このブログにおける「業界用語」について、批判的なご意見をいただく機会がありました。
特には意識していなかったのですが、好き勝手書いてるブログなので、「業界用語」を使う場面もあった&あると思います。最近はアップしきれてませんが「仕事本紹介」なんて最たるものだろうし。お仕事の話題がNALというブロガーおよびDREAM/ING 111の一部を構成しているのは間違いはないので。で、カウビや松ケンの話題と同じく、その記事や内容に興味がない方はスルーされておKだし、ご自分の好きな記事に自由にご参加いただけたらハッピー♪かな、と。それがこのブログの基本姿勢ではあるのですが。
レスさせていただいてるうちに、「業界用語」へのスタンスについて自分なりに気づいたことがあり、少し立ち止まって考えてみました。
一般的な業界用語と、個人のブログにおける業界用語とは使用場面の違いからニュアンスは異なると思いますが、そのあたりも少し加味しつつ。
まだまだ考察途中ですが、こういうのは思いついた時でないと、なかなか時間がとれないので、自分用の思考メモとしてアップいたします。
業界用語(wiki)
なぜか一部に「業界用語」=よくない、という印象を持たれる方がおられるようなのですが、「業界用語」そのものは決して特異なものではないと私は思います。というか、ビジネスではある意味当然であり、ビジネス以外でも業界用語に類するものってけっこうどこにでもあるのでは?
オタク業界のように極めて裾野が広く、また個人に及ぶ分野も含めて考えると、個々人がパーソナルな「自分業界」を形成していても決しておかしくないのでは、と思います。
※ネットのように流布度・流通速度が早い時代には、専門用語、個人の言い回し・クセ、地域・地方の方言、古語、等と「一般用語」(?)の区別化が難しいなぁ、とも思いつつ。たとえば2ちゃん用語などは、2ちゃんブランドそのものが一般化しているように感じたり・・・。ってこのあたりのこともまた改めて考えてみたいです(って書いたもので、きちんと押さえられた試しがないという罠)
私自身は「業界用語」には寛容なほうだと思っていますが(別に自分が所属するマーケティング業界に限らず&マーケティング業界で使われる用語でも個人的にわかりにくいものは多々あります)、今回はちょっと、自分の寛容さの裏付けを掘り下げてみようと考えました。
まず、「業界用語」がマイナス印象をもたらしやすい原因として、現時点で私が思いつくものを整理してみました。
1.業界外の人間にはわかりにくい、わからない表現が多い。
2.上記理由から業界関係者以外に優しくなく、排他的側面を持つ場合がある。「関係者以外お断り」バリアである場合もある。
3.同様に、その用語を知らない人間が、その用語を使った会話の中にいる時に疎外感や排斥感(一言でいえば仲間外れ感)を感じる場合がある。
4.その業界用語を使うことがなんらかのステイタスを伴うと勘違いし、そのステイタスをひけらかす目的で使うケースがある。(・・・そういうのって、ひけらかすほうがバカにされることのほうが多い気もしますが。)
で、それぞれについて、
「ブログで起った場合」を前提として私見をまとめます。
これは「業界用語」というものを私的に見たらこう感じる、という私見であって、
それ以外の考え方や意見を拒絶するものではありません。業界用語に限らず、あらゆる事象にはいろいろな考え方・見方・見え方があっていいと思います。“ブログの業界用語について語る時にブログで私が語ること”としてお読み下さい。(リアルの会話ではまた違った表現をすると思います。)
以下、前提条件として、企業や政府の広報活動のような「一般人に広く確実に特定の情報を知らせる・告知すること」が目的の文章表現は含みせん。
問題点1:業界外の人間にはわかりにくい、わからない表現が多い。
視点1
「用語がわからない」ことがマイナスになるのは、「わかる必要がある」場合だと思います。なんらかの理由があって、どうしてもそのブロガーの「業界用語」を使った記事を理解したい場合は、ブロガーに説明を乞うか、自力で調べることで、問題は解決すると思います。ネットにおいては、「ググる」という簡単で便利な方法があります。
もちろん、そこまでする必要がなければ、その記事をスルーすればいいだけかな、と。書かれている記事は、時間的には読む前に起っている事象なので、過去を変える(書き手に変更を求める)よりは現在を変える(読み手が変更する)ほうがたやすいということもあります。
余談ですが、ブログを離れて、たとえば仕事だったら、その仕事につく人間は業界用語を覚える必要性こそあっても「業界用語を知らないから&難しいからわからない、仕事ができない」とは言えないはずであり、多くの場合は、業界用語は学習したり経験したりして覚えるものだと思います。
で、「わかる・わからない」だけでいえば、化粧品、エステ、紅茶、料理、車、格闘技、カメラ、歴史、政治、経済、文学、特定都市・海外生活etc.etc.・・・趣味・嗜好含めて好きな人・経験者にしかわからない用語って、業界用語に限らず日常生活でも際限なくあると思います。
どんな方でも記事が書け・コメントできるブログだと、自分が知らない未知の単語があって当然&それが面白い、と思うのですが、これは個人差があるかもしれません。
私の場合:自分が読みたいと思った記事や日記でで知らない単語がでればググります。
視点2
理解度という側面に限っていえば、それが「業界用語」だから、というよりは、情報取得スキルの個人差の方が大きいと思います(これにはデジタル・デバイドの問題も影響しますが、ここでは少なくてもブログには参加できることを条件としておきます)。
そしてそれは、業界用語の問題だけではない。
・韓国の俳優のことをしらないので韓流ドラマの記事をスルーした。
・お料理ブログで、自分は見たことのない食材と調味料が使われていたため、味のイメージがうまく思い浮かばなかった。
・ペットを亡くしたことがないので、ペットロス症候群の本当の辛さはよくわからない
・見たことのないアニメの話題で、全然ついていけない・・・。
業界用語に関わらずそういうことってあるのでは?
また、理解の仕方もそれぞれなので「万人が理解できる」文章は難しいし、「万人が理解できてるかどうか」を検証することもまた難しい。
同時に「万人に理解できる文章に意味があるのかどうか(情報価値があるのかどうか)」についてはまた別の問題だと思います。内容と表現方法は密接な関係にはありますが、目的と方法は別次元でもあるので。
私の場合:用語がわからず記事が私にとっては意味フの場合はスルーします。多少用語がわからなくても、内容が魅力的だと感じるケースは多々あるし、ROMだけしてる分には私には問題ない場合が多いです。コメントする場合は、きちんと理解していないと相手に失礼だと思う場合もあり、その時はググるか質問します。
視点3
誰かの考えをそのままで理解するのは、個人フィルターの関係で実は不可能であり、多くの場合は「わかった、理解した」というのは読み手の「納得度」である場合が多い。「わからない」とは、理解放棄含め、書き手の都合よりむしろ読み手の都合を優先した状況だと思います。
そして場合によっては、記事に対し自分なりの(自分が望む・好む)結論を欲していて、そのアンマッチングや齟齬から「(記事全体に対し)理解できない」と感じる場合もある。
私自身は、「何か(相手)を理解する」とは、読み手裁量ではなく、書き手の真意を書き手視点のままでどこまで汲み取れるかという、読み手の書き手への歩み寄りを指すのだと考えています。
だからこそコミュニケーションにおいては、そこに至る接点づくりが重要なのだと思っています。それでもなお、100%自分=相手になることはありえず、表現や理解や認識の差違は生じるでしょうが、上質なコミュニケーションの場では、その差違こそが相互の進化をもたらすように思います。
私の場合:多くの場合、誰かの考え方についてコメントする場合は、「私なりに」とか「私のわかる範囲ではありますが」等のエクスキューズをし、自分の理解度の範囲を示します。その後自分の事例を語る場合が多いので、マッチングの判断はコメントさせていただいたブログ主にゆだねます。的はずれなコメントをしてるケースも当然あると思います。その場合は申し訳ありません。
視点4
「読みやすさ」と「わかりやすさ」は異なる。そして「わかること」と「意味がある」こともまた異なる。・・・ここを整理しておかないと、用語が難しいからわからないのか、自分の理解度が低いからわからないのか、調べる気がないからわからない(=わからないままでいい)のか、ごっちゃになってしまう、と思います。
「書き手が平易に書く」ということが必ずしも「読み手が理解できる」ではないし、「読み手が理解したいこと」でもない。
また、いくら平易に語られても、内容によってはわからないものは多いと思います。平易に書かれても自分にとって面白くないものもある。
中には、平易に語られているからこそ、わからないこともあるのでは?
よく読ませる文章の基本として「6歳児にもわかるように書く」という表現が言われますが、それは「6歳児にも伝えるべき内容に関して」という前提条件ありきだと私は思います。
ここを押さえないと、「6歳児にわからない文章はダメ」という極論含め、「平易な文章至上主義」のような展開になりがちだけど、万人にとって「簡単でわかりやすい」ものっていうのは実は一番難易度が高い。人によって「簡単でわかりやすい」基準は異なる、つまり、国籍、性別、年齢、居住地、趣味・嗜好etc=「経験」の有無が「ものごとに対する十分な理解」には不可欠なはずだと考えるからです。
自分にとってわかりやすい・平易な表現が他人にわかりやすいとは限らない。そして個人的には、平易さより、内容を表現するのに適切だと感じられるかどうかのほうを重視します。
私の場合:自分が面白いと思えば表現がめちゃくちゃでもOKです。いくら読みやすくても関心がなければ無意味なので。同時に面白いと感じることと、理解することもまた違う気がします。ちょっとうまく表現できませんが、このあたりはまた時間があれば考えてみたいです。
視点5
ちょっと視点をずらして。
「難しい」「わかりにくい」のがデフォとされる哲学書含め、門外漢にとって、難易度が高いものは多い。でもたとえばデカルトに興味を持って『方法序説』にチャレンジして、わからないままにもなんとか読破し、達成感を得る。すると楽しくなって他の哲学書にも手を出すようになる。すると見たことのある単語が増える。「知らない」が「知ってる」に、「わからない」が「わかる」に変わっていく快感。や、それが押井守のアニメであっても、タルコフスキーの映画であっても、や、英語の教科書であっても同じかな、と。
知らないから知りたい、わからないけどわかりたい、それが「知的好奇心」や「探求心」と呼ばれる、学習意欲の源であり、向上心でもあると考えます。今はそういう意味で、ネットのおかげで多くの情報に簡単にアクセスできる、すごくいい時代なんだと思います。
って、このあたりは茂木先生の、知ることの快感で言い尽くされているので、ほとんど受け売り(てへ;
私の場合:たとえば好きなブロガーさんの記事で、知らない単語がでたらググります&それを知ることができて、自分の世界が広がってラッキーだと感じます♪
視点6
蛇足ながら、私は「わからない」ことが必ずしもマイナスだとは思いません。むしろ世界中のブログについて(言語を含めて)全部「わかる」人間は存在しない。
神秘やブラックボックス、隠れてるから魅力的なもの、わからないから凄いもの。わからないけれどわからないままにおいておくこともまた、ブログの楽しみ方ではないかな、と。私は他の方のブログを拝見する時、そういう楽しみ方をさせていただいています。
私見まとめ
●どうしてもわかりたければググる。そこまででなければスルーでおK。
●文章が「わからない」のは、必ずしも書き手のせいだとは限らない。
●内容を100%理解したいのではなく、読み手が納得したいだけ(自分の望む結論がほしいだけ)の場合がある。
●わかりやすい文章と読みたい文章はまた異なる。わかりやすいから面白いとは限らない。
●わからないことを自分で学ぶのこそが快感。
●100%わからなくても、ブログは楽しめる。
もし、私のブログの表現で「わかりにくい、だけど、どうしても知りたい」と思うものがあった場合は業界用語かどうかに関わらず質問してください。私にできる範囲でしかないけれど説明いたしますです。よろしくお願いいたします。
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問題点2:上記理由から業界関係者以外に優しくなく、排他的側面を持つ場合がある。「関係者以外お断り」バリアである場合もある。
ブログにおいては「関係者以外お断り」の場合は、パスワード制にする等の処置があり、それ以外で業界用語を使っているとしても、特に明記がなければ「誰でも参加自由」だと考えます。その場合は基本的には対処は「問題点1」に準じます。
特定業界ブログで業界語が語られるのはある意味当然なので(たとえば建築家のビジネス系ブログで建築方法が専門用語で語られている、等)、そこに参加する場合は、「仲間外れ」にならないためには、(あとから)参加する読み手サイドが用語を自習すればよいだけだと思います。
「仲間&身内意識」「仲間外れ」等の排他性は、業界ブログよりむしろ個人のコミュニティ系ブログで生じやすい気がします。特に仲間になる必要性を感じなければスルーすればいいだけですが、どうしてもそこに参加したいのなら、先方が決めた参加資格に準じるしかないように思います。でないとKY指定されがちかな、と。
特定ペットの飼い主ブログや学校の同窓会ブログ等、資格設定によってはどうしても参加できないものもありますが、それはさすがにあきらめるしかありません。※条件に合わなくても参加だけなら自由な場合もあります。
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問題点3:その業界語を知らない人間が、その用語を使った会話の中にいる時に疎外感や排斥感(一言でいえば仲間外れ感)を感じる場合がある。
いままでの流れに準じますが、基本は知らない側が用語をググるのが早道だと思います。その用語でなければ語れない内容というのは、必ずあるので(特に翻訳系用語の場合)。
個人のコミュニティでは、多少事情は変わってきますが、相手に質問できるのなら聞いてしまうのも話題に入るきっかけとしていいかも。
腐女子ブログにおけるカップリング用語のように、業界用語というのは「この用語がわかる方、こういう用語を使うブロガーに関心がある方のためのブログです」という目印でもあり、共通用語で結束を高める・場を盛り上げる等の効果があるので、その場に入るには参加希望者が用語習得するしかないかな、と思います。
あきらかに自分にとってアウェーの場合は、スルーすればよいと思います。
もし、相手があなたに対しわざとあなたが知らない(ことを先方は知っている)用語を用いてきたとしたら、そこには別の意図(あなたに知って欲しい、もしくは、あなたを拒絶したい、等)があると思われるので、そこを見極めて対処する必要があり、それがいちばんしんどいケースかな、と。
私自身は、特定のブロガーに対し、仲間外れや目配せのような低レベル(私見です)なコミュニケーションを行えるブロガーやコミュニティとはつきあわないほうが、精神衛生上よいと思います。そこに固執して環境改善を求めるよりは、次の出会いを探すほうが早いかなと。・・・そうはいかない人間関係の場合もあるでしょうから、ケース・バイ・ケースではありますが。
・・・これって業界用語レベルの問題ではない気もしつつ。アニメのキャラ名でだって起りえるかも。
ただ、相手の用語が100%わかるケースのほうがレアケースですし、書き手は読み手が思う(期待する)ほどには、意識して用語を使っていないように思いつつ。
いずれにしても精神的負荷はなるべく減らした方が、脳が楽しいです。
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問題点4:その業界用語を使うことがなんらかのステイタスを伴うと勘違いし、そのステイタスをひけらかす目的で使うケースがある。
ネットによって調べれば大体の用語の意味はわかる時代。いまどき上記のような意識でいるブロガーは、さっさとスルーすればよいと思います。
なんだか書いていて確信的になってきていますが、わかりにくいのは、業界用語だけではないのではないのかな、と。
■マスコミ業界用語について
「業界用語」の中で、マスコミ業界はちょっと特別な扱いになるように思います。
それは流行語や新語など、新しい言葉を(多くの場合はネタとして)取り扱うからかな、と。
で、多くの場合、それらは「世間」や「生活」に定着せず消えてしまう、消費期限の短いものが多い。それに対し、「軽佻浮薄」「言葉遣いを乱す要因」としてマイナス印象・マイナス評価をされる方は多いのでは?
マスコミ業界用語は「マスコミ業界のビジネス上の専門用語」と「マスコミが好んで使う流行語」に大きくわかれると考えます。
前述に関しては、マスコミ業界外の人間が覚える必要は基本的にはないので、わからなくてもスルーすればよいのかな、と。逆にマスコミ業界に勤める方は勉強してくださいという感じかな。
流行語に関する言語学的・学術的なアプローチは、もっと専門の方がおられると思うので、そちらにお任せしたいと思います。
で、私自身はその用語の浮つき加減・馬鹿馬鹿しさを笑うスタンスも含めて流行語や新語OKだし、けっこう面白がるブロガーです。自分が気に入ればどんどん使います。2ちゃん用語に顕著ですが、あの言葉、あの表現でなければでない空気ってかならずあるように思います。
場合によっては作品を排除したり、作家を断筆に追い込むような「言葉狩り」のほうがよほど問題が大きいと思っています。
上記を含め、すべて私個人の私見であり、それ以外の考え方を否定するものではありません。
まだまだメモレベルで、ロクに推敲もしていないので、人に読んでいただける内容ではないよう<オイ
が、このタイミングをはずすと、自分的に落ち着いちゃってアップしない気がするので、初稿扱いであっぷです(こゆのがブログの面白いトコであり、危険なトコでもあるなぁ、と自覚しつつ)。
ここまで書いての感想として、ブログにおいては、業界用語云々というより、個人が個々の定義と用法で使う用語と、その解釈の関係のほうが興味深い気がします。つまりはやはりコミュニケーションのあり方の考察なのかな、と。
ここまでお読み下さった皆様に、深く感謝いたします。
読みにくい文章におつきあいいただき、ありがとうございました。
※異論・反論含めてご意見は歓迎します。ただし持論を反論されると無意味に攻撃的になられる方のご参加はお断りいたします。また記事に関係のない離れた持論展開もご遠慮ください。持論をお持ちの場合、過去記事をTBいただければこちらからお邪魔いたします。よろしくお願いいたします。