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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略  善く将に将たり 

2010-03-09 13:56:03 | 十八史略
多々益々辦(べん)ず
上嘗從容問信諸將能將兵多少。上曰、如我能將幾何。信曰、陛下不過十萬。上曰、於君如何。曰、臣多多益辦。上笑曰、多多益辦、何以爲我禽。曰、陛下不能將兵、而善將將。此信所以爲陛下禽。且陛下所謂天授、力也。

上(しょう)嘗て従容(しょうよう)として信に諸将の能(よ)く兵に将たるの多少を問う。上曰く、我の如きは能く幾何(いくばく)に将たらんか、と。信曰く、陛下は十万に将たるに過ぎず、と。上曰く、君に於いては如何(いかん)、と。曰く、臣は多々益々辦(べん)ず、と。上笑って曰く、多々益々辦ぜば、何を以って我が禽(とりこ)に為れる、と。曰く、陛下は兵に将たること能(あた)わざれども、而(しか)も善く将に将たり。此れ信が陛下の禽と為りし所以(ゆえん)なり。且つ陛下は所謂(いわゆる)天授にして、人力に非ざるなり、と。

高祖はあるとき、くつろいだ様子で韓信に将軍達がそれぞれどの位の兵を統率する能力があるだろうかと聞いたことがあった。そして最後に高祖は「わしはどれほどの兵を使いこなせるだろうか」と問うた。すると韓信は「陛下は十万位いでしょう」と答えた。高祖は「ではお前はどうだ」と尋ねると、「私は多ければ多いほど指揮がさえます」と事もなげに言った。高祖は笑って「多ければ多いほどうまくやれると言うそなたがなぜわしの虜になったのだ?」韓信は「陛下は兵に将たるには向きませんが、将に将たる才がおありになります。これが私が虜になった所以です。その上、陛下は天から授かった人に君たる運勢をお持ちです。人の力では及びもつきません。」と。

辦 つとめる。処理する。さばく。
よく似た字がありますので参考のため列挙しました。
辨(弁)わかつ 弁別。わきまえる 分別。つぐなう 弁償。用にあてる弁当。               
辧(弁)辨の本字。
辯(弁)言うこと、言い開きすること 弁護士の弁
瓣(弁)はなびら、花弁。瓜の種の周りのやわらかな部分
辮 編む 辮髪(べんぱつ)中国清朝の男子の髪型。(蒼穹の昴でおなじみ)

十八史略  狡兎(こうと)死して走狗(そうく)烹(に)らる

2010-03-04 18:08:33 | 十八史略
六年、人有上書告楚王韓信反。諸將曰、發兵坑孺子耳。上問陳平。平危之曰、古有巡守會諸侯。陛下第出僞遊雲夢、會諸侯於陳、因禽之、一力士之事耳。上從之、告諸侯、會陳、吾將遊雲夢。至陳。信上謁。命武士縛信、載後車。信曰、果若人言。狡兎死走狗烹、飛鳥盡良弓蔵。敵國破謀臣亡。天下已定。臣固當烹。遂械繋以歸。赦爲淮陰侯。

六年、人、上書して楚王韓信反すと告ぐるもの有り。諸将曰く、兵を発して孺子(じゅし)を坑(こう)にせんのみ、と。上(しょう)陳平に問う。平、之を危ぶんで曰く、いにしえ、巡守(じゅんしゅ)して諸侯を会すること有り。陛下、第(ただ)出で偽って雲夢に遊び、諸侯を陳に会し、因(よ)って之を禽(とりこ)にせば、一力士の事のみ、と。上、之に従い、諸侯に告ぐ。陳に会せよ、吾将(まさ)に遊ばんとす、と。陳に至る。信、上謁す。武士に命じて信を縛せしめ、後車に載す。信曰く、果たして人の言の若(ごと)し。狡兎(こうと)死して走狗(そうく)烹(に)られ、飛鳥尽きて良弓蔵(しま)われ、敵国破れて謀臣亡ぶと。天下已(すで)に定まる。臣固(もと)より当(まさ)に烹(に)らるべし、と。遂に械繋(かいけい)して以って帰る。赦(ゆる)して淮陰侯(わいいんこう)と為す。
通釈文は次回に

十八史略 張良太公望の兵書を授かる

2010-03-02 18:03:14 | 十八史略
及往、老人又先在。怒復約五日。良半夜往。老人至。乃喜、授以一編書。曰、讀此可爲帝者師。異日見濟北穀城山下黄石、即我也。旦視之、乃太公兵法。良異之、晝夜習讀。既佐上定天下。封功臣、使良自擇齊三萬戸。良曰、臣始與陛下遇於留。此天以臣授陛下。封留足矣。後經穀城、果得黄石焉。奉祠之。

往くに及んで、老人又先ず在り。怒って復五日を約す。良半夜に往く。老人至る。乃ち喜び、授くるに一編の書を以ってす。曰く、此れを読まば帝者の師と為るべし。異日、濟北(さいほく)の穀城(こくじょう)山下の黄石を見ば、即ち我なり、と。旦(あした)に之を視れば、乃ち太公の兵法なり。良、之を異とし、昼夜習読す。既にして上(しょう)を佐(たす)けて天下を定む。功臣を封ずるとき、良をして自ら斉の三万戸を択ばしむ。良曰く、臣始め陛下と留に遇(あ)う。此れ天、臣を以って陛下に授くるなり。留に封ぜらるれば足れり、と。後、穀城を経しに、果して黄石を得たり。之を奉祠す。

五日後に行ってみると老人が先に来ていて叱り付け、さらに五日後に行くことを約束した。張良は今度は遅れまいと夜中から待った。やがて老人が来て、会うと喜んで一編の書を授けてこう告げた「これを読めば帝王の軍師となれよう。後日、済北の穀城山下で黄色の石を見かけたらそれがわしじゃ」と。朝になってその書を見ると太公望の兵法書であった。張良はこれを奇遇と喜び、昼夜の別なく読み習ったのであった。
やがて張良は高祖をたすけて天下を平定し、功臣を封ずるとき、高祖は斉のうちで三万戸の領地を選び取らせようとしたところ張良はこう言って辞退した「私は陛下に留でお目にかかりました。それは天が私を陛下に授けたものと思っております。ですから留の地をいただければ充分でございます。」
その後穀城山を通ったとき、果して黄石をみつけたので、祠に祀ったのであった。

十八史略 張良、橋上に老人と会う 

2010-02-27 11:29:45 | 十八史略
孺子教うべし
良少時、於下邳圯上、遇老人。堕履圯下、謂良曰、孺子下取履。良欲毆之。憫其老、乃下取履。老人以足受之曰、孺子可教。後五日、與我期於此。良如期往。老人已先在。怒曰、與長者期後何也。復約五日。

良少(わか)き時、下邳(かひ)の圯上(いじょう)に於いて、老人に遇う。履(くつ)を圯下(いか)に堕(おと)し、良に謂って曰く、「孺子(じゅし)下って履を取れ」と。良、之を殴(う)たんと欲す。その老いたるを憫(あわれ)み、乃ち下って履を取る。老人、足を以て之を受けて曰く、「孺子教うべし。後五日、我と此に期せん」と。良、期の如く往く。老人已(すで)に先ず在り。怒って曰く、「長者と期して後(おく)るるは何ぞや」と。復(また)五日を約す。

張良がまだ若い頃、下邳という所の橋の上で一人の老人に出会った。老人はわざと履を橋の下に落として「おい若造、下に降りて履を取って来い」と言った。張良は怒って老人を殴ろうと思ったが、年寄りであると不憫に思い、降りて履を拾って来てやった。老人はそれを足で受けて「若造よ、お前は見所がある、ひとつ教えてやろうかい五日後に又ここで会おう」と言った。張良が約束どおり行ってみると老人はすでに来ていて「年上の者と待ち合わせておいて、後れて来るとは何事だ」と怒って、更に五日後に会おうと約束した。

十八史略 赤松子に従って遊ばん

2010-02-25 18:13:35 | 十八史略
留侯張良、謝病辟穀曰、家世相韓。韓滅爲韓報讎。今以三寸舌爲帝者師、封萬戸侯。此布衣之極。願棄人間事、從赤松子遊耳。

留侯張良、病と謝し、穀(こく)を辟(さ)けて曰く、家世よ韓に相たり。韓滅んで韓の為に讎(あだ)を報ず。今三寸の舌を以て、帝者の師と為り、万戸侯に封ぜられる。此れ布衣の極なり。願わくは人間(じんかん)の事を棄てて赤松子(せきしょうし)に従って遊ばんのみ。

留侯張良は病気を理由に官を辞し、穀類を遠ざけ言った。「我が家は代々韓の大臣であったが、韓が滅んでからは高祖に仕えて秦を滅ぼして報復した。いま三寸の舌をもって帝王の軍師となり、一万戸の地に封ぜられている。これは平民に落ちた身には出世の極みというべきであろう。この上は俗事を棄てて、かの赤松子に倣い神仙の間に遊びたいものだ」と。

赤松子 上古の仙人の名