Il Balletto di Bronzo - Japan Official Info

G.レオーネ、バレットの公式情報です。
★無断転載、引用を禁止します。

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2016年4-5月 メキシコ公演 /Mexican Tour 2016 写真 ②

2016年05月14日 | Balletto di  Bronzo
引き続き、メキシコ公演での写真です。






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2016年4-5月 メキシコ公演 /Mexican Tour 2016 ①

2016年05月08日 | Balletto di  Bronzo
Photos by courtesy of SOL & DENEB Records.
La scaletta by courtesy of Gianni Leone.


2016年4月30日と5月1日に久々のメキシコ公演を行ったジャンニ ・レオーネのバレット・ディ・ブロンゾ。
今回ドラムのダリオとベースのイヴァーノは初のメキシコ遠征でした。その様子とセットリストです。



サウンドチェック <Photo by Tamara Almazan (c)>


メキシコ版PLAYBOY誌にバレット・ディ・ブロンゾの記事掲載




公演後 <Photo by Tamara Almazan (c)>


今回のツアーTシャツ


空港での出迎えの皆さん


市内ののぼり


チケット



1)DELIQUIO VIOLA

2)LA DISCESA NEL CERVELLO

3) L’EMOFAGO

4) NAPOLI SOTTERRANEA

5) CERTEZZE FRAGILI

6) INTRODUZIONE

7) PRIMO INCONTRO

8) SECONDO INCONTRO

9) TERZO INCONTRO

10) BAG LADY

11) NEVERMORE

12) RONDò

13) BABY’S ON FIRE

14) THE STEALER

15) DIAFRAMMA

16) LA TUA CASA COMODA

17) Né IERI, Né DOMANI

18) IL CASTELLO

19) MARCIA IN SOL MINORE

Can We Still Be Friends (Gianni Leone)





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バレット・ディ・ブロンゾの現況について~ジャンニ・レオーネ コメント

2016年02月28日 | Balletto di  Bronzo

親愛なる皆様へ
2016年2月28日

バレット・ディ・ブロンゾの現況について

 最近私のグループについて皆様の混乱を招くような状況が生じておりますので、更なる混乱と誤解を避けるべく、ここにご説明申し上げます。

 私、ジャンニ・レオーネ主宰のバレット・ディ・ブロンゾはイタリアン・プログレッシブにおける歴史的グループです。1995年に再結成し、DVD発売、国内及び海外公演を行ってきました。もう1つは「バレット・ディ・ブロンゾ ディ リノ・アイイエーロ エ マルコ・チェチオーニ」です。最近結成され、[CUMA DC 2016]というプロジェクトでアルバムを発表しました。バレット・ディ・ブロンゾの歴代メンバーのリノ・アイイエーロ、マルコ・チェチオーニと若いナポリ出身のミュージシャンたちによるグループです。

 私はリノとマルコに[CUMA DC 2016]のアルバムにゲストで歌とキーボードで参加してほしいと依頼を受け、旧来の友人なので喜んでゲスト参加しました。これはおかしななことでしょうか。私たちは長年友人であり、バレット・ディ・ブロンゾの「Sirio 2222」アルバムはレコード店やファンのご家庭に何十年もそっと置かれたままになっている状況について話し合いました。バレット・ディ・ブロンゾは「Sirio 2222」がファーストアルバムで、私が参加した「Ys(イース)」がセカンドアルバムです。双方のアルバムにおいて、私たちは音楽的にパイオニアであると信じています。従って、同じグループが異なるジャンルにおいて2つ共存できると考えました。これは私の友好的かつ親善的な譲歩によるものです。この事態がユートピアかイル―ジョンであるかは、今後を待たないと今即答はできません。

 この現況は、すぐには把握できないかと思いますので、ここで公式に私の見解を述べさせていただきました。

 過去、音楽業界において、異なるジャンルで同じ名前のグループが共存することはありませんでした。しかしながら、上でご説明申し上げましたように、私たちは新しい状況を実験的な視点で取り組みたいと考えています。この説明でご理解いただけますと幸いです。

 音楽を愛する皆様に改めて心からご挨拶を申し上げます。

Gianni Leone e il Balletto di Bronzo

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CUMA2016 D.C. についてリノ・アイイェーロからのコメント

2016年02月19日 | Balletto di  Bronzo
【CUMA2016 D.C. についてリノ・アイイェーロからのコメント】

現在、イル・バレット・ディ・ブロンゾは異なるジャンルの音楽で、2バンド存在します。私が関与する方はイル・バレット・ディ・ブロンゾ コン リノ・アイイェーロ エ マルコ・チェチオーニ(Il Balletto di Bronzo con Lino Ajello e Marco Cecioni)と申します。これはバレット・ディ・ブロンゾの歴史的生い立ちに発したもので、「Sirio 2222」そして「Ys」という全く異なる音楽で独自の歩みをしてまいりました。

今、同じグループ名でこれほど異なる音楽性を追求するバンドはこのバレット・ディ・ブロンゾ以外はありません。バレット・ディ・ブロンゾのメンバー、私、マルコ、ジャンニなど歴代メンバーは長年にわたり、各自異なる音楽を追求してきましたが、お互いの友情はずっと継続しています。今後も私たちの友情は永遠に続くことでしょう。

この場をお借りし、私たちの音楽を長年あらゆるジャンルや形態で応援してくれた皆様にお礼を申し上げたいと思います。
ジャンニ・レオーネのバレット・ディ・ブロンゾは4月にメキシコ公演を行います。私たちのイル・バレット・ディ・ブロンゾ コン リノ・アイイェーロ エ マルコ・チェチオーニも近日中にライブの計画があります。どちらもお楽しみになさってください。

どうぞよろしくお願いいたします。

Lino Ajello (リノ・アイイェーロ)
2016年2月19日

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2016年2月19日に発売予定の「Cuma 2016 D.C.」について

2016年02月12日 | Balletto di  Bronzo

 
【2016年2月19日に発売予定の「Cuma 2016 D.C.」について】


当該アルバムは’Il Balletto di Bronzo di Lino Ajello e Marco Cecioni( special guest Gianni Leone)’のプロジェクト名義になっておりますが、現在ジャンニ・レオーネが主宰するトリオ編成のIl Balletto di Bronzoとの関連はございません。

当該アルバムにおいて、ジャンニ・レオーネは’Ordine Disordine’という楽曲にシンセサイザーで参加し、他数曲においてもマルコ・チェチオーニと一緒にヴォーカリストとして参加しております。
リノ・アイイェーロとマルコ・チェチオーニはIl Balletto di Bronzoの初期のオリジナルメンバーではございますが、現在のIl Balletto di Bronzoというバンド名義はジャンニ・レオーネ主宰のバンドのみに適用いたしますことをお知らせ申し上げます。

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さようなら、David Bowie!

2016年01月13日 | Miscellaneous



私は大変なショックを受けています…

運命は本当に不公平です。

私はずっとDavid Bowieを崇拝し、尊敬してきました。1972年にイタリアの音楽雑誌Ciao2001の最初の記事を読んで以来ずっとです。

その記事は今も大切に保管しています。

David Bowieは沢山のアーティストの真のマスターであり続けました。これからもそうあるでしょう。



Gianni Leone


(写真は参考画像)





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2016年 新年のご挨拶

2016年01月03日 | Gianni Leone

... il 2015 è andato. Adesso pensiamo a un luminoso
2016!
 

もう2015年は終わりました。
今は明るい2016年のことを考えましょう!



"Due Gianni e un diavoletto marziano in un interno"

「2人のジャンニと火星からやって来た小悪魔で、まるでルキノ・ヴィスコンティの『家族の肖像』みたいでしょう!」







「この貞操帯、なんて恐ろしいの!!!」


「自慢のチェストのコレクションです。」

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ジャンニ・レオーネ インタビュー① Gianni Leone Interview by Marco Fratta

2015年09月27日 | Gianni Leone
=本記事は対訳ではありません=

ジャンニ・レオーネ インタビュー① Gianni Leone Interview by Marco Fratta


インタビュアー マルコ・フラッタ(Marco Fratta) ©MAT2020
http://mat2020.blogspot.jp/2015/06/intervista-gianni-leone-di-marco-fratta.html

インタビュアーのマルコ・フラッタは今回のインタビューについてこう語りました。
「もう3時間も話しました。ジャン二・レオーネとは一日でも話していられます。」
マルコは87年にトリノ生まれの詩人、短編小説家、ベースプレイヤーです。2007年にテレビを捨て、2009年に愛車を廃車にし、俗世間からは少し浮いた存在となりました。16歳から文章を書くのが好きでした。マルコ・フラッタについてもっと詳しくお知りになりたい方は、こちらのサイトをご覧ください。http://ilpittorediparole.blog.tiscali.it/ 

INTERVIEW
Q (マルコ・フラッタ): ジャンニ、私の連載コラム「リリカル プログレ」にようこそ!つい最近イタリアン・プログレの究極の実験的作品の’Introduzione’について書きました。当時のバンドは大挙して英国追従でしたが、ジャンニの音楽は革命的な方向に進みました。イタリアではプログレがまだ「イタリアンポップ」と呼ばれていたあの時代に、いきなり名作「Ys(イース)」を出しました。評論家などの意見はどうでしたか。
ジャンニ・レオーネ (G):10代の頃は人と違うことにどきどきしたものです。誰もがそうでした。私は特別なことをしたがる子供でした。この血に慣習に逆らう精神が流れているのです。暗闇が好きだったし、着飾ることも大好きだった。とんでもないことを沢山しました。吸血鬼の恰好をして出かけたり、とにかくちょっと興奮していた子供でした。自分の部屋には骸骨や人形を吊り下げていました。自分にとって、当たり前のことでも、他の子たちから見たら、常軌を逸していることが多かったです。でも、私は常に自分自身でいたかった。とにかく、最年少だったから、やりたいことをしていました。
バレット・ディ・ブロンゾは「Sirio 2222」の発表後、アイデンティティ・クライシスに陥っていました。メンバーはとにかく、私がクレイジーなことをいろいろ考えついたから、近づいてきたと思いまs。繰り返しますが、他人にとって異常なことでも、私にとっては普通だったのです!でも、それでも皆は私のことを火星人とか呼んでいました。
私は70年代にはよく日記をつけていました。当時のライブ後の日記を読み返すと、いかにライブに来た人が、私たちの演奏を聴いて、もう魔法にかかったように固まっていたことを思い出します。お客さんはそうは社交的ではなかったです。バレットがプログレの殿堂のパイパークラブに出演したとき、お客さんの中にトランス状態の人がいました。一曲終わるごとにトランス状態が高まっていきました。Terzo Incontroが終わった時、意識してライブ中にサイケなドラッグパーティみたいな演出をしてみました。私がもうエンドレスにハモンドを弾き続けるインプロビゼーションをしたのです。
イヴァン・カッタネオでさえ1973年に私たちバレットのルックスとやろうとすることにショックを受けていました。これ大事なことなのですけれど、当時私は他人の意見には全く聞く耳を持ちませんでした。自分たちにとって正しいことをするだけで、もう精一杯でした。自分たちを表現することが最優先でした。私は特に、他人と違うことを認識していたので、天狗になっていたかもしれません。当時は雑誌の数も少なかったから、自問自答していました。評論家が何を言うんだろうって。




ソフィア・バッチーニ、ジェニー・ソレンティ、リノ・アイイェーロと

Q: アルバム「Vero」を70年代半ばに発表し、レオネロという別名を使いましたね。多くの曲はイギリスやアメリカ滞在中に書かれています。当時の才能の最先端のミュージシャンとプレイし、伝説的なチェルシーで有名ミュージシャンと交流していますね。それから数十年後にバレットで劇的にカムバックしています。バンドとソロの手法は違いますか。
G: 難しい質問ですね。バレットはアルバムを(ジャンニ参加で)一枚しか作っていないからです。シングルのLa Tua Casa Comoda, Donna Vittoriaを出して後、ソロになる決心をしました。自分で楽器を全パート演奏しました。ドラムだけは、私が生涯で最高のドラマーだと思っている友人のジャンキ・スティンガにお願いしましたが。当時、バレットが解散した時、自分で全部できると実感しました。でもその後、ジャンキはオランダに渡ったので、私との作業は中断しました。だから、アルバム「Vero」はレオネロ名義で出すことに決めたのです。
個人的にはバレットが解散した時はすごく気分が悪かったです。他のメンバーは私以外のミュージシャンと演奏しないとまで決めていたのに、です。でも私は結局90年代初めまで、自分の道を進みました。
バレットの「イース」の作曲は全部私が行い、私はメンバーの1人でしたが、全員が同じゴールを目指すパイオニア精神に満ち溢れ、バレットはすごくいい雰囲気でした。当時私はバレットの新作アルバムの曲を作り始めていたけれど、結局発表することはありませんでした。自分の人生で、バレット時代の4人のステージほど、素晴らしい衝撃を覚えたことはないです。あのエネルギーと共有したスピリットは他にはありません。バレットの解散後もずっと演奏したい気持ちはありました。レオネロ時代も全曲自分で作り、アレンジも演奏も全部一人で行ったので、達成感はありました。ソロをやることによって、自分の中でも確かな進化を感じました。曲作りの勘どころを得ることができたのです。これは自分でも誇らしいと思います。誤解ないように言っておきますが、ラブ・ソングなんかのことじゃないですよ。自分は正直キーボードプレイヤーよりはシンガーだと思っています。Monitorは60年代への回帰をイヴァン・カッタネオがより深めてくれました。厳密に言うと、私は現在の作品で、評価を受けたいと思っています。私は懐古することは大嫌いです。昔話にどっぷりつかったり、ノスタルジックになるのは嫌いです。私は現在を生きていて、未来がどうなろうと、知ったことじゃないのです。


Q: バレット解散後のソロ活動中には、バレットのメンバーのストックホルムスタジオ(Humlan)を訪問していますね。そしてウィーンに移動していますね。あと日本では、有名なことですが、イタリアン・プログレがどの国よりも尊重されています。これまで海外でのライブはいかがでしたか?日本公演のブートレッグも出てしまいましたね。
G: 年月を経て、私の考えも変わりました。99年にはTRYSをバレットで出しました。これはYs (イース)とtrioをかけた造語です。編成は私とベースプレイヤーとドラマーだけです。これはバレット解散後の初のアルバムで、マウロ・モローニのメロウ・レコードから発売されました。このアルバムの発売後、私はレーベルに激怒しました。宣伝活動を何もしていなかったからです。その後、申し訳程度にアメリカでのライブが企画されました。そして、その後はメキシコ、チリ、ブラジル、日本と公演が続いたのです。
世界中のどこに行っても、バレットのライブには熱狂的にお客さまが来てくれました。その時思ったのです。「これまで、あなたたち、いったいどこに隠れてたの?」それまで出合ったこともない暖かいオーディエンスに出会ったのです。空港にリムジンで送迎し、ボディガードがついて、ファンが大挙してYsにサインを求めてきました。本当に驚きました。
私はもうずっと粗野なイタリアの搾取だらけの音楽ビジネスに嫌気がさして、音楽まで嫌いになっていたのです。ある時には汚らしい老人が、自分と寝てくれたら、新しいアルバムを出してやるとまで侮辱されたのです。こういう経験をしてきたので、この各国での熱烈歓迎には本当に驚きました。

1995年まで、私はYsに関して、一銭もロイヤルティを受け取ることができなかったのです。当時、SIAE (イタリア著作者出版者協会)では、ノラ・マゾッキの名前でしか著作権使用料を受け取ることができなかったのです。ノラ・マゾッキとは、バレットのシンガーだったマルコ・チェチオーニの叔母様です。
今、イタリアン・プログレがイタリア以外の国で好まれているのは大きな謎です。よく言われるのは、イタリア人なんだから、自国にロックはない、だから、プログレをやる人は全員引退しないと、ってことです。イタリア人はこれまで、自分なりの解釈でロックしてきました。ロックは世界で愛されていますが、イタリアが発祥の地ではないのです。例えば、Secondo Incontroでは、レコーディング・スタジオでヴォーカルメロディは完璧に即興で作りました。とても、イタリア的なメロディが強いと思います。このイタリア的な要素が、私たちイタリア人にとっては普通なのに、外国では熱狂する要素なのです。
他に他国でイタリアン・プログレが受けることで、ちょっとした秘密を話しましょうか。昔私たちバレットの真似をしていた下手くそなプログレバンドが、ここ数年で日本で演奏してるのです。お笑いとしか言いようがありません。イタリアン・プログレが際限なく、世界で拡がりつつあるいい例です。



Q: バレットは真のプログレの一級品だと思います。初期の黄金期とも言える時代にリミニに皆で住んでいましたね。みんなそれぞれが違うことを話すのですが、とても絵になる光景だったような気がします。このユニークな共同生活はいかがでしたか。
G:この共同生活は必要から生じたのです。当時は全員ナポリに住んでいて、イタリア北部でライブをよく行っていました。なので、この近くに全員で一緒に住もうってことになったのです。最初はミラノ郊外のお城にしようと思ったのだけど、これはとん挫して、リミニの家に移り済んだのです。当時、エミーリァ・ロマーナのナイトクラブではプログレバンドのライブが多かったのです。今から思うと、ばかばかしいほど。私たちは海辺のリゾート地でも演奏しました。なんか別の宇宙にいたって感じでしたね。リミニの家では自分たちの世界をつくっていましたから。一緒でないと創造しえない世界でした。残念なことに、この2年間だけで、狂気により私たちは分解してしまったのです。いちばんの災難はメンバーがかわいいガールフレンドを連れてきたことから始まったのです。彼女たちは私たちのような狂気の沙汰の人間の真っただ中に置かれてしまったわけです。もう、あらゆることをしましたよ。当時は全員、極端な言動に魅せられていたから。
私にとってあの生活は慣習を突き破る目的がありました。当時私はいいお家の王子さまだったからです。私にとって生きることは偏見と慣習への抗議だったのです。バレットでツアーを始めてから、バンコのフランチェスコ・ディ・ジャコモは私たちの傍若無人ぶりにひどくショックを受けていました。ドラマーのジャンキがガールフレンドのひとりのスリップを着てきたことがあったのです。私は当時もう無神論者だったので、母が送ってくれたマリア像に食べ物をぶつけて、こなごなに壊しまくっていました。私にとってのマリア像は不平等と破壊的な狂気の象徴だったのです。当時は全員、食べず、寝ずでした。ひたすら自分たちを限界に追い込むことが目的だったのです。当然、無理が生じてきてこの生活は創造性までを破壊してしまったのです。幸いにも、私はいわゆるガールフレンドたちによるダメージとは全く無縁でした。ずっと幼い頃から孤独を愛しているからです。どのバンドも女性からはダメージしか受けていないのです。ビートルズのヨーコ・オノみたいに。結局この共同生活では全員疲弊して、リミニの家を去りました。結局、それがバレットのメンバーとの音楽面での訣別だったのです。


(②に続く)

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日本の皆様への夏のご挨拶

2015年08月08日 | Gianni Leone


Message from Gianni Leone to the Japanese fans

This has been the hottest Summer in the last two centuries... I send you all a HOT kiss!
BACI DA ROMA!


Gianni



*2015年7月15日、ナポリでのオザンナのライブにて







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再会!イル・バレット・ディ・ブロンゾ オリジナルメンバー

2015年07月16日 | Miscellaneous

2015年5月某日、ローマ某所にて



イル・バレット・ディ・ブロンゾの元メンバーのジャンキ・スティンガ(ドラムス)、マルコ・チェチオーニ(ギター、ヴォーカル)とジャンニ・レオーネが再会。

現在は画家として北欧とイタリアを往復し活躍するマルコ。今回も自身の作品関連の用事でローマに滞在し、
ジャンキと合流しました。

マルコは今でも音楽を部分的に継続しており、新曲も準備しているとのことです。

ジャンキは残念ながら、「僕にとって音楽は真剣勝負そのものだから、片手間にはできない。」とのことです。






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