夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

夕景

2009年01月27日 20時47分59秒 |  多摩川散歩


さっき、多摩川夕景というタイトルで多摩川に映る夕景をご紹介しました。
こちらでは目線を空に上げて、夕空をご紹介します。



でも、こちらでも同じ疑問。
こんなに派手な色使いなのに、なぜか見る人を侘しくさせますね、、、


何もないときの ユリカモメ頼み

2009年01月26日 20時59分32秒 |  多摩川散歩


今日は散歩なし。ということで、写真が何もありませんね。日曜日に撮ったユリカモメなぞを引き出してきました。



今や、ここ多摩川河川敷では烏や雀くらいにポピュラーな鳥ですけど、できれば早くコアジサシと交代して欲しいかなっていうとユリカモメに怒られてしまいますね。



でも何を書きましょう?



この子なんだか左の羽がおかしいのかな?



ねぇ、そう思いません?



名にし負はば、、なんてのもずいぶん前にやっちゃったし。
都鳥がなぜユリカモメなのかについてもそのときに書いちゃった。
  (恥、、、何し負はばになってました。訂正しておきます)

そういえば、ヒッチコックの背景にいたカモメはユリカモメかな、目の後ろに斑点があったようななんてのも書いちゃったか。
  (これまた恥、、、ヒッチコックの時には、セグロカモメって書いていたそうです。自分の日記を人から教えてもらうなんて、認知症がずいぶんと進んだ証拠? 訂正を追加しておきます) 

書くことないよ~
当機は多摩川空港に向けて着陸態勢に入りました、、、、




ということで、今日のデータは
D300
タムロン200-500
ISO800
絞り優先オート スポット測光
WBオート
露出補正なし
三脚なし。手持ち


アネモネ

2009年01月26日 10時20分07秒 |  デジカメ練習帖

昔々、おじいちゃんのおじいちゃんの、そのまたおじいちゃんの、、、ずっとずっと昔。
まだ、神様達が人間と一緒に生活していたころの話。

美の女神様のアフロディーテが、キューピッドの矢に誤って刺さってしまい、そこにいた人間のアドニスに恋をしてしまいました。ところがアドニスは猟に出て死んでしまったのです。
アフロディーテは嘆き悲しんだのだけど、そのときの涙がアネモネになったそうです。

でも、恋多きアフロディーテにはそのときにもヘバイトスって主人がいて、さらにアレスって愛人もいたんですね。なんて事を言い出すと幻滅を与えますか? でも、今の世の中から見れば、そんなに変なことではないのかもしれませんね。
あの当時は神様だってすごく人間的だった世言うことなんですね。
アドニスとの関係も、人の命を司るベルセポネって別な女神と争って手に入れたんですから。

アフロディーテは死んだアドニスを生き返らせて欲しいって、恋敵のベルセポネに頼んで、アドニスの生まれ変わりとしてアネモネを得たという説もあるんです。

アネモネは風を意味するアネモスから来た名前だそうです。
美しいけど風が吹くと儚くも散ってしまう。
そんなイメージを与えられているんですね。
だから花言葉も
「期待、薄れ行く希望、儚い恋」などなど、、なんだそうで、全体として儚げなものが多いのですね。

でも、ずいぶん昔の日記に、日本語の「儚い」という言葉のイメージを持つ適当な訳語が英語で探せなかったて書いていました。アネモネに与えられた花言葉って「儚い」そのものじゃなかな~なんて、要するに自分の語学力がないから適当な言葉が思いつかなかっただけなんでしょうね。

アネモネ、この花は盛りをちょっとすぎていますけど、シベが面白かったので、こちらを使いました。
この下の写真
D300 
MacroNikkor 200 F. 4
絞り優先オート 1/350 f.11
+1 補正
フォーカス マニュアル
三脚使用。

トップのものは
D300 
MacroNikkor 200 F. 4
絞り優先オート 1/15 f.11
フォーカス マニュアル
三脚使用。
黒のストッキングをフィルター代わりに使用。



今日は

2009年01月25日 18時47分40秒 |  多摩川散歩


天気予報では快晴。ただしすごく冷え込むということでした。ならきっと富士山が綺麗だろうと、朝日の昇るころに合わせて多摩川へ行こうと思っておりましたけど、朝寝坊をしてしまいました。

富士山は諦めて、散歩をいたしましたが、風もなく、陽射のあるところはぽかぽかと暖かく、最高の散歩日和となりました。



こんな日には本当に足も軽く、なんだか飛んでいるような気分でした。
ボクちゃんの雄姿、トップの写真でとくとご覧うじろ。



ルーツ探し  そして奇妙な符合

2009年01月24日 23時37分33秒 | 日記
一月ちょっと前に、ある電気店からメールが来ました。
私の姓をアドレスにしたメールアドレスでした。
でもこのメールには覚えがないのでおかしいなって調べましたら、同じ姓の方がその電気店のメンバーに登録されるときに間違って記入されたのが分かりました。
その方にそのことを連絡しましましたが、お父さんがルーツ探しに興味を持っておられるということで、今日お会いすることにしました。
私の姓は非常に珍しい姓で、たぶん家の一族以外は使っていないと思います。今、家とは関係がなくなっていても、時代を遡るとどこかで分かれていった家なのですね。

昨日は「出星前夜」という本の紹介を見て、あれっと思いました。この本は島原の乱を扱っている本なのですけど、その中に家の祖先の一人と言われている人が出てきています。そして、昨日、今日とテレビのドラマで、天草や島原が出てきている。
この奇妙な符合はいったいなんだろうって変な気分になりました。

祖母が亡くなってから、私は自分の祖先どころか直近の親族のことさえよく分かりません。もともとの実家のある長崎の諫早にあった家のお寺は水害で流されてしまい、そこの過去帳などもなくなってしまっていますので調べようがない。
ただ基本的に家と同じ姓を名乗っている方は、この5~600年の間にどこかで分かれた方なので、そのような方が集まって少しづつ知識を持ち寄れば、なにかのイメージくらいは浮かんでくるかもしれないかなって思っていました。

今日お会いした方は平戸のほうからこられたかたで、天草の乱が終わって平戸に隠れ住んだもので、祖先はキリシタンであったという噂を聞いたとおっしゃっていました。
「出星前夜」には私の祖先は有馬氏の家臣とでています。また祖母が言っていたのでは小西行長の家来というのもありました。この両者のどちらかであればキリシタンであったというのは不思議ではありません。でも果たして、キリシタンであり、しかも天草の乱の軍師でもあったと言われている人の子孫が徳川の世にどうどうと自分の姓を名乗って生き延びられたでしょうか、かなり疑問が残ります。
しかも家のお墓の一角に相当に風化した小さな墓石が経っています。それにはその天草の乱に加わった祖先の名前が刻まれているのですけど、これも幕府へ対する反乱をした人間のお墓がなんで建っているのだろうと不思議でなりません。

でも、島原半島の砦のような小さな城跡(石組みしか残っていませんけど)をここから諫早へと移ってきたと祖母が話をしていたこともあり、そうだとすると有馬や小西の関係のある土地なので、調べないと無下には否定できないななんて思ったりしています。

ずっと前に調べた姓名学の本では、小西家のゆかりでもともとは久留米かその近くというのもありました。久留米には家の名前と同じ地名が残っておりますので、あるいはそれと関係があるのか?
その辺にいたとしたら、もう一つの説である竜造寺の一族であったという話にもなんとなくよりどころが出てきそうです。以前にもちょっと書いたように、家は諫早では諫早家の家老の家よりも高台にあって、家や敷地ももっとずっと広い家でした。諫早家の中ではなんだか別格の扱いになっていたような気がします。もし竜造寺の一族というのが正しければ、鍋島家の家老であった諫早家が特別扱いをしていたのはなんとなく理解できますけど。これまたなにも確証があるわけではない。

長崎奉行所では反物の目利きとして務めていたことがあるようで、神戸の私立博物館や、東京の国立博物館に家の名前を冠した目利き帳が収蔵されていますけど、これまたなんで家の祖先が反物などに手を染めていたのか理解不能。

これは家の家系とどう関係があるのか分かりませんけど、もう一つ面白いのは、真田雪村が戦いに敗れて薩摩に逃げ、そこで家の姓を名乗り、住み着いたという説があり、ネットで検索をかけるといろんなページがヒットしてきます。その住み着いたといわれる初代の(雪村らの)名前が、上の天草の乱に加担した祖先の名前と非常によく似ているのですね。

なんて話をして、今日はずいぶんと面白い時間を過ごしました。

ちなみに、この方、平戸のお茶のお流の初釜にでられていて、お家元から私のことは知っていますっていわれたとおっしゃってましたけど、あそこのお家には家からも何人かお嫁に行っている筈なんですね。

以前、出島に来た商館長の子孫を訪ねる企画を雑誌の太陽の別冊の中でやりました。そのなかで商館長ではなかったけど、幕末に長崎へ来ていた人で、帰国後海軍大臣にまでなり、ハーグにはいまだに通り名として名を残しているような人でも、たかだか100年ちょっとしかたっていないのに、現存する子孫を尋ねようとすると大変難しいことになってしまう。
日本にも好きな人が多い版画家のMC エッシャーのお父さんは江戸末期に日本に来ていたお雇い外国人でした。でもこの子孫を訪ねようとしたら、今やスエーデン、ドイツ、スイス、カナダ、、、世界中を飛び回らないと会うことができない。

やはり、日本ってある意味閉鎖的な社会、だから何百年も前の名前も知られていないような家のことでも熱意さえあれば調べていけるのだなって、、、
他にやることもないし、時間もあるし、自分のルーツ探しなんか面白そうだからやってみようか、、、、なんていうのは実は掛け声だけ、もう始めだして十年以上も経つけど、結局何も分かってないんですね。
いやはや。(うん? いさはやじゃないよ)



出星前夜
飯嶋 和一
小学館

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シクラメンが枯れちゃった。。。。  今どきの家の子たち

2009年01月23日 09時29分53秒 |  多摩川散歩

なんどもこのブログを飾ってくれたシクラメンが枯れてしまいました。
お正月に10日ほど留守をしましたけど、帰ってみるとかなり危機的な状況。
その後、手を尽くしましたけど、薬石効無く、、、ついに、、、
以前のお正月には、岬まで鉢を持っていったんですけど、去年は持っていかなかったんですね。

こちらは赤のシクラメン。真夏も含めて一年中花を咲かせてくれていたんですけど、ついに葉っぱを全部落としてしまいました。この写真の後、葉っぱを取り除きました。根っこを少し切り戻して、鉢に植え替えてあげようと思います。本来、今の時期にやる作業ではないのでしょうけど、救急処置として、仕方がありませんね。持ち主が悪かった。ごめんなさい。



そしてこちらも赤のシクラメンに習って、一生懸命一年中花をつけようとがんばってくれたんですけど、ずいぶんと葉っぱも少なくなり、弱っているようです。こちらはしばらく様子を見て、植え替えできるようなら植え替えてあげましょう。



ポインセチアは元気です。黄色の方は葉っぱをたくさん出してきていますが、これが緑葉なのですね。短日処理をしてあげようと箱を用意しましたけど、入れてあげたのは何日もないのです。可愛そうに面倒くさがりの持ち主に当たってしまったのですよね。今は何もすることはありませんので、このまましばらく様子見。

先日、ブログを飾ってくれたラナンキュラスですが、やっと鉢を代えてあげました。買ってきてから3日もかかりましたね。でももちろんまだ元気。蕾もどんどん膨らんできています。これからしばらくは楽しませてくれるでしょう。けっぱれ!
例外も多いのですけど、花屋さんで鉢物を買ったら、少し大きな鉢に植え替えてあげるのが普通ですよね。花屋さんの店頭に並ぶころには、鉢一杯に根っこを張っていますので、そのままだと育ちが悪くなります。

先日、同じくバラの花をアップしましたけど、あれは切花で求めたものです。これは多分同じ種類のバラ。去年の12月ごろに日記にアップしています。花が終わり、枝を落としてあげて、そのまま水に漬けてありますが、葉っぱがこんなに成長してきました。うまくこのまま育ってくれるかとついつい欲心を起こすのですけど、難しいのですよね。



今、室内ではガラスのそうめん鉢で水栽培されているポトスと、それが増えすぎたので急遽プラスティックの洗面鉢に分けられたものが、あふれかえっています。これ以上鉢を増やすのもどうかと思いますけど、たっぷりもう一皿分あるポトスの延びた葉っぱを見ながらどうしようかと、思案の最中です。

後は、ササのような植物。名前はなんと言うのでしょうか。これも切り戻されてずいぶん小さくなりましたけど、がんばっています。

ベランダでは;
ゼラニュームはまだ花をつけています。
大きくなりすぎては、なんども棚から落ちて、そのつど自分で大きさを調整している、、つまり、枝が折れてしまうのですね。こちらはその枝を水にさして、植え替えてあげる、、、もう何鉢分も子孫が増えてきています。

他にまだ、花をつけているのは、撫子。
こちらも一年に何回か葉っぱを切り戻してあげているのですけど、いまだに成長を続けています。

そしてカランコエ。こちらはこの時期でも花をつけるのでしょうか? 初めての子なので様子が分かりません。

ガーデンシクラメンは、今は花がありませんが、もうすぐ咲く蕾がいくつか控えています。

ここがもう少し陽射があると咲き続けてくれるのでしょうけど、シコンノボタンはつぼみだけで終わっています。

今年は、万両の実がすごく少なかったですね。暑い時期に水を枯らした覚えは無いのですけど、、来年に期待するか、岬に戻すか考えましょう。

バラ(バレリーナ)は小さな葉っぱをたくさんつけています。この時期葉っぱが無くてもいいのだと思いますけど、なぜだかここのベランダでは葉っぱを落とさないのが多いのです。

デュランタライムも、新芽がでて、新しい葉っぱが出てくるころまで去年の葉っぱをつけています。それがいいのかどうか分かりませんので、好きにさせてやっていますけど、はて、どうしたもんでしょうね。

食べ物となると、
葱が大きく育っています。もともと小葱のはずなのに、長ネギとあまり変わらないくらいに大きくなりました。どんどん切ってやればいいのでしょうけど、使う量よりも育つほうが早いのです。葱を買ったら、下の根っこを植えてあげることをお勧めします。二度と葱を買う必要はなくなります。

バジルやイタリアンパセリ、ナスタチアそのたもろもろのハーブたちもはびこりすぎています。どうにかしなきゃとは思いますけど、捨てるのもかわいそうだし。

困り者といえば筆頭は、カポック。
部屋の天井についてしまうのでベランダに移しましたけど、そこでも天井についてしまった。このまま岬に持っていくにもトラックがないとどうにもならない。切って挿し木にするしかないのでしょうね~

同じく、これはなんというのでしょうか? ドラセナに似た葉っぱで茎は笹の茎みたいに青いもの。木ではないような気がします。これも本来室内の観葉植物なのでしょうけど、リビングで天井をついてしまい、もう2,3年ベランダに放置してあります。下の方が枯れてスカスカになっていますので、これも切って水差しにして、新しく育てなおすことが必要なのでしょうね~




バラ

2009年01月21日 12時30分12秒 |  写真


先日、タンポポやホトケノザ、ノゲシ、そしてオオイヌノフグリなどなど、、この時期に多摩川の河川敷で咲いている野草をアップしています。房総の千倉のようにこの時期でもお花畑一杯に咲き誇っているというものではありません。もちろん、温度や、日照時間をきっちりと管理された温室でただすくすくと、咲くべくして咲いているものではありません。
堤防の雑草の中をはいつくばってやっと見つけられるような花たちです。
時分も得ない。寒風や雪などの逆境に立ち向かいながら、誰の助けを借りるでもなく、自分自身で咲いている花たち。それはそれでとても健気。気持ちが暖かくなるような光景でした。

でも、人の心、目を楽しませ、なごませるために選び抜かれた花たちが、手厚い世話を受けながら、持っているものを120%開花させている、、、それもまたその完成度によって人の心を魅了するものですね。

どちらがいいと聞かれれば、もしかしたら私は、野に咲く花をいいと答えるかもしれませんが、目の前にあるこの豪華な美しさもまた否定できないのです。





ラナンキュラス

2009年01月21日 10時36分26秒 |  写真


今、花屋さんで私の目を惹きつけているのが、このラナンキュラスとスイートピー。
スイートピーの方は後でまたアップするとして、今回はラナンキュラス。
金鳳花の仲間なんですけど、綺麗ですよね。
鉢で買って来ました。うまくこの冬を乗り越えて、来年もまた目を楽しませてくれるでしょうか。

花言葉は「晴れやかな魅力」なんだそうですけど、ほんとうに晴れやかですね。
今日のように冬寒の曇った日にはこのような鉢が家の中にあると気分が華やいできます。それだけでも求めた価値はありました。

白状します

2009年01月20日 15時52分25秒 |  多摩川散歩
白状します。
この子が好きなんです。
年の差なんて関係ないでしょう。
好き。

「でも、俺、男だけど」
「そんな些細なことはどうでもいいの」



でも、、、白いアイラインって???
ほんとは、女の子?
(多分、女の子のモズちゃんです)