教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

養護学校教諭、離婚協議中の妻の実家に放火

2010年10月01日 17時19分38秒 | 受験・学校
 『離婚協議中の妻の実家に放火したとして、大阪府警池田署は29日午後、兵庫県尼崎市立尼崎養護学校教諭(55)(神戸市東灘区)(窃盗罪で起訴)を現住建造物等放火の疑いで再逮捕する。捜査関係者によると、被告は2日午後3時40分頃、大阪府池田市の義父(83)宅の排気口付近で発炎筒2本をたいて火をつけた疑い。 被告は2日に義父宅から植木鉢など15点(時価4万5000円相当)、近くの工務店からノコギリなどを盗んだとして窃盗容疑で同署に逮捕されていた。「嫌がらせしようと思った」と供述しているという。尼崎市教委によると、被告は2009年4月から同校で勤務していたが、今年4月から病気を理由に休職しているという。』読売新聞 9月29日(水)17時1分配信
養護学校で、長年障害児教育に携わっておられる先生とは思えない放火事件です。
他人の立場に立つことが人権教育の基本では有りませんか。
教育現場だけが、人権教育の実践では有りません。日常生活や社会にに生かすことでは有りませんか。
頭が、おかしくなつったとしか言いようが有りません。長年の教え子や子供達への影響を考えると教育者とし大きいですよ。悪いことはすぐ大人も子供も真似する今の日本です。教え子や学校の信頼を裏切った先生の放火事件ですよ。火の大切さや火を出さない心得を教育者として忘れているのでは有りませんか。善悪と思慮分別の問題です。
子供達への悪い影響を良く考えるべきです。名古屋経済大学附属市邨幼稚園のスクールバスの男性運転手52歳が運転中、「ドは毒殺のド」などと「ドレミの歌」の替え歌を歌っていたのも幼稚園児でも良く歌の内容を覚えていると思いますよ。子供達の教育を大人の目で見ることは簡単ですが、それは間違いの元です。子供の目線に立った教育が今忘れられています。一時が万事で大人や教育者が、問題や犯罪を起こしたら日本の子供達が良くなりますか。蟻の一つ穴からも堤防も潰れると世間では、良く言われています。「 蟻の穴から堤も崩れる(ありのあなからつつみもくずれる)小さな誤りや油断がもとで大事や大失敗を引き起こすこと。『韓非子・喩老』に「千丈の螻儀、ろうぎの穴をもって潰、ついえ百尺、ひやくせきの突隙、とつげきの烟、けむりを持ってもって焚やかる」に基づく諺です。同意語: 「蟻の一穴天下の破れ」、「蟻の穴より堤の崩れ」、「千丈の堤も蟻の一穴」、「千丈の堤も螻蟻の穴を以って潰ゆ
類語: 「小穴大船を沈める」、「小事は大事」、「油断大敵「千丈の堤も蟻の一穴」、「千丈の堤も螻蟻の穴を以って潰ゆ故事ことわざ・四字熟語》 辞典thu.sakura.ne.jp/others/proverより引用させて頂きました。」とも言われますが。今の日本の教育にも言えることでは有りませんか。

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大學入試センター試験の願書受け付け開始

2010年10月01日 15時17分19秒 | 受験・学校
『 来年1月15、16日に実施される2011年度大学入試センター試験の願書受け付けが1日、東京都目黒区の大学入試センターwww.dnc.ac.jp )で始まった。出願期間は14日(当日消印有効)まで。 センター試験を利用する大学は今年度より12校多い663校、短大は6校多い166校。今年度の志願者数は55万3368人だった。』2010年10月01日09時56分 / 提供:時事通信社
少子化による18歳人口の減少で、大學入試センター試験を利用する大学は今年度より12校多い663校、短大は6校多い166校に増えたのではないでしょうか。世界同時不況が未だ回復しないに日本の景気動向ですので、来年度は国公立大学の志願者が増えるのではないでしょうか。安・直・近自宅から下宿せずに通学出来る学費の安い地元国公立大學に受験生の人気が集るのではないでしょうか。新型インフルエンザが、再流行しないことをお祈りしています。

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ネバネバ菌が鉄道網…日本人にイグ・ノーベル賞

2010年10月01日 14時33分09秒 | 学問
 【ワシントン=山田哲朗】愉快な科学研究に贈られる「イグ・ノーベル賞」の授賞式が30日、米マサチューセッツ州のハーバード大で行われ、単細胞生物の粘菌が最適な鉄道網を設計できることを見つけた公立はこだて未来大学 (〒041-8655 北海道函館市亀田中野町116番地2 www.fun.ac)中垣俊之教授のチームが「交通計画賞」を受賞した。 中垣教授は、粘菌に迷路を解かせる研究で2008年にも「認知科学賞」を受賞している。 ネバネバの粘菌の集合体はエサを求めて細長く伸びる。迷路のゴールにエサを置けば、粘菌は入り口から出口まで最短距離でつなぐほか、都市に当たる場所にエサを配置すると、粘菌はエサの間に鉄道網とそっくりの効率的なネットワークを形成する。 このほか、「靴の外側に靴下をはけば凍結路での転倒頻度が低下する」研究が「物理学賞」、「従業員をランダムに昇進させると組織の効率が上がる数学的証明」が「経営賞」を受賞。メキシコ湾で原油流出事故を起こした英石油大手BPには「油と水は混じらないという古い定説を否定した」として「化学賞」が与えられた。最終更新:10月1日(金)13時58分読売新聞 10月1日(金)11時12分配信
この記事中垣俊之らのチームと掲載されていましたが、中垣俊之教授のチームと尊称を付ける ことが正しい日本語表現になると思いまして訂正致しました。
固定的観念や従来の定説が、覆されて新しい発見や研究が生まれるのだと思います。慣例や習慣に囚われないことが後らしい研究に繋がるのかも分かりません。水と油の関係と良く世間では言われていましたがメキシコ湾で原油流出事故を起こした英石油大手BPには「油と水は混じらないという古い定説は否定され、科学的実証により常識と言われることが常識で無くなる日も来るのでしょうね。単細胞生物の粘菌が最適な鉄道網を設計出来ることを見つけたはこだて未来大中垣俊之教授のチームが「交通計画賞」を受賞したのも新しい発見です。日本の粘菌の研究者と言えば、南方 熊楠日本博物学者生物学者、特に菌類学を皆さんすぐに思い出されると思います。愉快な科学研究に贈られる「イグ・ノーベル賞」から、日常生活や社会企業活動、環境保護対策に役立つ新しい研究が生まれるのではないでしょうか。発想の転換から新しい研究開発が生まれるのではないでしょうか。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
南方 熊楠
1891年 アメリカにて
人物情報
誕生1867年5月18日
紀伊国和歌山
死没1941年12月29日(満74歳没)
和歌山県田辺町
居住アメリカ合衆国 イギリス
国籍大日本帝国
学問
研究分野博物学生物学(特に菌類学)、民俗学
研究機関大英博物館
主な業績粘菌の研究

南方 熊楠(みなかた くまぐす、慶応3年4月15日1867年5月18日) - 昭和16年(1941年12月29日)は、日本博物学者生物学者(特に菌類学)、民俗学者である。

菌類学者としては粘菌の研究で知られている。主著『十二支考』『南方随筆』など。投稿論文や書簡が主な執筆対象であったため、平凡社編集による全集が刊行された。「歩く百科事典」と呼ばれ、彼の言動や性格が奇抜で人並み外れたものであるため、後世に数々の逸話を残している。

南方熊楠は和歌山県に生まれ、東京での学生生活の後に渡米、後にイギリスに渡って大英博物館にはいる。後に日本に戻って、和歌山県田辺市に居を定めた。多くの論文を著し、大学者として名を知られたが、その生涯を在野で過ごした。

彼の学問は博物学、特に植物学を基礎とするが、熊楠の学風は、ひとつの分野に関連性のある全ての学問を知ろうとする膨大なものであり、土蔵や那智山中にこもっていそしんだ研究からは、曼荼羅のような知識の網が産まれた。

明治25年(1892年)にはイギリスにわたって、ロンドンの天文学会の懸賞論文に1位で入選した。大英博物館東洋調査部に入り、資料整理に尽くし、人類学考古学宗教学などを独学するとともに、世界各地で発見、採集した地衣・菌類に関する記事を、科学雑誌『ネイチャー』などに次々と寄稿した。

帰国後は、和歌山県田辺町(現、田辺市)に居住し、柳田國男らと交流しながら、卓抜な知識と独創的な思考によって、日本の民俗、伝説、宗教を、広範な世界の事例と比較して論じ、当時としては早い段階での比較人類文化学を展開した。菌類の研究では新しい70種を発見し、また、自宅のの木では新しくとなった粘菌を発見した。民俗学の研究では、『人類雑誌』『郷土研究』『太陽』『日本及日本人』などの雑誌に数多くの論文を発表した。

年譜

※日付は明治5年まで旧暦

  • 慶応3年(1867年4月15日 - 和歌山城下橋丁(現、和歌山市)に金物商・雑賀屋を営む弥兵衛(後に弥右衛門と改名)、すみの次男として生まれる。熊楠の「熊」は熊野本宮大社、「楠」はその神木クスノキにちなんでの命名という。生家には商品の鍋や釜を包むための反古紙が山と積まれており、熊楠は、反古に書かれた絵や文字をむさぼり読んで成長した。
  • 明治6年(1873年) - 雄(おの)小学校(現、和歌山市立雄湊小学校)に入学。 
  • 明治9年(1876年) - 雄小学校卒業、鐘秀学校[1]に入学。岩井屋・津村多賀三郎から『和漢三才図会』105巻を借覧、記憶して筆写を始める。この他12歳迄に『本草綱目』、『諸国名所図会』、『大和本草』等をも筆写。
  • 明治12年(1879年) - 和歌山中学校(現、和歌山県立桐蔭高校)に入学。教師鳥山啓から博物学をすすめられ、薫陶を受ける(鳥山啓は,のち華族女学校教師となる。行進曲『軍艦』の作詞者として知られる)。
  • 明治13年(1880年) - 英語の本を参考にし、和漢の書籍と見比べて自作の教科書『動物学』を書き上げる。
  • 明治14年(1881年) - 『和漢三才図会』をうつし終える。
  • 明治16年(1883年) - 和歌山中学校を卒業し上京。神田の共立学校(現、開成高校)入学。当時の共立学校は大学予備門入学を目指して主として英語によって教授する受験予備校の一校で、クラスメートに幸田露伴の弟の成友らもおり、高橋是清からも英語を習った。この頃に世界的な植物学者バ-クレイが菌類6,000点を集めたと知り、それ以上の標品を採集し、図譜を作ろうと思い立った。
  • 明治17年(1884年) - 大学予備門(現・東京大学)に入学。同窓生には塩原金之助(夏目漱石)、正岡常規(正岡子規)、秋山真之寺石正路芳賀矢一山田美妙本多光太郎などがいた。熊楠は、学業そっちのけで遺跡発掘や菌類の標本採集などに明け暮れる。父・弥右衛門が南方酒造(後の世界一統)を創業。
  • 明治18年(1885年) - 日光へ植物採集旅行。
  • 明治19年(1886年) - 中間試験で落第したため予備門を中退、和歌山へ帰郷。
  • 明治20年(1887年
  • 明治21年(1888年) - 寄宿舎での飲酒を禁ずる校則を違反して自主退学。ミシガン州アナーバー市に移り、動植物の観察と読書にいそしむ。この間、シカゴ地衣類学者カルキンスに師事して標本作製を学ぶ。
大英博物館
  • 明治24年(1891年) - フロリダ州ジャクソンヴィル市に移り、生物を調査。中国人、江聖聡の食品店で住み込みで働く。新発見の緑藻を科学雑誌『ネイチャー』に発表、ワシントンD.C.の国立博物館から譲渡してほしい旨の連絡がはいる。
    • 9月 - キューバに渡り採集旅行。石灰岩生地衣を発見(「グァレクタ・クバーナ」と命名)。サーカス団員として中南米旅行。
  • 明治25年(1892年
    • 1月 - フロリダにもどり江聖聡と再び同居。
    • 9月 - イギリスに渡る。
    • 9月28日 - イギリスで、8月8日に死去した父・弥右衛門の訃報を受ける。
  • 明治26年(1893年) - 科学雑誌『ネイチャー』に初めて論文「極東の星座」を寄稿。フランクスと知り合い大英博物館に出入りするようになる。考古学人類学宗教学などの蔵書を読みふける日々が続く。
  • 明治28年(1895年) - ディキンズと知り合う。大英博物館で東洋図書目録編纂係としての職を得る。
  • 明治29年(1896年)2月27日 - 母すみ、亡くなる。
孫文
  • 明治30年(1897年) - ロンドンに亡命中の孫逸仙(孫文)と知り合い、親交を始める(孫文32歳、熊楠31歳)。
  • 明治31年(1898年) - 大英博物館で暴力事件をおこす。
  • 明治33年(1900年) - 大英博物館から出入り禁止の処分を受ける。14年ぶりに日本に帰国。大阪の理智院(泉南郡岬町)次いで和歌山市の円珠院に居住する。
  • 明治34年(1901年) - 孫文が和歌山に来訪し、熊楠と再会して旧交をあたためる。
  • 明治35年(1902年) - 熊野にて植物採集、採集中に小畔四郎と知り合う。田辺を永住の地と定める。多屋勝四郎らと知り合う。
  • 明治36年(1903年) - 論文『燕石考』完成。
  • 明治37年(1904年) - 田辺に家を借りる。
  • 明治38年(1905年) - ディキンズとの共訳『方丈記』完成。
  • 明治39年(1906年) - 田辺の闘鶏神社 -->
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愛媛大と松山大、教育・研究で連携 来月から5件実施

2010年10月01日 13時51分06秒 | 学問

『 愛媛大と松山大は27日、教育・研究分野で来月から連携事業を始める、と発表した。今年度は、両大学の学生の交流や共同研究の推進などに関する五つの事業で連携を図っていくという。両大学は今年3月、人材育成や社会貢献を目的に、教育・研究交流協定を締結していた。 今回の連携事業は、協定に基づき、両大学から公募して選定した。16件の応募があり、このうち、2、3年生を対象にした地域・観光振興での共同フィールドワークの実践や、両大学の理・工・薬学部が連携する新しい抗がん剤づくりなど、5件が実施されることになった。来年度以降も新たな連携事業を選定し、実施していく予定という。 これまでにも、両大学は単位互換で協定を結んでいる。』2010年10月1日アサヒコム

独立行政法人国立大學愛媛大学www.ehime-u.ac.jp) と私立大学の松山大学www.matsuyama-u.ac.jp)  松山大学の国立大學と私立大学の従来の枠組みを越えた連携する時代に入ったと言えます。地方では、大学数も少なく私立大學や県立大学 、国立大学の教員や学生の相互人的交流や単位互換、共同研究が今後進み、地元に密着した地域経済への貢献や地場産業の発展や後継者育成が求められ、松山大学と愛媛大学の連携により、愛媛大学に無い学部が、1923(大正12)年創立の松山高等商業学校の伝統を受け継ぐ松山大学には経済学部、経営学部が有り地域・観光振興での共同フィールドワークの実践にはもつてこいでしょうし、愛媛大学には無い薬学部が松山大学薬学部が有り、愛媛大学の理学部・工学部と連携する新しい抗がん剤づくり の開発研究も出来、学問研究でも相互連携で補えられるのではないでしょうか。愛媛県の地域の文化と活性化に愛媛大学と松山大学の相互連携し、グローカル化を目指していると思います。大規模な総合大学に匹敵するだけの力が相互連携により発揮できると思います。愛媛大学と松山大学の連携事業による愛媛県の独自の新しい町お越しです。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

愛媛大学

えひめだいがく、英語: Ehime University)は

、愛媛県松山市道後

樋又10番13号に本部を置く

日本国立大学である。1949年に設置された。

大学の略称は愛大(あいだい)。

大学全体

愛媛大学は1949年に愛媛県内の旧制学校4校を母体として成立した。現在、6学部、6研究科(連合法務研究科を除く)を設置している。

学部生:8,446名、

大学院生:1,142名(連合農学研究科・連合法務研究科を除く)、

計9,588名(2008年5月現在)

教育理念・目標等 以下の理念を柱として、2004年度に

「愛媛大学憲章」が定められている。

理念

所在地

  • 城北地区(愛媛県松山市道後樋又10-13/文京町3/2-5)
  • 樽味地区(愛媛県松山市樽味3-5-7/3-2-40)
  • 持田地区(愛媛県松山市持田町1-5-22)
  • 重信地区(愛媛県東温市志津川454)

象徴

  • 学章は、「大学」の文字を松葉状の5本のラインで丸く囲み、下部に「EHIME」と配したもの。ラインは前身5校を石鎚山の五葉松にたとえている。1989年4月1日制定。
  • スクールカラーは、濃い緑。Munsell Book of Color(マンセル色体系)の色番5G4/8が標準とされる。大学の持つ活力、愛媛の豊かな自然とともに、学章にも使用されている松の色を表す。
  • 学旗は、スクールカラーの地色に学章を染め抜き、
  • 左下に縦書きで「愛媛大学」と添えたもの。
  • 教育および研究組織

学部

  • 法文学部
    • 総合政策学科(昼間主コース・夜間主コース)
    • 人文学科(昼間主コース・夜間主コース)
  • 教育学部
    • 学校教育教員養成課程
    • 障害児教育教員養成課程
    • 芸術文化課程
    • 健康文化課程
    • 情報文化課程
  • 理学部
    • 数学科(数学コース・数物学コース)
    • 物理学科(物理学コース・宇宙物理学コース・数物学コース・
    • 物性科学コース)
    • 化学科(化学コース・物性科学コース・生物化学コース)
    • 生物学科(生物学コース・生物化学コース・生態環境科学コース)
    • 地球科学科(地球科学コース・生態環境科学コース)
    (複数の学科に存在しているコースは両方の学科の
    専門教育科目を履修できる複合コースである。)
  • 医学部
    • 医学科
    • 看護学科
  • 工学部
    • 機械工学科
    • 電気電子工学科
    • 環境建設工学科
    • 機能材料工学科
    • 応用化学科
    • 情報工学科
  • 農学部
    • 生物資源学科
      • 生物生産システム学
      • 施設生産システム学
      • 資源・環境政策学
      • 応用生命化学
      • 森林資源学
      • 地域環境工学
      • 生物環境保全学
      • 農山漁村地域マネジメント特別コース
  • スーパーサイエンス特別コース (SSC)
    • 環境科学コース
    • 地球惑星科学コース
    • 生命科学工学コース

大学院

  • 法文学研究科
  • 教育学研究科
  • 理工学研究科
  • 農学研究科
  • 連合農学研究科(愛媛大学・香川大学高知大学
  • 医学系研究科

附属機関

  • 医学部附属病院
  • 図書館
  • 学内共同教育研究施設等
  • 教育・学生支援機構
    • 共通教育センター
    • 英語教育センター
    • アドミッションセンター
    • 学生支援センター
    • 教育企画室
    • 実験実習教育センター
    • 国際交流センター
    • 総合健康センター
    • 総合情報メディアセンター
  • 先端研究推進支援機構
    • 沿岸環境科学研究センター (CMES)
    • 地球深部ダイナミクス研究センター (GRC)
    • 無細胞生命科学工学研究センター (CSTRC)
    • 総合科学研究支援センター
    • 東アジア古代鉄文化研究センター
    • 宇宙進化研究センター
    • ベンチャー・ビジネス・ラボラトリー
  • 社会連携推進機構
    • 知的財産本部
    • 産業科学技術支援センター
    • 地域創成研究センター
    • 防災情報研究センター
  • その他
    • 愛媛プロテオ科学アカデミー
    • 愛媛大学埋蔵文化財調査室
    • 経営情報分析室
    • 自己点検評価室
    • i 愛センター(インフォメーションセンター)
    • アイアイ法律相談所
    • 愛媛大学サテライトオフィス東京
    • 愛媛大学サテライトオフィスカトマンズ
    • 職員会館

研究

21世紀COEプログラム

21世紀COEプログラムとして、1件のプロジェクトが採択された。

  • 2004年
    学際・複合・新領域
    沿岸環境科学研究拠点

グローバルCOEプログラム

グローバルCOEプログラムとして、2件のプロジェクトが採択されている。

  • 2008年
    数学、物理学、地球科学分野
    先進的実験と理論による地球深部物質学拠点
  • 2007年
    学際、複合、新領域分野

松山大学
大学設置1949年
創立1923年
学校種別私立
設置者学校法人松山大学
本部所在地愛媛県松山市文京町4-2
キャンパス

文京キャンパス(愛媛県松山市)
樋又キャンパス(愛媛県松山市)

御幸キャンパス(愛媛県松山市)
久万ノ台グラウンド(愛媛県松山市)
西宮温山記念会館(兵庫県西宮市
東京オフィス(東京都中央区
学部経済学部
経営学部
人文学部
法学部
薬学部
研究科経済学研究科
経営学研究科
言語コミュニケーション研究科
社会学研究科
松山大学公式サイト

松山大学(まつやまだいがく、英語: Matsuyama University)は、

愛媛県松山市文京町4-2に本部を置く日本私立大学である。

1949年に設置された。大学の略称は松大(まつだい)、松大(しょうだい)。

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大学全体

学生数は松山大学が約6,500人、松山短期大学が約300人、大学院生

約30人。創立以来およそ80有余年、この間に輩出した卒業生は、約6万人。

2008年現在、大学には、経済学部、経営学部、

人文学部(英語英米文学科・社会学科)、法学部、

薬学部の5学部6学科がある。経済学部と経営学部および

人文学部には大学院の修士課程・博士課程を有す。

略称は「松大」(まつだい)。地元住民や卒業生には長らく使用されてきた

旧称である「松山商科大学」に愛着を持っている者も多く、

かつての通称である「商大」と同音である「松大」(しょうだい)も通用する。

建学の精神(校訓・理念・学是)

教育方針

松山大学では「教育方針」を制定しており、その中で大学の目的や使命を

明確化している。科学の総合的かつ専門的な研究教育を目的として掲げ、

人材養成を通じて社会の発展を図ることを使命としている。

教育理念 建学の精神である三実主義、すなわち真実・忠実・実用の

精神を伝統的な教育理念としている。

沿革

略歴

1923年大正12年)に松山出身の大阪実業家、温山新田長次郎

により創立された松山高等商業学校が起源である。新田は東京証券取引所一部上場のニッタの創業者でもある。

四国で最も古い歴史を持つ私立文系大学であったが、

平成18年度に薬学部を新設して、理系も擁する総合大学となった。

年表

  • 1923年 松山高等商業学校創立、初代校長には旧大阪高等商業学校校長の加藤彰廉を選任
  • 1944年 松山経済専門学校に改称
  • 1949年 新制松山商科大学設立、商経学部を設置
  • 1962年 商経学部を改組し、経済学部・経営学部を設置
  • 1972年 大学院経済学研究科を設置
  • 1974年 人文学部を設置
  • 1979年 大学院経営学研究科を設置
  • 1988年 法学部を設置
  • 1989年 松山大学に改称
  • 2006年 大学院社会学研究科を設置
  • 2006年 薬学部医療薬学科を設置
  • 2007年 大学院言語コミュニケーション研究科を設置
歴代校長
  • 初代 加藤彰廉(1923~1933)
  • 第2代 渡部善次郎(1933~1934)
  • 第3代 田中忠夫(1934~1947)
  • 第4代 伊藤秀夫(1947~1951)
歴代学長
  • 初代 伊藤秀夫(1949~1957)
  • 第2代 星野通(1957~1963)
  • 第3代 増岡喜義(1964~1968)
  • 第4代 八木亀太郎(1969~1974)
  • 第5代 太田明二(1974~1976)
  • 第6代 伊藤恒夫(1977~1979)
  • 第7代 稲生晴(1980~1985)
  • 第8代 越智俊夫(1986~1988)
  • 第9代 神森智(1989~1991)
  • 第10代 宮崎満(1992~1997)
  • 第11代 比嘉清松(1998~2000)
  • 第12代 青野勝広(2001~2003)
  • 第13代 神森智(2004~2006)、再任
  • 第14代 森本三義(2007~)

所在地 文京キャンパス(愛媛県松山市文京町4-2)

  • 御幸キャンパス(愛媛県松山市御幸1-513-1)
  • 久万ノ台グラウンド(愛媛県松山市久万ノ台507)
  • 西宮温山記念会館(兵庫県西宮市甲子園口1丁目)
  • 松山大学東京オフィス(MTO)(東京都中央区銀座8-2-1 ニッタビル6階)
  • 樋又キャンパス(愛媛県松山市道後樋又5)南海放送旧社屋跡

校章

松山大学の校章は、大学名からとった「松大」の文字星型とを

あしらった図案である]

教育および研究

組織

学部 経済学部

大学院

附属機関

  • キャリアセンター
  • 国際センター
  • 図書館
  • 総合研究所
  • 学生生活

部活動・クラブ活動・サークル活動

文化系、体育系、同好会、非公認同好会など合わせて

100以上のクラブ・サークル・同好会が活動している。

中国・四国地区でつねに上位を占めるものや、

全国でも優秀な実績をもつものも多い。平成19年の

第56回四国地区大学総合体育大会(四国インカレ)では、

男子は優勝を逸したが、女子は21年連続21度目の優勝を遂げた

因みに、昨年まで男子は21年連続となる47度目、

男女総合は20年連続の優勝を続けていた。

弓道部女子が、第54回全日本学生弓道選手権大会

(平成18年)の女子団体の部で、なぎなた部が、

第45回全日本学生なぎなた選手権大会(平成18年)の

団体戦でそれぞれ初優勝した。大学関係者と組織

大学関係者組織 同窓会は、創立者の雅号を冠し「温山会」と呼び、

創設は1927年(昭和2年)。全国各地に42の支部があり、

合わせて会員約6万人。

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松山出身の新田長次郎氏により松山高等商業学校創立。これが本校の濫觴である。

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ギャルママによるギャルママのための育児相談、スタート

2010年10月01日 12時18分54秒 | 出産・育児
写真「偏見でママを追いつめないで」と泉舞さん

 『言い出しにくい育児の悩みを仲間に話して――。全国の若い母親たちでつくる市民団体、日本ギャルママ協会(事務局・東京都港区)が、会員を対象にしたメール相談を始めた。児童虐待が相次ぐ中、孤立する仲間を救う試みだ。 ミニスカートやつけまつげなど派手な外見で判断されがちな「ギャルママ」への偏見をなくそうと、協会は今年1月に設立された。全国のギャルママ系育児サークル80団体の15~39歳の母親約4600人が参加する。  メール相談は、2歳の女の子を1人で育てる母親で、協会のホームページを制作している泉舞さん(24)が提案した。「自分も虐待をしているのでは、と悩んでも、行政の窓口では責められるような気がして相談しづらいんです」  8月半ばに協会のホームページ(http://galmama.jp/)で相談の受け付けを始めたところ、これまでに約20件のメールが届いた。「親から愛情を受けたことがなく、子どもにどう接していいかわからない」「せっかく作ったご飯を食べないと、つい手をあげてしまう」など切実な内容が目立つ。  「ギャルママは、周りが思う以上にまじめに育児をしている。ただ、頑張りすぎて爆発しているママもいる。仲間に話すことで楽になってほしい」と泉さんは話している。』2010年9月29日 アサヒコム

若いママが一人でくよくよ悩んでいるよりは、子育て中の若いママがインターネツト時代のメールを通じて困っていることや悩みをの相談打ち明ければ心も軽くなり、気持も楽になると思います。自分以外の若いママに相談することによって落ち込まずに解決法を上手く見出せるのではないでしょうか。自分一人で、育児の悩みや追い詰められた思っても第三者の目で見れば子育てママから見れば、良いアドバイスが出来るのでは無いでしょうか。核家族化し子育て経験の豊かなお年寄りにも相談できない状況です。子育ての悩みが増え、幼児児虐待が問題になっている今日の日本です。人間疎外と言われる日本の現代社会で若いママが皆で連帯し、育児の悩み、育児ノイローゼやママの育児ストレスや幼児とママの健康相談、幼児虐待の防止と解決に御互いに助け合い、力を合わせて頑張って下さい。若いママ同士の人と人との輪で、全国的なネットワーク作りと交流を広げて活動して下さい。日本ギャルママ協会は、メール相談だけではなく、事務局に電話相談も設けて直接話し合えるように是非して下さい。

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