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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 韓信大将軍となる

2009-11-10 08:46:48 | Weblog
全国吟剣詩舞道大会が8日無事終了しました。今年は天気に恵まれ助かりました。
終了後広島の中村さんほかお客様をお迎えして懇親の席を設けました。とても楽しいひと時でしたが、少々しゃべり過ぎました、寡黙堂の看板を返上しなければと考えています。では十八史略のつづきです。

王曰、吾爲公以爲將。何曰、不留也。王曰、以爲大將。何曰、幸甚。王素慢無禮。拝大將如呼小児。此信所以去。乃設壇場、具禮。諸將皆喜、人人自以爲得大將。至拝乃韓信也。一軍皆驚。

王曰く、吾公の為に以て将と為さん、と。何曰く、留まらざるなり、と。以て大将と為さん、と。何曰く、幸甚なり。王素(もと)より慢(まん)にして礼無し。大将を拝すること小児を呼ぶが如し。此れ信の去る所以(ゆえん)なり、と。乃ち壇場を設け、礼を具(そな)う。諸将皆喜び、人々自から以為(おも)えらく、大将を得んと。拝するに至って乃ち韓信なり。一軍皆驚く。

漢王が言うに「貴公の顔を立てて韓信を将に取り立てよう」と。蕭何は「それでは留まらないでしょう」と答えた。王は「それでは大将にしよう」何は「それは幸いに存じます。ところで大王には平素から人を見下して、礼に欠けるところがございます。大将を任命されるにも子供を呼びつけるようですが、それこそ韓信が逃げ出す理由です」と。そこで王は大将軍任命の式場を設け、威儀を整えた。将軍達は皆喜び、各々自分こそ大将では、と内心思っていた。
いよいよ任命の段になって指名されたのは韓信だったので将軍達をはじめ一同大いに驚いた。

十八史略 国士無双2

2009-11-07 08:42:19 | Weblog
國士無雙2
何來謁。王罵曰、若亡何也。何曰、追韓信。王曰、諸將亡以十數。公無所追。追信詐也。何曰、諸將易得耳。信國士無雙。王必欲長王漢中、無所事信。必欲爭天下、非信無可與計事者。王曰、吾亦欲東耳。安能鬱鬱久居此乎。何曰、計必東、能用信。信即留。不然信終亡耳。

何(か)来たり謁す。王罵(ののし)って曰く、若(なんじ)、亡(に)げしは何ぞや、と。何曰く、韓信を追う、と。王曰く、諸将の亡ぐるもの十を数う。公追う所無し。信を追うとは詐(いつわ)りならん、と。何曰く、諸将は得易きのみ。信は国士無双なり。王必ず長く漢中に王たらんと欲せば、信を事とする所無し。必ず天下を爭わんと欲せば、信に非ずんば与に事を計る可き者無し、と。王曰く、吾も亦東せんと欲するのみ。安(いづ)くんぞ能(よ)く鬱鬱として久しく此(ここ)に居らん乎(や)と。何曰く、必ず東せんと計らば、能く信を用いよ。信即ち留まらん。然(しか)らずんば信終(つい)に亡げんのみ、と。

蕭何が帰って王に謁見すると、王が罵って言うに「お前までにげるとは何事か」と。蕭何は答えて「韓信を追ったのです」と言った。王は「将のにげたものは、何十人と居るのに、今まで一人も追いかけたことがない、なのに韓信だけを追うとは合点がゆかぬ、嘘であろう」と。蕭何は「他の将はいくらでも補充出来ますが、韓信は二人と得られぬ国士です、漢王がいつまでも漢中の王でいたいと思われるならば、韓信を引き留めることに苦心することはありませんが、是非にも天下を争おうとお考えなら、韓信でなければともに大事を計る者は居りません」王は「わしも東に向って、天下を争う心算でいる。だれがこんな所で鬱うつとしておられようか」何は「是非とも東に出ようとのお考えならば、心して韓信を重用することです。そうすれば信はここに留まりましょう、でなければ結局信は逃げてしまいますよ」と言った。

以十數 十の単位で数えることが出来る。つまり ン十人の意。
無所事信 事はコトトスと読み、努め励むこと。全てにレ点がつく。
非信無可與計事者 非②信①無⑧可⑥與③計⑤事④者⑦の順に読む

十八史略 國士無雙Ⅰ

2009-11-05 09:23:33 | Weblog
蕭何、韓信を追う
項梁渡淮、信從之。又數以策干項羽。不用。亡歸漢、爲治粟都尉。數與蕭何話。何奇之。王至南鄭。將士皆謳歌思歸、多道亡。信度、何已數言、王不用。即亡去。何自追之。人曰、丞相何亡。王怒、如失左右手。

項梁淮(わい)を渡るとき、信、之に従う。又しばしば策を以て項羽に干(もと)む。用いられず。亡(に)げて漢に帰(き)し、治粟都尉(ちぞくとい)と為る。数々(しばしば) 蕭何と語る。何、之を奇とす。王、南鄭(なんてい)に至る。将士、皆謳歌して帰らんことを思い、多く道より亡(に)ぐ。信度(はか)るに、何(か)、已(すで)に数々(しばしば)言いしも、王用いざるなりと。即ち亡げ去る。何、自ら之を追う。人曰く、丞相何亡ぐ、と。王怒る、左右の手を失うが如し。

項梁が秦との戦で淮(わい)水を渡る時、韓信は従軍した。又たびたび項羽に献策したが用いられなかった。そこで逃げ出して漢王につき、糧食をつかさどる治粟都尉(ちぞくとい)という官に就いた。しばしば蕭何と語った。蕭何は韓信の非凡を知った。漢王は関中の都南鄭に赴任したが部下の将士たちは故郷をたたえる歌をうたい、帰りたいと多く逃げ去った。韓信は蕭何がたびたび自分を推挙しているのに漢王はとりたててくれないと、たちまち逃げ出した。蕭何は何とか引き止めようと自ら後を追った。ある人が丞相の蕭何までも逃げました、と王に告げた。漢王は怒った、と同時に両腕をもがれたかのように落胆した。

十八史略 韓信胯をくぐる

2009-11-03 20:52:39 | Weblog
韓信の胯くぐり
淮陰屠中少年、有侮信者。因衆辱之曰、若雖長大好帶劔、中情怯耳。脳死刺我。不能出我胯下。信熟視之、俛出胯下蒲伏。一市人皆笑信怯。

淮陰の屠中の少年に、信を侮る者有り。衆に因(よ)って之を辱かしめて曰く、若(なんじ)、長大にして好んで剣を帯ぶと雖(いえど)も、中情は怯なるのみ。能く死せば我を刺せ。能(あた)わずんば我が胯下(こか)を出でよ、と。信、之を熟視し、俛(ふ)して胯下より出でて蒲伏(ほふく)す。一市の人、皆、信が怯(きょう)を笑う。
その後淮陰の場の若者で、韓信を見くびる者があった。仲間が多いのを嵩にかかって、恥をかかそうとこう言った。「お前さん、図体ばかりでかくて、剣なぞぶらさげているが本当は臆病者だろう、なんならこの俺を刺してみろよ、どうだ出来るか、出来なきゃおれの股の下をくぐれ」と。韓信はじっと若者を視ていたが、うつぶして股の下から腹ばい出た。町中の人は、韓信を嘲り笑った。
蒲伏 匍匐に同じ

十八史略 韓信と漂母

2009-10-31 09:03:45 | Weblog
韓信と漂母
漢元年、五星聚東井。
初淮陰韓信、家貧釣城下。有漂母。見信饑飯信。信曰、吾必厚報母。母怒曰大丈夫不能自食、吾哀王孫而進食。豈望報乎。
漢の元年、五星東井(とうせい)に聚(あつま)る。
初め淮陰(わいいん)の韓信、家貧しうして城下に釣す。漂母(ひょうぼ)あり。信の饑えたるを見て信に飯せしむ。信曰く、吾必ず厚く母(ぼ)に報いん、と。母怒って曰く、大丈夫自ら食うこと能わず。吾王孫を哀れんで食を進む。豈報を望まんや、と。

漢の元年に五惑星が東井の星座にあつまり漢の興る兆しがあらわれた。
それより以前、淮陰(わいいん)の韓信は家が貧しく城下で釣りをして、生活をしていた。たまたま布をさらしていた老婆がいたが、韓信のひもじそうな様子を見て、飯を与えた。韓信が「私が出世したらきっと恩返しをさせてもらいますよ」と言った。すると老婆はむっとして「大の男が、ろくに飯も食わずにいるから、見かねて食事をあげただけだよ、お礼などどうしてあてにするものかね」と言った。

五星 木星(歳星) 火星(熒惑) 土星(鎮星) 金星(太白) 水星(辰星)の五惑星。
東井 井は二十八宿の星座の一、方位は南に当たるのになぜ東がついているか不明。 漂母 川で布を晒している女性
韓信 蕭何、張良とともに漢の三傑。
王孫 本来は王侯の子孫、あえて尊称をつけたのは皮肉か。