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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 虎を養うて患を遺す

2010-01-19 21:29:46 | 十八史略
養虎自遺患也
項王少助食盡。韓信又進兵撃之。羽乃與漢約、中分天下、鴻溝以西爲漢、以東爲楚。歸太公・呂后、解而東歸。漢王亦欲西歸。張良・陳平曰、漢有天下大半。楚兵饑疲。今釋不撃、此養虎自遺患也。王從之。

項王、助け少なく、食尽く。韓信、又兵を進めて之を撃つ。羽、乃ち漢と約す、天下を中分し、鴻溝(こうこう)以西を漢と為し、以東を楚と為さんと。太公・呂后を帰し、解いて東に帰る。漢王も亦西に帰らんと欲す。張良・陳平曰く、漢天下の大半を有(たも)つ。楚の兵飢疲す。今釈(ゆる)して撃たずんば、此れ虎を養うて自ら患(うれ)いを遺(のこ)すなり、と。王、之に従う。

項王は援兵少なく食糧も尽きてきた。さらに韓信もまた兵を進めてこれを攻めた。項羽はしかたなく漢と約束して鴻溝で二分し、西方を漢の領土とし東を楚の領土とした。そして人質にしていた太公と呂后を帰して、戦闘態勢を解いて東に帰った。漢王もまた西に帰還しようとしたところ、張良と陳平が止めて言った。「漢は天下の大半を領有しており、楚の兵は飢え疲れはてています。ここでこのままゆるして撃たなければ、虎を育てて患いを遺すというものです」と。漢王はこの進言に従った。

十八史略 韓信仮に齊王たらんとす

2010-01-14 09:32:06 | 十八史略
信使人言之漢王,請爲請假王以鎮齊。漢王大怒罵之。張良・陳平躡足附耳語。王悟、復罵曰、大丈夫、定諸侯、即爲眞王耳。何以假爲。遣印立信爲齊王。

信、人をして之を漢王に言わしめ、仮王と為り以て斉を鎮せんと請う。漢王大いに怒って之を罵る。張良・陳平、足を躡(ふ)み、耳に附けて語る。王悟り、復た罵って曰く、大丈夫、諸侯を定めば即ち真王たらんのみ。何ぞ仮を以て為さん、と。印を遣わし、信を立てて斉王と為す。

韓信は使者を遣わして、戦勝を伝え、なお自分が仮に斉王となって斉の地を安堵したい旨請うた。漢王は大いに怒って罵った。張良と陳平とが韓信を敵にすることを恐れ、王の足を踏んで、耳に口を寄せて許してやりなさいと囁いたので、漢王はハッと気がつき、また罵って言った。「大丈夫たる者が、諸侯を平定したら真の王になるだけのことではないか、仮になどと言うことはない」と。早速印章を遣わして斉王に立てた。

十八史略 韓信龍且を破る

2010-01-12 09:20:01 | 十八史略
韓信、濰水を決壊す
楚使龍且救齊。龍且曰、韓信易與耳。寄食於漂母、無資身之策、受辱於股下、無兼人之勇。進與信夾濰水而陣。信夜使人嚢沙壅水上流、旦渡撃且、佯敗還走。且追之。信使決水。且軍大半不得渡。急撃殺且

楚、龍且(りょうしょ)をして斉を救わしむ。龍且曰く、韓信与(くみ)し易きのみ。漂母に寄食して、身を資(たす)くるの策無く、辱めを股下に受けて、人に兼ぬるの勇無し、と。進んで濰水(いすい)を夾(はさ)んで陣す。信、夜人をして沙を嚢(ふくろ)にして水の上流を壅(ふさ)がしめ、旦(あした)に渡って且を撃ち、佯(いつわ)り敗れて還り走る。且、之を追う。信、水を決せしむ。且の軍大半渡るを得ず。急に撃って且を殺す。

楚の項羽は龍且を将として斉を救わせた。龍且は言った「韓信は恐れるに足りません。洗濯ばあさんに食わせて貰って身を立てる術もなく、人の股をくぐる恥を受けても平気で、人にすぐれた勇気も持ち合わせていない」と。進んで濰水を挟んで韓信と対陣した。韓信は夜ひそかに人をやって砂を袋に入れて上流を堰きとめさせ、翌早朝、川を渡って龍且を撃ち、負けた振りをして逃げた。龍且はそれとは知らず追撃する。韓信が堰を切ったので、龍且の軍勢は大半が渡ることが出来ない。そこを急襲して龍且を討ち取った。

人に兼ぬるの勇 人に勝る勇気

十八史略 我に一杯の羹を分かて

2010-01-09 11:04:30 | 十八史略
漢與楚皆軍廣武。羽爲高俎、置太公其上、告漢王曰、不急下、吾烹太公。王曰、吾與若倶北面事懐王、約爲兄弟。吾翁即若翁。必欲烹而翁、幸分我一杯羹。
羽願與王挑戰。王曰、吾寧鬭智。不鬭力。因數羽十罪。羽大怒、伏弩射王傷胸。

漢と楚皆広武に軍す。羽、高俎(こうそ)を為(つく)り、其の上に太公を置き、漢王に告げて曰く、急に下らずんば、吾太公を烹(に)ん、と。王曰く、吾と若(なんじ)と倶(とも)に北面して懐王に事(つか)え、約して兄弟(けいてい)と為る。吾が翁は即ち若(なんじ)が翁なり。必ず而が翁を烹(に)んと欲せば、幸いに我に一杯の羹(あつもの)を分かて、と。
羽、王と挑戦せんと願う。王曰く、吾寧ろ智を闘わさん。力を闘わさず、と。因(よ)って羽の十罪を数う。羽、大いに怒り、弩を伏せ王を射て胸を傷つく。

漢と楚の軍はみな広武に布陣していた。項羽は高い俎板をつくり、かねて捕えていた漢王の父の太公をその上に据え、漢王に言った「急いで降参しなければ、釜茹でにするぞ」と。漢王は「私とお前とはともに北面して懐王に仕え、約束して兄弟になった。私の父はすなわちお前の父だ、是非にもお前の父を煮るというなら、一杯の肉汁を分けて貰いたいものだ」とやりかえした。
つぎに項羽は、漢王と一騎打ちをしかけたが、王は「私は、智恵比べなら応ずるが、力比べはごめん被る」と答えた。そのうえで項羽の十か条の罪状を数え上げた。項羽は怒って、いしゆみを密かに射かけ漢王の胸を傷つけた。

幸い我に一杯の・・ 幸 ねがうの意

十八史略 一豎儒の功に如(し)かざるか

2010-01-07 17:43:23 | 十八史略
酈食其爲漢王、説齊王下之。蒯徹説韓信曰、將軍撃齊。而漢獨發使下之。寧有詔止將軍止乎。酈生伏軾、掉三寸舌、下七十余城。將軍爲將數歳、反不如一豎儒之功乎。
四年.信襲破齊。齊王烹食其而走。

酈食其(れきいき)漢王の為に、斉王に説いて之を下す。
蒯徹(かいてつ)、韓信に説いて曰く、将軍斉を撃つ。而(しか)るに漢独り間使を発して之を下せり。寧ろ詔(みことのり)有って将軍を止めしか。酈生(れきせい)軾に伏して三寸の舌を掉(ふる)い、七十余城を下せり。将軍、将たること数歳、反(かえ)って一豎儒(じゅじゅ)の功に如(し)かざるか、と。
四年、信襲うて斉を破る。斉王、食其(いき)を烹(に)て走る。

酈食其は漢王の為に、斉王に説いて降伏させた。
蒯徹という者が韓信に説いて言った。「将軍が斉を攻撃しようとしておられるのに、漢王は密使を送って降伏させてしまいました。それより何より漢王から将軍に、止まるようにと詔勅がありましたか?あの酈食其は車の横木に寄りかかったままで舌先三寸、斉の七十余城を降しました。将軍は将として数年、一介の青二才儒者に及ばないのでしょうか」と。
四年、韓信は斉を急襲して撃ち破った。斉王は酈食其を煮殺して逃げた