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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

韴 (2)

2009-12-10 11:23:32 | Weblog
昨日(韴)を調べました。先ず諸橋大漢和辞典で、すぐに見つかりました。
韴 サフ、ふつ  とぎれごえ
韴靈 フツノミタマ 上古の神劍の名。
 神武即位前五、予劍號曰韴靈、此云赴屠能瀰哆磨
         (予が剣韴霊と号す。此れフツノミタマと云う)と。
次に広辞苑で(ふつのみたま)をひくと、[韴靈・布都御霊]
(フツは断ち切るさまをいう)日本神話で天照大神(および高木神)の神慮により、神武天皇が熊野の人、高倉下(たかくらじ)から受け、国土を平定したという霊剣。石上(いそのかみ)神宮の祭神。とありました。
やはりあの袋には竹刀か木刀が入っていたようです。

2009-12-08 16:12:23 | Weblog
6日早朝、小田急線に乗りました。新宿から渋沢に向ったのですが、昨夜来の雨が洗い落とした空は快晴、秩父の山並みから相州大山までくっきりと見渡せます。もちろん富士山も皚皚。
 ハイカーやら朝帰りの若者やらに混じって大きなバッグを前に置いた若い女性に目が止まりました。彼女の持ち物が気になったのです。丁度竹刀が入りそうな布の袋に銀糸で「韴」と刺繍がしてありました。
 さてなんと読もうか。たぶん「そう」と読むのだろう、数日前のブログに漢王を囲むこと三帀(さんそう)と書いたばかりだったから。では意味は?音をとりまく?変だ、声をつつむ?判らん、わからん。
 ちらちら見ていたので、変なおじさん、と思われていたんだと思う。

ところでその日の用事は7月に急逝した義弟の納骨に立ち会ったのでした。善い人は若死にすると言いますが、まことに好漢でありました。
 30年も前によく通った丹沢への登山口、蓑毛のバス停のすぐそば、秦野市街、相模湾が見渡せるその墓地に骨を納めました合掌。 

十八史略 死者二十万人水之が為に流れず

2009-12-01 08:57:02 | Weblog
漢王は、五諸侯の兵五十六萬を率いて楚をうって彭城に攻め入り、宝貨、美人を奪って酒宴を開いた。項羽はちょうど斉を攻めていた時で、急を聞きすぐさま自身で三万の選りすぐった兵を率いて戻り、漢軍を睢水のほとりに大敗させた。死者二十万人、その死体で睢水の流れも止まるほどであった。項羽は彭城の漢王を三重に取り囲んだ。おりしも大風が西北より吹き起こり、木を折り屋根を剥いで砂石を飛ばして昼にもかかわらず、あたりは暗くなった。天の助けとばかり漢王は数十騎の部下と逃げおおせた。審食其という者が漢王の父と夫人の呂氏の共をして、間道を抜けて逃げようとしたが、楚軍に遭って捕らえられてしまった。項羽は二人を常に陣中に置き人質とした。漢王が滎陽まで来たとき、ちりぢりになっていた部下達も集まった。そのうえ蕭何もまた関中の老人から年少者までも徴用して滎陽にかけつけた。漢軍は再び勢力を盛り返した。

五諸侯 常山王張耳・河南王申陽・韓王鄭昌・魏王豹・殷王邛(きょう)の五侯
置酒高会 置酒は酒宴さかもり、高会は盛大に会合する。
三匝 匝は取り巻く、三めぐり

十八史略 嗟乎、使平得宰天下

2009-11-17 09:09:50 | Weblog
漢二年、項籍弑義帝於江中。
初陽武人陳平、家貧、好讀書。里中の社、平爲宰、分肉甚均。父老曰、善、陳孺子之爲宰。平曰、嗟乎、使平得宰天下、亦如此肉矣。初事魏王咎、不用。去事項羽、得罪亡。因魏無知求見漢王。拝爲都尉參乘典護軍。

漢の二年、項籍、義帝を江中に弑す。
初め陽武の人陳平、家貧にして、書を読むことを好む。里中の社に、平、宰(さい)と為り、肉を分つこと甚だ均し。父老の曰く、善し、陳孺子の宰たること、と。平曰く、嗟乎(ああ)、平をして天下に宰たるを得しめば、亦此の肉の如くならん、と。
初め魏王咎(きゅう)に事(つか)えて、用いられず。去って項羽に事え、罪を得て亡(に)ぐ。魏無知に因(よ)って漢王に見(まみ)えんことを求む。拝して都尉参乗典護軍と為す。

漢の二年、項籍が義帝を揚子江で殺す。
さかのぼって、陽武の人で陳平というものが居た。家は貧しかったが書を読むのが好きだった。村の社の祭日に陳平が差配して、祭りの後の肉の分配に大変公平だったので、村の老人たちは「まことに善かった。陳君のきりもりは」と言うと、陳平が言うには「ああ、もし私に天下の切り盛りをさせてくれたなら、この肉のように公平に裁いてみせるのに」と。
初め陳平は魏王の咎につかえたが、用いられなかった。去って項羽につかえたが罪を犯して逃げ出した。魏無知の紹介によって漢王に謁見を求めた。漢王は都尉参乗典護軍に任じた。

十八史略 韓信三王を滅ぼす

2009-11-12 13:31:04 | Weblog
中野の杉山公園は只今改修中です。残念なのはフェンスにつるを張っていた、テイカカズラと真っ赤な実をつけるヒヨドリジョウゴが抜かれてしまった事です。

王遂用信計、部署諸將、留蕭何、収巴・蜀租、給軍粮食。信引兵從故道出、襲雍王章邯。邯敗死。塞王司馬欣・翟王菫翳皆降。

王遂に信の計を用いて、諸将を部署し、蕭何を留めて巴・蜀の租(そ)を収め、軍の粮食(りょうしょく)を給せしむ。信、兵を引いて故道より出で、雍王章邯(ようおうしょうかん)を襲う。邯敗死す。塞王司馬欣(さいおうしばきん)・翟王菫翳(てきおうとうえい)皆降る

漢王は遂に韓信の計を用い、諸将をそれぞれ配置した。蕭何は関中に留めて、巴・蜀の租税を取り立て、軍の糧食の手当とした。韓信は兵を率いて故道県から打って出て雍王章邯を敗死させた。塞王司馬欣と翟王菫翳はともに降伏した。

雍王章邯・塞王司馬欣・翟王菫翳は秦の降将で漢の地を扼するため項羽が王にした三人(巴・蜀も亦関中なり参照)