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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 西安遷都

2010-02-23 17:40:14 | 十八史略
齊人婁敬説上曰、洛陽天下中。有易以興、無易以亡。秦地被山帯河、四塞以爲固。陛下案秦之故、此搤天下之亢、而拊其背也。上問張良。良曰、洛陽四面受敵。非用武之國。關中左殽函、右隴蜀、阻三面而守。敬説是也。上即日西都關中。

斉人婁敬(ろうけい)、上(しょう)に説いて曰く、洛陽は天下の中なり、徳有れば以て興り易く、徳無ければ以て亡び易し。秦の地は山を被(こうむ)り河を帯び、四塞(しそく)以て固(かため)を為す。陛下秦の故(こ)を案ぜば、此れ天下の亢(こう)を搤(やく)して、其の背を拊(う)つなり、と。上、張良に問う。良曰く、洛陽は四面に敵を受く。武を用うるの国に非ず。関中は殽函(こうかん)を左にし、隴蜀(ろうしょく)を右にし、三面を阻(へだ)てて守る。敬の説、是(ぜ)なり、と。上、即日西して関中に都す。

斉人の婁敬という者が高祖に説いて言った、「洛陽は天下の中心にあります。天子に徳があれば、興りやすく、徳がなければ亡びやすい地です。関中の秦の地は後ろに山をかむり、前に河をめぐらして四方がふさがって、自然のかためを為しています。もし陛下が秦の故地関中を拠(よ)り所とするならば、これは天下の喉もとを押さえつけてその背中を打つようなものです」と。高祖は張良に諮(はか)った。張良は「洛陽は四方から攻撃され易く戦に向いた地ではありません。関中は殽山と函谷関が左に控え、隴州、蜀州の山々が右に聳えて三面が自然に固く守られております。婁敬の説は的を射ております」と。高祖はその日のうちに西に遷(うつ)って関中を都とする事を決めた。

案 安堵におなじ、その所に落ち着いている
亢(こう)を搤(やく)して 亢は首、のど 搤 押さえつける、扼に同じ

十八史略 丁公、臣と為って不忠なり

2010-02-18 18:04:57 | 十八史略
丁公爲項羽將、嘗逐窘帝彭城西、短兵接。帝急顧曰、兩賢豈相厄哉。丁公乃還。至是謁見。帝以徇軍中曰、丁公、爲臣不忠。使項王失天下。遂斬之。曰、使後爲人臣、無效丁公也。

丁公、項羽の将と為り、嘗て逐(お)いて帝を彭城(ほうじょう)の西に窘(くる)しめ、短兵接す。帝急に顧みて曰く、両賢豈相厄せんや、と。丁公乃ち還りぬ。是に至って謁見す。帝以て軍中に徇(とな)えて曰く、丁公、臣と為って不忠なり。項王をして天下を失わしむ、と。遂に之を斬る。曰く、後(のち)の人臣たるものをして、丁公に效(なら)うこと無からしむるなり、と。

丁公というものが項羽の部将になって、かつて高祖を彭城の西に追いつめ、刀で切りつけるところまで迫った。高祖はいきなり振り返って「賢人同士が互いに苦しめ合うこともあるまい」と言った。丁公は高祖を見逃して引き返した。高祖の世になって、丁公が拝謁したところ、高祖は捕えて引き廻し、「丁公は臣下として不忠者である。項王に天下を失わせたのはこやつだ」と、彼を斬り殺した。そして「後の臣下たる者に丁公を見ならわせないようにしたのだ」と言った。

丁公 季布の異父同母の弟。 短兵 剣などの短い武器、短兵急はにわかに
厄 阨に同じ、苦しみ困ること。

十八史略 季布髠鉗(こんけん)して奴と為り朱家に売る

2010-02-16 17:58:57 | 十八史略
初季布爲項羽將、數窘帝。羽滅、帝購求布。敢匿者罪三族。布乃髠鉗爲奴、自賣於魯朱家。朱家心知其布也、之洛陽見滕公曰、季布何罪。臣各爲其主耳。以布之賢、漢求之急、不北走胡、南走越耳。此棄壯士資敵國也。 滕公言於上。乃赦布、召拝郎中。

初め季布、項羽の将と為り、数々(しばしば)帝を窘(くる)しむ。羽滅んで、帝、布を購求す。敢えて匿(かく)す者は三族を罪せんと。布乃ち髠鉗(こんけん)して奴(ど)と為り、自ら魯の朱家に売る。朱家、心に其の布なるを知るや、洛陽に之(ゆ)き滕公(とうこう)に見(まみ)えて曰く、季布、何の罪かある。臣は各々其の主の為にするのみ。布の賢を以て、漢之を求むること急なるときは、北のかた胡に走らずんば、南のかた越に走らんのみ。此れ壮士を棄てて敵国を資(たす)くるなり、と。滕公、上(しょう)に言う。乃ち布を赦し、召して郎中に拝す。

以前季布は項羽の将軍として度々高祖を苦しめた。そこで項羽が滅びると、賞金を懸けて捜し求め、もしかくまう者があったら、本人はもとより父母、妻の一族までも罰するぞと布告した。季布は髪を剃り首枷(かせ)をはめて自ら奴隷に身を落として魯の朱家に売った。朱は季布の正体を感づくと、洛陽に赴き、滕公(夏公嬰)に会見してこう言った。「季布に何の罪がありましょう、臣下はそれぞれの主君のために力を尽くすのがつとめ、ここで季布ほどの賢人を厳しく探索したなら、北の匈奴か南の越に逃げるだけでしょう。これこそ壮士を見捨てて敵国を利することになりましょう」と。滕公はそれを高祖に申し上げた。高祖は早速季布を赦し、召して郎中に任じた。

窘(くる)しむ 閉じ込める、苦しめる。  購求 懸賞金をかけて捜し求める。
髠鉗(こんけん) 頭髪を剃り、鉄枷を首に施すこと。
郎中 宮中の宿直の役。

十八史略 田横自頸す

2010-02-13 11:04:01 | 十八史略
故齊田横、與其徒五百餘人入海島。上召之曰、横來。大者王。小者侯。不來、且擧兵誅。横與二客乘傳、至洛陽尸郷自剄。以王禮葬之。二客自剄客從之。五百人在島中者、聞之自殺。

故(もと)の斉の田横(でんこう)其の徒五百人と海島に入る。上(しょう)之を召して曰く、横来たれ。大なる者は王とせん。小なる者は侯とせん。来たらずんば、且(まさ)に兵を挙げて誅(ちゅう)せんとす、と。横、二客(じかく)と伝に乗り、洛陽の尸郷(しきょう)に至って自剄(じけい)す。王の礼を以て之を葬る。二客自剄して之に従う。五百人島中に在る者、之を聞いて自殺す。

もと斉の田横は、その徒党五百人余りと海上の島に逃れて立てこもった。高祖はこれを召すべく、「田横よ来い。重くは王に、軽くとも侯に取り立てよう。もし来なければ、兵を派遣して誅するぞ」と使者に伝えさせた。田横は二人の客と共に、宿継ぎをしながら洛陽に向かい、すぐ手前の尸郷まで来たところで、みずから首をはねた。高祖は王の礼をもって田横を葬った。二人の客もみずから首をきって後を追った。島に残っていた五百人もこれを聞いてすべて自決して殉じた。

十八史略

2010-02-09 16:47:13 | 十八史略
高祖は言った。「貴公らはその一面を知って、他の面を知らない。そもそも帷幕の中で作戦をめぐらし、千里も離れて勝利を導くは子房(張良)に及ばない。国家を安定させ人民をいつくしみ食糧を確保し補給を絶やさぬ能力は蕭何にかなわない。百万の大軍を指揮し、戦えば必ず勝ち、攻めれば必ず取る腕前は、韓信に及ばぬ。この三人は傑出した者たちだ。わしはこの三人をよく使いこなした。これがわしが天下を取ったわけだ。ところが項羽には一人范がいたが、使いこなすことができなかった。これがあやつがわしにしてやられたゆえんだ」と。群臣みな感じいった。

籌 はかる 数をかぞえる竹の棒から、はかりごと、計略
餽餉 食糧  人傑 能力の衆人にすぐれた人。