ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

今日一日のお粥

2018-09-06 23:17:37 | 日常
3:30。
急変待機中。
さっき地震あった。
震度4くらいにちょっと揺れた。
職場に安否確認の連絡を入れたが皆何事もなく寝ていると夜勤者が言っている。

じゃ、もう一度寝るかと思ったら停電した。
この建物だけでなく外も真っ暗だ。
こんなちょっとの揺れで停電?

ランタン型のLEDライトを点けた。
懐中電灯+携帯ラジオ+発電機+サイレンの四役を果たす、何と呼べばいいかわからない物品を
暗い中で災害用の非常持出袋から取り出した。

施設の責任者から連絡あった。
市内全域が停電して信号機も機能していない、人も車も今は動かない方が安全だと言う。
私は車無いので視界が明るくなったら徒歩で職場に様子見に行こう。
安静だとは言っていたがこの様子では日勤者が出勤出来ず夜勤者が途方に暮れるかも知れない。

ラジオ聴いていると普段地震の無い胆振方面で大揺れしたらしい。
情報が少ないが甚大な被害が出ているようだ。
電気はまだ使えない。
まもなく携帯も使えなくなりそうだ。
明るくなるのを待つしかないか。
遠くで救急車のサイレンが聞こえる。

・・・・・

1時間くらい睡沈していた。
マンションの廊下に出て見たら灯りが全く総て消えて階段の足元が見えない。
携帯の電池もったいないけど懐中電灯代わりに足元を照らしながら外に出た。
まだ月が出ている。


太陽はまだ昇って来ない。


夜明けだ。
雲に隠されているが既に太陽が出ている。
遠くから救急車のサイレンが聞こえる。


携帯電話が圏外で使えない。
通話は繋がったり不通になったりしているが殆ど繋がらない。
携帯からネットへも繋がらない。
入居者達の安否確認も夜勤者からの急変報告を受ける事が出来ないので徒歩で職場に行く。
沈殿した雲を乗り越えて太陽が昇って来た。


出勤者らしい人々が急ぎ足で歩いている。
コンビニに弁当を買いに急いでいるらしいが、外から覗いて見えたおにぎりの商品棚は空っぽだった。

普段よりも2時間以上早い時刻に通勤路を歩く。
カラス達は何処かに避難したのだろうか、普段ならけたたましく朝の点呼と情報交換をしているのに
今朝は1羽も見かけない。
スズメもいない。


まだ生き残っていた世の終わりを告げる審判の喇叭達。
何処かで救急車のサイレンが鳴っている。




早朝の低い日光にコスモスが透けている。
 


あっこんな所に立派なネジマキソウが。


・・・・・

6:30。
職場に行ったら皆怪我も無く無事だった。
停電でパニックになる人も無くよかったと思ったが
「こんな停電なんて戦時中は日常茶飯事だったから驚かない」と言う昭和一桁世代達の熱弁に辟易しながら
集まっていた職員達同士で停電が長期化した場合の相談をした。
何が困るって、停電のため水は間もなく止まったので身体不自由な人々がトイレを使うに難儀する。
食材の備蓄はあっても厨房は「安全のため」という理由でオール電化で建てられているので煮炊きが一切出来ない。
停電が長時間に及んだら冷凍庫内の大量の食材が全滅する。
いっそ停電復旧するまで庭でバーベキューして皆に楽しんで貰おうかという提案も出た。
道具は揃っている。
冷凍庫は開閉しなければ1日や2日持つだろう。
しかしそれ以上になったら庭でバーベキューだな、などと皆盛り上がっている。
各家庭の冷凍庫に眠っているどうしようもない食材があれば持ち寄って皆で食べて復旧を待とう、と。
問題は咀嚼嚥下に支障ある人のお粥や流動食を調理出来ない事だ。

とりあえず自分は施設責任者と一緒にコンビニ回りしてレトルト粥と飲料水の調達をした。
多くの客が残っていたパンやおにぎりやパック飯を根こそぎ買って行く。
我々だけお粥を探している、と思ったら同じように買い物かごにお粥を買い集めている人に遭遇した。
携帯でレトルト粥しか手に入らない、と誰かと打ち合わせしながら商品棚を物色しているのは
やはり食材を備蓄していてもオール電化のため停電でお粥を炊く事が出来ない小さな施設の職員らしい。
何とか今日一日の必要な人数分は確保出来たが停電が長期化したらいよいよ庭で火を起こして、
焼肉なんかよりもまずお粥を炊かなくてはなるまい。
ケアマネが自宅から大きな土鍋を持って来てくれた。
職員数人がキャンプに使う携帯ガスコンロを持ち寄ったので大鍋と土鍋で米飯とお粥を炊く事が出来た。
おかずは事情を話してあり合わせの物で。
高齢者は皆落ち着いてラジオを聴いている。

「こんな事、戦時中に比べたら何でもない」

と、あの人もこの人も同じ事を言う。
いや何でもなくはないよ。
失禁で汚したトイレを洗い床を拭くにも浴室に溜めておいた水で賄っていて
残りがどれくらいか気にしながら皆使って、手を洗うにも気を使っているんだよ。
お気楽だなとは思うけど、今はお気楽でいいと思う。
天気いいし、停電であれもこれも中止だから日向ぼっこしてお喋りしたり昼寝していてくれれば。
不安になったり悲観したりして不穏にならないでほしいと心底思う。
入浴も洗濯も水拭き掃除も中止なので普段忙しくてお喋りなんかできない職員とたまのお喋りを楽しんでくれたら。

今度はケアマネと一緒にスーパー回りをしたが何処もシャッターを下ろしている。
24時間営業のスーパーも閉まったままだ。
薬店の始業1時間前から人が並んでいる。
私達もその列に加わった。
割と近くで救急車のサイレンが鳴っている。
平常よりも早い開店で、店員が並んでいる客達に挨拶し事情説明した。
冷蔵食品は販売出来ない、冷凍食品は値引きして販売する、地震後停電中のため乾電池類はお一人様2パックまで、
飲料水は2Lペットボトル入りお一人様6本まで、500mlペットボトル入りはお一人様12本までに限ると。
ケアマネは必要なカセットコンロ用携帯ボンベを、
私は決められたようにペットボトルの飲料水2Lを6本と500mlを12本と白粥数パックと乾電池2パックをカートに入れた。
停電が長期化しなければいいが、3日以上に長引くと足りなくなるかも知れない。
レジが停電で使えないので手打ち作業で会計するため時間かかりますとさっき店員が説明していた。
店内は長蛇の列だ。
立って会計待ちしていると30代くらいの主婦らしい女性が買い物籠をカートの上下に2個乗せて
上の籠に500mlペットボトルの水30本くらい、下の段の籠にも500mlペットボトルの水30本くらいを
ゆさゆさしながら運んでいる。
つまり独り占めである。
それをすると後から並んだ客が買えない。
呆れて見ていたら店員に呼び止められてお一人様に決められた本数しかお売り出来ませんと注意されていた。
主婦は不満顔で露骨にむくれて文句言っていたが、
この停電がすぐに復旧したらどうすんの、自分の身長ほどもある大量のペットボトルの水の山をたった一家庭で。

ところで携帯が全く繋がらない。
私が自宅で所持し使っている何と言うものか、懐中電灯+携帯ラジオ+発電機+サイレンの四役を果たす災害用のあれを
ホームセンターで施設責任者に何個か用意してほしいと連絡したいが、携帯が全然繋がらない。
あれは携帯の充電にも使える。
ただ私が所持しているのは2011年3月の震災の翌日に買ったもので型が古く今のスマホの充電には使えないかも知れないが、
今なら今の時代の携帯やスマホの充電にも対応する型に進化しているかも知れない。
停電の復旧に時間がかかるとなると夜勤者の業務用携帯の充電が心細くなった時にこれは使える。
 

こうしてみると常日頃から自分達は色々な事を見落としていると思う。

10:00過ぎた。
必要なものを買って職場に届け、日勤者に声をかけて私は帰宅する事にした。
いい天気だ。
相変わらず何処からか救急車のサイレンが聞こえる。
地震と停電と断水が無ければ今日は絶好の散歩日和だったのに。


とりあえず帰って何か食べるかな。
せっかく休みで天気もいいから来た時と違う道を通って帰ろう。
マンションなので停電すると水道のポンプも止まって断水している。
飲料水は普段から炭酸水を買い置きしているので数日持つ。
トイレに流す水は困ったなぁ。
避難用に買って数年も期限切れたペットの水あるけど台所で使ってから排水を盥に溜めてトイレ用にするか。

あれこれ考えながら歩いていると普段来た事の無いスーパーの前に物凄い大群衆が各自手に買い物籠を持ち
犇めき合って並んでいる。
皆何買うのかな。
やはり水と乾電池かな。
私は2011年の震災の翌日に用意した物品を引っ張り出して使っている。
非常食として用意した水とチョコやカロリーメイトなどはとっくに期限切れているが水は使う。
飲用以外にも必要だ。
使い切らないうちに停電と断水が復旧してくれたらなぁ。
また違う方角から救急車のサイレンが鳴り響いて来た。

ナナカマドの実が成っている。
ここのは遅い。


あっ路肩に露草が。
群生している。
この草大好きだ。
道端で宝石を見つけた気分になる。




こうして路肩の草木を眺めている自分こそお気楽であるよ。


信号機が止まった道路の片側車線だけが物凄い数の車で渋滞している。
何だろう?
皆何か買いに行こうとしているのか?
この先にある薬店ならとっくに閉店している筈だけど。

近所のスーパーの店舗内の六花亭に予約してあったおはぎの詰め合わせ、そういえば今日が引き渡しの日だった。
思い出して立ち寄ってみたら午前中のうちにスーパーは販売終了して閉店したと従業員が出入り口で客に説明している。
えっと私は買い物はしないが六花亭で予約していたんだけどと話すと従業員が六花亭の職員を呼んで来た。
申し込み時に代金は支払ったので今日は受け取りのみ。
よかった無事受け取る事が出来た。
ここで受け取れなかったらちょっと距離のある店舗まで取りに行かねばならないところだった。
信号が止まった道を出来れば歩きたくない。
まだ受け取れていない予約客がたくさんいるそうだ。

母宅に立ち寄って六花亭のおはぎを届け無事を確認した。
食糧と水も何とか数日分はあると言っていた。

帰宅。
腹へった。
六花亭のおはぎ食べよう。

左上の、紫蘇入りのと右下の粉砕した胡桃を塗したのがウマかった。
もち米あるので復旧したら自分でも作れそうだ。
停電と断水は復旧の目処が全然立っていないけど。

・・・・・

電気が使えないとあれもこれも出来なくて不自由であるが普段優先順位の下の方に追いやってある事に時間を使える。
床を乾拭きした。
電気使えないとネットワークも遮断されてPCが使えないのでアナログな作業をしている。
それは書類整理と、えーと、何といえばいいのかこの作業は。
大きい印刷物の文章を一行ずつ切り取って百均で買った文庫本大の白いノートに糊で貼り付けて、
文庫本として手に取って読めるようにする作業。
作業しながら一行ずつ熟読する、今回のように停電したとか入院でもした時とか、
たっぷりと時間を使う事の出来る時しか出来ない、時間ある時にやろうと思って普段なかなか出来ない作業をしている。
ラジオを聴いていても救急車のサイレンは何処からか聞こえて来る。

・・・・・

そろそろ日が暮れる。
ちょっと外に行って来よう。
まだやってる店あったら、売れ残りの水か何かあれば買って来よう。

明日も晴れそうだ。


民家の庭から歩道に覆い被さるように何かの実が成っている。
梨か?


あちこちの民家から焼肉の匂いが漂って来る。
通り道の一軒家でも車庫の前で人々が集まって縁石に腰掛けビール片手に焼肉を食べている。
楽しそうだ。
何処の家庭でも大抵は野外BBQセットやキャンプの道具を揃えており
いつでもジンギスカンや焼肉が出来るだけの肉の買い置きがある。
停電で冷凍庫が止まったら大量の肉や魚が腐ってしまう。
それで庭先や車庫を解放して片っ端から焼いて食べるのだ。
みすみす腐らせて無駄にしないためだ。
そういえば職場の人も言っていた。

「友達の夫が停電だから外でBBQするべ、庭でキャンプするべってノリノリで
 あれもこれも出して来てめんどくさい事になったって困ってたわぁ(笑)」

少し歩くと午前中からずっと渋滞していた車の列がまだ続いていた。
一体何かと思ったらその先の角を曲がった所にあるガソリンスタンドに給油のため並ぶ車の列だった。
移動手段というよりも電源として使いたいのだろう。
しかし店員らしい人が「日没しましたので本日はここで終了です」と書いた段ボールを各車に見せて歩いている。
窓を開けて困ると言っている人もいるが、給油は日没までらしい。
信号機が使えないので夜間まで車の列が続くと危険なためだ。

1軒まだ開いているコンビニがあったので行くと炭酸水500mlが2本あったので買った。
商品棚はいずれもがら空きだがそれでも店内はびっしり会計待ちする客が並んでいる。
10分ほど並んでいると店員が店長らしき人から何か指示されて扉に「閉店しました」の紙を貼り付けた。
後から入ろうとする客の嘆息する姿がガラス越しに見えた。
店内から沈む太陽が見える。
また何処からか救急車のサイレンが響いて来た。
客達は皆沈む太陽の方角を見ている。

夕焼け。


・・・・・

電気が復旧しない純然たる暗闇で夜を迎えた。
店と言う店は皆閉まった。
たまに携帯が繋がる。
心配して本州からメールを下さった方があり幸運にも受信出来た。
しかし充電が無駄になるので携帯を見る事はやめた。

今夜は出来る事が何も無いのでヨハネ福音書(押田成人訳)を読んでいる。
読みながら1行ずつ切り取って文庫版の大きさの白ノートに貼り付けて行く。
災害時用に買ったLEDライトは単一乾電池6個を取り換えてあった。
10日間使いっ放しでも消えないらしいが、10日も停電断水が続くとしんどいなぁ。


単一乾電池4個のサーチライトの上に水入りペットボトルを乗せてみた。
こんな感じである。


不便であるが不安は無い。
家電が使えずネットを見ない静かな夜にヨハネ伝を読み、主と向き合う時間を頂く事が出来た。
いつもなら帰宅するとネット見て寝てしまうからなぁ。

しかしこの停電が今の9月でなく気温−20℃の1月や2月であったら。
真冬の厳寒期であれば停電発生から17時間が経過する今頃には自分は生きていないと思う。
仮に生き延びたとしても耳や手足の末端が凍傷で壊死して切断しなければ生きられない状態であろうと思う。
地震や津波や土砂崩れが無くても厳寒期の停電は暖房が止まるという事だ。
氷点下10℃以下の鉄筋コンクリの屋内で我々は何時間生き延びられるだろうか。
気温が-20℃でも何℃でも、暖房が切れると鉄筋コンクリの建物は一気に冷却される。
例え断水していなくても厳寒期に暖房が切れると水分と言う水分は完全に凍って飲む事も使う事も出来ない。
9月の今の時期だったからこの停電でも死なずに済んだと思う。

我々の日常生活は電力に依存し過ぎだと痛感する。
自分が子供の頃は停電など全然珍しくなかった。
大雨、台風、吹雪、-30℃近い極端な低温などでしょっちゅう停電していたが水も暖房も使えた。
暖房はもっと原始的なものでコンセントの要らないものだった。
電話はダイヤル式の黒電話の時代で停電の時も使えた。
家の中と街が暗いと言うだけで特に今のような生活の支障は無かった。
今は、ガス器具特に暖房がいちいち電源を入れないと動かない。
家の固定電話も電源が無いと使えない、携帯電話の充電も電源が無いと出来ない。
マンションなので水道の給水ポンプも電源が止まると動かないために断水する。
子供の遊びや勉強にさえ電源が要る。
便利だ進歩したと浮かれているうちにどっぷりと電力に依存した生活をしている。
昭和40年代から見れば格段に便利で合理的でオシャレな日常生活であるが、
こうして突発的に電源が落ちるとあれもこれも使えず麻痺してトイレの汚物も流せないほど惨めなものだ。

建物の中は鼻を摘ままれてもわからないほどの真っ暗闇で出入り口も階段も手探りであるが、
携帯の明かりを頼りに外に出て見たら驚愕するほど満天の星空だ。
何と豪華な。
よくよく考えないとな。
己の生活の在り方を。

また何処からか救急車のサイレンが響いて来た。
明日の夜もまた急変待機である。
停電が2日目3日目になると今日一日のお粥は何とか賄えたが調達した食料が尽きる、あらゆる物の充電が切れる、
何よりも電話回線が復旧しないと救急車も呼べない。
その前に、夜勤介護職員が待機の私に連絡する事が出来ない。
復旧しなかったら明日の晩は職場に泊まり込むしかないが、自分が泊まり込んだとしても、
何か急変が起こった場合に電話が使えないのでは救急車も呼べない。
被災地の自家発電の無い中小規模の施設ではどうやって凌いでいるのだろう。
知恵が欲しい。

さてどうすっかな。