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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 吾の天下を得たる所以は何ぞ

2010-02-04 16:54:20 | 十八史略
置酒洛陽南宮。上曰、徹侯諸將、皆言、吾所以得天下者何、項氏所以失天下者何。高起・王陵對曰、陛下使人攻城掠地、因而與之、與天下同其利。項羽不然。有効者害之、賢者疑之、戰勝而不予人功、得地而不與人利。

洛陽の南宮に置酒(ちしゅ)す。上(しょう)曰く、徹侯(てっこう)諸将、皆言え、吾の天下を得たる所以(ゆえん)は何ぞ、項氏の天下を失いし所以は何ぞ、と。高起・王陵対(こた)えて曰く、陛下は人をして城を攻め地を掠めしむれば、因って之に与え、天下と其の利を同じうす。項羽は然らず。功有る者は之を害し、賢者は之を疑い、戦い勝って人に功を予えず、地を得て人に利を与えず、と。

洛陽の南宮で宴会を催した時、高祖が言った、「列侯・諸将たちよ、皆言ってみよ。予が天下を得たわけは何か、項羽が天下を失った理由は何であるか」と。すると高起と王陵が対(こた)えて言った、「陛下は部下に城を攻め、土地を取らせられますと、功によって部下に与えて、天下の人と利益を共にされました。項羽はそうではありません。功ある者は痛めつけ、賢者は疑ってかかりました。戦争に勝っても、部下に功賞を与えず、土地を得ても人に与えませんでした。それで天下を失ったのです」と。

徹侯 秦代の爵位、後に通侯、列侯といった

十八史略 漢の高祖

2010-02-02 09:20:31 | 十八史略
楚地悉定。獨魯不下。王欲屠之。至城下、猶聞絃踊之聲。爲其守禮義之國、爲主死節、持羽頭示之。乃降。王還、馳入齊王信壁、奪其軍、立信爲楚王、彭越爲梁王。漢王即皇帝位。

楚の地悉(ことごと)く定まる。独り魯のみ下らず。王之を屠(ほふ)らんと欲し、城下に至れば猶絃踊(げんしょう)の声を聞く。其の礼義を守るの国にして、主の為に節に死するが為に、羽の頭を持して之に示す。乃(すなわ)ち降る。王還り、馳せて齊王信の壁に入り、其の軍を奪い、信を立てて楚王と為し、彭越(ほうえつ)を梁王と為す。漢王、皇帝の位に即(つ)く

かくして楚の地はすべて平定したが、ただ魯だけが降らない。漢王は根絶やしにしようと城下にせまると、城内からは楽器にあわせて詩を歌う声が聞こえてくる。漢王は、魯が礼節を守る国で、旧主項羽へ忠節をたてて死ぬ覚悟と見たので、項羽の首を持ってきて魯の人々に示した。それでようやく降伏した。漢王は軍を返し急遽斉王韓信の城壁に入ってその軍隊を自分のものにした。やがて韓信を楚王にし、彭越を梁王にした。そして漢王は皇帝の位に就いた(前202)高租である

主の為に節に死する 項羽はかつて魯公に封ぜられた

十八史略 我何の面目あって復た見ん

2010-01-28 15:29:41 | 十八史略
亭長艤船待。曰、江東雖小、亦足以王。願急渡。羽曰、藉與江東子弟八千人、渡江而西。今無一人還。縱江東父兄、憐而王我、我何面目復見。獨不愧於心乎。乃刎而死。

亭長船を艤(ぎ)して待つ。曰く、江東、小なりと雖も、亦以て王たるに足る。願わくは急に渡れと。羽曰く、籍、江東の子弟八千人と、江を渡って西す。今一人の還るもの無し。縦(たとい)江東の父兄、憐れんで我を王とすとも、我、何の面目あって復見ん。独り心に愧(は)ぢざらんや、と。乃ち刎(くびは)ねて死す。

烏江の亭長が船出の用意を整えて待っていた。そして「江東は小なりとはいえ、それでも王として治めるには充分です。どうか急いで渡ってください」と言った。項羽はハッと気付き「わしはかつて江東の子弟八千と共に、この長江を渡って西に向ったが、今一人として連れ還るものもない。たとい父兄がわしに同情して王にしてくれてもなんの面目あって顔を合わすことができよう。わしとて心に羞じずにおられようか」と自ら首をかき切って死んだ。

十八史略 此れ天我を亡ぼすなり

2010-01-26 17:51:07 | 十八史略
今年に入ってどうも体調が芳しくない。予定を早めて女子医大の南先生に診てもらうことにした。

羽乃夜從八百餘騎、潰圍南出、渡淮、迷失道、陥大澤中。漢追及之。至東城。乃有二十八騎。羽謂其騎曰、吾起兵八歳、七十餘戰、未嘗敗也。今卒困此。此天亡我。非戰之罪。今日固決死。願爲諸君決戰、必潰圍斬將、令諸君知之。皆如其言。於是欲東渡烏江。

羽乃(すなわ)ち世八百余騎を従え、囲みを潰(ついや)して南に出で、淮(わい)を渡り、迷うて道を失い、大沢(だいたく)の中に陥る。漢追うて之に及ぶ。東城に至る。乃ち二十八騎有り。羽、その騎に謂って曰く、吾、兵を起こしてより八歳、七十余戦、未だ嘗て破れざるなり。今卒(つい)に此に困しむ。此れ天我を亡ぼすなり。戦いの罪に非ず。今日固(もと)より死を決す。願わくは諸君の為に決戦し、必ず囲みを潰(ついや)し将を斬り、諸君をして之を知らしめんと。皆其の言の如くす。是に於いて東のかた烏江を渡らんと欲す。

項羽は夜になるや八百余騎を従えて、敵の包囲を突き破って南に逃れたが、淮水を渡ったところで道に迷い、湿地帯に踏み込んでしまった。漢軍に追いつかれ、また逃げ延びて東城(安徽省の地名)にたどりついたときは、二十八騎になっていた。羽は彼等に向って「わしは兵を挙げて八年、七十余たび戦ったが敗れたことがなかった。今ここで追い詰められてしまったのは、天がわしを亡ぼすのであって、戦の上手下手ではない。もちろん今日生き残れるはずもないが、諸君の目の前で決戦して囲みを破って、敵将を斬りその証をたてたいと思う」と。そしてすべてその通りやってのけた。こうして項羽は東にのがれ烏江を渡ろうとした

十八史略 虞や虞や若を奈何せん

2010-01-23 11:28:53 | 十八史略
虞や虞や若を奈何せん
起飮帳中、命虞美人起舞。悲歌慷慨泣數行下。其歌曰、力抜山兮氣蓋世。時不利兮騅不逝。騅不逝兮可奈何。虞兮虞兮奈若何。騅者羽平日所乘駿馬也。左右皆泣、莫敢仰視。

起って帳中に飲し、虞美人に命じて起って舞わしむ。悲歌慷慨、泣(なみだ)数行下る。その歌に曰く、
力山を抜き、気は世を蓋う。
時、利あらず 騅(すい)逝かず
騅逝かざるを奈何(いかん)せん 
虞や虞や若(なんじ)を奈何せん
騅とは羽が平日乗るところの駿馬なり。左右皆泣き、敢えて仰ぎ視るもの莫(な)し。

やがて立ち上がって陣中のとばりの中で酒を酌み交わし、虞美人に舞わせた。歌は悲壮に、嘆きは増して、さすがの項羽も涙が幾筋も頬をつたわった。その歌は、
力は山をも引き抜き、気概は天下をも蓋う
天の時は味方せず、愛馬の騅も前に進まぬ
騅の進まぬをいかんせん ああそれよりも
虞よ虞よなんじをいかんせん
左右の臣は皆泣き、項羽の顔を仰ぎ視る者は誰一人居なかった。

兮 調子を整えるために置く助字 音はケイ
奈何 如何におなじ
虞美人 項羽の愛妾、ひなげしにその名をとどめる