関西大学の津山直子客員教授は、アフリカ民族会議(ANC)東京事務所に勤めていた1990年、マンデラ氏の初来日時に通訳を務めた。「誰にでも自分から心を開き、常に民衆の中にいた。大統領引退後は、基金をつくり障害がある子やエイズで親を失った子の支援に尽力した。子どもたちと接する時は本当にうれしそうだった」と素朴な人柄を振り返る。

 南アでのNGO活動を通じてその後も交流は続いたが、2007年に会ったのが最後になった。「アパルトヘイト(人種隔離)撤廃だけでなく、世界的にも全ての差別がない平和な社会に向けて行動し、前進させた。亡くなっても大きな存在で、人々の心に生き続ける」と評価した。

 「互いに傷ついた黒人と白人の憎しみの連鎖を時間をかけて断ち切った。本当の意味で人間的なリーダーだった」。64年から約30年間、日本で反アパルトヘイト運動に携わった楠原彰国学院大名誉教授(教育学)は、マンデラ氏が白人を含めた全人種の融和を訴え、新しい国造りを始めたと語る。

 約27年間の投獄中も人々が希望を託し続け、獄中から漏れ伝わるメッセージが、世界の偏見を少しずつ変えていったという。

 マンデラ氏が作った南ア憲法は、人種差別禁止だけでなく、世界で初めて性的少数者の権利も認める画期的な内容だった。楠原氏は「平和や平等を求める人にとって、これからも希望の存在であり続けると思う」と話した。 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
ネルソン・ホリシャシャ・マンデラ
Nelson Rolihlahla Mandela ノーベル賞受賞者
Nelson Mandela-2008 (edit).jpg

任期1994年5月10日 ? 1999年6月14日
副大統領フレデリック・デクラーク
ターボ・ムベキ

南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国
国民議会議員
任期1994年 ? 1999年

任期1991年 ? 1997年

出生1918年7月18日
南アフリカ共和国トランスカイ
死去2013年12月5日(満95歳没)
ヨハネスブルグ
政党アフリカ民族会議
配偶者グラサ・マシェル
署名Nelson Mandela Signature.svg
ノーベル賞受賞者ノーベル賞
受賞年:1993年
受賞部門:ノーベル平和賞
受賞理由:アパルトヘイト体制を平和的に終結させて新しい民主的な南アフリカの礎を築いたため[1]

ネルソン・ホリシャシャ・マンデラコサ語: Nelson Rolihlahla Mandela1918年7月18日 - 2013年12月5日)は、南アフリカ共和国政治家弁護士である。

大統領(第8代)、下院議員(1期)、アフリカ民族会議議長(第11代)を歴任。

賞歴としてネルー賞、ユネスコ平和賞、アフリカ賞サハロフ賞ノーベル平和賞国際検察官協会名誉章受章など。称号には名誉法学博士(早稲田大学)など。南アフリカ共和国での愛称はマディバタタ(父)[2]

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ビートたけし 「いじめ」でなく「暴行罪」と呼ぶべきと指摘

2013年12月06日 21時02分05秒 | 受験・学校

12月4日(水)16時6分配信 『 2013年は学校での「いじめ」に関する事件が数多く報じられたが、この「いじめ」という言葉自体が問題だと指摘するのは、ビートたけし氏だ。いじめ対策として、まずすべきこととは何か。新刊『ヒンシュクの達人』(小学館新書)を上梓したばかりのたけし氏は、こう提言する。 * * *
 運動部のシゴキに限らず、「いじめ」って言葉を聞かない日はないけど、この言葉の響きが本質を見誤らせてるんだよな。弱い同級生を殴ったとか、恐喝してカネを奪って、ついには自殺に追い込んじまったなんて、これはもう「いじめ」じゃなくて「犯罪」だろうよ。「暴行罪」「脅迫罪」「恐喝罪」と、ホントの罪状で呼んでやらないと。
 これは「犯罪だ」ってことをガキの足りない頭でもわかるようにしてやんないと、また同じことが起こっちまうぜ。
 だいたい、なんでニッポンって国は、こんなに物事をオブラートに包んでしまうんだろ。痴漢のニュースだって、「スカートの中に手を入れた」「下腹部にいたずらした」なんて言うけど、要は「性器をなで回した」ってことなんでね。
 婉曲表現で実態をうやむやにしようって狙いがバレバレだよ。とにかく、くさいモノには全部フタをしちまう。それが「いじめ」ってものを陰湿にしちまってる理由だと思うんだよね。
※ビートたけし/著『ヒンシュクの達人』(小学館新書)より』

ビートたけしさんの言うようにいし゜めと暴力事件との範囲の明確な区別が必要だと思います。マスコミの報道の仕方にも問題が有り、十羽一欠けらにいじめと報道するのは間違いで、未だに大学の運動部や体育会系クラブのしごきや鉄拳制裁まがいのことや往復ビンタの制裁、戦前からの悪しき上下関係の重視による精神主義過多の伝統は、今なお日本に残っています。いじめもと言うよりも学校の生活指導の限界を越えた暴行傷害事件、恐喝、脅迫事件、大人の悪しき影響で性犯罪の低年齢化による猥褻事件も増えています。強気を助け弱気をくじく卑怯者ばかりの人でなしばかりです。弱い者を平気で、いじめることが、まかり通っている今の日本の社会の病める縮図では、有りませんか。今の日本のおかしな大人社会の子供社会への投影で、幼稚園から老人ホームまでいじめや虐待が存在しています。皆がいじめるから、いじめる側に加担しいじめる、いじめを見て見ぬ振りをする子供達、いじめる側に回らないのが筋です。昔なら友達なら喧嘩になったら止めますし、そう言う仲間意識の強い、友情に溢れた男らしい男の子がいません。ゆがんだ心を持った子供達が大人になり、又事件を起こしニュースになっている今日の日本の姿です。お互いにかばいあいもみ消し、臭いものには蓋で隠すのではなく、いじめの問題の定義について、教育関係者や保護者も都道府県教育委員会と文部科学省、マスコミも皆で考え直す時期に来ているのでは有りませんか。

  • 上梓・じょうしの意味
      [名](スル)(あずさ)(キササゲ)の木を版木に用いたところから》
      文字などを版木に刻むこと。
      書物を出版すること。「論文をまとめて―する」
    提供元:「デジタル大辞泉」凡例
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