夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

ルーツ探し  そして奇妙な符合

2009年01月24日 23時37分33秒 | 日記
一月ちょっと前に、ある電気店からメールが来ました。
私の姓をアドレスにしたメールアドレスでした。
でもこのメールには覚えがないのでおかしいなって調べましたら、同じ姓の方がその電気店のメンバーに登録されるときに間違って記入されたのが分かりました。
その方にそのことを連絡しましましたが、お父さんがルーツ探しに興味を持っておられるということで、今日お会いすることにしました。
私の姓は非常に珍しい姓で、たぶん家の一族以外は使っていないと思います。今、家とは関係がなくなっていても、時代を遡るとどこかで分かれていった家なのですね。

昨日は「出星前夜」という本の紹介を見て、あれっと思いました。この本は島原の乱を扱っている本なのですけど、その中に家の祖先の一人と言われている人が出てきています。そして、昨日、今日とテレビのドラマで、天草や島原が出てきている。
この奇妙な符合はいったいなんだろうって変な気分になりました。

祖母が亡くなってから、私は自分の祖先どころか直近の親族のことさえよく分かりません。もともとの実家のある長崎の諫早にあった家のお寺は水害で流されてしまい、そこの過去帳などもなくなってしまっていますので調べようがない。
ただ基本的に家と同じ姓を名乗っている方は、この5~600年の間にどこかで分かれた方なので、そのような方が集まって少しづつ知識を持ち寄れば、なにかのイメージくらいは浮かんでくるかもしれないかなって思っていました。

今日お会いした方は平戸のほうからこられたかたで、天草の乱が終わって平戸に隠れ住んだもので、祖先はキリシタンであったという噂を聞いたとおっしゃっていました。
「出星前夜」には私の祖先は有馬氏の家臣とでています。また祖母が言っていたのでは小西行長の家来というのもありました。この両者のどちらかであればキリシタンであったというのは不思議ではありません。でも果たして、キリシタンであり、しかも天草の乱の軍師でもあったと言われている人の子孫が徳川の世にどうどうと自分の姓を名乗って生き延びられたでしょうか、かなり疑問が残ります。
しかも家のお墓の一角に相当に風化した小さな墓石が経っています。それにはその天草の乱に加わった祖先の名前が刻まれているのですけど、これも幕府へ対する反乱をした人間のお墓がなんで建っているのだろうと不思議でなりません。

でも、島原半島の砦のような小さな城跡(石組みしか残っていませんけど)をここから諫早へと移ってきたと祖母が話をしていたこともあり、そうだとすると有馬や小西の関係のある土地なので、調べないと無下には否定できないななんて思ったりしています。

ずっと前に調べた姓名学の本では、小西家のゆかりでもともとは久留米かその近くというのもありました。久留米には家の名前と同じ地名が残っておりますので、あるいはそれと関係があるのか?
その辺にいたとしたら、もう一つの説である竜造寺の一族であったという話にもなんとなくよりどころが出てきそうです。以前にもちょっと書いたように、家は諫早では諫早家の家老の家よりも高台にあって、家や敷地ももっとずっと広い家でした。諫早家の中ではなんだか別格の扱いになっていたような気がします。もし竜造寺の一族というのが正しければ、鍋島家の家老であった諫早家が特別扱いをしていたのはなんとなく理解できますけど。これまたなにも確証があるわけではない。

長崎奉行所では反物の目利きとして務めていたことがあるようで、神戸の私立博物館や、東京の国立博物館に家の名前を冠した目利き帳が収蔵されていますけど、これまたなんで家の祖先が反物などに手を染めていたのか理解不能。

これは家の家系とどう関係があるのか分かりませんけど、もう一つ面白いのは、真田雪村が戦いに敗れて薩摩に逃げ、そこで家の姓を名乗り、住み着いたという説があり、ネットで検索をかけるといろんなページがヒットしてきます。その住み着いたといわれる初代の(雪村らの)名前が、上の天草の乱に加担した祖先の名前と非常によく似ているのですね。

なんて話をして、今日はずいぶんと面白い時間を過ごしました。

ちなみに、この方、平戸のお茶のお流の初釜にでられていて、お家元から私のことは知っていますっていわれたとおっしゃってましたけど、あそこのお家には家からも何人かお嫁に行っている筈なんですね。

以前、出島に来た商館長の子孫を訪ねる企画を雑誌の太陽の別冊の中でやりました。そのなかで商館長ではなかったけど、幕末に長崎へ来ていた人で、帰国後海軍大臣にまでなり、ハーグにはいまだに通り名として名を残しているような人でも、たかだか100年ちょっとしかたっていないのに、現存する子孫を尋ねようとすると大変難しいことになってしまう。
日本にも好きな人が多い版画家のMC エッシャーのお父さんは江戸末期に日本に来ていたお雇い外国人でした。でもこの子孫を訪ねようとしたら、今やスエーデン、ドイツ、スイス、カナダ、、、世界中を飛び回らないと会うことができない。

やはり、日本ってある意味閉鎖的な社会、だから何百年も前の名前も知られていないような家のことでも熱意さえあれば調べていけるのだなって、、、
他にやることもないし、時間もあるし、自分のルーツ探しなんか面白そうだからやってみようか、、、、なんていうのは実は掛け声だけ、もう始めだして十年以上も経つけど、結局何も分かってないんですね。
いやはや。(うん? いさはやじゃないよ)



出星前夜
飯嶋 和一
小学館

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