢い。 

そもそも川は智者の楽しむものである。それなのに今この谷川だけが辱しめられるのは何故か、この川は流れが低く灌漑用水に使えず、流れが急で中洲や岩が多く、舟を入れることもできない。静かで奥深く浅いので蛟も住みにくく雲雨を起すこともできないから世の役にたたないこと、まさに私と同じではないか。
 それならこの谷川を貶めて愚とするとしてもかまわないわけだ。昔衛の大夫寧武子が、衛に道が行われていないので愚を装った。また顔回は孔子の話にただ「はいはい」と言うだけで質問もせず、愚者のようであった。本当は賢いのに愚かにみえるだけなので本当の愚とすることはできないのです。
 今私は道の行われている世に居ながら道に背き、世事に逆らった。だから愚なること我に及ぶ者は居ないのです。そうとすれば天下でこの谷川を私と競う者など居ないだろう。私がこの谷川を独占して、愚と名付けることができるという訳です。


唐宗八家文 柳宗元 愚渓詩序 三之一

2014-12-20 10:00:00 | 唐宋八家文
 灌水之陽、有溪焉。東流入于瀟水。或曰、冉氏嘗居也。故宇姓是溪爲冉溪。或曰、可以染也。名之以其能。故謂之染溪。
 余以愚觸罪、謫瀟水上。愛是溪、入二三里、得其尤絶者家焉。古有愚公谷。今予家是溪而名莫能定。士之居者、猶齗齗然、不可以不更也。故更之爲愚溪。
 愚溪之上、買小丘爲愚丘。自愚丘東北行六十歩、得泉焉。又買居之爲愚泉。愚泉凡六穴、皆出山下平地。蓋上出也。合流屈曲而南爲愚溝。遂負土累石、塞其隘爲愚池。愚池之東爲愚堂、其南爲愚亭、池之中爲愚島。嘉木異石措置。皆山水之奇者、以余故、咸以愚辱焉。

愚渓詩の序 三の一
 灌水(かんすい)の陽(きた)に渓有り。東流して瀟水(しょうすい)に入る。或るひと曰く「冉氏(ぜんし)嘗て居るなり。故に是(こ)の渓に姓して冉溪と為す」と。あるひと曰く「以って染むべきなり。これに名づくるにその能を以ってす。故にこれを染渓と謂う」と。
 余愚を以って罪に触れ、瀟水の上(ほとり)に謫(たく)せらる。是の渓を愛して、入ること二三里、その尤絶(ゆうぜつ)なるものを得て家す。古(いにしえ)に愚公谷(ぐこうこく)有り。今予是の渓に家して名能(よ)く定まること莫(な)し。土(ど)の居る者、猶お齗齗然(ぎんぎんぜん)として、以って更めざるべからざるなり。故にこれを更めて愚渓と為す。
 愚渓の上に小丘を買いて愚丘と為す。愚丘より東北に行くこと六十歩、泉を得たり。また買いてこれに居り愚泉と為す。愚泉凡そ六穴、皆山下の平地より出ず。蓋し上より出ずるあり。合流屈曲して南するを愚溝と為す。遂に土を負(お)い石を累(かさ)ね、その隘(あい)を塞ぎて愚池と為す。愚池の東を愚堂と為し、その南を愚亭と為し、池の中なるを愚島と為す。嘉木異石措置(さくち)す。皆山水の奇なるもの、余が故を以って咸(みな)愚を以って辱しめらる。


灌水の陽 灌水は永州を流れる川、陽は日の当たる方川は北山は南。 尤絶 齗齗 論争するさま。 措置 交え置く。

 灌水北側に谷川が有る。東に流れて瀟水に注ぐ。あるひとは「冉氏(ぜんし)が嘗て住んでいたからその姓をとって冉溪とした」と言い、またあるひとは「この水で布を染めた。それでこの川に名づけるのにその役を取って染渓(ぜんけい)と呼んだ」と言う。
 私は自分の愚かさから罪を得て瀟水のほとりに流された。この谷川が気に入り、二三里奥に入って景色のよい場所を買って家を建てた。さてこの谷をなんと呼ぼうかと考えた。昔、斉の桓公が鹿を追って谷に入ったとき出遭った老人がこの谷を愚公の谷と答えたという。今私がこの谷に来て名が決まらない。土地の人も論争して定まらない。それで私は愚渓と名付けることにした。
 愚渓のそばに小高い丘がある。ここを買って愚丘と名付けた。愚丘から東北に六十歩行くと泉がある。ここも買って愚泉とした。愚泉には六つの穴があり山の麓の平地から湧き出てくる。おそらく山の上の水源から出るのであろう。合流して曲がりくねり南に流れて行く、これを愚溝とし、土を盛り石を重ねて流れをせき止め、そこを愚池と名付けた。愚池の東を愚堂と名付け、その南を愚亭とし、池の中の島を愚島と呼んだ。それらには美しい木や珍しい石を配した。全てが山水の優れたものだが、私のために愚の名を冠せられて辱かしめられるのだ。


唐宗八家文 柳宗元 永某氏之鼠

2014-12-16 16:13:21 | 唐宋八家文
永有某氏者。畏日拘忌異甚。以爲己生歳直子、鼠子神也。因愛鼠不畜猫犬。禁僮勿撃鼠。倉廩庖廚、悉以恣鼠不問。由是鼠相告皆來某氏。飽食而無禍。某氏室無完器、椸無完衣。飮食大率鼠之餘也。晝累累人兼行、夜則竊齧鬪暴。其聲萬状、不可以寢、終不厭。數歳某氏徙居他州。
 後人來居、鼠爲態如故。其人曰、是陰類惡物也。盜暴尤甚。且何以至是乎哉。假五六猫、闔門撒瓦灌穴、購僮羅捕之。殺鼠如丘。棄之隱處、臰數月乃已。
 嗚呼、彼以其飽食無禍爲可恆也哉。

永に某氏なる者あり。日を畏れ忌(い)みに拘わること異(こと)に甚だし。以為(おも)えらく、己の生まれ歳は子(ね)に直(あた)る、鼠は子の神なりと。因って鼠を愛して猫犬を畜(やしな)わず。僮(どう)に禁じて鼠を撃つこと勿からしむ。倉廩庖廚(そうりんほうちゅう)悉(ことごと)く鼠を恣(ほしいまま)にするを以って問わず。
 是(これ)に由りて鼠相告げて皆某氏に来る。飽くまで食らうにわざわい無し。某氏の室に完器無く、椸(い)に完衣無し。飲食は大率(おおむね)鼠の余りなり。昼は累累と人と兼ねて行き、夜は則ち竊齧鬪暴(せつげつとうぼう)す。その声、万状にして、以って寝(い)ぬるべからざるも、終に厭わず。数歳にして某氏徙(うつ)りて他州に居(す)む。
 後の人来たり居まうに、鼠の態たるや故(もと)の如し。その人曰く「是れ陰類の悪物なり。盗暴尤も甚だし。且つ何を以って是(ここ)に至れるや」と。五六猫を仮り、門を闔(と)じ、瓦を撒(ひら)き穴に灌(みずそそ)ぎ、僮を購(あがな)いてこれを羅捕(らほ)す。鼠を殺すこと丘の如し。これを隠処に棄つるに、臰(くさ)きこと数月にして乃ち已(や)む。
 嗚呼、彼その飽食して禍い無きを以って恒にすべしと為したるか。


永 永州、今の湖南省零陵県。 僮 下男。 倉廩 共にくらのこと。庖廚 炊事場と米蔵。 椸 衣桁。  竊齧 ぬすみかじる。 

永州の或る人は、大変験をかつぐ人で自分が子の年生まれなので、鼠を神の使いと思って大事にした。犬猫は飼わず、下男に命じて鼠を殺すことを禁じた。倉、炊事場、米倉と鼠の出入りをお構いなしとした。鼠たちは格好の棲みかを得て仲間まで呼び寄せ食い荒らし、部屋の調度品から衣類まで齧られる有り様で、鼠の食べ残しを人が食うという状況にまでなってしまった。昼は人と一緒に往き来し、夜になれば盗み齧り乱暴狼藉、その喧しさに眠ることさえできなかったが相変わらずお構いなしだった。
 数年後その家の主人は引っ越して空き家になり、後に他の人が住んだが以前と同じ状況だった。その人は「これは陰に棲む生き物の中で最も悪いものだ、ここまで甚だしいとは、一体どうしてこのようになってしまったのだろうか」と言い、猫を五六匹借りて鼠を獲らせ、逃げ道を塞ぎ、屋根の瓦をはがし、巣穴に水を注いだ。そのうえ下男を雇い鼠を捕えさせ、殺させた。山積みになった屍骸から出た臭いは数ヶ月になってやっと消えた。
 ああ、どうして鼠どもは飽くまで喰いつづけて、いずれ禍いがくることを思わなかったのだろうか。