ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

二重線

2014-10-12 23:01:31 | 日常
早出にて早朝出勤。
だんだん寝起き悪くなりつつある。

・・・・・

昼休み。
秋晴れで風もなく、眠たい。

・・・・・

仕事終わった。
雲が押し寄せて来る。



・・・・・

バス内で数回沈没した。
ゆっくりしたいけど、密林でポチったものがコンビニに届いている。

・・・・・

歩きで腹へったので久々に中華屋に入った。
回鍋肉+飯1/2+餃子。
少し体が温まった。


帰宅して、リンゴを割る。
酸っぱい小玉のリンゴ二種、北海道産アカネと青森産紅玉。
小ぶりで皮が色鮮やかで光沢があるのは同じ。
赤みはアカネの方が透明感があって深い色をしている。
重ね塗りした七宝焼きみたいな深い赤、まさに茜色。
紅玉は明るい鮮やかな赤。



割ってみると果肉の色相が全然違う。
アカネの果肉は白、紅玉はうっすら黄色。



食感はどちらも柔らかめ。
酸味はアカネの方が強い。
芳香はアカネも紅玉もよく香るが紅玉の香りはより甘酸っぱい。
アカネは青っぽい植物を連想させる爽快な香り。


・・・・・


眠いんだから寝たらいいのだろうけど、
仕事して帰って寝るだけだと反って疲れを引き摺るから…と言って
ついだらだらとネットで検索している。
休みの日に、余程暇があればでいいんだけど。


・・・・・


わかった。
じじの父親の最後の消息。
「区」も「条丁目」も無かった昭和38年当時の「札幌市平岸910番地」は
「札幌郡豊平町字平岸910番地」だった。
検索、検索、グーグルマップ・・・何だこれ平岸霊園!?

いや違う、霊園に隣接した墓場と道路挟んだ向かい側に精神科の医療機関がある。
当時の市立札幌病院の精神科部門がここに集約されていたらしい。
そうか。
じじの父親は私達の間借り部屋を出て所在不明になった後、
重い心疾患と肺癌のため大学病院や市立病院、国立がんセンターを転々としていた。
重症化し終末期に進行するにつれ孤独と病苦から死に至る不安と恐怖に陥り、
精神に変調をきたしたのだろう。
随分前に法事の席で親族から聞いた事があった。
遠方の実弟に「支離滅裂で悪意ある手紙」を送り付けて親族から絶縁されていた。
一番年上の実息であるじじとも没交渉、後妻の子供二人は高校生と小学生、
誰も頼りに出来ない、誰からも見放された孤独の中で重い心疾患と肺癌の治療をしていた。
元気だった時は人の弱みに付け込んでまでも金儲けに明け暮れ、
愛人を囲い、子供には利用価値だけを求めた結果、
人知れずそのような病苦と孤独の中で晩年を迎え入退院を繰り返していた。
祖父の末妹である大叔母が生前何度も口にしていた
「札幌の南の外れの鉄格子のある精神病院で死んだのよ」
と一致する。
現在の平岸は大都会であるが、昭和30年代当時は札幌市の南の外れ、
市営墓地が大半を占める郊外の一角だったらしい。


今のようながん治療や癌の疼痛コントロールのノウハウが浸透していなかった時代、
苦痛や恐怖から不穏や譫妄に陥った患者に対する緩和ケアすらない時代、
余程騒いで周囲に迷惑だったのだろう、肺癌末期であったのが精神科に移された。
今現在の精神科医療とはかけ離れていた昭和30年代の精神科病棟、
じじの父親がそこで尊厳ある療養生活を送ったとは考え難い。
病苦と孤独の果てに鉄格子の中に入れられて死んだのか。
一人の患者としてはこれ以上無いほどに痛ましい末路だ。
しかし当然と言えば当然の結果と言える。


じじの父親は目先の損得には抜け目ない、悪い意味で頭のいい人物だったと思われる。
改製原戸籍を取り寄せてみてそう思った。


曽祖父は一族の長として、生まれた子も孫も全員戸籍に登録し、
夭折した者も離別した者も曽祖父はありのまま手を加えずに残しているが、
その家督を相続した息子である祖父、つまりじじの父親は違っていた。
じじの父親は利害損得で実子の戸籍に手を加える事に躊躇いの無い人物だった。


祖父は後妻と新戸籍を改製し前妻腹の長男であるじじや全盲の姉という厄介者を削除し、
別々の妻に産ませ夭折した子供達も削除して、初めから生まれてすらいなかった事にし、
数回ある協議離婚歴という再婚に不都合な記述も謄本だけでは見えないようにしている。
実際曽祖父の改製原戸籍を取り寄せないと戸籍謄本から彼らの存在を知る事は出来ない。
じじの実妹などは、一度記載した「長女」という出生の項目欄だけでなく、
「○年○月○日出生、父井上**届出」の記録そのものを後から二重線で抹消している。
つまり、初めから生まれていない事にしたのである。
生まれなかったのだから死んでもいない事になるが、
この実際の長女の出生の記録を戸籍上抹消した後で、
祖父は13年後に3番目の後妻と再婚して生まれた女児を次女ではなく
「長女」として出生届を出している。


当初は長男として生まれたじじの戸籍も同様である。
「長男」の「長」の字を削って消した痕跡がはっきりと残っている。
ただじじ本人が当時生存していたので生まれなかった事には出来ず、
じじの戸籍は中途半端に宙に浮いた状態の戸籍になっている。
本来長男として出生したじじが「長男」の記載を抹消された事によって、
祖父が3番目の後妻との間に設けた第二子の男児が長男となる筈だった。
しかし1歳で亡くなっており出生の記録すら残されていない。
(じじは近年この子供も祖父の第三子で次男、3番目の後妻の第一子として
 家系図と親族の過去帳に名前と死亡年月日を書き込んでいる。)
じじが20歳の時に3番目の後妻が生んだ男児を、祖父は「長男」として届出している。


祖父は5人の子の親になりながら子供らの戸籍を自分の再婚のために都合よく書き換え
それを使いこなして通用すると本気で思っていたらしい。
なるほど、親族でさえ何かの手続きで戸籍謄本や抄本を手にする事はあっても
曽祖父の改正原戸籍など見る機会はない。
まして戦時中から終戦前後の事だ。
人目にさえ付かなければ不都合な事実を知る者達は時間と共に老いて死に、いなくなる。
じじの妹や異母弟は、彼らの父親である祖父の改製原戸籍の何処を見ても出て来ない。
一歳下の実妹がいた事や、3番目の後妻の最初の子供が男の子で1歳で夭折した事、
じじが実妹と異母弟妹全部で5人兄弟の長男であった事実は一切出て来ない。
しかしじじ同様、彼らも確かにこの世に存在していたのだ。
彼らは一度はこの世に生を受けて名前を付けられたが、ただ幼い時に死んで、
その後の父親の進路に不都合だと末梢されたのだ。


これは親が子を利用価値のみで評価し翻弄した実例である。
そこに一般的な親子の情愛は微塵も無い。
あるのはその子供に利用価値があるかないか、好都合か不都合か、それだけだ。


曽祖父が彼らの出生を見届け死亡を看取り届け出をした証拠はこうして今も残る。
貧しかったと聞くが曽祖父は一族の親として自覚ある人物だったらしい。
その息子である祖父は再婚や商売に不都合だと曽祖父の出した届出を二重線で抹消した。
子供を資産として利用価値を基準に考えた場合、祖父にとっては再婚にも商売にも好都合、
その後の家督相続の行方にもこれは合理的と言える。
合理的で、そして非情である。
羽振りのよかった頃の祖父にとって、子供は「資産」の一つに過ぎなかった事がわかる。
自分の血を分け、身から出た子供をここまで粗末に扱ったのだ。
晩年弱った時、自分の子に看取られ安心安全安楽な最期を迎える命綱を自ら切断した事に
計算高く頭のよかった筈の祖父は気付かなかったのかも知れない。
自分で自分を病苦と孤独の地獄に突き落としたのだ。
一人の人間として、何と痛ましく無残な最期だろう。


・・・・・


やかましいな。
真上の部屋の住人が変わったらしい。
若いおにっちゃんが気持ちよく大声張り上げて音程の狂った歌を歌い続けている。
薬物でもやってるのと違うか?
通報しようかな。
いや、どんよりと陰鬱な昔の物事が頭を占領しているからむしろ笑いが必要だ。
上の部屋のおにっちゃんの超絶音痴が面白くて笑える。



ゲラゲラ笑っていたら歌が止まった。
声が枯れたらしい。(((笑