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劇団昴
マイミクのちゃととさんにお誘いいただき、観たかった舞台を見て参りました。
といってもすでに2週間前ですが(汗;;)
座・高円寺は、いつも中央線からみていて、気になっていた劇場。
とてもきれいで、見やすい箱の前から2列目中央。
(いつもすごいお席をありがとう、ちゃととさん!)
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公式サイトより:
1986年4月26日、ソビエト連邦(現ウクライナ)で起こったチェルノブイリ原発事故は世界を震撼させた。事故直後に現場に向かったプラウダのジャーナリスト。彼は事故からわずか2ヵ月後にこの作品を書き上げた。克明な真実が暴かれていく…。
予告編
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※以下ネタバレあります。
席に座ると、舞台の奥に番号のついた部屋がずらりと並んでいます。
(個々の部屋自体がどこかお棺のようでもあります)
気がつくと左端の席に男性が1人座っています。
ここは放射能の研究所、
1階は植物、2階は動物、そして彼の暮す3階は人間用。
男性はこの研究所で唯一、長らく生き残っている希有な
(本人いわく)モルモット。
研究所の生活にも慣れ、手術にも耐え抜き、すっかり研究所の顔のようです。
ある日、緊急事態が起こり、すべての部屋に患者が運び込まれます。
農家の女性、将軍、おつきの運転手、工場長、消防士、泥棒・・・
彼らはチェルノブイリ事故の被曝者であり、一部は関係者。
そこで繰り広げられる、それぞれの立場から見た原発事故。
作者のウラディミール・グバリェフは、プラウダの記者で、
長編レポートを書いているうちに、
脚本という形態をとらざるをえなくなったそうです。
みんながそこで自分の役割に忠実であり(1人を除いて)、
まじめに生きていて、
それでも対象が人間には制御しきれないものであるがゆえに、起こってしまう悲劇。
終演後のポスト・ショー・トークでは、本来プラウダにノンフィクションのレポートとして掲載されるはずだった本作品が、フィションの戯曲という形を取ることで、政府、原発関係者、一般人それぞれの思惑、立場、思いがより明確に描かれている点、そういう戯曲の持つ力について、興味深いお話を伺えました。
この脚本があの大事故後わずか2ヶ月で書かれていた、という事実に驚愕します。
そして初演後、長らく上演を禁じられていた、ということの意味も考えてしまいます。
事故が起こった時、それぞれの立場が正義を主張するであろうこと。
それは個々には間違ってはいないが、恐竜のしっぽにすぎないこと、
原発システム、そしてそれが事故を起こした時の全体像はたぶん誰にも見えていないこと。
主人公の不死身だった男性は、自分の腎臓を工場長に移植して死んでいきます。
「彼だけは楽に死なさないように」という言葉を残して。
この結末の意味するところは大きいように思います。
そして、世界に向けた強いメッセージ、「チェルノブイリを教訓にして二度とこんな悲劇を起こさないように」、このメッセージを絶対に風化させてはいけないと、心から思います。
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宮本充さん(ブラピの吹き替えなどでも有名な)
絵もお上手で、才能あふれておられますー☆
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