教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

トヨタのでかい「ハイラックス」は売れるのか

2017年09月14日 20時16分15秒 | モータースポーツ

9/14(木) 5:55配信 東洋経済オンライン

トヨタのでかい「ハイラックス」は売れるのか

トヨタ自動車が9月12日に発売した、5人乗りの車室の後ろに大きな荷台がついているピックアップトラック「ハイラックス」。コアなファンを再び獲得できるか(記者撮影)

 「超ド級」「デカッ」「ハンパない」――。トヨタ自動車が9月12日に発売した新型車のパンフレットには、こんな文字が躍っている。

 

【写真集】とにかく、でかい

 

 この新型車とは、ピックアップトラックの「ハイラックス」だ。2004年に国内から姿を消して以来、ファンから復活を望む声が強く寄せられており、13年ぶりに”復活”した。全国のトヨタ店で販売される。

 

■とにかく「でかさ」に驚く

 

 「普段使いで選択する人はいないだろう。普通にでかい車だ」と、トヨタ・CV(商用車)カンパニーの前田昌彦チーフエンジニアが表現するように、ハイラックスは国内で販売するトヨタ車の中では最も大きい車種の一つだ。サイズはボディ全長が5.3メートル超、幅も1.8メートルを超える。

 

 2004年まで日本で販売していた6代目は全長が約4.7メートル、幅が約1.7メートルだったが、世界の標準車となるべく巨大化してお膝元に帰ってきた。排気量2.4リットルのディーゼルエンジンを搭載し、走行シーンに応じて2駆と4駆を切り替えられる。価格は326万7000円~374万2200円。販売目標は年2000台だ。

 

 ハイラックスは1968年の発売以来、約180の国と地域で販売されている。現行モデルは2015年にフルモデルチェンジした8代目で、初代から数えて半世紀の歴史を持つトヨタを代表する車だ。世界での累計販売台数は、約1730万台に及ぶ。

 

 タイからの逆輸入車であるハイラックスは、「IMV」とよばれる新興国戦略車の役割を持っている。悪路でも走行できるタフさや力強さに加え、後方にある大きな荷台に荷物を乗せやすいことが特徴だ。

 

 前田チーフエンジニアは、「気温50度を超える中近東やマイナス50度のロシア、標高4800メートルで空気が薄い南米ペルーなど世界各地で車を持ち込み開発してきた。過酷なラリーでもチーム優勝を達成するなど、そのタフさは生かされている」と語り、世界のどんな環境下でも壊れず、高い評価を得てきた自信を示した。』

日本車離れし、アメリカナイズされたトヨタハイラックス

 

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オートバイの元世界王者、暴行の疑いで逮捕 容疑否認

2016年10月16日 14時56分19秒 | モータースポーツ

(朝日新聞) 13:45

 「栃木県警茂木署は16日、オートバイのロードレース元世界チャンピオン、ワイン・ガードナー容疑者 (57)を、男性3人のむなぐらをつかむなどした暴行の疑いで現行犯逮捕し、発表した。ガードナー容疑者は「自分の体をつかんだ腕をふりほどこうとして体 をゆすっただけ」などと容疑を否認しているという。
 署によると、ガードナー容疑者は16日午前8時40分ごろ、茂木町桧山のツインリンクもてぎ敷地内で、東京都江戸川区の男性(49)ら3人の胸ぐらをつ かみ、体を押すなどした疑いがある。3人が乗っていた乗用車とガードナー容疑者の乗用車が接触し、口論になったとみられる。
 ガードナー容疑者はオーストラリア出身で、モナコ在住。世界選手権500ccクラスの1987年チャンピオン。鈴鹿8時間耐久ロードレースでも4度優勝 した。ツインリンクもてぎではオートバイのロードレース世界選手権シリーズ第15戦、日本グランプリが開催され、出場する息子の応援で会場に来ていたとい う。(伊吹早織)」

 

オートバイのロードレース元世界チャンピオン、ワイン・ガードナー氏は、つまらない些細事で腹を立てないでも良かったと思います。オートバイのロードレース世界選手権シリーズ第15戦、日本グランプリが開催され、出場する息子の応援で会場に来ていたので、イライラしていたのは分かりますが、オートバイのロードレース元世界チャンピオンとして、心の大らかさを忘れていたのでは有りませんか。

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<幻の名車>日野「コンテッサ」レストア 下関の整備会社で

2016年10月01日 12時29分05秒 | モータースポーツ

 

幻の名車「コンテッサ1300」復元

(毎日新聞) 09月30日 18:57

コンテッサを修理した立石さん(右)と所有者の井上さん=山口県下関市汐入町で2016年9月28日午前11時47分、仲田力行撮影

コンテッサを修理した立石さん(右)と所有者の井上さん=山口県下関市汐入町で2016年9月28日午前11時47分、仲田力行撮影

(毎日新聞)

 1964年から約4年間だけ生産され、“幻の名車”といわれる日野自動車の「コンテッサ1300」が、山口県下関市内の自動車整備会社で新車同様に復元された。
 下関市の建設会社経営、井上隆雄さん(70)の所有。10年前に知人から譲り受け保管してきたが、エンジンの不調を機に整備会社の立石勝さん(85)に修理を依頼した。
 部品を自作したり塗装や内装も新しくたりして3年がかりで往時の姿に。復活をアピールするような力強いエンジン音に2人も「まだまだやれるぞ!」とエール。【仲田力行】

 

ベテランの整備士でないと上手く修理出来き無いのではないでしょうか。

昔タクシーの「コンテッサ1300」に乗りましたが、ルノーの特徴を受け継ぎ、素早くて加速性能の良いリアエンジンの車でした。

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「十分な準備をしたか。それで勝負は決まる」レーシングドライバー 井原慶子さん

2016年09月08日 10時04分06秒 | モータースポーツ
「十分な準備をしたか。それで勝負は決まる」レーシングドライバー 井原慶子さん
09月06日 10:20


レ ーシングドライバー、慶應義塾大学大学院 メディアデザイン研究科特任准教授 井原慶子さん
(プレジデントオンライン)
プレジデント ウーマン 2016年4月号 掲載
国際レースF3で女性で初めて表彰台に上がった井原慶子さん。レーサーとしては25歳と遅咲きのデビューながら勝てた理由は、地道にコツコツ努力を重ねたからだという。
グリーンのフェミニンなワンピースに身を包み、静かにほほ笑む井原慶子さんに相対していると、この人が大きなエンジンを搭載したフォーミュラカーをかっ飛ばし、世界を舞台にレースを繰り広げ、表彰台に上がった初の女性である事実がピンとこない。だが、「大切なものは、なんといってもこれ」とバッグから取り出し、見せてくれたものはお守り。そこに、常に死と隣りあわせの職業を選んだ人の心中が垣間見えた。井原さんにとってのお守りは、神社を訪れた記念ではなく、判断を誤ると死と直結する自らの無事を祈るための、本気のよすがなのだ。
学生時代、モーグルスキーの全国大会で入賞した経験を「当時、モーグルはマイナーで競技人口も少なかったから」と謙遜するが、そのモーグルの遠征費用を稼ぐために始めたモデルのアルバイトが、井原さんのその後の人生を決めた。
「渋谷でスカウトされ、簡単に稼げると思ったら、そんな甘い世界じゃなかった。オーディションに落ち続け、すっかり自信をなくしました。モデルになりたかったわけじゃないのに、落ちるとやはり傷つくんですよ。あなたはきれいじゃない、かわいくない、と否定されたように感じるから。
ただ、合格者を観察したら、必ずしも目鼻立ちが整っている人ばかりではなかったんですね。彼女たちがなぜ選ばれたかといえば、自分の魅力を最大限に見せる細かい工夫をしていたからです。それなら私もやってみようと地道に工夫を重ねたら、努力が報われました。この成功体験は、能動的に動き、やり遂げた経験として重要でした。私はこのとき、困難の乗り越え方を学んだと思います」

世界でも数少ない女性のレーシングドライバーとして、活躍している井原慶子さんの秘訣、どの世界でも通用しそうですね。
怪我と健康に注意されてこれからも長く女性のF3レーシングドライバーを続けてください。
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訃報:日本のモータースポーツ草創期に活躍した式場壮吉さん亡くなる

2016年05月19日 16時27分12秒 | モータースポーツ

オートスポーツweb 5月19日(木)11時58分配信

訃報:日本のモータースポーツ草創期に活躍した式場壮吉さん亡くなる
式場壮吉さん(中央)と生沢徹さん(左)
 日本での本格的な自動車レースのはじまりとされる第1回、第2回日本グランプリの優勝者であり、レジェンドドライバーの式場壮吉さんが亡くなったことがわかった。77歳だった。

 式場さんは、第1回日本グランプリC5クラスではトヨペット・コロナで、第2回日本グランプリGT2クラスではポルシェ・カレラ904で優勝。同レースでは生沢徹さんがドライブするプリンス・スカイライン2000GTとの戦いは伝説として語り継がれている。

 レーシングドライバー引退後はシキバエンタープライズを設立し、「レーシングメイト」ブランドで自動車のドレスアップ市場を開拓した。また自動車雑誌「カーマガジン」の編集にも携わり、草創期の日本モータースポーツの牽引役ともなった。

 告別式は22日(日)に都内で営まれる。ここに謹んでお知らせするとともに、哀悼の意を表します。

[オートスポーツweb ]

式場荘吉さんの御冥福をお祈り申し上げます。
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「トヨタ・2000GT」が3.0Lエンジンを積んで現代に蘇った!

2016年05月11日 20時28分08秒 | モータースポーツ

コラム 2016/05/09 09:23 Clicccar
愛知県岡崎市で旧車販売を手掛ける「Rocky Auto(ロッキーオート)」が、現代版の「トヨタ2000GT」を独自に開発して話題を呼びました。
同ショップでは「トヨタ2000GT」開発に携わった元トヨタ自動車のワークスドライバー、細谷四方洋(ほそやしほみ)氏監修のもと、故、野崎喩(さとる)氏による流麗なボディ・デザインを忠実に再現しています。
希少な実車数台を精密に3D測定、ボディに加え、シャシーや小物パーツに至るまでゼロから金型を起こして開発。

以前にトヨタ「アクア」のハイブリッドシステムを搭載したHVモデルをご紹介しましたが、今回第2弾として3.0L 6気筒NAエンジン(2JZ)を搭載した「R3000GT」を新たに開発。

テスターはお馴染みD1レーシングドライバーの谷口信輝氏。同車のトルクフルな走りにオリジナルには無いパワーを実感したとのこと。
エアコン、パワステ、パワーウインドウを装備しており、ミッションは4速AT仕様。
Rocky Autoが目指す「快適に、早く、楽しく、そして普通に乗れる」現代版の「トヨタ2000GT」を具現化した1台となっています。
車両価格は1,980万円(税別)。もちろん車検対応で現在納車まで4年待ちとのこと。
オリジナルの「トヨタ2000GT」は1億円以上の値が付くだけに、1967年発売当時の車両価格238万円を現代の貨幣価値に換算したようなこの価格は魅力的です。
Rocky Autoが手掛ける今後の開発車も大いに気になるところです。
(Avanti Yasunori・画像:Rocky Auto)
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ヴェノム GT が427.4km/h、オープンカーの世界最高速記録…ヴェイロン 超えた

2016年04月19日 22時20分48秒 | モータースポーツ

新車 2016/04/17 17:00 レスポンス

米国のヘネシー・パフォーマンス・エンジニアリング社は4月11日、『ヴェノムGTスパイダー』が427.4km/hの最高速を計測。世界最速のオープンカーになったと発表した。
ヴェノムGTスパイダーは、英国ロータスカーズの『エリーゼ』をベースにしたスーパーカー。最新の2016年モデルは、7.0リットルV型8気筒ツインターボエンジンを搭載。ブーストアップにより、最大出力は1451hp/7200rpmへ引き上げられた。従来比で、207hpの強化にあたる。車両重量は1244kg。動力性能は、0-96km/h加速が2.4秒、0-320km/h加速が13秒と驚異的。
このヴェノムGTスパイダーが4月11日、同社の創業25周年に合わせて、3月25日に米国カリフォルニア州のリムーア海軍航空基地で行った世界記録挑戦の結果を公表。427.4km/hの最高速が、計測に立ち会った第三者によって公認されたことを明らかにした。
これは、ブガッティ『ヴェイロン』のオープン版、「グランスポーツ」が2013年に打ち立てた408.84km/hを上回るもの。ヘネシー・パフォーマンス・エンジニアリング社は、「ヴェノムGTスパイダーが、世界最速のオープンカー」と宣言している。』

アメリカならではの世界最速記録を出したこのスポーツカーの燃料は、航空機燃料を使用しかなり燃料を食うのではないかと思います。
ツインターボエンジンは、空の要塞と言われた爆撃機B29のターボチャージャーエンジンの歴史を受け継ぐものではありませんか。
ドイツのポルシェは、12気筒、アメリカのスポーツカーは、V型8気筒ツインターボエンジンを主流にしている考え方の違いがあるのでしょうね。
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女性初のF1ドライバー、デ・フィリッピス死去

2016年01月10日 18時19分47秒 | モータースポーツ

オートスポーツweb 1月10日(日)13時35分配信


マリア・テレーザ・デ・フィリッピス
 女性ドライバーとして初めてF1に出走したマリア・テレーザ・デ・フィリッピスが亡くなった。89歳だった。


【写真】マセラティ250FでベルギーGPを走るデ・フィリッピス

 イタリア人ドライバーのデ・フィリッピスは1958年に3戦にエントリーすると、デビューレースのスパ・フランコルシャンでキャリア唯一の10位完走を果たしている。

 彼女はスパの前にモナコGPにエントリーしているがその時は予選を通過できず、1年後に再びポルシェで臨んだ同GPでも決勝のグリッドに立つことは叶わず。その後、チームオーナーのジャン・ベーラが他界したこともあり、59年を最後にF1から離れた。

「あまりに多くの友人を失ってしまった」と、デ・フィリッピスが2006年のインタビューでそう語っている。

 彼女は、男性がまず始めに女性の能力を疑っていると述べたが、本当の偏見を受けたのはフランスにいた時だけだったと明かしている。

「レースディレクターは『女性が被る唯一のヘルメットは美容院のものだけだ』と言った。私がレースを妨げられたのはこの時が唯一でした」
「でもそれ以外は、成功に対する驚きだけで、少しも偏見を受けたとは思っていません」

 その後、家庭を持ったデ・フィリッピスは、1979年に引退したドライバーのための団体に加入。97年に副会長に就任すると、21世紀に入って名誉会長に就任した。

[オートスポーツweb 2016年01月10日]
マリア・テレーザ・デ・フィリッピスさんや

数少ない女性のF1ドライバーが、これから増え、各有名レースで活躍する時代が来て欲しいと思います。
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トヨタ社長、ラリーに登場 愛知のイベントでデモ走行

2015年11月02日 12時09分16秒 | モータースポーツ

 

 

(共同通信) 11月01日 21:22

 

 デモ走行に登場した、トヨタ自動車の豊田章男社長が運転するスポーツカー=1日午後、愛知県新城市

国際C級ライセンスをお持ちで行動する豊田章男社長に、有名な レースにトヨタ車は弱いと言うこれまでのジンクスをトヨタファンの為に打ち破り、これからは世界のレースで、優勝の日の丸を揚げて欲しいと思います。

 

豊田章男 - Wikipedia一部引用

ja.wikipedia.org/wiki/

豊田 章男(とよだ あきお、1956年5月3日 - )は、日本の実業家、経営者。学位はMBA( バブソン大学・1982年)。トヨタ自動車株式会社代表取締役社長(第6代)、日本自動車 工業会副会長、一般財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会 ...

豊田は以前から自動車開発時に試乗テストを担当するテストドライバーの業務を理解したいと考えており、「自動車会社の一員として、評価の仕方を教えてほしい」と成瀬弘に頭を下げて指導を求めた。成瀬はトヨタグループの開発ドライバー数百名の中で頂点に立つマスターテストドライバーとして知られ、「トップガン」の異名を持つほどの技術の持ち主であり豊田は急ブレーキなどの訓練だけで2年をかけるなど成瀬の薫陶を受けた。その結果、豊田自身も国際C級ライセンスを取得しており、クルマ好き、レース好きで知られるようになった。トヨタ・アルテッツァやレクサス・IS、レクサス・LF-Aに搭乗し、「モリゾウ」の名で度々ニュルブルクリンク24時間レースに出場している。排気量5000cc、423馬力の大出力エンジンを搭載するスポーツカー「レクサス・IS F」の開発にも自らかかわった。「クルマファンのみなさんに、最初に86を見ていただきたい!」との思いから、富士スピードウェイで開催された「ガズーレーシングフェスティバル」にて、観客らの前で自らドライバーとしてサーキットを走行し、完成した「トヨタ・86」を披露した。

トヨタ 公式‎

www.supereva.jp/トヨタ+公式

 

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