下記のマスコミの論調は、私(人権問題ではチベット支持派=多分多くのチベットの事情を知る日本人は同様だと思います)を含めた一般的な反応に近い気がします。てかマスコミってやっぱり美味しいトコドリしてくよね。あらかじめ計画を立てて誘導してるかのよう。記名記事は大歓迎ですが。
完全に煽られてるかな?私(汗;
リンク切れ防止のため、全文掲載します(各新聞の微妙な論調の差が興味深いです)。
※色文字はブログ主
■産経新聞
紅旗が長野埋めた 聖火“狂騒”だれのため(産経新聞) - goo ニュース
2008年4月27日(日)08:15
長野市の北京五輪の聖火リレーで、長野県警は26日、ランナーの列に飛び出すなどの妨害行為で、日本人5人と台湾籍の男計6人を威力業務妨害の現行犯などで逮捕した。集計でリレー観客数は8万5600人に上り、県警幹部は「観客数は予想より少し多かった」としている。
沿道周辺で中国人とチベット支援者らの小競り合いが多発。中国人とみられる男性4人が軽傷を負った。80人が18・7キロをつないだリレーは警察官約3000人に守られ、ほぼ予定通りの約4時間で終了した。
県警によると、午前8時45分ごろ、JR長野駅前でタレントの萩本欽一さん(66)の列に川崎市の会社員(30)が飛び出し、威力業務妨害の現行犯で逮捕された。「チベット問題を訴えたかった」と供述している。
午前9時5分ごろには、卓球日本代表の福原愛さん(19)の列の前に、チベットの旗を持って台北市の建設作業員(42)が飛び出し、逮捕された。「中国人がたくさんいたので興奮した」と供述している。ほかに卵やトマトを投げつけた日本人4人が逮捕された。
聖火は同日夜、羽田空港から次の開催地、韓国に向け出発、27日未明(日本時間)に到着した。ソウルや北朝鮮の平壌などを経て来月、中国に到着する。
◇
10年前の長野五輪。長野市内の学校では、1校ずつ相手国を決め、国際交流を進める「1校1国運動」が展開された。長野で生まれたこの運動は世界の数々の催しでも実践され、北京五輪でも理念を受け継ぐ活動が行われている。長野では五輪を機に、「もてなしの心」が培われた。
同じ仏教徒が弾圧されたチベット騒乱で善光寺が出発地を辞退し、市内に緊張感が高まっていた20日、長野五輪を記念して始まった10回目の長野マラソンが行われた。沿道の声援は盛んだった。市内の女性は「熱狂した長野五輪以来、現在でもボランティア活動が盛んな土地柄なの」と胸を張った。
10年前の五輪を境に、長野市もやはり不況の波にのみ込まれている。そんな閉塞(へいそく)感が漂う地方都市でゴールデンウイーク初日に国際的なイベントが開かれる。約38万1000人の市民の聖火への期待は高かった。
ところが、10年前の「平和の祭典」とは事情が変わった。コース周辺の学校では「安全を確保したい」と休校が相次いだ。長野五輪と比べ、学校側は正反対の対応をとった。「安全のため」とプランターも片付けられ、聖火に彩りを添える花が街から消えた。
普段は静かな長野の朝だが、26日は「ここはどこの国?」と状況が一変した。市内中心部のカラオケ店から早朝、チベット系の一団が出てきた。店が宿泊先だった。コース沿道では、リレー開始の数時間前から中国国旗の五星紅旗が沿道を埋め、チベット系の団体を圧倒した。「中日友好」などと掲げてはいるが、
日の丸はほとんどなかった。
中国人らが五星紅旗を振りながら大声をあげ、高揚感に包まれて小競り合いが頻発。横浜市からリレーを見に来た男性(62)は「いい場所は中国人に全部押さえられた。お年寄りらが隅っこに追いやられた」と嘆いた。聖火ランナーと中国の青ジャージーの「フレームアテンダント」2人のわきを、約100人もの警察官がわきを固めたのも異様な光景に感じられた。
実際、長野市民も冷めていた。「政治的主張は違う場でやってほしい」
「『日本でも聖火リレーをやった』とのアリバイに利用されるのだとしたら、これほど憤慨する話はない」…。
「1校1国運動」の推進母体となった長野国際親善クラブの小出博治会長は「市民が笑顔で迎え、笑顔で送り返す。そんなリレーができれば、長野から友好をアピールできる」と話していたが、それは無理だった。
今回の聖火リレーは「調和の旅」と銘打たれている。中国側は長野市でそれを実現できたと、胸を張ることができるのだろうか。(芦川雄大)
■朝日新聞
asahi.com:聖火リレー 燃え広がる愛国心、冷める世界 - 社会
2008年04月27日00時35分
18.7キロをつないだ長野市の聖火リレーのゴール、若里公園。最終走者の野口みずき選手を迎えたのは、赤い中国国旗の波だった。
それら五星紅旗の一部は中国から送られたものだ。インターネットサイト「新浪網」が、募金を集めてリレーの通る国に住む中国人に旗を送る活動を続け、「愛国の模範」と称賛されている。寄付金は400万円でこれまで1万6500枚を製作。長野にも千枚が送られていた。
到着式が始まると、旗が振られ、中国国歌が響いた。北京五輪組織委の李炳華・副会長が「日本の熱情は我々に美しい友好感情を残した」と成功を強調すると、留学生から歓声が上がった。
式典の間、会場を囲むように、そろいの白いTシャツ姿の留学生100人以上が両腕でスクラムを組み、「リレーを守ろう」と何度も叫んだ。チベット問題を訴える人も、見に来た日本人も中に入れない。富山県から来たという留学生(27)は言った。
「聖火を守るためには仕方ない。日本の人が見られなかったとしたら申し訳ない。でも、皆で『日本、長野、ありがとう』と叫んだ。日中友好の気持ちは伝わったと思う」
そんな彼らに遮られ、走者の友人を応援に来た地元の短大生(19)は式典の様子がほとんど見えなかった。「違う国にいるみたい。聖火だけでこんなに熱くなっていると、ちょっと引いちゃう」
東京の銀行に勤める上海出身男性(45)は89年の天安門事件をきっかけに出国した。一党支配を続ける共産党は好きではない。政治に興味はないし、リレーも最初は見るつもりはなかった。
だが、各地の抗議活動を見て気が変わった。
「中国にも問題は多いが、聖火の妨害が起きることまで、一方的に中国を悪者扱いするのは我慢ならない」。西側メディアの不公平さを訴えるため、自らチベット問題のビラを作って沿道で配った。
相次ぐ妨害が、体制を嫌って外に出た中国人の心にさえ火を付け、わき起こる愛国心が皮肉にも、北京五輪と中国のイメージを変えていく。
長野県飯田市の女性会社員(28)はチベット旗を持って沿道を歩いた。政治的なことを表現するのは初めて。インターネットで知り合った仲間と、前夜、長野駅近くの居酒屋で待ち合わせた。10人の予約に対し、60人が集まった。
三国志が好きで、チャイナドレスにもあこがれた。だが、五輪が近づくにつれ、中国の別の顔が見えてきた。
「愛国心が強いのはいいけど、抗議も力で押さえつけようとしている」
いつもの五輪と違う雰囲気が、日本の中に少しずつ広がっている。
埼玉県富士見市の小さな町工場「辻谷工業」に今、国内外のメディアから取材が相次ぐ。同社製の砲丸を使った選手は、前回まで3大会連続で表彰台を独占してきた。
手作業で重心をど真ん中に合わせる辻谷政久社長(75)の職人技は、最新の機械にもまねできない。だが、北京には提供しないと決めた。
04年、サッカー・アジア杯での中国人サポーターの反日ぶり。続く05年に起きた反日デモを制止しない当局の態度を見て、気持ちが切れた。
「よく意思表示してくれた」「まだ侍が残っていた」と激励の電話や手紙が100件以上。反対は1件だけだ。
この日、中国主要メディアはリレーへの妨害や抗議について触れず、「順調に終了」と速報。新華社通信は「沿道の観衆は情熱的な拍手で祝意を示した」と報じた。
ネット上では「中国国旗が通関の際に持ち込みを拒否された」といううわさが出回り、中国外務省は否定のコメントをわざわざ出した。
■傷つけられた自尊心
26日。中国安徽省合肥の仏系スーパー「カルフール三里庵店」の正面に「北京五輪を応援しています」と横断幕が掲げられた。売り場は北京五輪の応援歌が流れている。18日、「仏製品ボイコット」を叫ぶ百数十人が内装やレジを破壊、店員を殴った。同店はさらなる被害を食い止めようと懸命なのだ。
店の周辺では、メーデーの5月1日に再びデモをしようとビラを配る人がいた。デモに参加し、「このままでは外国人が北京五輪に来なくなる」と教授に説得された男子大学生は「それでも抗議は続くだろう」と話した。
3月のチベット騒乱で中国への風当たりが強まり、五輪の聖火リレーはロンドンやパリで、中国批判をアピールする格好の舞台となった。中国人の自尊心が傷つけられた。
そこで英雄に祭り上げられたのが、車いすの女性聖火ランナー、金晶さん(27)。7日、パリのエッフェル塔近くを走った。チベット独立の旗を掲げる男たちが次々と向かってきたが、金さんはあごに傷を負いながらトーチを抱きしめて守り抜いた。
映像は中国で繰り返し流され、金さんに毎日100通以上の応援メールが来た。民族感情に火をつけ、五輪開会式不参加を示唆したサルコジ仏大統領の発言もあって、「カルフールがダライ・ラマ14世に資金援助している」というデマとともに抗議行動へとつながっていく。
「中国人は最強だ。外国は口を出すな」
「フランス人を抹殺しろ」
ネットに書き込みがあふれ、米CNN、英BBCなどの北京支局に嫌がらせ電話が殺到した。
北京五輪は「中華民族100年の悲願」と形容される。01年、五輪開催が決まり、北京市民は異口同音に叫んだ。「世界が我々を認めた」
以来、国を挙げて準備してきた祭典が、世界中からおとしめられている。加えて今回の背景となったチベット問題は台湾と並び、中国が最も神経質になる政治課題だ。中国人民大学の康暁光教授(政治学)は「中国が友好的と見ていたフランスと、最も敏感な『五輪』『国家統一』という問題とが結びついた。歴史認識が原因の反日デモとは比較にならない衝撃だ」と話す。
「中国人民が傷ついたことを深く理解する」
21日、上海を訪れたポンスレ仏元老院(上院)議長は、金晶さんの前でサルコジ大統領の親書を読み上げ、彼女の手にキスをした。仏政府は事態を沈静化させようとした。ところが金さん自身は、その数日前に「カルフールへの抗議を支持しない」と言ったため新たな攻撃の的になり、ネットで「仏のスパイ」などと中傷が激増した。
山東省青島市にある団地5階の一室。ドア周囲に「売国奴」「良識を知れ」などの落書きがある。排泄(はいせつ)物を入れた鉢が置かれたこともあった。理由はここに住む夫妻の長女で米留学中の王千源さん(20)の行動だ。
米サンフランシスコで聖火リレーがあった9日、デューク大でチベット支持の学生と中国人留学生がにらみ合いとなり、王さんが仲裁に入った。その映像がネットで出回り、「チベット独立を支持する裏切り者」と攻撃が始まる。王さんの写真や住所、家族の身分証番号まで流出した。
「敵と味方に区別して徹底攻撃する風潮は文化大革命そっくり」と王さんは憤る。
「五輪100日前の祈り」という記事が最近、中国の雑誌「財経」電子版に掲載された。作者のコラムニスト魏寒楓氏は聖火リレー妨害への一面的な反応に疑問を提起。「言論の自由を守れ」と主張した。
魏氏は語る。「北京五輪への抗議を単なる妨害とみなして済むのか。なぜ多くの人が抗議するのかを、私たちは真剣に考えなければいけない」
■チベット人には困惑も
パリ中心部のビルにある「国境なき記者団」の事務所は、黒いTシャツの束であふれ返っている。
手錠の五輪マークで中国の人権侵害を告発する。メディアで注目されてファッションとして人気を呼び、注文が相次いでいる。資金源は、このTシャツや出版物の販売収入が大半。
寄付も加え、年間予算は約400万ユーロ(約6億4千万円)。スタッフはわずか25人。各国で投獄された記者や犠牲となった記者の遺族への支援に取り組む。
創設者のロベール・メナール事務局長は、左翼運動などを経て南仏モンペリエでラジオの記者をした。したたかな戦略家ぶりが今回、十二分に発揮された。
3月24日にメナール氏自身がギリシャでの聖火採火式に乱入。以後、聖火リレーが妨害される流れをつくった。メナール氏の原則は「五輪ボイコットは呼びかけない」。スポーツと切り離し、聖火リレーを中国の政治宣伝と見なして集中攻撃することで、祝賀ムードを吹き飛ばした。
「あんなにたくさんの人が聖火を消そうとするようになるとは想像もしなかった」と振り返るメナール氏。26日は長野・善光寺前で座り込みをした。「私たちの活動は成功に終わったと思う」
チベット人はメナール氏らとは関係なく、以前から抗議デモを計画していた。
米サンフランシスコの聖火リレーの際、
北カリフォルニア・チベット人協会のンゴドゥプ・ツェリン会長は「暴力に訴えたら、中国政府がチベット人の悪印象を世界に見せつける口実をつくるだけ。術中にはまってはだめだ」。NPO職員、ヤンチェン・ラモさんは「感情が高ぶるのはわかる。でも我々は中国政府に反対しているのであって、リレー走者に反対しているのではない」と話した。
聖火リレー妨害が多くのチベット人に困惑の種をもたらしたのも事実だ。
(延与光貞、上海=西村大輔、パリ=国末憲人、ロサンゼルス=堀内隆)
■読売新聞
聖火護送リレー 「平和の祭典」からはほど遠い(読売新聞) - goo ニュース
2008年4月27日(日)01:46
何とか乗り切ることができた。北京五輪の聖火リレーは、長野市から次の会場の韓国・ソウルに引き継がれた。
大混乱となり、その映像が流れたら、中国国民が感情的に反応しかねない。その結果、現在の「反仏」運動に象徴される愛国ナショナリズムの矛先が、一転して日本に向かう可能性が指摘されていた。
リレーが中断することもなく、80人のランナーが約18・7キロのコースを走り終えたことに、長野市や警察の関係者は胸をなで下ろしていることだろう。
それにしても、異様な光景だった。平和と融和という五輪のイメージとは、ほど遠い。
沿道には大小の中国国旗が林立する。中国国旗を手に並走する多数の中国人留学生らもいる。中国のチベット弾圧に反発する人権団体などのメンバーは、チベット旗を手に抗議の意思を示した。
聖火は、約100人の警察官に厳重にガードされて進んだ。見物客には、ランナーの姿はほとんど見えなかったのではないか。
テレビ中継を見ながら、
「こうまでして聖火リレーをする必要があるのか」と感じた人も、少なからずいたことだろう。
「市民不在」「聖火護送」といった声も聞かれた。
聖火が通過した各国の都市では、激しい妨害行動が相次いだ。市と警察が「聖火の安全確保」を最優先させて厳戒態勢を敷いたのも、やむを得ないことだった。
日本には表現の自由がある。政治的主張を事前に封じ込めることはできない。こうした対応しか取れなかったとも言える。
リレーの隊列に飛び込むなどして、6人が逮捕された。ビラなども投げ込まれた。歓迎派と抗議派の小競り合いもあり、けが人も出たが、全体としては、大事には至らなかった。
五輪を通じて国威を発揚することは、中国政府の悲願である。その五輪と絡め、チベット政策に対する海外からの激しい批判が起こっても、「内政問題だ」として強気の姿勢を崩さなかった。
人権問題について、国際社会と大きな感覚のズレがある。
中国政府は、ようやくチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世側との対話を再開する姿勢をみせたが、五輪のためのポーズで終わらせてはなるまい。
重苦しい空気が改善され、スポーツの祭典として楽しめる五輪となるか。ひとえに中国政府の対応にかかっている。