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私の中の「ま、いいか」なブラック&ホワイトホール

光市母子殺害差し戻し審・3★殺意って何?

2007-05-25 | 事件を追う(短期別枠カテ)
光市母子殺害差し戻し審★死と更生
光市母子殺害差し戻し審・2★更生って何?

少年への死刑の適用争点 差し戻し審始まる 光母子殺害(朝日新聞) - goo ニュース

光市母子殺害 差し戻し審初公判 意見書要旨(産経新聞) - goo ニュース

■成人と区別する合理的根拠ない
【検察側】差し戻し審では最高裁判決が認定した各犯罪事実を前提とした上、情状面において、死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情があるかどうかに焦点を当て、迅速に審理することが求められている。
本件は強姦(ごうかん)目的で主婦を殺害した上、姦淫(かんいん)し、生後11カ月の乳児まで殺害したもので、その慄然(慄然)たる犯行はおよそ少年特有の非行行為とはかけ離れている。その責任と量刑判断において、成人と少年を区別すべき合理的根拠はない。また、少年法は精神年齢などの精神的成熟度を要件としておらず、死刑を適用する場面において、そもそも精神的成熟度を検討する必要性はまったくない。
本件は犯罪行為自体の客観的な悪質性のほか、遺族の被害感情、社会に及ぼした影響などを適正に評価し、国民の健全な法感情を考慮して判断すれば、極刑以外に選択の余地がない。1審判決は死刑適用の判断方法を誤り、過去の裁判例と形式的に比較し、被告の更生可能性の有無に集約させた主観的事情を殊更重視して無期懲役刑に導いたものであって、著しく正義に反し不当であり、すみやかに是正されなければならない。

■強姦殺人ではなく、傷害致死罪
【弁護側】弁護人はこれまでに2つの法医鑑定と犯罪心理鑑定、精神鑑定を依頼し、その結果、1審判決および旧控訴審判決はもとより、上告審判決も事実の認定や量刑に誤りがあることが明らかとなった。当公判廷において、それらの誤りを正すとともに、被告が反省し罪を償うために、今後どのように生きていこうとしているかを明らかにしたいと考えている。
弁護人が明らかにしようとしている事実の概略は、
(1)強姦殺人ではなく、失った母への人恋しさに起因した事件であり、被害者に対しては傷害致死罪にとどまる
(2)被告の精神的な未発達がもたらした偶発的な事件であり、被害児に対しても殺意は存在しない
(3)被告は極度の退行状態にあり、成人と同様に非難することはできない
(4)被告は自分の過ちを現実感をもってとらえることができなかったが、26歳になり、反省と贖罪(しょくざい)の意を深めている-である。
最高裁の審理は被告の弁護を受ける権利を侵害する異常にして異様なものだったと言わざるを得ない。また、永山基準を逸脱し、実質的な判例変更に該当するにもかかわらず、これを小法廷で審理、判断したことは違法である。


今回の事件では、弁護団の被害者および私たち第三者を
愚弄するかのような対応が、感情面・直感面・主観面で
加害者および「死刑制度廃止」のアゲインストになっていると思います。

弁護方法としては「あり」なんでしょうが、
8年を経て、いまさら殺人だと確定して進んできた裁判を
いきなり障害致死にもっていこうとするあまりの戯言に幼稚さを感じます。
8年も時間をかければ意識が変わる(ように見せかけられる)のは
当然であり、この異常な弁護団の長引くムダな裁判自体が
事実を曲げ、加害者の現心情優先の延命措置になっている。

2にも書きましたが、「殺意の有無」ってどうやってはかるのでしょう?
すでに8年も「殺人」として扱われてきた事件の場合は特に。

甘えたくて、変装して、自宅に進入して抱きついたら抵抗された。
で、死ぬとは思わず首を圧迫した、と。
で、偶然死んだので、生き返らせるために強姦した、と。
で、泣きながら近寄ってきた赤ちゃんに、蝶々結びしたら窒息した、と。
すべて12歳レベルのおままごと感覚で、殺意は一切なかったと。
(これ、12歳が聞いたら怒ると思う。反論できる小学生いると思います。
ある意味、たとえ5歳でもわかる理屈だと思う。強姦以外は・・・)

で、「犬がかわいい犬にであったら~」の、あの手紙が書けてしまう・・・。

万が一、殺意はなくてもとてつもない悪意はあると思う。

殺意のない殺人って、
階段でまちがってぶつかった結果、相手が階段を落ちて亡くなった、とか
そういう不可抗力しか、イメージできない。
「殺意はなかったが、かっとなって」という場合、
かっとなる時点で殺意が芽生えてると思うし。
よくわからないです。
でもって、殺人の伴わない殺意はけっこう日常茶飯事で生じてる気がする。
どう考えても、殺意の有無より、殺人を実行するのが問題なんだと思う。

死者に口なし・・・。
もし今被害者が生きていたら、どういう心情を語るでしょうか?
これではどう考えても「生きてるもの勝ち」以外なにものでもない。

殺意も反省も更生も測れないし、確定できない。
でも殺人は確実に起ってしまっている。
殺人が一番重い問題なのであり、
どう考えても残虐で異常きわまりない行為であり
その後も反省の色は見られず、
被害者家族はどこまでも救われない。(裁判が被害者救済のために
あるのではないとしても)

弁護団が加害者の罪を軽くするために尽力するのは
当然なんでしょうが、弁護しきれなければそれが事実なのだと思う。
事実をまげ、精神異常にし・・・それはやはりねつ造です。

これは主観的なものですが、
「21人の弁護団」というビジュアル的な集合体独特の気もち悪さを
実感させていただいています。
今回の行動がどれだけ、あなたたちの求める「死刑廃止」を
遅らせることになるのか、少しは考えた方がいいと思います。
弁護士や弁護システムそのものへの反感を煽っている。
自分たちの力がたりない、なんて表現してしまうあたり、
行動=信念だとか言いたいのでしょうが、
弁護士は真実をもって弁護すべきなんじゃないのか?

明らかにねつ造した内容に、哀れみや失笑を感じたのは
そしていい加減にしろ、と思ってるのは本村さんだけではないと思います。

※表現に不都合がある場合はご容赦もしくはご指摘ください。
 
参考:

●読んでいて、死刑制度との関係含めて興味ぶかかった記事です。

弁護団によるセカンドレイプ (大石英司の代替空港)

「冤罪」と「やったもん勝ち」の間-光市母子殺害事件の弁護側の主張(できるだけごまかさないで考えてみる)

なるしす日記
コメント欄が興味ぶかいです。
帰着点は違いますが、弁護士であるnarushisuさんの見解は勉強になります。
もっとこういう意見も聞きたい。

山口母子殺害事件審理差し戻しで考えたこと その2 (死刑廃止と死刑存置の考察・BLOG版)
死刑の判断規準が記載されています。

●以下は、最高裁の差し戻しまでの経緯、差し戻しの内容と意味がよくわかります。
ただ、この記事2006年に書かれたものですよね。
(というか、この関連を検索すると、2006年の記事がメインで
上位アップされます)
差し戻しの再審に1年近い時間がかかってしまう、
これ自体問題だと感じるのは、裁判の仕組みがわかっていないからでしょうか;

光市母子殺害事件最高裁判決の感想(元検弁護士のつぶやき)
光市母子殺害事件の上告審弁論について(元検弁護士のつぶやき)

Yahoo!掲示板 - 国内ニュース - この事件、事故に”ひとこと 言いたい!”

●今回、マスコミの偏向は、死刑賛成の私にも感じられることです。
逆の立場から、別の視点で見ることも必要だと思うので
犯人弁護的視点についても、情報チェイスしておきたいのですが
ブログはほとんど私と同意見かな、と(濃い・薄いはあるとしても)。
こうなるとネット総意に近くなってきますね。

偏向報道を改めない日本のマスコミ(らくちんランプ)
その安田好弘弁護士の発言とは、光市の母子殺人事件の当時被告少年が、友人に宛てて書いたとされる手紙(検察がマスコミにリークして公になっている「どうせ無期(懲役)だったら、7年そこらでまた戻れる」「あの男(=本村さんのコト)調子に乗ってんじゃないの?」という手紙)というのは、実は当時被告少年が逮捕直後に収監されていた、山口県の刑務所内にある拘置所の独居房の中で、2部屋隣の独居房に拘留されていた人物とのやり取りに用いた手紙であること。
 またこの手紙について、広島の高等裁判所が「相手の手紙に誘発された物であって、決してそれが彼の本当の気持ちではない」という判断をし、検察側の死刑求刑の材料としての「手紙」に関する主張を退け、一審の無期懲役判決と同様の判決を下す材料の一つとした、という内容の発言です。


それが事実だとしても、少なくともそこに本人の反省はない。
あの手紙は本当にひどい内容だった。
相手の手紙に誘発された物であっても
たとえそういう返事が書けてしまうところが問題なんじゃないのか?
そして誘発されたフリもまた可能だという視点も必要。
私は単純に書きたいことを書いただけだと思います。

被害の報復としての刑罰は不当(広辞苑を出す出版社のブログ)
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6 コメント

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激しく (E-H)
2007-05-27 01:20:12
同意します
("依頼" が来て欲しいです)
返信する
E-H様 (なるもにあ)
2007-05-27 02:40:56
コメントありがとうございます。

今回のことで職業「弁護士」というのは、
詭弁を労し、詭計を図り、ねつ造を行い、
積極的に事実を曲げ、
非人道的・非常識的・悪魔的行為を含む場合があることを
学んでおります。

以下・記事にしようと思ってたのですが、
ちょぉーっとシグナルともってたところです。(汗;
E-H様にこっそり打ち明けていいですか?
(ってめっちゃオープン確信犯なんですが;;;

この21人と犯人を、お腹のすいたライオンの檻に1人ずつ入れたいです。
あ、でも殺意はまったくありません。
ライオンと遊んでいただく楽しい「動物園ごっこ」です。
で、偶然ライオンに襲われ、一部食べられたとして、
それが原因で死に至ったとしたら、
その死体を急いでワニに食べさせます。
“私”は「死者はワニの体内で復活する」と信じています。
これは宗教的儀式で、人命救済措置であり、死体損傷ではありません。

・・・こういうバカバカシイコトを実行できる時点で
“私”の精神は異常であり、現実と妄想の区別がつかない
18歳以下レベルですので、
死刑は適応されないことを期待しています。
返信する
中国には (E-H)
2007-05-27 07:27:36
生け餌をする動物園があります。
自分が手を下すまでもなくそこに放置しておけばよい事かと。

詭弁は時により残酷な暴力になる可能性があります。
返信する
E-H様 (なるもにあ)
2007-05-27 17:35:54
>生け餌をする動物園
ちょうどニュースを見ていて
唖然としつつ。
世の中には唖然とすることが多いので
唖然同士を合わせてみるのはいいかもしれません。

いろいろ調べはじめると
「これはおかしい」という感覚を麻痺させる
専門家の闇にはまりこんでいきますが
しばらくネットダイブしてみたいかな、と。
今は、精神病者の犯罪率と
性犯罪の再犯罪性についてチェイス中です。
こういう事件で、すぐに精神疾患に逃げ込む弁護が
別の意味で社会に誤解を与えているようです。
返信する
死刑について (kei)
2007-05-28 01:55:13
死刑執行はどこで行われるかご存知ですか?
多くの方は、刑務所と思われているかもしれませんが死刑は、拘置所で行われています。
刑の確定がれていないので未決の被告という扱いなので拘置所に収容されています。

さて執行人はというと拘置所の職員が3人執行のボタンを同時に押します。
誰のボタンが直接に執行したか判断できないように配慮されいるからです。
職業とは言え合法的な殺人行為をする刑務官のプレッシャーは相当なものだと思います。
だから直接死に至らしめた職員個人を特定できないシステムになっています。

更に、13階段は昇りではなく本当は下りです。(フラットから落ちるんです)
殆どの死刑囚は、首の骨を体重を支えきれず骨折して死に至ります。
それを回収するのに13階段を下って行くのです。

ここからは死刑囚の言葉です。
「死刑を宣告された囚人は、毎日刑務官がドアの前に立ち止まる恐怖を味わいつつ毎日を送っています。」
「死刑囚は、決して潔く死刑台に立ってはいけない。それは被害者家族の心情を察すれば、生きたいと往生際の悪さと死の恐怖を訴えつつ死ななければ被害者家族の恨みは晴らすことはできない」
これはある死刑執行人の手記の引用です。

死刑とは、国家の法律を盾にした合法的殺人とも言えます。
私は死刑廃止論者ではありません。
大昔のように市中引き回しの上、張り付け獄門主義者です。
私が言いたいのは、被告や被害者を第三者として無視し、弁護団が法律の盲点や抜け道を利用して売名行為に走ることが本来の正義なのかどうかを問いたいのです。
真実の糾明と被告の弁護活動から掛け離れた事実の捻じ曲げ的な口頭弁論は被告の再犯を助長するものに他ならない。
真実を捻じ曲げ仮に無罪を勝ち取ったとして、再犯を犯した場合に弁護団はどのような責任を取るのだろうか?
真実は一つです。
跡付けの抗弁は単なる言い訳以前の茶番としか受け取れない。
21人の弁護団はその自己責任の重大性を再認識して頂きたいものです。


返信する
kei様 (なる@ちゃっと)
2007-05-28 02:15:04
死刑についての貴重なコメントをありがとうございます。

死刑執行人の手記の引用の
「被害者家族の恨みは晴らすことはできない」そういう思いで
刑にのぞむ死刑囚を、私は潔く、人間らしいと思います。
人を殺す=自分とおなじように生きていた人間の生を止める
ということの罪の重さは、やはり同じように時間をとめなければ
わかりえない、と思います。

死刑廃止論もここ2日間でかなり読み、
個人的には同感・共感できるポイントもありました。
たとえば「あなたの親友が復讐のために誰かを殺そうとする
のをどう感じるか・・・」とか、
「自分以外の人間(死刑執行人)に殺人を犯させていいのか」など。
命は重い。だからこそ犯人といえど、新たな殺人をおかすべきではない。
その理屈はわかります。
そして殺人のすべてが死刑妥当ではないとも思います。

ただ、いろんな内容を読んでもなお、
死刑は必要な極刑だと思います。
そしてそういういろんなものを抱え込んだ重い刑だからこそ
抑止力となりうるのであり、また罪の浄化作用を持つのではないか、と。

>真実の糾明と被告の弁護活動から掛け離れた事実の捻じ曲げ的な口頭弁論は被告の再犯を助長するものに他ならない。
真実を捻じ曲げ仮に無罪を勝ち取ったとして、再犯を犯した場合に弁護団はどのような責任を取るのだろうか?
真実は一つです。
跡付けの抗弁は単なる言い訳以前の茶番としか受け取れない。
21人の弁護団はその自己責任の重大性を再認識して頂きたいものです。

完全に同感です。

今回の弁護団の茶番劇は、被害者の命を汚しています。
命が重いのなら、失われた命にも敬意をはらうべきであり、
そこに命を重視する死刑廃止論者の矛盾を強く感じます。

死刑は多くのものをけじめ、救うと思う。
ある意味、人間に犯罪者を殺す権利がないのなら、
人を裁く権利も、更生させる権利も同様にないと思います。


※お仕事は大丈夫ですか?
 お身体も。心配しています。
返信する

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