ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

慈しみ深き

2016-08-13 20:55:05 | 日常
6:00。
昨夜結局職場から呼び戻されなかった。
本日日勤。

・・・・・

仕事終わった。
気温そんなに高くないが動き回ると流れた汗が目に入ってしみる。
結膜炎要注意や。
月が出ている。
上弦から3日目。


日の入りが徐々に早くなってきた。


足の裏が痛いからいつもの路線バスで帰ろう。

・・・・・

帰宅。
仕事の後だから疲れるには疲れたけどまだ余力がある。
明日休みだし、映画DVDを見る。
『王は踊る』『王妃マリーアントワネット』を2本続けて見る。
一つの国の栄枯盛衰。
歴史ものは本編よりも枝葉の部分を見る癖がある。
私はアントワネットよりもその子供達に注目する。
ルイ16世夫妻処刑後の二人の遺児達が辿った地獄、針の筵の日々に
美化された革命の暗部が読み取れる。
処刑を待つアントワネットと娘のマリー・テレーズが読んでいた書物が
Thomas a kempisの『De imitatione Christi』だった事は特に興味深い。

11.イエズスの十字架を愛する人は少ない

  イエズスの天の国を愛する人は多いが、
  その十字架をになおうとする人は少ない。
  慰めを望む人は多いが、
  苦しみをのぞむ人は少ない。
  イエズスと共に食卓につきたい人は多いが、
  イエズスと共に断食する人は少ない。
  キリストと共に楽しむことをのぞむが、
  キリストのために、
  何ごとかを忍ぼうとする人は、
  すくない。
  多くの人はその奇跡に驚嘆する、
  しかし十字架のはずかしめ迄つき従う人は、
  すくない。
  多くの人は不幸が来ない限りイエズスを愛し、
  慰めを受けている限り彼を祝する。
  しかしイエズスが姿をかくし、
  暫くの間でも、彼らから離されると、
  不平をいい、ひどく落胆する。
  しかし、
  イエズスから受ける慰めのためではなく、
  イエズスをイエズスとして愛している人は、
  患難や苦しみのときにも、
  慰めのときと同様に、かれを賛美する。
  そしてイエズスがいつまでも慰めを与えなくても、
  かれらはいつも、感謝と賛美を怠らない。
      (トマス・ア・ケンピス『キリストにならう』バルバロ訳ドン・ボスコ社 1967年より)


身ぐるみ剥がされ夫は先に斬首、生き残った長女次男と引き離され
髪を切られ、後ろ手に縛られて荷車に後ろ向きで座らされて市中引き回しされ
群衆の憎悪を一身に浴びる時、かつて身の回りに大勢犇めいていた友人達は
彼女の傍に誰一人残っていなかった。
孤立無援。
実に讃美歌「慈しみ深き」の歌詞“世の友我らを捨て去る時も…”そのまんまだ。
処刑までの日々アントワネットはこの章を読んで何を考えただろうか。
マンガのベルばらで背景にお花とお星を背負った目の異様にでかいキャラクター、
煌びやかな贅沢三昧で群衆の憎悪を買い首を切り落された王妃の作られた人物像の陰に
生身の人間の葛藤が読み取れて、急に関連の映画を見てみたくなった。


明日は一日教会だな。
礼拝の後墓地に行くのだ。
天気悪そうだけど。

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