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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

唐宗八家文 柳宗元 (二)鈷潭記

2015-01-31 10:00:00 | 唐宋八家文
鈷潭在西山西。其始蓋冉水自南奔注、抵山石、屈折東流。其顚委勢峻、盪撃暴、齧其涯。故旁廣而中深、畢至石乃止。流沫成輪、然後徐行。其而平者、且十畝餘。有樹環焉、有泉懸焉。
其上有居者。以予之亟游也、一旦款門來告曰、不勝官租私券之委積。既芟山而更居。願以潭上田貿財以緩禍。予樂而如其言。則崇其臺、延其檻、行其泉於高者、而墜之潭。有聲潨然。尤與中秋患觀月爲宜。於以見天之高氣之逈。孰使予樂居夷而忘故土者。非茲潭也歟。

(二)鈷潭の記
鈷潭(こぼたん)は西山の西に在り。その始めは蓋(けだ)し冉水(ぜんすい)の南より奔注(ほんちゅう)し、山石に抵(あた)りて、屈折東流するならん。その顚委(てんい)勢い峻(はげ)しく、盪撃(とうげき)益々暴にして、その涯(きし)を齧(か)む。故に旁(かたわら)広くして中深く、畢(ことごと)く石に至りて乃ち止む。流沫輪を成して、然る後に徐行す。その清くして平らかなるもの、且(まさ)に十畝(じっぽ)余りならんとす。樹有りて環(めぐ)り、泉有って懸れり。
その上(ほとり)に居る者有り。予の亟(しばしば) 游ぶを以って一旦門を款(たた)いて来り告げて曰く「官租私券(しけん)の委積(いせき)に勝えず。既に山を芟(か)って居を更(あらた)む。潭上の田を以って財に易(か)え、以って禍(か)を緩(ゆる)うせんことを願う」と。予楽しんでその言の如くす。則ちその台を崇(たか)くし、その檻(かん)を延(ひ)き、その泉を高きところに行(や)りて、これを潭に墜(おと)す。声有り潨然(そうぜん)たり。尤も中秋に月を観る与(ため)に宜しと為す。於(ここ)に以って天の高く気の逈(はる)かなるを見る。孰(たれ)か予をして夷(い)に居るを楽しんで故土(こど)を忘れしむるものぞ。茲(こ)の潭に非ずや。


鈷潭 湖南省零陵県にある、鈷は火熨斗。 奔注 勢いよく注ぎ入る。 顚委 顛は高い所、委は水の集まるところ。 盪撃 激しくぶつかる。 十畝 六尺四方を一歩とし、240歩を一畝とする、日本の畝(せ)と別。 官租 官に納める税。 私券 借用書。 委積 積み重なる。 芟 刈る。 檻 手すり。 潨然 潨は水の流れる音、さらさら。 逈 遥か。

 鈷潭は西山の西に在る。水源はおそらく冉水が南から勢いよく流れ入って岩にぶつかり、折れ曲がって東に流れてきたものであろう。その上流の水が集まって勢いよく石にぶつかって岸を噛む。川は片方が広くなり中ほどが深くなっている。急流のすべてが岩に一旦止められ、やがて泡を残してゆっくりと下って行く。その流の澄んで平らかな所は広さが十畝あまり。樹木が周りを取り巻いており、泉に懸っていた。
 そのほとりに住んでいる者が居た。私がしばしば訪れていたので、ある日私の家を尋ねて来て言うには「役所の税や借金の証文がたまってどうにもならなくなりました。山を手入れして住まいを移しました。鈷潭の傍の田を金に代えてこの窮状を救ってもらいたい」と。私は喜んで申し出を受け入れた。それで見晴台を高くして手すりを延ばし、泉水を高い所まで引き入れて鈷潭に落し入れた。水音がさらさらと流れ、中秋の月を愛でるにふさわしいと思う。ここで天高く秋の空気の遥かに広がっているのを眺める。私がこの辺地の游を楽しみ故郷を忘れさせるのは何か、この潭に他ならない。


唐宗八家文 柳宗元 永州八記(その一)始得西山宴游記

2015-01-27 10:00:00 | 唐宋八家文
自余爲僇人居是州、恆惴慄。其隟也、則施施而行、漫漫而游。日與其徒、上高山、入深林、窮迴谿。幽泉怪石無遠不到。到則披草而
坐、傾壺而醉。醉則更相枕以臥。臥而夢。意有所極、夢亦同趣。覺而起、起而歸。以爲凡是州之山水有異態者、皆我有也。而未始知西山之怪特。
今年九月二十八日、因坐法華西亭、望西山、始指異之。遂命僕人過湘江、縁染溪、斫榛莽、焚茅茷、窮山之高而止。攀援而登、箕踞而遨、則凡數州之土壤、皆在袵席之下。其高下之勢、岈然洼然、若垤若穴、尺寸千里、攢蹙累積、莫得遯隱。縈繚白、外與天際、四望如一。然後知是山之特立、不與培塿爲類。悠悠乎與氣倶、而莫得其涯、洋洋乎與造物者遊、而不知其所窮。引觴滿酌、頽然就醉、不知日之入。蒼然暮色、自遠而至。至無所見、而猶不欲歸。心凝形釋、與萬化冥合。然後知吾嚮之末始游、游於是乎始。故爲之文以志。是歳元和四年也。

永州八記の一、始めて西山を得て宴游するの記
余僇人(りくじん)と為りて是の州に居りてより、恒に惴慄(ずいりつ)せり。その隟(ひま)あるや、則ち施施(しし)として行き、漫漫として游ぶ。日々にその徒と高山に上り、深林に入り、迴渓(かいけい)を窮む。幽泉怪石、遠しとして到らざる無し。到れば則ち草を披(ひら)きて坐し、壺を傾けて酔う。酔えば則ち更々(こもごも)相枕して以って臥す。臥して夢む。意極まる所あれば、夢も亦た趣きを同じゅうす。覚めて起ち、起ちて帰る。以為(おも)えらく凡そ是(こ)の州の山水異態有るものは、皆我が有(ゆう)なりと。而して未だ始めより西山の怪、特なるを知らず。
今年九月二十八日、法華の西亭に坐し、西山を望むに因(よ)りて、始めて指(さ)してこえを異とす。遂に僕人に命じて湘江を過ぎ、染渓(ぜんけい)に縁(よ)って、榛莽(しんぼう)を斫(き)り、茅茷(ぼうはい)を焚き、山の高きを窮めて止む。攀援(はんえん)して登り、箕踞(ききょ)して遨(くつろ)げば、則ち凡そ数州の土壌、皆袵席(じんせき)下に在り。その高下の勢い、岈然(がぜん)洼然(わぜん)として垤(つか)の若(ごと)く穴のごとく、千里を尺寸(せきすん)にして、攢蹙累積(さんしゅくるいせき)し、遯隠(とんいん)を得る莫(な)し。青を縈(めぐ)らし、白を繚(まと)い、外は天と際(さい)して、四望一(いつ)の如し。然る後に是(こ)の山の特立して、培塿(ほうろう)と類を為さざるを知る。悠悠乎として気(こうき)と倶(とも)にして、その涯(はて)を得る莫く、洋洋乎として造物者と遊んで、その窮まる所を知らず。觴(さかずき)を引いて満酌し、頽然(たいぜん)として酔いに就き、日の入るを知らず。蒼然たる暮色、遠きよりして至る。見る所無きに至って、猶帰るを欲せず。心凝(こ)り形(からだ)釈(と)けて、万化と冥合す。然る後に吾が嚮(さき)の未だ始めより游ばず、游び是(ここ)に於いてか始まるを知る。故にこれが文を為りて以って志(しる)す。是(こ)の歳元和四年なり。


永州 湖南省零陵県地方。 僇人 僇は戮、罪人。 惴慄 おそれふるえる。 隟 隙の古字。 施施 そろそろ歩く。 漫漫 ぶらぶら。 迴渓 曲がりくねった谷。僕人 しもべ。 榛莽 やぶ。 茅茷 茅のくさむら、茷は茂る。 攀援 よじのぼること。 箕踞 足を投げ出して坐る。 遨 遊び楽しむ。 袵席 ねござ。 岈然 山のつきでるところ。 洼然 くぼむ。 垤 蟻塚。 攢蹙 寄り集まる。 遯隠 世間から逃れ隠れる。 縈 めぐらす。 繚 まとう。 際 交わる。 培塿 小高い丘。 悠悠 遥かに遠いこと。 気 天上の白く明るい気。 洋々 ゆったり。 頽然 くずれる。 蒼然 うすぐらい。 万化 万物が変化ずること。 冥合 合致する。 

私は罪を得てこの永州に住んでから、いつも恐れ震えていた。そこで暇があるとそろそろと歩き、ぶらぶらと遊びまわった。日々仲間と高い山に登り、深い森にわけ入り、曲がりくねった谷を渉猟した。ひそやかな泉や珍しい石を求めて、どんなに遠くとも行かない所は無かった。行き着くと草を分けて坐り、壺を傾けて酔う。酔えば互いに枕を交わして眠る。眠ると夢を見る。憂いが行き着く果てに、夢もまた同じ憂いに行き着く。夢覚めて起き、起きて帰る。ここ永州の山水で変わった景色のものは皆私の知るところであると思っていた。しかし西山が格別すばらしい景色であることは知らなかった。
今年の九月二十八日、法華寺の西亭に坐って西山を眺めているうちに、始めて西山が変わった山だと気づいた。下男を伴って湘江を渡り染渓に沿って藪を切り開き、茅を焼いて、山の頂きまで続けた。よじ登ってから足を投げ出してくつろげば、いくつもの州が皆ござの下方に望まれる。その眺めは突き出たり窪んだり、蟻塚のようであったり、穴のようであって、千里の広さを一尺一寸に縮めて寄り集まり重なりあって視線を遮るものは何も無かった。青い靄、白い霞をまとって、涯は天と接し、四方の眺めは同じようで、この山が特異で塚のような他の山とは違っていることを知った。
遠くはるかに白く明るい大気と一つになり、その涯はどことも知れず、ゆったりして万物の創造主と世俗の規範の外に遊んで終わることが無い。盃を取って酒を満たし、酔いつぶれて日の暮れるのも気が付かなかった。暮色が遠くから次第に近寄って何も見えなくなってもなお帰る気にならない。精神が凝集して肉体を離れ、万物の変化と一つになる。その上で私のこれまでの遊びは遊びでなかった。本当の遊びはここから始まったのだと気づいた。そのためこの文章をつくって書き記す。この年元和四年である。


唐宗八家文 柳宗元 游黃溪記(二の二)

2015-01-22 10:00:00 | 唐宋八家文
南去又行百歩、至第二潭。石皆巍然臨峻流、若頦頷齗齶。其下大石雜列、可坐飮食。有鳥赤首烏翼、大如鵠、方東嚮立。自是又南數里、地一状。樹壯、石痩。水鳴皆鏘然。
又南一里、至大冥之川。山舒水緩、有土田。始黃爲人時、居其地。傳者曰、黃王姓、莽之世也。莽既死、更號黃氏、逃來擇其深峭者潛焉。始莽嘗曰、余黃虞之後也。故號其女曰黃皇室主。黃與王聲相邇。而又有本。其所以傳言者驗。既居是。民咸安焉、以爲有道。死乃俎豆之、爲立祠。後稍徙近乎民。今祠在山陰溪水上。元和八年五月十六日、既歸爲記、以啓後之好游者。

南に去って又行くこと百歩、第二潭に至る。石皆巍然(ぎぜん)として峻流に臨み、頦頷齗齶(がんがいぎんがく)の若し。その下には大石雑列し、坐して飲食すべし。鳥有り赤首烏翼、大きさ鵠(こく)の如く、方(まさ)に東に嚮(むか)って立つ。
是よりまた南すること数里、地皆一状なり。樹益々壮んに、石益々痩せたり。水鳴って皆鏘然(そうぜん)たり。また南すること一里、大冥(だいめい)の川に至る。山舒(の)び水緩うして土田有り。始め黄神の人たりし時その地に居る。伝うる者曰く「黄神は王姓、莽(もう)の世(よつぎ)なり。莽死して、神号を黄氏と更(あらた)め、逃れ来ってその深峭(しんしょう)なるものを択(えら)んで潜む」と。
始め莽嘗て曰く「余は黄虞(こうぐ)の後なり」と。故にその女(むすめ)を号して黄皇室主と曰う。黄と王と声(せい)相邇(ちか)し。而してまた本(もと)づく有り。その伝言する所以のもの益々験あり。神既に是に居る。民咸(みな)安(やす)んじ、以為(おも)えらく道有りと。死して乃ちこれに俎豆(そとう)し、為に祠を立つ。後にやや徙(うつ)って民に近づく。今祠は山陰溪水の上(ほとり)に在り。元和八年五月十六日、既に帰りて記を為(つく)り、以って後の游を好む者を啓(ひら)く。


巍然 高くそば立つさま。 頦頷齗齶 頦頷 あご。 齗齶 歯茎。 鵠 くぐい、白鳥。 鏘然 石の鳴る音のさま。 舒 なだらか。 王莽 前漢を亡ぼして新を建国したが光武帝に滅ぼされた。 黄虞 黄帝と虞帝舜のこと。 黄皇室主 王莽の娘、前漢最後の平帝の后、帝位が奪われた後、こう称した。 俎豆 祭ること。 

そこから南に百歩行くと第二の潭に着く。岩が高く聳え立ち急流に面して、まるで顎や歯茎のようである。その岩の下には大石が並んでいて、坐って飲食することができる。赤い頭と黒い翼の大きな鳥が居て東に向かって立っていた。 
ここからさらに南に数里行くと、皆同じ地形が現れる。木々は益々盛んになり、岩はますます尖って、水が音高く流れる。なお南に一里行くと大冥の川に着く。山はなだらかに流れは緩やかになって、田畑が広がる。黄神がまだ人であった時、この地を択んで隠棲した。伝わるところでは、昔王莽は「わしは黄帝、舜虞の後裔である」と言っていた。だから娘を黄皇室主と呼んだ。黄と王とは音が似ている、それからでも明らかである。その伝説は益々確かなようだ。黄神がここに住んでいたから、民は平安に暮らせたし、有徳の人と思った。だから、黄神が死ぬと供えものをして手厚く祀り、祠を立てた。後に移して人家に近づけたのである。今祠は山の北側の谷川のほとりにある。
元和八年(813年)五月十六日、帰ってからこの見聞記を書いて、後世この地に遊覧する人のしるべとする。


唐宗八家文 柳宗元 游黃溪記(二の一)

2015-01-17 10:00:00 | 唐宋八家文
北之晉、西適豳、東極呉、南至楚越之交。其名山水而州者、以百數。永最善。環永之治百里、北至於溪、西至于湘之源、南至於瀧泉、東至于黃溪東屯。其名山水而村者、以百數。黃溪最善。
 黃溪拒州治七十里、由東屯南行六百歩、至黃祠。祠之上兩山牆立、如丹碧之華葉駢植與山升降。其缺者爲崖峭巖窟。水之中皆小石平布。黃之上、掲水八十歩、至初潭。最奇麗、殆不可状。其略若剖大甕、側立千尺、渓水積焉。黛蓄膏渟、來若白虹、沈沈無聲。有魚數百尾、方來會石下。

 北のかた晋に之(ゆ)き、西のかた豳(ひん)に適(ゆ)き、東は呉を極め、南のかた楚越の交(こう)に至る。その間山水に名ありて州たるもの、百を以って数う。永最も善し。永の治を環(めぐ)ること百里、北は溪(ごけい)に至り、西は湘の源に至り、南は滝泉(そうせん)に至り、東は黄渓・東屯に至る。その間山水に名あって村たるもの、百を以って数う。黄渓最も善し。
 黄渓は州治を拒(さ)ること七十里、東屯より南に行くこと六百歩にして黄神の祠の上に両山牆立(しょうりつ)し、丹碧(たんぺき)の華葉駢植(へんち)して山と升降(しょうこう)するが如し。その欠けたるものは崖峭巌窟(がいしょうがんくつ)と為る。水の中には皆小石平布(へいふ)す。黄神の上、水を掲(かちわた)りすること八十歩、初潭(しょたん)に至る。最も奇麗にして、殆ど状すべからず。その略は大甕を剖(さ)くが若く、側立すること千尺、渓水積(み)つ。黛蓄膏渟(たいちくこうてい)、来ること白虹(はくこう)の若く、沈沈として声無し。魚数百尾有りて、方(まさ)に来たって石下に会す。


豳 陝西省の地。 滝泉 地名、ソウと読む。 牆立 塀のように立っている。 駢植 駢は連ねる。 升降 昇降。 崖峭巌窟 切り立つ崖や岩穴。 掲 裾をからげる。 黛蓄膏渟 青黒色を蓄えて膏(あぶら)のように澱んでいる。

北は山西の晋に行き、西は陝西の豳に行き、東は江蘇の呉に出向き、南は楚と越の境に達した。その間に山水名勝の州は百を数える。その中で永州が最も見事である。永州の州庁を取り巻く百里四方では北は渓に、西は湘水の源まで、南は滝泉、東は黄渓と東屯まで行った。その間に山水の景色のよい村は百を数える。中でも黄渓が最も見事である。
 黄渓は永州の州庁から七十里、東屯から南に六百歩で黄神の祠に至る。祠の上には二つの山が並び立ち、赤い花と緑の葉が並んで生え、山の形にそって高くなり低くなっていた。花や葉の途切れている所は切り立った崖や岩穴となっている。水の中には小石が敷きつめられている。
 黄神の祠の上流を裾をまくって渡ること八十歩で最初の潭(ふち)に着く。此処が最も美しく名状しがたい景色である。おおよそに言うと大きな甕を割ったように両側が千尺の高さに切り立ち、渓には水が満ち満ちている。それは黛のように濃い緑色をしてあぶらのように波立たず、流れ入るところは白い虹のように見えるがひっそりと音もしない。魚が数百匹も石の下に群れ集っている。


唐宗八家文 柳宗元 序飮 (二の二)

2015-01-13 10:00:00 | 唐宋八家文
吾聞昔之飮酒者、有揖攘酬酢、百拜以爲禮者。有叫號屢舞、如沸如羹、以爲極者。有裸裎袒裼、以爲達者。有資絲竹金石之樂以爲和者。有以促數糺逖而爲密者。今則擧異是焉。故捨百拜而禮、無叫號而極、不袒裼而達、非金石而和、去糺逖而密、簡而同、肆而恭、衎衎而從容。於以合山水之樂、成君子之心宜也。作序飮以貽後之人。

飲を序す(その二)
吾聞く、昔の酒を飲む者は、揖攘酬酢(ゆうじょうしゅうさく)、百拝して以って礼と為す者有り。叫号(きょうごう)屡しば舞い、沸くが如く羹(こう)の如くにして以って極と為す者有り。裸裎袒裼(らていたんせき)して以って達(たつ)と為す者有り。糸竹金石の楽を資(と)りて以って和と為す者有り。促数糺逖(そくさくきゅうてき)を以って密と為す者有り。
今は則ち挙(みな)是と異なれり。故に百拝を捨てて礼し、叫号無くして極し、袒裼せずして達し、金石に非らずして和し、糺逖を去って密に、簡にして同(どう)し、肆(ほしいまま)にして恭(きょう)し、衎衎(かんかん)として従容(しょうよう)たり。於(ここ)に以って山水の楽しみを合わせ、君子の心を成すは宜しきなり。序飲を作りて以って後の人に貽(のこ)す。


揖攘酬酢 揖攘は手を組んで礼をすること、酬酢 酒杯のやり取り献酬。 叫号 叫びわめく。 羹 あつものが煮えるさま。 裸裎袒裼 裸になったり肌脱ぎになること。 促数糺逖 促はこせこせ 数は策、糺逖は遠ざけること。 衎衎 和み楽しむ。 於 ここにおいて。 貽 あとに遺す。

 私はこう聞いている「昔の酒飲みは互いに挨拶として杯をやり取りし、何度もお辞儀するのが酒席の礼儀だとする者がいた。また大声でわめき舞い踊り、湯が沸いて羹が煮え返るような騒ぎをして、それが最上の酒の楽しみだとする者がいた。さらに裸になったり肌脱ぎになったりして、それが闊達というものだとする者が居た。また管弦の助けを借りて和合の手立てだとする者がいた。或いはまたこまごまと作法を押し付けて、従わない者を排斥し、以って完璧な酒席だとする者がいた。
 今の我々の飲み方はこれと違う。百拝を止めても礼儀に適い、大声を出さなくても楽しみ、肩脱ぎしなくてもこだわらない。音楽がなくとも和み、人を排斥しなくとも乱れず親密に作法は緩やかで皆が一つになって自由に振舞っても楽しんでゆったりしている。この酒席に山水の楽しみを加えて君子の心を達成させるのは道に適っているのである。そこで飲酒の次第をつくり後の人に遺しておくのである。