教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

母校の校歌作曲者突き止めた! 立川高、99年ぶりに判明

2009年09月27日 12時53分09秒 | 受験・学校
 『長く不明とされてきた都立立川高校(立川市錦町)の校歌の作曲者が、同窓生らの努力で制定から99年ぶりに突き止められた。偶然の発見をきっかけに同窓生が明治期の史料をたどり、作曲者の署名入り譜面の写しなどを見つけた。 同校は明治34(1901)年に東京府立第二中学として創立され、昭和24年の学制改革で都立立川高となった多摩地区で最も古い伝統校。 校歌は明治43年に制定され、歌詞は当時、同校の英語教師だった前田恒樹が土井晩翠の指導で作ったと伝えられるが、曲を誰が作ったかは不明とされてきた。
 謎を解くきっかけは偶然訪れた。同校46期生のOBで元テレビ朝日音楽プロデューサーの牛山剛さん(78)が今年6月、横浜開港150周年記念の横浜交響楽団の演奏会を訪れ、会場で「横浜市歌」に関する小冊子を手にした。冊子には、市歌の作曲者である音楽家、南能衛(よしえ)(明治14~昭和27年)の業績が紹介されており、作品の中に「東京府立二中校歌」と記されていた。 驚いた牛山さんは、南がこの当時助教授を務めていた現在の東京芸術大学(当時は東京音楽学校)を訪ね、マイクロフィルム化された史料を閲覧。南の署名が入った府立二中校歌の譜面や校長への送り状などが見つかり、南の作品と確認された。牛山さんの調査と同じ頃、南能衛の研究をしている福島大地さん(42)も同じ史料に行き着き、立川高の同窓会「紫芳会」に連絡を寄せていた。 南能衛は徳島県の音楽教師を経て東京音楽学校で教職に就き、校歌多数のほか「村祭」「村の鍛冶(かじ)屋」などの童謡を作曲したという説がある。都立立川高の同窓生は2万2千人余りで、多摩地区の現役市長のうち6人も同校OB。』9月27日7時56分配信 産経新聞
東京都立立川高等学校の校歌作曲者が、分かり本当に良かったです。南能衛さんは、「村祭」「村の鍛冶(かじ)屋」などの童謡を作曲したという説があり有名な作曲家ですね。「偶然の発見をきっかけに同窓生が明治期の史料をたどり、作曲者の署名入り譜面の写しなどを見つけた。」と記事に書かれて有りますが、100年に、後一つ前の99年目のつくも、九九髪、白髪のつくもがみとも言いますが、亡くなられた作曲家南能衛さんの霊界からの願いとお知らせですね。ナポレオン・ヒルの名言に『死後、あなたの名前を後世に残すのは、墓碑銘ではなく、 生前の行為の記録なのです。』どおりに南能衛さんは、死後名曲を後世に残されたと思います。名曲は、いつまでも人の心を勇気付け、慰め、心に残り、廃れ、消え去ることは有りません。日本の諺に有りますように『寅は、死して皮を留め、人は死して名を残す。』、 『虎は死して皮を残し、人は死して名を残す。』とも言われます。寅は、死後にそのも美しい模様の毛皮を残すのである。まして人間は、死後に美名を残すように心がけ無ければならない。死後に名ヲ残さぬ非とが多いのに発憤を促した諺です。今の日本で、どの世界でも一番忘れられているように思います。
南能衛さん作曲の校歌を学校のバックボーンにし、歴史と伝統ある東京都立立川高等学校のこれからの御発展を御躍進を心からお祈り申し上げます。

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