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私の中の「ま、いいか」なブラック&ホワイトホール

光市母子殺害差し戻し審★死と更生

2007-05-25 | 事件を追う(短期別枠カテ)
犯行時の心理状況解明へ=元少年の差し戻し審開始-光市母子殺害・広島高裁
5月24日17時32分配信 時事通信
山口県光市で1999年、会社員本村洋さん(31)の妻弥生さん=当時(23)=と長女夕夏ちゃん=同(11カ月)=が殺害された事件で、殺人などの罪に問われ、最高裁が1、2審の無期懲役判決を破棄した当時18歳の少年だった元会社員の被告(26)に対する差し戻し控訴審第1回公判が24日、広島高裁であり、楢崎康英裁判長は、弁護側が請求した被告人質問と心理学者の証人尋問を採用、犯行時の状況について審理することを決めた。
この日の更新手続きで、死刑を求刑している検察側は「被告の反省は皆無。内面の未熟さや更生可能性など、主観的事情を強調すべきでない」という意見を述べた。
一方、弁護側は「殺人ではなく傷害致死にとどまる。被告の精神年齢は12歳程度だ」と主張。元監察医や心理学者、精神科医の鑑定などの証拠調べを求めた。


被告は「最高刑」で償って=「家族3人で見届けたい」-遺族の本村さん・広島
5月24日20時31分配信 時事通信
「人を殺(あや)めた罪を、生きて償うとはどうすることなのか、分からない」-。山口県光市の母子殺害事件の遺族、本村洋さん(31)は差し戻し控訴審が始まった24日、広島市内で記者会見した。「この国の最高刑で被告は償ってもらいたい。その最高刑が、わたしの考えている命をもって償うということと合致している」と述べ、これまで通り極刑を求める考えを強調した。
弁護団は被告の犯行を「仮想現実に逃げ込んだままごと遊び」と表現した。本村さんは「法廷を混乱させようと奇々怪々なことを言っている」と批判。「被告を救うことは手段で、目的は死刑制度の廃止を訴えること。遺族だけでなく、被告さえ利用している」と厳しい表情で語った。



犯罪に精神年齢は正直関係ない、と以前から思っています。
たとえ5歳でも100歳でも自分以外の人の生命を断つ行為は同じ。
そのうえであえていえば、ほとんどの12歳は殺人はしない。
そして絞殺、強姦はどう考えても一般的な12歳の犯行ではない。

傷害致死と殺人の区分けが殺意の有無にあるにしても
結果、人がこの世からいなくなる原因であるのは同じ。
そして命を償えるものはどこにもない。
更生は、生き残り続ける犯人の「生」のためでしかなく、
残った人間や世間を納得させるための良心的・人道的帰結でしかない。
そしてそれには保証はない。再犯時、弁護側の責任もない。

裁判で時間がたつと、当然ながらいろんな変化・しがらみが生まれてしまう。
時間がかかって、結局犯人は生きのびつづけ
謝罪や反省の時間が与えられ、
真意は別としても「心と態度を改める」ことができ
弁解の余地が広がっていく。
それを社会的更生というなら、すべての変化・忘却は更生だ。
そして生きてるからこそ、変化も忘却も可能になる。

一方で、家族を失い、時間が止まった被害者サイドに忘却はない。安らぎもない。
被害者権利が損なわれ、加害者権利ばかりを守ろうとする現システムは、
本当に次の犯罪の抑止力になっているのだろうか?

いつも思うこと。反省した、償いたい・・・
それは具体的にどういうことなのだろう?と。
本当に死者に悪いと思うのなら自殺すべきなんじゃないのか?
(昔の切腹制度に代わる自己裁量の尊厳死を制度化すべきでは。
もしくはあだ討ちの復活。江戸時代の方がよほど人情に叶ってると思う。)
死でもっても、償いえない罪ではあるけれど。
本村さんが裁判前に語っていた、
「この犯人が更生して一生罪を犯さない人間になることを見届ける覚悟があって
弁護をしているのか」という言葉にも強く同感します。

絶対的な確信犯的な犯罪に対しても
弁護というシステムがあるのは意味があると思う。
ただ、裁判に勝つためだけのような今回の急場凌ぎな
(シロウト目にそう思える)弁護には、
更生が本来は一生をかけたものであるべきものだけに
どうも齟齬を感じるのです。

TVはまた得意の悪意な編集をして
煽り気味だなぁ、とは思うけれど
本村洋さんの記者会見は、的を得ているとしかいいようがない。
「8年間の裁判の積み重ねを途中割り込みで反故にしないでほしい」という
思いに同感します。
新しい証拠を提出するしかない、それが弁護団のお仕事だとはしても、
8年前にはなかった状況証拠が、今ごろ出るのが「あり」なら、
(どう見てもお粗末なねつ造だけど)「ごね得」のいい実例を、
世の中の未成年犯罪者予備軍に提示してるようなものじゃないのか?

異常増殖した、顔の見えない弁護集団の弁護内容は悪いジョークのようでした。
以前、少女を殺害した理由を、悪魔が身体にはいったからだと言った
外国人が犯人の事件がありましたが、それと同じ戯言に聞える。
水道検査員に変装して、抱きつくのが
おばあさんやおかあさんに対する“甘えやじゃれ”で、
“偶然”殺してしまった後、行った強姦=死者の陵辱が
「生への儀式」だとしたら
それが弁護として通ると思ってるのなら
すべての強姦は「生への儀式」になってしまう。

21人が「ミイラ死体を生きてるとする宗教団体」みたいに見えました。

主婦殺害と死姦。赤ちゃん殺害。
明らかな事実を、犯人の長年をかけた「反省」(途中、友人に自慢げな
手紙を送ってる事実をなしとするにしても)と過去の塗り替えで
なんだか愚鈍な怪物を取り囲み、甘い汁を吸おうとしてる
21匹の売名行為なハイエナを見てるみたいで気持ちが悪くなった。

抑止力としても実行力としても、私は死刑制度を支持します。
殺人は原則死刑であるべきだと思う。
殺人者にだけ更生のチャンスが与えられ、
死者のとまった生を顧みることがないとしたら
殺したもの勝ちになってしまう。

ここしばらく、過去の事件経緯が特集されてたこともあって、
気になっていたこともあり、
ニュースを見た瞬間から気持ちがどうにも落ち着きません。
不吉な仮定ですが、21人の弁護団の家族が同じ目にあった時、
同じ理屈で死刑を反対できるのか?
知りたいです。
21人のハイエナ臭のする偏執狂な宗教団体のような弁護団に対し、
反吐が出る、というのはまさにこのことだなぁ、と思います。

ごめんなさい。
短絡的で、感情的な記事だとは思いますが
今の正直な気持ちとして。

参考:

「全国犯罪被害者の会・あすの会」

本村洋の道義的責任論の説得力 - 最高裁差し戻し判決を寿ぐ(2006年)

なるしす日記

私も今回・弁護団が死刑廃止プロパガンダとして、この裁判を利用してると思い、
それに対し、強くマイナス感情を持つのですが、弁護士サイドでは当然のようです。
以下抜粋。

この事件の争点は、まさに量刑として死刑と無期とどちらが適切か、というところにあるのですから、死刑廃止を訴えている弁護士が弁護団に参加するのは当然の流れです。
彼は評論家的立場でそのような批判をしているのではなく、家族を殺された被害者として発言をしているものです。そうしたバックボーンを考えると、弁護団を非難したくなる気持ちはわからないではありません。ただ、刑事裁判の目的は、被害者の感情を慰謝、満足させるためにあるのではなく、被告人に対して適切な刑罰を課すというところにあるものです。弁護団もそうした目的で行動しているのだということを、分かってもらいたいところではないでしょうか。


「殺人を禁じてる国が死刑を行こうことが矛盾してる」という
死刑廃止論派とおぼしきコメントがありましたが、
それこそが個人と国の違いだと思う。
人間が他人を殺せる生き物である限り、抑止力としても実刑としても
極刑は死刑であって当然だと思うのですが・・・
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2 コメント

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弁護活動といえるのか? (kei)
2007-05-25 13:00:54
本件については、弁護活動のあり方を問われる裁判とも言える気がします。
妻子を無残にも殺害された木村洋さんの気丈な会見を見ると胸が熱くなります。
この裁判そのものが、事件の解明と被告の刑罰を審議する本来の目的を逸脱し、左翼系の弁護団の売名行為と死刑制度を廃止する目的に利用されている気がして被疑者の人権を尊重するあまり、被害者の心情及人権を軽視している気がしてならないですね。

刑罰について、簡単に説明を付け加えると近代刑法では
「応報刑思想」→犯罪者への報復。
「目的刑法思想」→犯罪者を教育改善して社会的脅威を取り除く。
欧米は、応報刑思想が主流ですね。
日本は、目的刑法思想なんです。

哲学者のカントは、「絶対応復こそ正義で刑罰である。」と以前本で読んだ記憶があります。

私は、弁護団の法廷闘争の手段を素直に受け止めることはできないです。
被害者の家族のことを考えると極刑が相当と思います。<個人的な見解ですが。
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kei様 (なるもにあ)
2007-05-25 18:39:34
専門的な見解、すごくありがたいです!

記事に記載させていただきました。
もし不都合あればお知らせくださませ。(お辞儀

死刑について、不勉強を痛感しつつ、
お仕事をさぼって(オイ
今日は1日ブログ&ネット回りしておりました。

他人事ではあるのですが、
弁護団の狂信的とも思える戯言に、怒りがおさまりません。
これはきっとこの弁護団が「加害者の死」を守るあまりに
「被害者の死」に対し、軽んじる傾向が明らかだからだと
自己分析しています。

被害者は死んでいる。加害者は生きてるから更生させよう。
それって、ある意味傲慢な人道主義だな、と。
人の手(って国ですが)で人を殺すのが野蛮だとしたら、
ある方向に作為的に人を変えるのも野蛮に思える今の私です。

や、そういうことを言うと、教育効果なんてなくなっちゃいますね;
教育は必要だと思います。
でも、今回死刑廃止論を見ていて、「そんなこと可能なのか?」
という意見も多くて、かえって疑問視してしまいました。
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