ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

去年の今頃、戦っていた。

2013-11-19 07:47:12 | Weblog
普段ブログを読み返して過去を振り返る事はあまりしないが、
じじの介護日記で1年前を見ると、去年の今頃は戦闘真っ只中だった。

  ↓
 ばんくず介護録(2012.11)
  http://blog.goo.ne.jp/t-i801025care/m/201211


昨年の今頃じじは
緊急入院した市内の某総合病院で随分非人道な扱いを受けた。
あれは酷い、人間を人間として扱っていない病院だったと、
一年経って頭の冷えた今でも思う。


院内薬局のある大きな総合病院でありながら、
内服を自分で管理出来ない高齢者の一包化された持参薬を見るなり
露骨に迷惑そうな顔をした主任看護師が
「中止の薬を袋から全部抜け」と私に要求した。(2012-11-18)


じじの膀胱鏡の検査の終わった夜、病棟の看護師長が私に
認知症の年寄りは手がかかるので明日すぐ退院しろと言ってきた。(2012-11-20)


その総合病院のじじの退院の顛末も酷かった。
私は勤務後夕方迎えに行くと伝えていたが、
看護師達は昼の早い時刻から荷物をまとめて物置場に除け、
次の患者を収容するためベッドを空け、じじを誰もいない荷物の傍で
長時間車椅子に座らせっぱなしでいた。
(つまり、この総合病院では認知症の老人を
 厄介者どころか人間ですらない「物」として扱っている。)


私がじじを迎えに行った時、
看護師の誰に聞いてもじじが何処にいるか所在を答えられる者が誰一人なく、
日勤者はじじが何処にいるかを知らなかった。
長い時間待たされて、看護師の一人が見つけた時、
車椅子で連れて来られたじじはぐったりして下肢に網状チアノーゼが出ていた。
傾眠がひどく意識レベルが落ちていたので血圧測定をするよう頼むと
カルテを探しに行ったまま受け持ち看護師は戻って来なかった。
(カルテはある筈がない、既に退院手続きのため医事課に回してあったのだ。)
すぐに脳外科を受診させたかったが夕刻を過ぎており、
かかりつけの脳外科病院は外来診療時間が終了、その日の夜間当番は
じじが退院しようとしている当の病院だった。
同じ院内に脳外科はあってもこの病院ではダメだと判断し、受診を断念し帰宅。
介護タクシーで家に連れて帰ると、
じじの脛に看護師が車椅子に移乗させた時に生じたと思われる裂傷が出来ており
流血していた。(この裂傷に関して看護師は私に何も言わなかった。2012-11-22)


追い立てられ退院した翌日からじじの尿閉、新鮮血の流出と血圧低下が始まった。
連日深夜に119通報したりタクシーに乗せ、この病院の夜間救急外来を受診した。
詰まったカテーテルを入れ替えた当直医の
「何だこれは。何でこんなのが来るんだ。」という声をカーテン越しに聞いた。
当直医は露骨な迷惑顔で「朝になったらまた泌尿器科で診察受けるように」
と私に言った。(2012-11-29)


やはり過去を振り返ると腹の立つ事ばかりで精神衛生上よろしくない。


こういう扱いを受けるのは何もじじに限った事ではない。
三つある市内の総合病院で同じような、いやこれ以上に酷い話を
私は身近な家主の家族や自分のマンションの管理人から聞かされた。
この街にはまともに機能している医療機関は存在しない。
ここでもし大きな病気をしたら終わり、それまでだ。
市内の総合病院のHPを見るといずれも如何にも美しい理念を掲げているのに、
全く残念な事だ。


こうして去年の今頃、自分は何やら四六時中戦っていた。
今はどうよ。
現在は戦っていないかと言うと、やはり戦っている。


今、私が戦っている相手は、時間。
時間相手では勝ち目なく討ち死に確定であるが、
これも仕方の無い事だ。

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